この毒に身を焦がせば

ゴオルド

文字の大きさ
16 / 16

最終話 さようなら夫よ。あなたはもう知らない人です。

しおりを挟む
「どこにいるの、梅ちゃん」
 まさか交通事故にでも遭ったんじゃ……嫌な想像をしてしまい、ああ、やっぱり家に連れて帰るべきだったと後悔して下唇を噛んだとき。

 港脇の駐車場で、仰向けになっておなかを撫でられている黒猫を見つけた。安堵のあまり長い溜息が出た。ああ、良かった、事故に遭ったわけじゃなかった……。
 猫を撫でているのは誰だろうと視線を上げたときの私の驚きは、多分どう表現してもうまく言いあらわせないと思う。

 彼は立ち上がると、コートの裾をはためかせて、私のほうに向かって歩きだした。私は立ち尽くしたまま、彼との距離が一歩一歩縮まっていくのをただ見守ることしかできなかった。

「僕はやっぱり優しい人間じゃないから、三緒さんの意思を尊重してそっとしておくことができませんでした」
「幸希くん……」

「探しました。もし見つからなかったら一生探し続けるところでした。あ、そうだ、例の女についてですけど、ケリをつけましたから安心してください。もう手出しはさせません」
 涙があふれてきて、彼の顔がよく見えない。

「これからも、いろいろと問題が起こるかもしれません。でも、全部乗り越えてみせる。だから、三緒さんには僕と一緒にいてほしい。僕は優しくないから、人のものだとわかっていても、奪ってでも三緒さんがほしかった。その気持ちはずっと変わらないから」
「幸希くん……!」
 先に手を伸ばしたのは私か、それとも彼だったか。ただ、強くしっかりと抱き合ったことだけは確かだった。



☆☆☆

――数年後。

 美容室を出ると、私は待ち合わせ場所へと急いだ。約束の時間を過ぎていた。美容室は混んでいて、思ったより時間がかかってしまったのだ。走ったほうがいいかもしれない。せっかくセットしてもらった髪が乱れてしまうかもしれないけれど。
 数歩駆け出したときだった。

「あ、おい、待ってくれ!」
 ジャージ姿の中年男性に通せんぼされてしまった。一瞬、変質者かもしれないと思って身構えたが、その顔には見覚えがあった。
「三緒……」
 別れた夫だった。私は信じられない思いで、元夫を見つめ返した。毛玉だらけのジャージで外出するだなんて、私と結婚していたときには考えられないことだった。無精髭を生やした夫は年齢よりずっと老けて見えたが、しかし私が最後に見たときのような異様な感じはしなかった。

「治験の……後遺症が治ったの……?」
「ああ、うん、治るまではいかないけど、大分良くはなったよ。いまはリハビリ中。さっき病院帰りのバスの中からおまえを見かけてさ。もうびっくりして、慌てて下車したよ。ちょっとそこのカフェにでも行って話さないか」

「……今さら何の話があるの」
「いや、だって聞いてくれよ。俺は今彼女と一緒に実家住まいなんだけどさ、彼女と親が毎日喧嘩してて居心地が悪いんだよね」
「……」
「彼女は家事をサボるくせに、「私の味方をしてくれないなんてひどい」って言って泣くし、親は「あんな女さっさと追い出して、家事ができる嫁を連れてこい」ってうるさいし。そんなときにおまえを見かけたもんだから、これはチャンスだと思ったんだよ」

「……チャンス?」
「よりを戻すチャンスだよ。彼女はもう追い出すから、帰ってきていいぞ」

 あんまりな言葉に私は絶句した。近藤さんを追い出す? 家事は苦手かもしれないけれど、それでもあの親と同居してあなたを支えてくれた人を?

 こんなに身勝手な人だったなんて。

 私が呆れているのにも気づかず、元夫は調子よくしゃべり続けた。

「また俺のためにロールキャベツをつくってくれよ。固いけど文句言わずにちゃんと食べてやるから。はあ、良かった、おまえが戻ってきてくれたら親も静かになるわ」
 元夫はほっとしたとでも言いたげに笑った。私が拒否するわけがないと思い込んでいるようだ。その自信はどこからくるのだろう。

「私、あなたとよりを戻すつもりはないよ」
 きっぱりと宣言したけれど、夫はにやにやするだけだった。

「ああもう、意地を張るなよ。働くこともできないくせに」
「働いてるよ」

「……え?」
「私、あなたと別れてからずっと働けてたんだよ。……今はちょっとお休み中だけど」
 元夫は大きな声でからからと笑った。

「ほらやっぱり! お休み中ってつまり無職ってことだろ? おまえに仕事なんかできるわけないもんなあ」
「そうじゃなくて……!」

「はいはい、もう言い訳はいいからうちに帰るぞ。洗濯物がたまってるんだよ」
 手を伸ばしてきたので、私は一歩下がって、左手を突き出した。薬指にはまっている指輪がよく見えるよう指を伸ばす。

 元夫は、ぽかんと口をあけて指輪をまじまじと見つめた。

「私、再婚したの。だから何を言われても無理。もう私にかかわらないで」
 元夫は顔を歪めた。
「嘘だろ……なあ、そんなの嘘だって……」
「嘘じゃない。私は再婚して、今とっても幸せなんだよ」
 言いなりになる都合の良い家政婦はもうどこにもいないとこれで理解してくれただろうか。


「三緒さん、どうかした?」
 そのとき、待ち合わせ場所にいるはずの夫が、ベビーカーを押してやってきた。途中買い物に寄ったみたいで、腕にはエコバッグを掛けている。袋からはキャットフードの袋が少しだけはみ出していた。

「遅いから迎えにきたんだけど、こちらの方は……?」
「ううん、知らない人。ちょっと道を聞かれただけだよ。待たせちゃってごめんね。それじゃあ、いきましょう」

 私は幸希くんと並んで歩き出す。うしろを振り返ったりなんかしなかった。


 <完>

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと - 〇  

設楽理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

『 ゆりかご 』 

設楽理沙
ライト文芸
  - - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - - ◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。 " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。 ―――― 「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語 『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』 過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、 そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。 [大人の再生と静かな愛] “嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”  読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。 ――――            ・・・・・・・・・・ 芹 あさみ  36歳  専業主婦    娘:  ゆみ  中学2年生 13才 芹 裕輔   39歳  会社経営   息子: 拓哉   小学2年生  8才  早乙女京平  28歳  会社員  (家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト) 浅野エリカ   35歳  看護師 浅野マイケル  40歳  会社員 ❧イラストはAI生成画像自作  

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

付喪神狩

やまだごんた
キャラ文芸
古い道具には年月と共に人の情念が蓄積され、それが意思を持ったものが付喪神と呼ばれる。 容姿端麗だが口も性格も女癖も悪い大和御門は日本で唯一の付喪神狩として、付喪神を祓う能力者。 自分に取り憑いた大口真神を引き連れ、同居中の相方・棚橋亨と繰り広げる現代異能バトル

処理中です...