蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ

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第一章 ボクが軍人になる前のこと

一人の上官への憧れ

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 時は進み九月十八日。あらかた作業が終わり、ボクと近藤、ついでに大井は、空いた時間で避難所として残るとある体育館へ訪れ、被災地に住む人達の話を聞いていた。
 その中で出会った一人の女性の話に惹かれ、ボクはしばらくその女性と話していた。
 と、いうのも。その女性には一人の息子さんがいたという。歳もボクらよりも一つ下で、海軍に入り、雷に乗ることを夢見ていた一人の候補生だったと話してくれた。
 息子さんの死を、間近で見たらしい。
 地震で倒れてきたタンスに押し潰され、「母さん、生きて」と、死ぬ間際に呟いたのをはっきり聞いた。運ばれた遺体は顔の原型が無かったと、その女性は話してくれた。
 一人の命が奪われてしまったこの大地震は、本当に悲惨なものだと感じる。それも海軍に入りたかった『未来の候補生』の命を。

 話し終わり、最後に女性はボクの手に何かを握らせてきた。
「……これは?」
「息子が大事に持っていたものです。辛うじて手に持っていたものらしく、見つかったので……工藤君が持っていて欲しいのです」
 渡されたそれは、銀色の桜のブローチだった。話している途中に、綺麗な笑顔で写っている息子さんの写真を見せてもらったせいか、ボクは不思議と心苦しくなり、溢れ出てくる涙を堪えようと必死に笑顔を作った。
「……ありがとう、ございます。息子さんの想い、無駄にはしませんから」
 それでもボクの涙腺は脆いもので、最終的には泣いてしまって……。
 慌てて涙をハンカチで拭き、ボクの頭を撫でてくれた女性の手は暖かかった。こんなにも温もりのある手で抱かれてきたのなら、きっと息子さんの魂も靖国へと帰っている頃だろう。
 どうか、そう願いたいものだ。

***

「海軍に入りたかった……か」
 その夜、ボクは候補生室のベッドに横たわり、日記を書きながら今日起きたことを振り返ってみた。
 息子さんと一緒に、雷に乗って戦いたかったなぁ。
 でもそう思うのはもう遅くて。
 一瞬で刈り取られる命って、本当に儚く一瞬なもので。
 じいちゃんが亡くなった時のことを思い出して、ボクは自然と悲しくなった。
「何悲しそうな顔してんだよ、工藤」
 大井が二段ベッドの上からひょっこりと逆さまで覗き込み、話しかけてくる。
 ボクは大井の瞳を見つめながら「大井、ボクは人のためになれてるのかな」と、不安げに質問を投げかけた。
 大井はキョトンとした顔でボクを見てきたが、すぐに元の笑顔に戻り「あぁ、なれてるさ」と答えてくれた。
「それに託されたんだろ? そのブローチ」
「うん……」
「どこにつけるんだよ?」
「雷の艦長になった時につけるよ」
 手に持っていた、あの時貰ったブローチを見つめる。身長が小さいボクの掌くらいの大きさだ。大体横幅で言えば五センチくらいだろう。
 少し光に当てれば大層綺麗に、且つ美しく輝くブローチは傷一つなく、亡くなる直前まで相当大事にしていたことが分かる。
「艦長って、あの黒いマントを羽織った時のか?」
「そう。真ん中にどーんとね」
 艦長になった時にだけ羽織れる特別な黒マントがある。ボクはそれにずーっと憧れていた。
 ボクが海軍の創立記念祭で一度だけ横須賀に行った時、偶然見た軽巡洋艦『神通じんつう』の艦長に憧れたからだ。
 確か、名前は汐奏海斗しおかなでかいとさん……だったかな。今も海軍にいるらしく、それもボクのことを知っているようで、それにはボクも驚いた。
「叶うといいな、それ」
「そうだねぇ、ボクも叶えられるように頑張らなきゃ」
 叶えられる気がしないけど、と付け足し、ボクは苦笑いをこぼした。
 艦隊の救援活動は、三日後の九月二十一日をもって終了した。それ以上長引くとボクら候補生に影響があると軍側が判断したからだ。
 沢山の被災地の方々が手を振って見送る中で、ブローチをくれたあの人もいた。
 ボクはその女性に向けて、ブローチを左手で高く掲げながら右手で敬礼をし、八雲は東京湾から離れたのであった。
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