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三章 冬戦争

リボン

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「白い死神……」

 フィンランド地域、マンネルハイム防衛線付近、ソ連軍基地司令室。
 雪が覆い尽くす吹雪の中、指示をする司令官のキリル・アファナシエヴィチ・メレツコフは呟く。
 先程の侵攻で連絡の取れなくなった仲間の安否が確認できず、キリルは苛立たしく舌打ちをする。

「キリル元帥! 先程の侵攻は白い死神による狙撃で失敗に終わったようです!」
「ご苦労」
「はっ。あともう一つ……スロ・オンニ・コルッカがフィンランド軍についたそうです。ユーティライネンが指揮官になり、今後はさながら警戒した方がいいでしょう」
「……分かった。下がりなさい」

 そう静かに放たれたソ連兵は素早く敬礼した後、扉を静かに閉めて司令室を後にした。

「……逃がさんぞ、白いベーラヤ死神スメルチ。貴様の大切な親友を、この手で撃ち殺してくれよう」

 不敵な笑みを浮かべ、キリルは窓に向けて呟いた。

 ***

「シモナさん!」
「なんだよ……うっとおしいぞ……」
「それは失礼しました! ですが、聞いておきたいことがあるのです!!」
 布団を敷きながら「聞きたいこと?」と訝しげに呟いたシモナを見て大きく頷くコルッカ。

「シモナさん、どうして軍に入ったのかなぁと気になりまして」
「どうして……って、理由なんているのか?」
「少なからず理由はあるはずです! それとも……失礼ですが、お持ちでないんですか?」
「理由、ね……」

 ぽすんと布団の上に座り込み、シモナは考える。
 ガルアットがそれに寄り添い、頬擦りをしている光景を、コルッカはただじっと見つめている。

「……そうだな、祖国のため……というのも一つだな」
「一つ……ってことは、他にもあるんですか?」
「あぁ。……でも」
「でも?」

 ガルアットが「おりゃー!」とシモナにちょっかいをかける。
 それに乗るかのようにじゃれ合う二人を見て、コルッカは思わず笑ってしまった。

「……でも、忘れてしまったさ」
「忘れたんですか?」
「うん、忘れた。家族のために、祖国のために、友達のために……とか、そういう理由じゃないのは分かっているんだがな……。とうの昔に、考えることを辞めてしまった」
「……」
「……いや、考えることを『否定』してしまった。そう言った方が、正しいのかもしれない」
「否定、ですか……」

 コルッカはシモナの表情から考えてみる。
 家族でもない、祖国のためでもない、友達のためでもない。
 ……だとしたら、彼女には何が残るのだろう? 彼女に残るのは、戦場で待つ戦争だけではないか。
 ……本当に、そうなのか?

「逆に聞くが、コルッカ、あなたはどうして軍に?」
「私はただの予備軍ですよ。戦争のために緊急採用された、ただの使い駒です」
「使い駒だなんて、私と同じじゃないか」
「そんなことありません! シモナさんはもう英雄としての成果を果たしているじゃないですか!」
「じゃあ、その成果がどう言った成果か……コルッカは言えるか?」
「え?」

 シモナが果たした成果。それは国のための成果なのか、はたまた家族のための成果なのか。

「祖国を守るためとは言えど、人を殺すのは成果とは言えない。戦場は人を殺した数だけその場でも世界でも称えられる。しかし、それが家族の望む道だと言えるか? 手を鮮血に染めて、何が正義だ? 何が成果だ?」
「それは……」

 言葉に詰まるコルッカに、シモナは「言えないだろう?」と苦笑混じりに呟く。

「でも、成果は言えなくても、これだけは言える」

 ふぅ、と息を一つつき、窓から見える景色に視線を移しながら、シモナは言葉を続ける。

「それは、私は戦場が嫌いってことだ。戦場、銃を握ること、返り血を浴びること、人の死を見ること……。今あげたこと以外にも沢山ある。この地球という理不尽な世界が、私は何よりも大嫌いだ」

 やがて枕に顔を突っ込んで、シモナは呟く。
 長く黒い髪の毛が布団からはみ出し、コルッカは慌てて拾いあげて綺麗にまとめる。

「……それでも、私達は領土を奪うソビエト連邦の相手をしなければならない。戦争なんていう儚く無駄な出来事を、私達が紡ぎ上げていかなければならない」
「……私たちが作る戦争……ですか。シモナさんらしい考えです」
「そうか?」

 半分だけ顔を見せたシモナの視線の先には、ジリジリと燃えるランタンと、シモナの髪の毛を櫛で梳かしているコルッカが見えている。

「……この世界って、なんて残酷なんでしょうね。人を駒にして戦場に赴かせて、それでいて死者を沢山積み上げて、何が平和のために……って思いますよ」
「確かにそうとも言える。……けどな」
「けど?」

 先程より声のトーンを低くして、コルッカは復唱する。

「……私達軍人が作る戦争で必ず現代が平和になるとは限らない。でも逆に、
「……どうして、そう言えるんですか? 未来予知じゃあるまいし」
があるとしたら、それほどのことなら言えなくもないだろう?」
「僕もそう思うよ。……まぁ、シモナの前世は、結構特殊なものだもんね」
「えっシモナさん、前世の記憶持ってるんですか……?」

 驚くのも無理はないと、ガルアットと二人で顔を合わせた。
 シモナは話した。自分の前世が現代日本の女の子だったこと、親友の死を間近で視認したこと、小学五年生の時に不思議な体験をしたこと、大学生の時に交通事故に遭い、命を落としたこと。
 シモナはその関係で、命のことについてはあまり触れたがらない。思い出したくない記憶まで覚えているのだから、納得もいくとコルッカは感じた。

「……現代日本は、平和だったんですか?」
「あぁ平和さ。本当に平和だ。政治問題が多く取り上げられる時代だがな。だけどまぁ……ここの時代に比べれば、テレビだったりバイクだったり……電車ユナもあるが、それとは違って新幹線というのも存在する」
「ばいく……? しんかんせん……??」
「ごめんシモナ、新幹線って何?」
「現代を生きれば分かるんだが……まぁ、多分生きているうちに見られると思う」

 これ以上話すと現代に影響しそうだなぁ……と思い、シモナはそれ以上のことは話さなかった。

「私も新幹線なるものを見られるように生き延びなきゃ……!!」
「っはは、私も生きなきゃな、ガルアット」
「そうだねぇ……」

 なんて話していると「おいおい、まだ起きていたのか?」と、ユーティライネン中尉が困惑気味に部屋を尋ねてきた。

「中尉!」
「おっ女子トークかー? こりゃあ邪魔しちゃいかんなぁ」
「違いますよ……」
「はっは!! 女子トークもいいが、明日に響くから早めに寝とけよ?」
「はーい!」
「お泊まり会ですかここは……というか女子トークじゃないですから、違いますから」

 シモナの言葉に聞く耳持たず、中尉はドアを閉めていってしまった。

「シカトされるシモナさん、今の心境は?」
「銃口突きつけたい」
「それはまずいですって……」

 苦笑気味に返答をしたコルッカは、櫛《くし》で梳かしていたシモナの髪の毛をまとめ、「ゴムか何がないですか?」と、シモナに向かって問いかける。

「え? あー……。リボンならあるけど、結べるのか?」
「手先だけは器用ですから!」

 ふふんとドヤ顔をしたコルッカにリボンを差し出したシモナ。
 それを受け取って器用に結び始めるコルッカの手つきは優しいものであった。
 シモナからすれば、母に結ばれているようだった。懐かしく思い、思わずコルッカのことを母だと錯覚してしまいそうだ。

「はい、結び終わりましたよ」
「ん、ありがとう」

 ふわっと、自然に笑った。
 それを見て何を思ったのか、コルッカは「良いものがありますよ」と持ち前のカバンから何かを取り出そうと手を動かす。
「あったあった」と声をあげ、コルッカが取り出したのは、

「……リボン?」

 リボンだった。
 シモナの持っているリボンと同じ柄だが、黄色の部分が白色、黒色の部分が水色と、配色が異なっていた。

「これ、もしシモナさんが今結んでいるリボンが無くなったり、破けたりした時に、予備用として使ってください。もしかしたら役に立つかもしれないので」
「え、あ……いい、のか?」
「はい、私の短い髪の毛じゃあ結べませんし!」
「……じゃあ、貰っとく。ありがとう」

 歯を見せて笑うコルッカと、それを見て少しだけ微笑むシモナ。
 ガルアットからすれば親友、はたまた姉妹みたいだなぁ……と、心底思える程二人は性格が合う。
 何よりも、シモナの顔に笑顔が戻ったことが、彼の一番嬉しかったことなのではないだろうか。

「そうだ、一緒に寝れば暖かいですよシモナさん!」
「却下」
「堅いです! もっと柔らかくですよ!」
「何が堅いんだ……?」

 ***

「……シモナさん、まだ起きてます?」

 二時間ほど経った時、コルッカが小さく声をあげる。

「……どうした?」
「あっ起きてた……」

 昔から眠りが浅いシモナは、この日も眠れずに目だけを閉じて考え事をしていた。
 コルッカからの声かけがなければずっと考えふけていたと、シモナは少しだけ笑った。

「シモナさん、こっち向かないんですね」
「別に、自分に素直じゃないだけだ」
「ふふふ……」
「何がおかしい」
「いいえ……不謹慎ですが、シモナさんって嘘つきだなぁって」

 嘘つき?
 言い返そうと思ったシモナだったが、その言葉を抑えこんで考える。
 自分に素直じゃないところが、嘘つきか。
 面白い例え方をするなぁと、シモナは微笑ましく思えた。

「……そう、かもな」

 ガルアットのもふもふな身体に顔を埋め、彼女は呟く。

「……ずっと、一人だと思っていた。私についてくる人なんて、結局は私の実力を期待してついてきているんだと、そう思っていた」
「……?」
「でも、それは違うとも……最近は思い始めている。……やっぱり、あなたが配属されたからなんだろうか……」

 コルッカはその言葉に引っ掛かりを覚えた。
 元々、一人でやってきていたという言い草ではないか。それが、自分が入ってきたことで違うと思った……とは、一体どういう事なのか。コルッカはその一人の軍人の考えが不思議で仕方がなかった。

「……まぁ、いい。考えても無駄なだけだし……」
「……あの、シモナさん」
「?」

 話題を変えようと、コルッカはとあることを口にした。
 自分が助けられたあの時から、ずっと気になっていたことだ。

「あの時、どうやって私を見つけたんですか? あそこは森の中でしたし、木で銃声が吸収されるはずですよ」
「どうしてと言われてもなぁ……半ば半分こいつのおかげだし……」

 と言って、ガルアットを手で軽く叩く。
 その振動で起きたのか「ふぇ……なに、まだ起きてたの……」と枕に乗せていた顔をモゾモゾと動かして呟く。

「起きてたけど寝とけ」
「ふぁい……」

 そしてその一言であっさり眠りについた。
 改めて彼女がすごい人だと、コルッカは感じた。
 自分にできないことをなんでもやってのけそうなこの人の背中をついて行こうと、この時初めて感じた。

「シモナさん、狙撃ってどうやったら上手くなりますかね?」
「練習だな」
「ふぇ、それだけですか?」
「うん、それだけ」

 うーん、と少し考えたシモナは次にこうとも言った。

「『人のふり見て我がふり直せ』それが練習だ」
「それって勉強と同じですよね?」
「そうだ、よく分かってる。……それを忘れなければ、大丈夫」

 シモナはそうと言ったきり言葉を発さなくなったという事は、眠りについたのだろうか。

「……ありがとうございます、おやすみなさい」

 コルッカもそう一言返し、目を閉じた。
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