僕はわがままで 人間を裏切った

しーしい

文字の大きさ
1 / 25
第一章 綺亜の裏切り

第一節 迷い

しおりを挟む
 
 

 最後まで戦っていた人間の魔法使い三名が、呪詛の声を謁見の間に響かせながら魔族に引きずられていく。
 彼らの叫び声はやがて遠くなり、替わりに魔族の戦士が床の血を洗い始めた。

 謁見の間のドームを埋め尽くした人間は、もう誰一人残っていない。
 全てが魔族の戦士に倒され、恐らく処理のために亜人の房に投げ込まれた。

 多数の魔族の戦士が壁際に整列し僕と魔王の一騎打ちを見守っている。
 彼ら魔王の近衛はハプタ王と人間同盟の戦士達をこの謁見の間に誘い込み、包囲して殲滅した。

 ハプタ王が王女リシャーリスが指揮した魔界侵攻作戦は戦術的に失敗したが、それにもかかわらず僕は魔王に対して優位に戦っていた。
 互いの技量が拮抗し決め手を欠いたていたが、僕も魔王も満身創痍で倒れ、魔王は黄水晶の剣を落とし、僕は聖剣を離さなかっただけだ。

 そして僕は魔王を足の下に組み敷き、彼女は浅い息のまま四肢を投げ出している。
 ただ戦いの惰性に従い、僕は彼女の首筋に聖剣を突き付けた。


 「僕が君を殺せば……」


 人間の勇者として言うべきであったであろう次の句を、僕は口にすることが出来なかった。
 嘘なら言えるけれども、魔王を殺して解決する問題など何一つ無いからだ。

 僕は腕の血が下がりきるまで聖剣を持ち続けて、魔王の達観とした表情を見つめていた。
 魔界に昇る昼の太陽が天窓から差し込み、魔王のゴールドオーカーの頬を艶やかに照らす。
 十万年生きたこの少女にとっては、生も死も、永続も滅びも、僕が思うほどには差が無いのかも知れない。


 「本当にこれでいいのかい?」僕は魔王を見下みおろしながら、懇願するように聞く。

 「それは本当は誰への問い?」魔王は僕を見上げながら、見透かすように聞き返した。


 僕のあごから滴り落ちた血と汗が、魔王の鎧下よろいしたの上で彼女の血と混じり模様を描く。
 魔王の失われた胸甲の下は、あどけない少女の胸だ。わずかな膨らみが、空気を含んで上下している。
 僕は深く息を吸い込むと、咳き込みながらも戦いの興奮を振り落とした。

 僕はつかから左手を離し、聖剣を大理石の床に放り投げる。
 黒く透明な聖剣は宝石のような音を響かせて転がり、魔王の手から落ちた黄水晶の剣に寄り添った。

 僕は聖剣から与えられる原初の力を失い、ふらついて彼女のそばに手を付いた。
 聖剣や黄水晶の剣など水晶剣が持つ使い手を守るための性質だが、場合によってはそのまま死ぬこともある。

 「いいわけがない。僕は君を殺せ・・ない」

 「なら、私の導きによって世界の滅びを確定させようか」

 「僕という勇者は、どちらも選べないんだ」籠手の留め金を外すと、投げ捨てる。

 「すべてを知った上で、キアはここに来たのでしょ」

 ハプタ王が第五王女セラシャリスは言った。人間界の永続の果てにあるのは荒廃であり、終わりの無い地獄だと。
 『綺亜きあ、永続は人間の罪。人間界から永続を奪って、世界の滅びを確定させて』

 「すべてを知った上で、僕はここに来てしまったんだ」

 ハプタ王が第三王女リシャーリスは言った。人間界が永続を失うと、力を失った大地が崩壊して幾億もの人間が犠牲になると。
 『キア、永続は人間が得た至宝。滅びをたくらむ魔王を殺して、世界を永続させて』


 「本当はわかっている、世界は滅びるべきだ。ネイトに見せられなくとも、永続の先に楽園は無い」

 最高神ネイトとセラシャリスは、三百億年後の未来で大量のヒルに覆われて食べもせず、動きもせず、死にもしない肉塊を、人間と呼んだ。
 文明の痕跡が消えた世界で、彼らは二百九十九億年分の記憶を持ち、死を望みながらも二百九十九億年ネイトの召還は試みなかった。

 「世界の滅びを確定させれば、人間同盟とアンテ城の人達は僕を裏切り者と呼ぶだろう。それはいいんだ」

 アンテ城の主であるハプタ王家は、永続の果てを知りながら王家の未来が安寧であればそれでよしとした。
 情報を独占するリシャーリスの幕僚は、僕が教えられたものと同じ嘘を人間同盟の指揮官達に与えている。

 「人間界から永続を奪い破滅させれば、僕は多くの人間を手にかけることになる。恨まれてもいいけど、決心がつかないんだ」

 ハプタ王とその同盟者以外、ほとんどの人間は、世界の滅びも、魔王も、聖剣も、勇者も知らずに生きている。
 世界は直ぐには滅びないけれども、人間界の崩壊は直ちに始まる。多くの人間にとって両者の厳密な区別は意味が無い。


 僕はあご止めを外して、華美なだけで役にたたない勇者の兜を捨てた。全てを切断する奇跡の水晶剣相手に、鎧は意味を持たない。燭水晶の切片を埋め込んだと言うが、魔法使い達の材料実験につきあう義理は無い。
 丸くまとめた三つ編みを解き、長いピーチブラックの髪を手櫛でひろげると、毛先から血が散った。

 「透けるようで繊細な髪。妬ける、人気があったでしょ?」魔王はローズマダーの目を細める。

 「勇者になる前のことは知らないんだ」

 「別の世界のキアは?」

 「そのことを知っているのかい」

 「因果律の変化には気が付いてたから」

 「前の世界では男性のように、短く切っていたんだ。真島はそれを好んでいたけど、異性にモテていたかは知らない」

 真島 恋まじま れんは、僕の大学の後輩であり、趣味仲間だった。当たり前のように、僕の服装の決定権を持っていた彼女は、今考えると東京における僕の大事な人だったのだろう。

 「そう、短く切ると似合うのでしょう」

 魔王の口調から嫉妬を感じた僕は、不敬にも頭に手を伸ばし燕脂の兜を脱がせにかかる。
 あらわになったゴールドオーカーの額、シルバーグレイに光るくせ毛、薄くて密な渦を巻くシェルピンクの角に僕は心のうずきを感じた。

 「この世界に義理は無い。聖剣を抜いたのは確かに僕だけど、この世界に来た時には既に手がかかっていたんだ」

 「聖剣が別の世界から勇者を選んだのは初めてのこと」

 「僕は前の世界で、理不尽な重荷を背負いこんで過労死した。そして勇者になっても断り切れずに同じことをしている」

 「僕はくやしいんだ」堰を切ったように涙があふれて、その滴が魔王の胸を濡らしていった。

 彼女は横にひろげていた腕を持ち上げると、手甲てこうで僕の顔を包む。

 「キアは、勇者として失格ね」

 「そうだね」

 「いいキア、私は魔王であり、勇者を導いて世界を滅びにいざなう役割があるから、キアのかわりに決断は出来ない」


 魔王は指折り数え始めた。

 「人間界から永続を取り上げるのは、世界の正常化」親指を折る。

 「世界の滅びが確定するのは、世界の正常化の結果」人差し指を折る。

 「人間界が大地を失うのは、世界の正常化による現象」中指を折る。

 「キアの持つ聖剣は、世界の正常化のための鍵」薬指を折る。

 「キアがそれを決めるの。終わらせましょう」魔王は小指を僕に差し向けた。


 僕は涙に濡れた眼鏡を外し、乾いた血と滴る塩水を布で拭い取る。

 そして魔王を組み敷いていた足をのけると、それを伸ばし黒大理石の床に座った。

 「足が痺れてる」彼女もまた起き上がると、足をさすりながら横に座った。

 魔族の戦士達が見守りながらも介入して来ないのは、魔王と勇者が世界のあり方であり、その選択が世界の意志だからだ。

 「世界が滅びると、君と魔界も輪廻に帰るけどいいのかい?」

 「十万年も生きると執着はそれほど無いから」

 「僕には執着心が有る。だいぶ忘れてしまったけど」

 僕は無言のまま横を向き、魔王の幼くて端正な横顔をしばらく眺める。
 魔族の誰かが窓を開けたのか謁見の間に風が吹き、僕達の髪の毛を散らしていった。
 魔王のシルバーグレイの髪の毛から、バーミリオンの血が滴り落ち、ゴールドオーカーの頬を流れ下る。
 それは、首を伝わり、鎖骨を通って、胸の間に消えた。
 僕は血の雫を目で追い、迂闊にもそれに欲情・・した。


 「僕は君を殺さ・・ない」

 「そう」

 「僕は世界の滅びを確定させる」

 「わかった、理由は後で教えてね」

 「ただの、わがままなんだ」


 僕は前の世界で抱いていた、反社会的な劣情を思い出す。

 魔王のような褐色・・の肌の少女を抱きたいと思っていた。
 そして今、彼女のバーミリオンの血を舌先に乗せたいと望んでいる。

 かなわなくともいい。でも魔王を殺してしまったら後悔する。
 彼女は僕が手に入れられるかも知れないたった一つの可能性、運命の人だ。
 この世界で彼女ただ一人が大切なものだから、他のすべては犠牲に出来る。

 裏切りの理由を知ったら、リシャーリスは僕を見下すだろう。
 裏切りの理由を知ったら、セラシャリスは僕を笑うだろうか。

 でもセラシャリス、僕は魔王と共になら世界の滅びを見守れる気がするんだ。


 僕は魔王の左腕をしっかりと握ると、鎧の破片が散らばる大理石の床に一緒に立ち上がった。
 互いにふらつき抱き合うと、彼女の角が僕の胸甲に当たって音をたてる。

 昼の太陽が正中にまで達し、天上にはめ込まれた巨大な一枚ガラスを通して謁見の間全体を祝福した。
 見守る魔族の戦士達は一斉に剣を抜くと胸の前に捧げ、僕の選択に敬意を示す。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...