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邂逅編

第六話 毒舌令嬢と愉快な精霊

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「気安く話しかけるナ、このドーテーロリコンヤロー」

 夕焼けが眩しい道の真ん中。俺は見知らぬ異国の少女に罵倒された。
 こんな経験は生まれて初めてだった。おそらく世界中でも珍しいことではないだろうか。ただ、できればこんな経験はしたくはなかった。

「なっ! 誰からそんな言葉を教わったんだ! というか、俺は違うからな! 童貞でもないし、ロリコンでもないから!!」

 日本語に戻ってしまった。動揺しすぎてて、かえって怪しまれるんじゃないだろうか……。
 実を言うと前者は正解なのだが、それを認めるのは癪だったからそう言うことにした。異国の少女に対して馬鹿な見栄を張る高校生の姿なんて、みっともなくて人に見られたくない。だから俺は心中で人が来ないことを願っていた。

「ゴメンナサイ……。ワタシ、日本語がマダ上手く話せないから。ヘンなことを言ってしまったのなら、お詫びしマス」

 カタコトの日本語で申し訳なさそうに俯く少女。いや、今のは下手とかそういう次元の話ではない気がするが……。
 でも、見知らぬ土地で不慣れな言葉を使って話をするのは、彼女にどれだけ酷なことか。それなのに、自分よりも年下の女の子に気を遣わせたことが情けなく思う。俺は自らを恥じて、それから目の前の少女に誠実な対応で接することを心がける。

「いや、お詫びなんていいさ。こっちこそ悪かったな。さっきの発言が突拍子もなかったから驚いたんだ。ところで、もう一度聞くんだけど君はここで何をしてたの? 良ければ君の名前も教えてほしいな。あ、俺の名前は結羽竜二だ」

 なるべく柔らかい口調で尋ねてみた。少女は緊張しているようで、俺の顔をちらちらと見てはすぐに目を反らす。

「リュウジさん、ですカ。ワタシはメアリー=アコールネイスと言いマス。マリー、と呼んでくだサイ。えっと、さっきまで猫がいたから、一緒に遊ぼうとしてまシタ」

 マリーは辿々しくも説明してくれた。その懸命な姿がとても可愛らしい。猫探しをしていて、こんなに可愛い女の子に出会えたらのなら少しは苦労も報われるというものだ。
 とはいえ、そろそろ日が暮れる中でこの子を一人にするわけにはいかない。ひとまず、マリーの安全を確保してあげるべきだろう。

「そうか。でもこんな時間に一人でいたら危ないぞ。お父さんかお母さんは一緒じゃないのか?もしはぐれたんだったら、俺が付き添ってあげるけど」

「い、いえ。大丈夫デス。気にしないでくだサイ」

「放っておけるわけないだろ。君が遠慮する必要はないよ。ほら、一緒に探そう」

 そう言って、マリーに手を差し出す。俺は、ここで見捨てるほど無責任な人間ではない。最後まで協力してあげたい。
 するとマリーは一歩後ずさった。どういうわけか、彼女の顔が強張っている。さらに、胸の前へ寄せた両手が震えているようにも見える。

「……Spiritus ignis, Salamander!(火の精霊、サラマンダー!)」

 流暢な詠唱が聞こえてきた。と、思った矢先──────
 突如、何も無い空間から炎が燃え上がった。オレンジがかった炎は空中で燃え続けている。

「な、何だよこれ!?」

 俺は驚いた。炎のこともそうだが、それ以上に驚いたことがある。

「おい。もしかしてこれは、マリーが発動したのか……?」

 疑問を目前の少女へ投げかけた。彼女は口を閉ざす。さらに、炎で身を隠すように俺と距離を置こうとしている。
 先ほど聞こえた詠唱は確かにマリーの口から唱えられたものだ。だとすると、この行動の意味は何なんだ?
 そこで、俺は気づいた。炎の形が少しずつ変化していることに。不規則な揺らぎから、規則的な形成を為している。

「おいおい、お嬢ちゃん。せっかく兄ちゃんが親切にしてやってんのに、その態度は失礼だろうよ」

 それは炎の中から聞こえてきた。そこから出てきたのは、ぬいぐるみサイズの動物だった。犬をデフォルメ化したような出で立ちだ。その背中は、炎がメラメラと燃え盛っている。

「うるさい、サラマンダー。使い魔のくせに、ナマイキなことを言うナ」

 マリーが毒づくように、サラマンダーと呼ばれた動物(?)に話しかける。何となく、マリーの態度が変わったように感じた。
 サラマンダーはマリーのいる方を向いて、これ見よがしに嘆息する。

「ったくよぉ。お嬢ちゃんがシャイなせいで、俺がこうして出てやってんだから、もっと感謝してほしいぐらいだぜ」

「アンタなんて焚き火以外で役に立ったコト、ないデショ。何を偉そうに……」

「あぁ!? それ以外にもたくさん貢献してやっただろうが! お嬢ちゃんが寝る前に本を読み聞かせたり、お嬢ちゃんの食事の世話だったり、お嬢ちゃんが夜のトイレに行く時に付き添っていったり──────」

「s……Shut up!(黙りなさい!) 人前では言うナって命令したじゃナイ!」

 マリーが頬を赤らめて涙目になる。それを見たサラマンダーは動揺して、どうにか宥めようとする。
 俺は、あっという間に蚊帳の外に出されていた。この仲睦まじい(?)会話を眺めている内に、少しずつ冷静な思考ができるようになった。
 おそらくサラマンダーは精霊の類で、マリーは精霊使いの家系なのだろう。炎を纏う小柄な生き物といえば、やはり精霊が当てはまる。
 精霊使いは自身の魔力で精霊を使役する人々で、血筋によってその魔法を受け継がれていく。使役といっても、精霊使いが一方的に従える訳ではない。精霊使いと精霊の両者が合意した上で主従関係が成り立つ。精霊自身は微力ではあるが、精霊使いに魔力を提供してもらうことで彼らの魔法はより強大なものへと変わる。そのような関係は古来から続いている。
 これら全ては教科書で覚えたものである。実技が不得意な分、知識で賄わなければならない。かつてはいくら知識を蓄えても魔法が使えないことに嫌気がさしていた。しかし、姐さんに気にするなと言われたこともあって、今では何の引け目も感じていない……つもりだ。

「そういえば、リュウジさんを放ったらかしにしてまシタ。ゴメンナサイ」

 口論にひと段落ついたマリーが俺に話しかけた。気づいてくれて良かった。どうやらサラマンダーが出てきたことで彼女の緊張はほぐれたようだ。さっきまでの怯えた挙動は見られない。

「アト、さっきは別に嫌だったわけじゃないんデス。ただ……」

 俺の申し出を断ったことを気にしているのか、マリーは口ごもる。その態度を見て心配に思ったのか、サラマンダーが代わりに口を開いた。

「悪いな兄ちゃん。お嬢ちゃんはこの国に来るまでに、色々と嫌なことを経験してきたんだよ。詳しくは言えないが、その辺を察してここは退いてくれないか?」

 サラマンダーはばつが悪そうに頭を掻く。マリーに見せた強気な態度が一変して、申し訳なさそうに俺を見つめる。それだけ込み入った事情があったのだと、暗に思い知らされる。

「いや、駄目だ。俺にはどれだけの事情を抱えているかは想像できない。けど、目の前の女の子が困っていることを知って見過ごすわけにはいかないんだよ。どんなに微力でも、俺はマリーに協力してあげたい」

 俺はサラマンダーの提案をあっさりと却下した。サラマンダーもマリーも驚愕で目を見開いている。

「その心意気は称賛してやりたいが、生憎兄ちゃんみたいな一般人が関われるような話じゃねぇんだ。ここは大人しく言うことを聞いて──────」

「ねぇ、サラマンダー。この人にだったら話してもいいんじゃナイ?」

 語気が荒くなるサラマンダーを遮って、マリーはそう告げた。

「はぁ!? 何言ってんだ、お嬢ちゃん! あの話は外部に漏らしちゃマズイだろうが!」

「それでも、この人は絶対に退かないと思う。ワタシは、リュウジさんを信じたい」

 はっきりと自分の意思を示すマリー。真っ直ぐに己の使い魔を見据える彼女の瞳は、とても大人びて見えた。
 サラマンダーはマリーと俺の顔を交互に見た後、重く嘆息する。

「はぁ……。確かに兄ちゃんは素直に人の言うことを聞かなさそうだもんな。仕方ねぇ。俺の主サマがそう言うんだったら、それに従いますよ」

 諦めたように、彼は呟いた。さらっと失礼なことも言われた気がしたが、ここはあえて黙っておく。

「ということで、ワタシたちはリュウジさんにも協力してもらうことに決めまシタ。なので、ワタシたちがここに来るまでに何があったのかもお話ししマス」

 マリーは丁寧にお辞儀をする。その一連の動作からは育ちの良さが窺える。

「よし、話はまとまったみたいだな。ちゃんと事情を説明してもらいたいところだけど、まずはマリーの親を探そう。どこにいるか見当はついてるのか?」

 いつまでも他人である俺が、年頃の女の子(と精霊)を連れ回していては親御さんに通報されてしまう。せっかくマリーから信用してもらったのにそんなザマでは格好がつかない。迷子とはいえ、ある程度の予想はできるだろうから、それに従って探せばいい──────

「い、イエ。ワタシのお父サンとお母サンはこの国にはいまセン。なので、探す必要はありませんヨ」

「って、ええ!?」

 その一言は全くの予想外だった。てっきり親とはぐれてしまったのだと思っていたのだが。

「じゃあ、ここまでどうやって来たんだ? まさか一人で飛行機に乗って来たんじゃないだろうな!?」

「イイエ。同行してくれた人とはコッチに来てから別れまシタ。マーク……使用人が雇ったので、ワタシとは関係のない人なんデス」

「そうなのか。ところで、さっきから気になってたんだけど。マリーってどこから来たんだ? なんだか貴族っぽいし精霊を従えてるし、どこかの精霊使いの一族か何かか?」

 何気ない質問だったのだが、何かおかしかったのだろうか。マリーもサラマンダーも「えっ?」と目を見開いていた。

「おい兄ちゃん。アンタもしかして、アコールネイス家のことを知らねぇのか?」

「あぁ、知らない。そんなに有名な一族なのか?」

「これは……、予想外だったワ」

 マリーはやれやれ、とでも言いたそうに首を振る。何だよ、知らないものは仕方が無いじゃないか。もったいぶらずに教えてくれよ。

「アコールネイス家ってのは、俺みたいな精霊を使役して英国王室を守ってる一族なんだ。欧州の中じゃ一、二を争うほどの精霊貴族って言われてるほどだ。この日国でも有名なはずだぜ」

「そうなのか……。知らなくて悪かったよ」

 サラマンダーの説明で、目の前の女の子がどれだけ偉い上流階級なのかがよく分かった。貴族っぽいんじゃなくて、本物の貴族というわけか。

「そして、そのアコールネイス家の次期当主と言われてるのがワタシなの」

 それがさも当然であるかのようにマリーは告げた。

「は……えぇ!!? マリーってそんなに偉かったのか!?」

「そうだぞ。この嬢ちゃんは十歳にして一族の秘技である四大精霊魔法を習得してるんだからな。ちなみに、俺はその四大精霊の内の一体だ」

 四大精霊といえば、火、水、風、地から成る四大元素を司る精霊のことだ。彼らの持つ魔力は強大で、人間が操るのは至難の技と言われている。
 だが、目の前の女の子はそれを優に会得している。彼女の凄さを知るとともに、俺自身の無能さも思い知らされた気になる。
 ……いや、考えるな。マリーは何も悪くないんだ。これ以上の思考はむしろ毒でしかない。

「残りの三体も紹介したいトコロだけど、今はどこか休める場所に移動したいナ」

 俺の心中には気づいてない様子のマリーは、そのように提案した。最もな意見だろう。これから大事な話があるというのに、こんな道端では落ち着いて話ができない。

「だったら俺の家に来るか? ここら辺じゃ子供が一人で寝泊まりできそうな所も無いからな」

「そうですネ。当てもなく歩き回るよりはイイと思いマス」

「俺も異論はねぇよ。話は兄ちゃんの家に着いてからだな」

 マリーもサラマンダーも了承してくれたようだし、そろそろ移動しますか。
 俺が先導になって歩き出す。その斜め後ろから控えめにマリーが付いてくる。サラマンダーはかなり目立つので、一旦消えてもらうことにした。とはいっても元素化して目に見えなくなるだけで、厳密には俺達の側に付いて回ることになる。
 かくして、俺は異国の精霊使いマリーとの出会いを果たした。この少女の身に何が起こっているのか、俺には全く予想もつかないでいる。





 帰宅後、巡に少女誘拐の罪で殴り飛ばされたことをここに付け加えておく。その誤解を解くのに一時間ほどかかってしまった。
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