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エピソード2
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その洞窟の中は退廃していた。露わになった醜い欲望が渦巻き、様々な臭いが混ざって異様な空気を醸し出す。
洞窟とはいえ、人工的な加工が為されている。岩壁には何本もの松明が掛けられており、中がはっきりと見える。
その洞窟の中の、中央に置かれた円卓。それを囲む数匹の鬼が、卓上の食料を貪り喰らう。深緑の肌に赤く鋭い目、獰猛な牙に角が窺える。彼らは、骨付き肉にがっついては食べカスを床へ落とし、酒を呷っては雫を溢す。無作法な振る舞いを咎める者は誰もおらず、下卑た笑い声を上げるばかりだった。
傍らにいた者が汚れに汚れていく床を、モップで拭いていく。その者は人間だった。麻布を簡単に加工したワンピースを着て、あちこちが煤けている。髪はボサボサで、肌も黒ずんでいる。その顔は無表情で、淡々と掃除する様はまるで機械的だ。無骨な首輪が灯りに照らされる。
隣の穴からは何やら音が聞こえてくる。パァン、と何かを叩く音。その度に漏れ出る喘ぎ声。それは複数聞こえる。「オラァ、もっと締めろや!」「あぐぅ!?」そのようなやり取りが交わされるのが分かる。決して楽しげではない雰囲気を感じる穴の向こうから、一匹の鬼が現れる。その鬼の左目には切り傷ができていて、瞳は閉じられている。円卓を囲むうちの一匹がその鬼の方へ視線を移す。
「よぉ、団長。お楽しみはもう終わりかい? だったらお前もこっちで一杯ヤろうや」
「いや、後でいい。先に一服ヤりたい気分なんだ」
「なんだなんだ。三度の飯よりクスリがいいってか。お前はいつからそんなジャンキーになっちまったんだよ」
「うるせぇ。アレがねぇと気分がスカッとしねぇんだよ」
隻眼の鬼は話を切り上げて、外へ向かう。出口へ進もうとした矢先、そこから一匹の小鬼が走り出てくる。危うく隻眼の鬼にぶつかりそうになって、なんとか踏み止まる。
「んだよ、危ねぇな。ちゃんと前を見ろってんだ」
「へぇ、すんません。やっ、それよりもですね。大変なことになりやしたんです、へぇ!」
「大変なこと……?」
「へぇ、そうなんです。実はですね、このアジトに攻めてきた奴らが出たんでさぁ」
その報告を聞いて、隻眼の鬼の顔が一層険しくなる。また、他の鬼どもも顔をしかめた。一気にその場に緊張が疾る。
「で、そいつらはどんな奴らだ?」
「へぇ、それが驚いたことにですね。なんと人間がたったの二人だけで攻めてきやがったんでさぁ!」
「そうか……」
隻眼の鬼はうっすらと笑みを浮かべる。その表情は見るからに恐ろしいものだった。尖った牙が口内から垣間見える。
「そいつぁ、面白そうだな」
◇
洞窟の外は嵐のようだった。数匹、否、数十匹もの小鬼が立て続けに吹き飛ばされている。血煙を上げて、断末魔が轟き、無数の屍が転げ落ちる。
その中心に立っていたのは、
「アハハハハ! もっと、もっとよ! まだまだ血が足りない、全然足りないわ!」
ルチアだった。槍を横薙ぎに振るう度に、小鬼達は防御する間も無く吹き飛ばされる。ルチアが敵を切り裂けば切り裂くほど、血の花が華麗に咲き乱れる。胸から、腕から、胴から、首から、あらゆるところから噴き出す流血。それらはルチアの体にも飛び散る。真っ赤に染まっていくルチア。しかし、それを気に留めることはない。むしろ返り血を浴びることに愉悦すら感じている。敵の血が噴き出せば噴き出すほど、彼女の表情は恍惚としたものへ変わっていく。
「デッド・オア・マーダー! 私が死ぬか、アナタ達が殺されるか。どちらか好きな方を選びなさい。最も、私を殺せるだけの力があればの話だけどね!」
彼女の叫びが戦場に響く。そんな怒涛の殺戮舞台から一歩遠ざかって、レヴィは静かに戦闘を行っていた。徒手空拳で小鬼を一匹、また一匹と殴っては地に伏せさせる。丁寧に、的確に、相手を攻撃する。ルチアが嵐ならば、レヴィは鎌鼬だった。
転がる屍が数十から百へ達しようとしていく最中、
「そこの人間、手を止めろォ!」
まるで獣のような慟哭が、戦場に沈黙をもたらす。ルチアもレヴィも戦う手を止める。小鬼達も同様で、ルチアから遠ざかるように後退する。それと入れ替わるように前へ進み出てきたのは、左目に傷の付いた鬼だった。鬼は右目でルチアを睨む。ルチアは余裕ありげにその視線に受けて立っている。
「ふん。我らオーガ族に刃向かう人間がいると聞いてやってきたと思えば、よもや女だったとはな。いやはや、これは予想だにしなかった」
「何よ。女が相手だからってナメてんじゃないでしょうね。何だったら今すぐにアナタの首を刎ね落として差し上げましょうか?」
「ハハッ。威勢が良いのは結構だが、そう急くなよ。戦士たるもの、冷静沈着でいることが不可欠なんだぜ」
フン、と鼻を鳴らすルチア。一方の隻眼の鬼は不敵な笑みを浮かべる。
「それで。せっかくの戦闘を中断しておいて、一体何がしたいの? まさか降参しようだなんて思ってないでしょうね」
「そんなまさか。一方的に虐殺されたっていうのに、んな馬鹿なことを言う訳がねぇ。俺は交渉がしたいんだ」
「交渉?」
「ああ。このまま仲間が殺されていくのを黙って見過ごす訳にはいかねぇ。そこで、俺はアンタに決闘を申し込みたい。一対一の真剣勝負をさせてくれ。その代わりに、他の連中の命は見逃してほしい。どうだろうか」
「ハッ。随分と厚かましい要求ね。自分達の立場が何なのかまるで分かっていないようね。アナタ達は人間の集落を襲っては人々を奴隷にしてきた。そんな下衆な連中に情けをかけようだなんて微塵も思わないわ」
「俺の言ってることがどれだけ図々しいのかは分かってる。タダで見逃してくれって訳じゃねぇ。人間の法に則って、逮捕するなり何なりしてくれて構わねぇ。ただ、無闇に命を奪うことだけはどうか止めてほしい。頼む……」
隻眼の鬼は膝をついて頭を下げる。その姿に、他の鬼達はどよめき出す。隻眼の鬼はこの鬼達の族長的存在だ。その者が人間の女相手に頭を下げるのは、あまりにも衝撃的な光景だった。自分達を助けるために、そこまで屈辱的な格好をさせてしまっている。そのことが鬼達の胸を締め付けた。
隻眼の鬼に相対するルチアはしばらく黙考する。やがて口を開く。
「いいわ。アナタの要求を呑んであげましょう」
その言葉を聞いて、隻眼の鬼は「ありがとう」と一言呟いた。その顔にはうっすらと笑みが零れていた。
やがて、決闘の舞台は整えられた。ルチアと隻眼の鬼が対峙し、その周りを鬼達が囲む。その中にレヴィも混ざって、決闘の舞台を静観する。
「決闘と呼ぶからには、手加減容赦は全くしないから。そのつもりで」
「ああ、分かってるさ。俺も情けをかけるつもりは毛頭ねぇ」
それきり、二人とも言葉を発さないまま時が流れる。それは一分か、それ以上の時間か。長く、それでいて刹那的な静寂が過ぎていく。
地面を蹴る音。先に動いたのはルチアだった。槍を右斜め上段に構えて、一気に前進する。狙いを一点に集中させて、袈裟斬りを放つ。
刃が触れる手前、隻眼の鬼は一歩前に歩み出る。それから左手で槍の穂と枝の接合部分を狙って払いのける。その反動でルチアは後ろへ仰け反った。
その隙に、隻眼の鬼はさらに前へ進む。右拳に力を入れて、思い切りルチアの腹部を殴りつける。ルチアの口から息が漏れ出る。動きが止まった隙を逃すまい、と隻眼の鬼は左拳で追撃を仕掛ける。目標はルチアの頰。防御しようにも間に合わない。鬼の拳が当たって、ルチアはよろける。しかし、それは彼女の狙いだった。よろけた拍子に、鬼との間に間合いが生まれた。その空間を切り裂くように下段から振り上げられる槍。その鋒は鬼の腕に切り傷を作った。両者は態勢を整えて、互いに身構える。
次に攻撃を仕掛けたのはルチアだった。槍を中段に構えて、鋒は隻眼の鬼に向けて、一気に駆け出す。その態勢から槍を前方へ突き出す。だが、鬼は半身を捻ってかわす。空を斬る槍。ルチアは槍を横薙ぎへ振る。それをバックステップでかわす鬼。袈裟斬り、突き技、横薙ぎ、と続けて槍を振るう。だが、そのどれもを身軽にかわされる。
ルチアの槍が止まる。それを見て、隻眼の鬼が口火を切る。
「どうした? もうバテちまったのかい。人間ってのは見た目通り体力が無いんだな」
「うるさい。同じ攻撃を続けても無駄だと思ったから作戦を考えてるのよ。アナタ達脳筋と一緒にしないで」
「そりゃ偏見だぜ!」
言うや否や、隻眼の鬼は間合いを詰めて攻撃を仕掛ける。繰り出される拳。それをルチアは槍の持ち手にぶつける。拳の反動を堪えて、槍を押し出す。鬼が仰け反ったところを狙って、上段から槍を振るう。鋒が鬼の胴体に傷を付ける。傷口から血が流れる。しかし、鬼は気に留めない。それどころか、間合いを詰めて蹴りを放った。脚がルチアの脇腹に当たる。構える間の無かった彼女はそのまま地面に倒れる。
隻眼の鬼は佇む。息は荒くなり、その身に確かな痛みを感じていた。
「俺達ぁ体の出来が違うんだよ。たかが斬り傷付けられた程度で怯むような種族じゃねぇ。分かったか」
息も絶え絶えにそう呟く隻眼の鬼。見下ろす先のルチアは、痛みを堪えるように蹲っている。その姿を見て、鬼は密かな優越感を覚えた。自分よりも劣った存在を見下すことのできる、勝者だけが持ち得る感情。彼は無意識にその感情に酔っていた。だが、それが致命的な失態となった。
胸を貫かれる感触。意識が刹那的にブレた。
鬼は己の胸元を見やる。そこには自分の胸を貫く刃があった。深々と刺さっていた。ドクドクと血が流れ出る。
目の前にはルチアが立っていた。彼女は鬼を見つめてわらっている。相手を蔑むような、邪悪な笑みだった。
「な、なんで……」
「なんでって、そりゃ体の出来が違うからじゃない? 知らないけど。こっちだって体格差があることぐらい承知済みなのよ。だったら遮二無二鍛えるしかないでしょ。そしたら、一瞬でアナタの心臓を突き刺せるぐらいにまで成長したってわけ。お分かり?」
ルチアは槍を引き抜く。鋒と一緒に噴き出す血液。隻眼の鬼は膝から崩れ落ちて、うつ伏せに倒れる。地面には血の池が少しずつ生まれていく。
「あっそうだ」
何かを思いついた様子のルチアは、槍を再び隻眼の鬼の体に突き刺す。そして引き抜く。と思えば、また突き刺す。引き抜く。突き刺す。引き抜く。何度も、何度も。
「殺すなら徹底的にやらなくちゃ。うっかりしてたわ」
そして、ルチアは晴れやかに笑う。とても清々しいその笑顔は、まるで花畑を踊る少女のようだった。
隻眼の鬼は微動だにしない。その命が喪われたことを示していた。
「団長!」
息を引き取った隻眼の亡骸の元へ、幾匹もの小鬼が駆け寄っていく。亡骸を囲んで、その死を悼む小鬼達。目から涙を零す者もいる。
彼らの嘆き悲しむ姿を、その傍らで見つめるルチア。細められた目は、半ば蔑むようで冷徹さが窺える。
彼女は小鬼達の側へ近寄る。それから徐ろに槍を振りかざす。そして、
「ウゲェ!?」
すぐ手前の小鬼を斬りつけた。縦線の赤血が綺麗に噴き出す。
その後も、ルチアは流れるような動作で立て続けに小鬼達を斬りつける。肉体を深々と抉るように、または首を斬り落とさんばかりに。その太刀筋は突風が吹き荒れるかのようだった。
ルチアの剣戟が止んだ頃には、亡骸は一気に増加していた。隻眼の亡骸に散らばる小鬼達はさながら棺桶に納められた弔花だ。
それを一部始終目撃していた鬼達は呆然とした。彼らが感じたのは純然たる恐怖だった。または予想を上回った現実に正常な思考が作動しなくなってもたらされた空虚感でもあった。
「な……なんで、だよ」
鬼達のうちの誰かが呟いた。それ以上の沈黙に耐えられないと悟って、無意識に口を動かしていた。
「なんで殺した! 決闘はもう済んだろうが! そしたら、後は殺さないでくれるって約束したんじゃねぇのか!」
投げかけられた問い。それに対して、ルチアは嘲笑で応える。
「ハッ、まさか律儀に守ってもらえるとでも思ってたの? 冗談じゃないわ。あんなのは所詮口約束でしかない。アナタ達のリーダーを仕留めた後は、虐殺を再開するって考えてたのよ。命を見逃してあげるつもりなんて、これっぽっちも無いわ」
「非道い……そんなの、外道の考えじゃねぇか!」
「外道なのはアナタ達も同じでしょう。つまり同じ穴の狢ってやつよ。そんな奴らに義理を果たす必要なんてあるわけないじゃない」
「そ、それは……」
問うた鬼は言い淀んで、それきり黙ってしまう。その後を引き継ぐように、別の鬼が尋ねる。
「なんで。なんでそこまで冷酷になれるんだ。何がアンタをそうさせるんだよ」
すると、ルチアは堪え切れないとばかりにわらった。可笑しくて仕方がないといった様子で、その姿は最早狂っていると称する他なかった。
一頻りわらったルチアは、張り付いた笑顔を崩さずに口を開く。
「決まってるでしょう。アナタ達亜人が憎いからよ。アナタ達亜人は人類の敵。アナタ達を殺すことに一切の抵抗なんて感じないわ────レヴィ」
御意、と答えるレヴィ。すると拳を構え出して、近くの小鬼を殴りつける。勢いのままに地面へ倒れ込んだ小鬼に、追撃として左胸に右拳を叩き下ろす。その拳は胸を突き破って、心臓まで達する。そして、潰す。結果として小鬼は絶命した。その小鬼の胸から拳を抜き出して、レヴィは他の鬼へ照準を定める。それからも同様に拳でもって撃滅を繰り返した。
鬼達が反撃を仕掛ける頃には、ルチアとレヴィの手で全体の四分の一が骸と化していた。その数、三十は超えていた。
鬼達は応戦するものの、最初の戦闘で抱いていた戦意は随分と薄らいでいた。それ以上に、リーダーを失ったことによる喪失感と、圧倒的な悪に呑み込まれたことが彼らの心を支配していた。頭数の利はまるで機能しなくなった。彼らに残された道は逃げることか、もしくは無抵抗に嬲り殺されることのどちらかだった。
「さぁ、蹂躙を始めましょう。血肉に彩られた、グランギニョルを」
虐殺が始まる。彼女を止められる者は、この戦場には誰もいなかった。
洞窟とはいえ、人工的な加工が為されている。岩壁には何本もの松明が掛けられており、中がはっきりと見える。
その洞窟の中の、中央に置かれた円卓。それを囲む数匹の鬼が、卓上の食料を貪り喰らう。深緑の肌に赤く鋭い目、獰猛な牙に角が窺える。彼らは、骨付き肉にがっついては食べカスを床へ落とし、酒を呷っては雫を溢す。無作法な振る舞いを咎める者は誰もおらず、下卑た笑い声を上げるばかりだった。
傍らにいた者が汚れに汚れていく床を、モップで拭いていく。その者は人間だった。麻布を簡単に加工したワンピースを着て、あちこちが煤けている。髪はボサボサで、肌も黒ずんでいる。その顔は無表情で、淡々と掃除する様はまるで機械的だ。無骨な首輪が灯りに照らされる。
隣の穴からは何やら音が聞こえてくる。パァン、と何かを叩く音。その度に漏れ出る喘ぎ声。それは複数聞こえる。「オラァ、もっと締めろや!」「あぐぅ!?」そのようなやり取りが交わされるのが分かる。決して楽しげではない雰囲気を感じる穴の向こうから、一匹の鬼が現れる。その鬼の左目には切り傷ができていて、瞳は閉じられている。円卓を囲むうちの一匹がその鬼の方へ視線を移す。
「よぉ、団長。お楽しみはもう終わりかい? だったらお前もこっちで一杯ヤろうや」
「いや、後でいい。先に一服ヤりたい気分なんだ」
「なんだなんだ。三度の飯よりクスリがいいってか。お前はいつからそんなジャンキーになっちまったんだよ」
「うるせぇ。アレがねぇと気分がスカッとしねぇんだよ」
隻眼の鬼は話を切り上げて、外へ向かう。出口へ進もうとした矢先、そこから一匹の小鬼が走り出てくる。危うく隻眼の鬼にぶつかりそうになって、なんとか踏み止まる。
「んだよ、危ねぇな。ちゃんと前を見ろってんだ」
「へぇ、すんません。やっ、それよりもですね。大変なことになりやしたんです、へぇ!」
「大変なこと……?」
「へぇ、そうなんです。実はですね、このアジトに攻めてきた奴らが出たんでさぁ」
その報告を聞いて、隻眼の鬼の顔が一層険しくなる。また、他の鬼どもも顔をしかめた。一気にその場に緊張が疾る。
「で、そいつらはどんな奴らだ?」
「へぇ、それが驚いたことにですね。なんと人間がたったの二人だけで攻めてきやがったんでさぁ!」
「そうか……」
隻眼の鬼はうっすらと笑みを浮かべる。その表情は見るからに恐ろしいものだった。尖った牙が口内から垣間見える。
「そいつぁ、面白そうだな」
◇
洞窟の外は嵐のようだった。数匹、否、数十匹もの小鬼が立て続けに吹き飛ばされている。血煙を上げて、断末魔が轟き、無数の屍が転げ落ちる。
その中心に立っていたのは、
「アハハハハ! もっと、もっとよ! まだまだ血が足りない、全然足りないわ!」
ルチアだった。槍を横薙ぎに振るう度に、小鬼達は防御する間も無く吹き飛ばされる。ルチアが敵を切り裂けば切り裂くほど、血の花が華麗に咲き乱れる。胸から、腕から、胴から、首から、あらゆるところから噴き出す流血。それらはルチアの体にも飛び散る。真っ赤に染まっていくルチア。しかし、それを気に留めることはない。むしろ返り血を浴びることに愉悦すら感じている。敵の血が噴き出せば噴き出すほど、彼女の表情は恍惚としたものへ変わっていく。
「デッド・オア・マーダー! 私が死ぬか、アナタ達が殺されるか。どちらか好きな方を選びなさい。最も、私を殺せるだけの力があればの話だけどね!」
彼女の叫びが戦場に響く。そんな怒涛の殺戮舞台から一歩遠ざかって、レヴィは静かに戦闘を行っていた。徒手空拳で小鬼を一匹、また一匹と殴っては地に伏せさせる。丁寧に、的確に、相手を攻撃する。ルチアが嵐ならば、レヴィは鎌鼬だった。
転がる屍が数十から百へ達しようとしていく最中、
「そこの人間、手を止めろォ!」
まるで獣のような慟哭が、戦場に沈黙をもたらす。ルチアもレヴィも戦う手を止める。小鬼達も同様で、ルチアから遠ざかるように後退する。それと入れ替わるように前へ進み出てきたのは、左目に傷の付いた鬼だった。鬼は右目でルチアを睨む。ルチアは余裕ありげにその視線に受けて立っている。
「ふん。我らオーガ族に刃向かう人間がいると聞いてやってきたと思えば、よもや女だったとはな。いやはや、これは予想だにしなかった」
「何よ。女が相手だからってナメてんじゃないでしょうね。何だったら今すぐにアナタの首を刎ね落として差し上げましょうか?」
「ハハッ。威勢が良いのは結構だが、そう急くなよ。戦士たるもの、冷静沈着でいることが不可欠なんだぜ」
フン、と鼻を鳴らすルチア。一方の隻眼の鬼は不敵な笑みを浮かべる。
「それで。せっかくの戦闘を中断しておいて、一体何がしたいの? まさか降参しようだなんて思ってないでしょうね」
「そんなまさか。一方的に虐殺されたっていうのに、んな馬鹿なことを言う訳がねぇ。俺は交渉がしたいんだ」
「交渉?」
「ああ。このまま仲間が殺されていくのを黙って見過ごす訳にはいかねぇ。そこで、俺はアンタに決闘を申し込みたい。一対一の真剣勝負をさせてくれ。その代わりに、他の連中の命は見逃してほしい。どうだろうか」
「ハッ。随分と厚かましい要求ね。自分達の立場が何なのかまるで分かっていないようね。アナタ達は人間の集落を襲っては人々を奴隷にしてきた。そんな下衆な連中に情けをかけようだなんて微塵も思わないわ」
「俺の言ってることがどれだけ図々しいのかは分かってる。タダで見逃してくれって訳じゃねぇ。人間の法に則って、逮捕するなり何なりしてくれて構わねぇ。ただ、無闇に命を奪うことだけはどうか止めてほしい。頼む……」
隻眼の鬼は膝をついて頭を下げる。その姿に、他の鬼達はどよめき出す。隻眼の鬼はこの鬼達の族長的存在だ。その者が人間の女相手に頭を下げるのは、あまりにも衝撃的な光景だった。自分達を助けるために、そこまで屈辱的な格好をさせてしまっている。そのことが鬼達の胸を締め付けた。
隻眼の鬼に相対するルチアはしばらく黙考する。やがて口を開く。
「いいわ。アナタの要求を呑んであげましょう」
その言葉を聞いて、隻眼の鬼は「ありがとう」と一言呟いた。その顔にはうっすらと笑みが零れていた。
やがて、決闘の舞台は整えられた。ルチアと隻眼の鬼が対峙し、その周りを鬼達が囲む。その中にレヴィも混ざって、決闘の舞台を静観する。
「決闘と呼ぶからには、手加減容赦は全くしないから。そのつもりで」
「ああ、分かってるさ。俺も情けをかけるつもりは毛頭ねぇ」
それきり、二人とも言葉を発さないまま時が流れる。それは一分か、それ以上の時間か。長く、それでいて刹那的な静寂が過ぎていく。
地面を蹴る音。先に動いたのはルチアだった。槍を右斜め上段に構えて、一気に前進する。狙いを一点に集中させて、袈裟斬りを放つ。
刃が触れる手前、隻眼の鬼は一歩前に歩み出る。それから左手で槍の穂と枝の接合部分を狙って払いのける。その反動でルチアは後ろへ仰け反った。
その隙に、隻眼の鬼はさらに前へ進む。右拳に力を入れて、思い切りルチアの腹部を殴りつける。ルチアの口から息が漏れ出る。動きが止まった隙を逃すまい、と隻眼の鬼は左拳で追撃を仕掛ける。目標はルチアの頰。防御しようにも間に合わない。鬼の拳が当たって、ルチアはよろける。しかし、それは彼女の狙いだった。よろけた拍子に、鬼との間に間合いが生まれた。その空間を切り裂くように下段から振り上げられる槍。その鋒は鬼の腕に切り傷を作った。両者は態勢を整えて、互いに身構える。
次に攻撃を仕掛けたのはルチアだった。槍を中段に構えて、鋒は隻眼の鬼に向けて、一気に駆け出す。その態勢から槍を前方へ突き出す。だが、鬼は半身を捻ってかわす。空を斬る槍。ルチアは槍を横薙ぎへ振る。それをバックステップでかわす鬼。袈裟斬り、突き技、横薙ぎ、と続けて槍を振るう。だが、そのどれもを身軽にかわされる。
ルチアの槍が止まる。それを見て、隻眼の鬼が口火を切る。
「どうした? もうバテちまったのかい。人間ってのは見た目通り体力が無いんだな」
「うるさい。同じ攻撃を続けても無駄だと思ったから作戦を考えてるのよ。アナタ達脳筋と一緒にしないで」
「そりゃ偏見だぜ!」
言うや否や、隻眼の鬼は間合いを詰めて攻撃を仕掛ける。繰り出される拳。それをルチアは槍の持ち手にぶつける。拳の反動を堪えて、槍を押し出す。鬼が仰け反ったところを狙って、上段から槍を振るう。鋒が鬼の胴体に傷を付ける。傷口から血が流れる。しかし、鬼は気に留めない。それどころか、間合いを詰めて蹴りを放った。脚がルチアの脇腹に当たる。構える間の無かった彼女はそのまま地面に倒れる。
隻眼の鬼は佇む。息は荒くなり、その身に確かな痛みを感じていた。
「俺達ぁ体の出来が違うんだよ。たかが斬り傷付けられた程度で怯むような種族じゃねぇ。分かったか」
息も絶え絶えにそう呟く隻眼の鬼。見下ろす先のルチアは、痛みを堪えるように蹲っている。その姿を見て、鬼は密かな優越感を覚えた。自分よりも劣った存在を見下すことのできる、勝者だけが持ち得る感情。彼は無意識にその感情に酔っていた。だが、それが致命的な失態となった。
胸を貫かれる感触。意識が刹那的にブレた。
鬼は己の胸元を見やる。そこには自分の胸を貫く刃があった。深々と刺さっていた。ドクドクと血が流れ出る。
目の前にはルチアが立っていた。彼女は鬼を見つめてわらっている。相手を蔑むような、邪悪な笑みだった。
「な、なんで……」
「なんでって、そりゃ体の出来が違うからじゃない? 知らないけど。こっちだって体格差があることぐらい承知済みなのよ。だったら遮二無二鍛えるしかないでしょ。そしたら、一瞬でアナタの心臓を突き刺せるぐらいにまで成長したってわけ。お分かり?」
ルチアは槍を引き抜く。鋒と一緒に噴き出す血液。隻眼の鬼は膝から崩れ落ちて、うつ伏せに倒れる。地面には血の池が少しずつ生まれていく。
「あっそうだ」
何かを思いついた様子のルチアは、槍を再び隻眼の鬼の体に突き刺す。そして引き抜く。と思えば、また突き刺す。引き抜く。突き刺す。引き抜く。何度も、何度も。
「殺すなら徹底的にやらなくちゃ。うっかりしてたわ」
そして、ルチアは晴れやかに笑う。とても清々しいその笑顔は、まるで花畑を踊る少女のようだった。
隻眼の鬼は微動だにしない。その命が喪われたことを示していた。
「団長!」
息を引き取った隻眼の亡骸の元へ、幾匹もの小鬼が駆け寄っていく。亡骸を囲んで、その死を悼む小鬼達。目から涙を零す者もいる。
彼らの嘆き悲しむ姿を、その傍らで見つめるルチア。細められた目は、半ば蔑むようで冷徹さが窺える。
彼女は小鬼達の側へ近寄る。それから徐ろに槍を振りかざす。そして、
「ウゲェ!?」
すぐ手前の小鬼を斬りつけた。縦線の赤血が綺麗に噴き出す。
その後も、ルチアは流れるような動作で立て続けに小鬼達を斬りつける。肉体を深々と抉るように、または首を斬り落とさんばかりに。その太刀筋は突風が吹き荒れるかのようだった。
ルチアの剣戟が止んだ頃には、亡骸は一気に増加していた。隻眼の亡骸に散らばる小鬼達はさながら棺桶に納められた弔花だ。
それを一部始終目撃していた鬼達は呆然とした。彼らが感じたのは純然たる恐怖だった。または予想を上回った現実に正常な思考が作動しなくなってもたらされた空虚感でもあった。
「な……なんで、だよ」
鬼達のうちの誰かが呟いた。それ以上の沈黙に耐えられないと悟って、無意識に口を動かしていた。
「なんで殺した! 決闘はもう済んだろうが! そしたら、後は殺さないでくれるって約束したんじゃねぇのか!」
投げかけられた問い。それに対して、ルチアは嘲笑で応える。
「ハッ、まさか律儀に守ってもらえるとでも思ってたの? 冗談じゃないわ。あんなのは所詮口約束でしかない。アナタ達のリーダーを仕留めた後は、虐殺を再開するって考えてたのよ。命を見逃してあげるつもりなんて、これっぽっちも無いわ」
「非道い……そんなの、外道の考えじゃねぇか!」
「外道なのはアナタ達も同じでしょう。つまり同じ穴の狢ってやつよ。そんな奴らに義理を果たす必要なんてあるわけないじゃない」
「そ、それは……」
問うた鬼は言い淀んで、それきり黙ってしまう。その後を引き継ぐように、別の鬼が尋ねる。
「なんで。なんでそこまで冷酷になれるんだ。何がアンタをそうさせるんだよ」
すると、ルチアは堪え切れないとばかりにわらった。可笑しくて仕方がないといった様子で、その姿は最早狂っていると称する他なかった。
一頻りわらったルチアは、張り付いた笑顔を崩さずに口を開く。
「決まってるでしょう。アナタ達亜人が憎いからよ。アナタ達亜人は人類の敵。アナタ達を殺すことに一切の抵抗なんて感じないわ────レヴィ」
御意、と答えるレヴィ。すると拳を構え出して、近くの小鬼を殴りつける。勢いのままに地面へ倒れ込んだ小鬼に、追撃として左胸に右拳を叩き下ろす。その拳は胸を突き破って、心臓まで達する。そして、潰す。結果として小鬼は絶命した。その小鬼の胸から拳を抜き出して、レヴィは他の鬼へ照準を定める。それからも同様に拳でもって撃滅を繰り返した。
鬼達が反撃を仕掛ける頃には、ルチアとレヴィの手で全体の四分の一が骸と化していた。その数、三十は超えていた。
鬼達は応戦するものの、最初の戦闘で抱いていた戦意は随分と薄らいでいた。それ以上に、リーダーを失ったことによる喪失感と、圧倒的な悪に呑み込まれたことが彼らの心を支配していた。頭数の利はまるで機能しなくなった。彼らに残された道は逃げることか、もしくは無抵抗に嬲り殺されることのどちらかだった。
「さぁ、蹂躙を始めましょう。血肉に彩られた、グランギニョルを」
虐殺が始まる。彼女を止められる者は、この戦場には誰もいなかった。
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