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チャプター1

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「次、結羽ゆわ竜司りゅうじ

 俺の名前が呼ばれた。返事をすると、定位置へ移動する。目線の下には瓦が積み重なっている。
 大丈夫。イメージ通りにやればきっと上手く出来る。自分を信じろ。
 両拳を握り締める。右腕を上げて、左腕は瓦に添える。狙う先は瓦の中心。右拳に全神経を集中させる。徐々に拳の辺りにモヤがかかる。

「はじめっ!」

 掛け声があがる。それとともに拳を勢いよく振り下ろす。

「でりゃあああ!」





「……で、結果は一枚目も割れずか」
「いや、ヒビは入ってたからな。上の方にちょっとだけど……」

 目の前のクラスメイト、さとしの呆れ顔を見て、思わず台詞が言い訳がましくなってしまった。唯一の得意魔法としている強化魔法があのザマじゃ、面目は丸潰れだ。

「その調子だと、今回も追試は確定のようね」

 そう言う左隣りのかおるが勝ち誇ったような顔で俺を見てくる。きっと今回の実技試験も好成績を収めたんだろう。

「へぇへぇ。どこぞの優等生サマとは違って、こっちは劣等生なもんでな。これが俗に言う魔法科高校の劣と──」
「言わねぇよ」

 哲に遮られてしまった。それはともかく。これで幾度目かの実技試験赤点(仮)。軽口を叩いてはいるものの、内心では正直凹んでいたりする。いつまで経っても成長しない己の技術。それが結構歯がゆかったりする。
 そんな俺の心境とは裏腹に、哲が話題を切り替える。

「あ、そうだ薫。明日の英語のテストなんだけどさ、ノート見せてくんない? 和訳がイマイチ自信無くてさ」
「いいよ。どうせだったら今日の帰りにファミレスで勉強会しよう。竜司は予定空いてる?」
「ああ、空いてるぞ。座学なら任せなさい」
「さっすが竜司先生。頼りにしてるぜっ」

 それから各自、身支度を済ませて、教室を後にする。去り際に、溜め息が零れ落ちた。





 大小様々な高さのビルが立ち並ぶ街。
春を迎えて、暖かい日差しが街中に降り注がれている。
 勉強会を終えた俺は、ぶらぶらと街中を一人歩く。今日もすれ違う人々の数は多い。
 スーツを着たサラリーマンの男性にエコバッグの中に大量の食料を入れている買い物帰りの主婦、複数の今時の若い連中や綺麗なお姉さんなどなど。さらにはゆるふわ系の服を着た猫耳を生やした女子や白い三角巾を被った半透明な幽霊、緑色の肌をした屈強なゴブリンにフワフワと飛ぶ小さな妖精などなどエトセトラ──────。
 ここ、奏内そうない市においては普通の日常の光景。否、どこへ行っても似たようなものだろう。人間と魔族が共存するようになってから幾星霜。異種族が同一の世界に存在することは最早当たり前のこととされている。
 奏内市は都市部の郊外にある。交通のアクセスが良いため、都市部へ流れる人と都市部から戻ってくる人とがよく行き交う。だからこそ、より多くの種族とすれ違う。
 人間と魔族の共存が普通であるのと同時に、魔法もまた当然の技術とされている。魔素と呼ばれる元素にも似た物質を用いて、固有の術式を脳内で組むことで、掌から炎を出したり、空を飛んだりといったことが出来る。そうした能力は、個人差はあれど誰もが持ち得るものとなっている。学校教育のカリキュラムにも魔法学が組み込まれているように、魔法は普遍的かつ必須の技術なのだ。
 俺は街中を歩きながら、ふと物思いにふけていく。

 “さっきの猫耳の子、メッチャ可愛かったなぁ。ああいう娘が彼女だったら最高なんだけどなぁ……”

 何を隠そう、俺は人外の女の子、いわゆる人外っ娘が大好きなのだ。ケモミミ女子はもちろんのこと、人魚や幽霊や鬼やラミアやサキュバスやその他たくさんの人外女子は全てストライクゾーンである。付き合うとするなら迷わず人外っ娘を選ぶし、結婚するのも人外っ娘がいい。
 つまるところ、“人外っ娘は至高の存在である!”と考えている。
 以前それを哲や薫らに話したところ、「そこまでいくとドン引きを通り越して尊敬するわ」などと言われた。きっと俺の人外っ娘への愛に心を打たれたのだろう。
 そんな俺の性癖はひとまず置いといて、と。早く家に帰って録画しておいたアニメの『ニャンニャンアイドル メグミちゃん』を見なくては。赤点必至で荒んだ俺の心を癒してくれる唯一無二の拠り所!
 ちなみに、『ニャンニャンアイドル メグミちゃん』とは、猫耳の女の子である星野メグミが様々な困難を乗り越えて、かねてからの夢であるアイドルを目指す物語である。主に大きなお友達や若年層に人気が集まっている。今では実際に星野メグミという名前のアイドルが活動を行ったりして世間から注目をされるようになっている。

 ……余談だ。ともかく、俺は足早に歩道を進んでいく。
 ふと、何気なく視線を路地裏の方へ向ける。
 すると、先ほど見かけた猫耳女子が路地裏のあたりで三人の狼頭の男達に囲まれているのを見つけた。
 彼らは魔族の中でも獣族と呼ばれる者達だ。魔界で木々の生い茂った環境で暮らす彼らは身体能力が高く、人間よりも遥かに上回った力を持つ。
 また、彼らは犬や猫のような姿をしており、そのフサフサした耳や尻尾などは見る者に愛くるしさを感じさせる(例外はあるが)、まさに俺の中でど直球なタイプの種族である!

 失礼、興奮してしまったようだ。
 どうやら狼男達が猫耳ちゃんに絡んでいるようだ。要はナンパだ。猫耳ちゃんは困った顔で狼男達に何やら話をしている。
 俺はその場で立ち止まる。
 そして、沸々と怒りが込み上がってくる。

 “あのワン公ども! 俺が気にかけていたあの子にちょっかいを出してやがるなんて羨ましい!……じゃなくて許せねぇ!”

 猫耳ちゃんの困った顔を見てしまったからには、このまま放っておく訳にもいかない。俺は猫耳ちゃんを狼男達から助け出そうとその現場へ近づく。そして一言。

「おい、お前ら。止めねぇか。猫耳ちゃんが困ってんだろ」
「「「アァ?」」」

 突き刺さる三つの眼光。睨まれたと分かった途端、肝がシュンと萎んだ気がした。男達の内の一人が俺の元へ寄ってくる。両手をズボンのポケットに突っ込んでガニ股で歩く姿は、典型的なチンピラだった。

「テメェには関係ねぇだろうが。邪魔すんな、とっとと失せなボウズ」

 鼻に付く威圧的な声。震えそうになる手足になんとか喝を入れて、その場に立ち塞がる。
 残る二人の狼男に囲まれた猫耳ちゃんが偶然視界に入る。ライトブラウンのショートヘアーと猫耳には陰りが見え、彼女の瞳は今にも壊れそうなほど潤みを帯びている。

「い、嫌だね。その娘を自由にしてあげるまで、絶対にここを動かない」

 心臓はドクドクとアップテンポなビートを刻み、振り絞った声はあっぷあっぷな思いでかろうじて出た。
 目の前の狼男は「あ、そう」とだけ呟くと、

 俺の頬をぶん殴ってきた。

 勢いに耐えきれず、地面に倒れ込んでしまう。

「調子に乗んなよボケが。ヒーロー気取りで寄ってきたのかもしんねぇが、身の程を弁えねぇヤツはこうやって痛い目を見るんだ、よ!」

 腹部に鋭い痛みが奔る。蹴られたのだと分かった時には、二発三発と追撃が襲ってきた。

「ハッハー! 何もしねぇままボコボコにされてやんの!」
「ざまぁねぇぜ! 三下は大人しく地面に這いつくばってな!」

 ケタケタと嗤う不快な声。頭に血が上っていくものの、立ち上がることが叶わない。ただただサンドバッグに成り下がっていた。なんて、情けない。こんなみっともない姿を見せてしまって、猫耳ちゃんはたまったものじゃないだろう。せめて彼女だけでもここから逃げてくれれば、俺が割って入った意味が出来るというのに。
 触らぬ神に祟りなし。自分の弱さを理解しない弱者には、それが分からなかったのだ。






「おい」

 誰かの声がした。それとともに、全身を襲った痛みが刹那に止まった気がした。
 何かが地面に倒れる音。視界にはさっきまで俺を痛めつけていた狼男の姿が。俺の顔に影が差す。誰かが俺の後ろに立っているのか。

「誰だテメェ! どっから湧いて出やがった!」

 狼男の一人が声を荒げる。対する誰かは、

「あぁ? テメェらこそ誰だよ。揃いも揃って獣チクショーがサカりやがって。ここは公共の場所だぞ。マナーを弁えろよ、クソ野郎どもが」

 気怠そうに答える。緊張感の無い声は心底面倒臭そうだった。

「このアマぁ! ふざけんじゃねぇ!」
「ぶっ飛ばしてやる!」

 猫耳ちゃんを囲っていた二人は乱入者に向かっていく。二人が視界から消えたと思った途端、鈍い殴打音が聞こえてきた。あっという間に沈黙が訪れる。

「さて、掃除は済んだことだし。そこのお嬢さん。今のうちに行きな。後処理は私がやっておくから」
「は、ハイ! ありがとうございます!」

 猫耳ちゃんはビクッと肩を震わせて、何者かの声に勧められるがままにこの場を去る。その手前、

「ぁ、あなたも、助けようとしてくれて、ありがとうございました。カッコよかったです……」

 と声を掛けてくれた。なんだか一気に肩の荷が降りた心地がした。
 路地裏に取り残された俺と、もう一人の誰か。狼男に負わされた痛みは少しずつ引いている。

「おーい。大丈夫かー。自力で立ち上がれそうかー?」

 背後から声が投げかけられる。ついでに背中にはグイグイ押されるような圧力を感じる。思いの外強い力で前後に揺さぶられる。

「……って、人を足蹴にしないでください!」

 無意識にツッコんだ。と同時に上体が起き上がる。

「なんだ。思ったより元気そうじゃん」

 そこでようやく、その人を視認した。濃いワインレッドのジャケットスーツを身に纏い、肩甲骨辺りまで伸びたロングの黒髪はとてもツヤがある。身長高めのスレンダー体型で、その立ち姿は男顔負けの格好良さを感じる。にこやかに笑う表情は少年のような無邪気さがある。そんな女性が立っていた。

「貴女は、一体……」

 何者なんだ、と言い終わる前に。女性はフッと不敵に笑う。

「いいぜ、教えてあげよう。私の名前は日向ひなた綾音あやね。請負屋ってのを生業としてる者だ」

 そう名乗った彼女の姿は、路地裏に差し込む光に反射して眩しかった。
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