ようこそ魔街へ 〜人外魔境異聞録〜

杜乃日熊

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ようこそ魔街へ 〜人外魔境異聞録〜

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 はるか昔。人の世界に魔物が来襲した。圧倒的な武力、超常的な魔力を前に、人類は為す術がなかった。このままでは人界が魔物の手に堕ちてしまうと危惧した神々は、人類に対抗手段を授けた。それは、“魔法”であった。魔物と同じ魔力を扱いながらも、神の加護を賜った聖なる力。魔法を会得した人類は、みるみるうちに魔物を退けた。人類と魔物が対等に戦うようになり、やがて両者は和平を結んだ。いがみ合いながらも、同じ生き物として認め合い、一つの世界で共存していった。その平和は今日まで続いた──────。



 某月某日。本日もK市は晴天だった。
 学校帰りの大通りはとにかく人が賑わっている。ここら辺はビルやホテル、複合型商業施設(つまりでかいスーパー)などといった建物が大小さまざまに連なっている。
 俺と同じ制服を着た学生の集団が喫茶店に寄ったり、ご老人がゆっくりと買い物を楽しんでいたり、外国人が地図とにらめっこしていたり。また、猫耳の生えた少女が野良猫と戯れたり、猪の獣人が煙草を吸っていたり、黄緑色の妖精が中空を漂っていたり。なんの変哲もない、いつも通りの平穏な日常がそこにあった。
 などという、まったりとしたモノローグを展開している場合じゃなかった。これからバイトに行くのもあるけど、それ以上に来週の実技テストが問題だ。毎度毎度追試を食らいまくって、担任とはすっかり顔馴染みになってしまっている。苦笑いとともに発された『十年に一度の(マイナス的な意味で)逸材』というありがたーいお言葉は絶対に忘れることはないだろう。
 とはいえ、俺一人では万事休すといった具合なので、ここは姐さんに相談するしかない。どうせ今日も暇だろうから、時間はあるはず。
 よし、と気合を入れる。自然と足が速くなっていく。

 煉瓦色の壁が特徴的な平屋の事務所が見えてきた。屋根の辺りに「請負屋」と書かれた看板が掛けられている。それこそが俺のバイト先だ。この一帯は大通りから外れていて、ひと気が少ない。今日も相変わらず閑散としている。
 事務所のドアを開ける。カランカラン、と鈴の音が出迎える。玄関でスニーカーを脱ぎ、廊下を歩いてそのまま奥の応接間へ。
 中央にはワインレッドのソファーがテーブルを挟んで向かい合わせに二脚置かれている。そのうち一方のソファーに座って、優雅にティーカップを持った姐さんがくつろいでいた。紅茶の匂いが俺の鼻先をくすぐる。なんて甘そうな匂い。

「お疲れさまでーす。結羽ゆわ、出勤しましたー」
「おう、お疲れさーん。今日もよろしくー」

 軽い調子で挨拶すると、雑な返答が飛んできた。
 部屋にいた彼女はどんな依頼も代わりに請け負うという請負屋の所長、日向絢音ひなた あやね。カッターシャツに黒のパンツスーツという格好で、クールな印象を受ける。なぜかここで説明しないといけない気がしたので、あえて述べさせてもらった。

「ん、どうした竜司りゅうじ? ボーッと突っ立ったままで。電源でも切れたか?」
「俺はロボットじゃないですよ」

 俺は姐さんと真向かいのソファーに腰掛ける。テーブルの上に置いた学生鞄からペットボトルのお茶を取り出し、水分補給。姐さんがティーカップを置く。カタン、という音を合図に、俺は口を開く。

「今日って何か依頼はありました? この前、やっと猫探しが終わったとこですけど」
「いんや、今日の仕事はまだ何も。今は暇を持て余してるところだ」

 姐さんはおどけたように肩をすくめる。ロングの黒髪が滑らかに揺れる。
 そんな彼女の目前には、ティーカップとは別に苺のショートケーキが置かれている。生クリームの清廉無垢な白と苺の宝石を思わせる輝かしい赤。その両者のコントラストが絶妙で見るからに美味しそうだ。

「美味しそうですね、そのケーキ。ちなみに、俺の分はあるんですか?」
「無いぞ。私の分しか買ってないからな」

 即答だった。マジか……。今日俺が出勤することを分かっててその仕打ちとは。この姐さん、鬼畜なり。

「なぁんて。冗談だよ、冗談。ちゃんと竜司の分も買ってるよ」

 内心恨みをドロドロさせていたことに感づいたのか(定かではないが)、姐さんはいたずら小僧のようにはにかむ。立ち上がると、応接間を出て給湯室へ向かう。棚の中を物色する音が聞こえたかと思うと、また戻ってくる。

「ほら、これだ」
「…………ありがとうございます」

 俺に手渡されたのは、白粉を塗ったかのように純白な生地の合間から黒豆が顔を覗かせている、なんとも美味しそうな一口大の豆大福だった。これには唖然。

「ケーキじゃないんですね」
「あぁ、なんか竜司は和菓子が好きそうだなと思ってこれにしたんだ。決してケーキを買う時に竜司の分を忘れてたとかじゃないからなっ。それに、お茶と相性が良いだろう?」
「俺が持ってんのは麦茶なんですが……まぁいいや」

 貰い物は何であれ、ありがたく頂戴する。それが俺の流儀だ。大福を一口。あんこの甘味と生地の弾力感が口内に伝わる。うん美味い。これはこれでアリだし、姐さんのお茶目(という名の悪戯)は許そう。いつものことだし。
 完食してすっかり満足した。そこで、出勤前に気にしていたことを思い出した。少し前のめりになって姐さんをまじまじと見る。

「そういえば。姐さんに聞きたいことがあるんです。強化魔法のコツについてなんですけど……」

 魔法には四つの属性がある。何もないところからモノを生み出す「発動系」。物体に干渉してさらなる運動を促す「促進系」。周りのモノを自在に操る「操作系」。契約を交わしたモノを、空間を超えて呼び寄せる「召喚系」。俺が唯一得意とする強化魔法は促進系に当てはまる。その実力については、毎度赤点を食らっている現状から察してほしい。
 そんな俺の問いに、姐さんは目を丸くする。やがて、唸り声を上げて腕を組む。

「そうだなぁ。竜司の実力なんて、たかが知れてるからなぁ……あ、全身強化は無理でも部分強化ならイケるんじゃない?」
「部分強化、ですか?」
「そうそう。お前って、全身に魔力を分散させて強化しようとしてるだろう。そのせいでいつもショボい強化になるんだよ」
「へぇ~。それは気づきませんでした」

 切れ味鋭い姐さんの指摘を淡々と受け止める。何度も何度も似たようなやりとりを繰り返してきたため、テンポ良く会話が進む。

「拳に魔力を集中させれば、より質の高い強化ができる。教育機関じゃあバランスを重視してるけど、お前の場合は一点集中型でどうにか及第点はもらえるだろう。後は自主練あるのみだ」

 そんなマイナーチェンジみたいな感じでいいんだ。そこに気がつかなかったとは、なんたる盲点。やはり聞いて正解だった。

「なるほど。ありがとうございます! さっそく今日から練習してみますね」

 姐さんはわずかに口角を上げ、再びケーキを頬張る。目尻を下げて、紅茶も嗜む。脱力するように長い息を漏らす。
 請負屋の仕事は依頼者が来なければ始まらない。そのため、依頼がない場合はこうして暇を潰すことになっている。
 のどかなティータイムは続く、はずだった。
 カランカラン。
 入口の鈴が何者かの来訪を告げた。廊下の方から声が聞こえる。

「どうやらお客さんが来たみたいだ。片付けるぞ、竜司」

 言うや否や、姐さんは食器類を前方へ押しやる。俺はそれをジト目で睨むが、相手は知らん顔。やがて、嘆息混じりに机の上を片付け始める。
 面倒な雑事を押し付けたクールビューティーな姐さんは、立ち上がって玄関の方へ向かう。
 残された俺が粛々と片付けを進めていると、やがて姐さんが応接間へ戻ってきた。

「いらっしゃい……ん?」

 姐さんの後に続いて入ってきたのは、白のワンピースを着た少女だった。落ち着かないのか、そわそわしたように立っている。艶やかなショートカットの茶髪をかき分けて突き出たのは狐の耳だ。腰の辺りには狐の尻尾も携えている。サンダルを履いた脚が小さく揺れている。
 そして彼女はあるものを抱きかかえていた。それは、ヒレのある翼に、頭部に短い角を生やし、体表に赤い鱗を備えた巨大なトカゲのような生き物だった。

 少女の名前は木ノ葉柚月このはゆずきという。妖狐一族の生まれで、家族とともにK市で生活しているらしい。
 彼女が請負屋へ来た用件をまとめておく。今朝、柚月が散歩をしていたところ、道端に大きな生き物が倒れていた。それが今しがた彼女が抱えていた例のトカゲもどきだ。そのトカゲもどきは衰弱していたようで、自力で体を動かせなかった。こんなに弱った生き物を放ってはおけないと思って、柚月は助けてあげることにした。しかし家族に相談したところ、得体の知れない生き物を家に置くことはできないから外へ捨てなさいと言われた。そんなことをしたら可哀想だと柚月は思ったが、彼女一人ではどうすることもできない。そこで彼女は街行く人々にトカゲもどきを引き取ってくれないか尋ね回ることにした。そうする中で、「困った時は請負屋に行けばいい」と教えてもらったので、ここへ行き着いた。

「なるほど。つまり、柚月ちゃんのお願いはそのトカゲ? を引き取ってくれる誰かを探してほしいってことなんだね?」

 経緯を聞き終えた姐さんが確認を取ると、柚月ちゃんは「うん」と首肯する。手前に置かれたお茶は手付かずのままだ。

「とかげさんをお世話してくれる方がいたら、とかげさんをお外に放さなくていいから。これ以上とかげさんに苦しくなってほしくないから……」

 声が震えていた。相対する俺たちは静観している。

「だからどうか、お願いします」

 柚月ちゃんは深々と頭を下げる。懐中のトカゲもどきがか細い声で鳴く。
 沈黙が訪れる。しかし、それはほんの刹那だった。

「頭を上げて、柚月ちゃん。君のお願いは、この俺たちが請け負ってあげるよ。ですよね、姐さん!」

 俺の高らかな宣言に呼応するように、姐さんは不敵に笑う。

「あたぼうよ。こんな可愛い女の子が困ってるっていうのに、見捨てておけるわけがないだろう。この依頼、請け負うぞ」

 頭を上げた柚月ちゃんは目を見開く。一転、彼女の瞳に光が生まれる。力強く立ち上がる。

「あ、ありがとうございます!」

 柚月ちゃんは先ほどよりも一層深く頭を下げる。よほど力が入ったのか、抱かれたままのトカゲもどきが「グエッ」と苦しげに喘ぐ。



 こうして、奇妙な生き物の貰い手探しを請け負うことになった俺たちは、柚月ちゃんとトカゲもどきを引き連れて、先刻俺が進んできた大通りへとやってきた。
 ちなみに、トカゲもどきにはエサとしてキャットフードを与えられた。
「猫が安心して食べられるように加工はされてるんだ。コイツは猫じゃないが、食べても大丈夫だろう。私の第六感がそう告げてる」
 というのは、かのクールビューティーな姐さんの談。信頼性は無きものに等しかったが、意外にもトカゲもどきがペロリと平らげたので、暫定的に良しとした。今のところ、トカゲもどきは元気そうだ。
 俺たちは大通りから路地へと入る。やがて室外機やポリバケツなどが並ぶ路地裏へと足を運ぶ。建物に遮られた日光がかろうじて道先を照らしている。しばらくして、行き止まりの道へ出る。そこで、先頭の姐さんは足を止める。

一華いちかぁ。ちょっと仕事関係で聞きたいことがあるんだがぁ。いるかぁ」

 誰もいないはずの空間に向かって姐さんが呼びかける。すると空を裂く音がどこからともなく聞こえ、やがて一つの物影が俺たちの前に現れる。スニーカーで踏ん張って着地した衝撃が小さく地鳴りを起こす。現れた物影は、猫の耳と尻尾が生えた、Tシャツにハーフデニム姿の少女だった。

「三日ぶりだニャ、請負屋。こうも立て続けにアタシんとこへ来るなんて、繁盛してんニャ~」

 彼女の声は粘っこく、それでいて甘ったるくもあった。橙色のシャギーヘアが路地の中でも煌びやかに見える。

「おやァ? そちらのお嬢さん、珍しい生き物を持ってらっしゃるようだニャ。次の依頼はそのコのことかい?」
「まぁな。あ、そうだ。先に前払いで渡しとくぞ、マタタビ酒」

 姐さんは左手に持っていたマタタビ酒(ワンカップ三五〇ミリリットル)を猫耳少女に手渡す。少女はニヤリと笑って口笛を吹く。

「毎度毎度悪いねェ。猫って生き物はコイツがニャきゃやってらんねぇんだニャ~」
「まったく。おかげさまでマタタビ酒のストックがニダースもあって、事務所のスペースが圧迫されてんだ。それだったら自分で買えよな。金は渡してやるから」
「いやいや、そちらさんのことわざで猫に小判と言うじゃニャいですかァ。金なんか貰ってもアタシらにゃ使い道がほとんどニャい。それよりかは、食料を実物で貰うほうがよっぽとありがてぇんだニャ」

 少女はゴロゴロと喉を鳴らす。姐さんはそれに嘆息で応える。その二人のやりとりを見ていた柚月ちゃんが、おずおずと口を開く。

「あのぉ、絢音さん。この方が猫神ねこがみ一華さん、ですか?」
「あぁ、そうそう。コイツが猫神一族の末裔さまだ。といっても、絶讃家出中でこんな路地裏で情報屋なんてやってんだけどな。品格なんざありゃしない」
「コラァ。猫のことを馬鹿にすんじゃねー。馬と鹿なんて、哺乳類ぐらいしか合ってニャいだろうがー」

 などという冗談が飛び交いつつ。真面目に本題へと切り出すことになった。姐さんの口からあらかたの事情が一華さんに説明される。

「フムフム。つまり、そのコを引き取ってくれそうなヤツを探してんだニャ? まぁ猫界隈でも有名な動物マニアはいくらかは知ってるし、探すこと自体は問題ニャいんだけどもォ……」

 頬を掻いて言葉を濁す一華さんの様子に、姐さんは首を傾げる。

「なんだよ。他に気がかりなことでもあるのか?」
「いやァ、だってさ~あ?」

 一華さんは躊躇いがちに柚月ちゃんを指差す。いや、正確には彼女が抱えているトカゲもどきを指差した。皆の注目を浴びていることに気づくと、円らな瞳で一華さんを見つめ返す。

「そのコってドラゴンの子どもニャんだろ? 人里じゃ滅多に相見えない生き物が道端に倒れてたニャんて、そりゃあアタシも不思議がいっぱいでしかたニャいわ」

「「「え?」」」

 異口同音に一華さん以外の面々が素っ頓狂な声を漏らす。皆一様に目を丸くしている。それに釣られて、一華さんも「え?」と間が抜ける。

「まさかおミャーら、気づいてニャかったのか?」
「いやいや気づくも何も、これがドラゴンの子どもだなんて分からねぇよ! キャットフードだってモグモグ食べてたしっ」
「キャットフード食わせたの!? 神聖なドラゴンの子どもにニャんつー粗末なモン食わせてんだヨ! バチが当たんぞ!」
「いや、あなたがそれを言ったら駄目な気がするんですが……」

 ここにきてようやく俺が会話に加わる。だが、物の見事に一華さんは無視する。
 少しの時間をかけてチルアウト。トカゲもどきと思っていた生き物が実はドラゴンだったという衝撃の事実を、俺たちはどうにか受け入れた。ここからは便宜上「ドラゴンくん」と呼ぶことにする。
 ちなみに柚月ちゃんは「とかげさん」で姐さんは「ドラゴンボーズ」らしい。姐さんのは語呂的にアウトな気がするが、誰もツッコむ者はいなかった。
 それはともかく、ドラゴンは魔物の中でも高位の存在だ。人々の目に触れることはほとんどなく、神として崇められることもある。その子どもと、まさかこんな所で出くわすだなんて……。

「とにかく。ドラゴンの子どもがここにいるということは露見させちゃ駄目だニャ。コレクターやブローカー、果てにァハンターていった連中に目を付けられるかもしれニャいからニャ」
「そうか。この依頼、思ってた以上に深刻なんだな……」

 一華さんの忠告を受けて、姐さんが密かに呟く。すると、それを耳にした柚月ちゃんの表情に陰りが生じる。毛並みのいい耳と尻尾がシュンと垂れる。

「心配しなくていいよ。俺たちのやることに変わりはないんだから」

 そう言って、俺は俯く柚月の頭を優しく撫でる。手の動きに応じて、柚月ちゃんの表情は少しずつ明るくなり、やがて口元が緩む。

「あ、ありがとうございます、竜司さん。でも、頭を撫でられるのは、ちょっと恥ずかしいです……」

 徐ろに頭上の手を退けると、柚月ちゃんは頬を赤らめる。再び視線を地面に落とし、もじもじと両手の指を絡ませる。
 そこでハッと気づく。

「ロリコンだな」
「ロリコンだニャ」
「グァー」

 一連のやりとりを見ていた姐さんと一華さんは軽蔑の眼差しを竜司に向けていた。さらには、ドラゴンくんまでもが呆れたように鼻息を吐く。

「女の子を励ましただけでこの仕打ち、あんまりだ!」



 路地裏を出た俺たちは一華さんの紹介で、動物マニアである獅子ヶ谷明ししがやあきらさんの元を訪ねることにした。獅子ヶ谷さんというヒトは魔物の動物(魔獣と呼ばれる)に造詣が深いらしい。ドラゴンはその魔獣に分類されるので、何か詳しい情報が得られるかもしれない。
 そして、獅子ヶ谷さんが住まう宅地に到着した。二階建てコンクリート製の一軒家で、玄関前の庭はテニスコート半面ぐらいの広さで芝生が敷かれている。一般的な住居よりは広いかもしれない。
 先頭の姐さんが門扉横のインターホンを押す。ピンポーン、とくぐもった機械音が鳴る。だが、数瞬待てども誰かが現れる気配がない。もう一度ボタンを押すが、結果は同じ。

「留守か? だったら出直すしかないが……」

 姐さんが諦めの言葉を告げた、時だった。
 ドン! と、建物内から何かが激しく打ち付けられる音が響く。敷地の外にいる俺たちの耳にもそれは届いた。

「行くぞ!」

 姐さんは即座に門扉を開くと、風のように駆け出した。俺と柚月ちゃん、ドラゴンくんが遅れて後を追う頃には、もう玄関の側まで近づいていた。
 姐さんの後に続いて入って、室内を片っ端から見て回る。一階には、バスルーム、トイレ、リビング、ダイニング、キッチン。そこには誰もいなかった。一階を見終わってから、俺と柚月ちゃんが先に二階へ上がる。その一室、書斎の扉を開ける。

「いた!」

 無造作に倒れた本棚。その下敷きになっているのはジャケットをまとった獅子頭の獣人。事前に聞いていた情報によれば、おそらく彼が獅子ヶ谷さんだろう。意識を失ったのか、眼を閉じたまま微動だにしない。
 本や書類などが散乱した書斎の中央には、一人の男が悠々と佇んでいた。八頭身はあろうかという背丈で、パンク系の黒いクロップドパンツに丈の長い濡羽色のパーカー、光沢ある黒のショートブーツとさながら漆黒のような出で立ち。それに反して、明度の高い銀髪が神々しく照らされる。そして何より、刃物のように尖った眼光と、その右下に浮き出た三本爪で引っ掻いたような紫色の刺青がその男の凶暴性を物語っていた。
 パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、黒い男は気だるげに入口方面、俺たちのいる方を見やる。視認するや否や、露骨に舌を打つ。

「なんだァ? こんな所にガキが迷い込んできやがッた。ハァ……全く。さッきまでアガッてたッていうのに、てめェらのツラ見たせいで一気に萎えちまッたじャあねェか……て、あん?」

 男は俺の隣にいた柚月ちゃんを、いや、彼女の腕の中にいるドラゴンくんを凝視している。あまりにも目つきが悪く、視線に気づいたドラゴンくんが小刻みに震えて、翼で顔を覆い出す。

「おい。そこのメスガキが抱えてんのァ、ドラゴンじャねェのか? なんだッててめェらが連れてやがんだ」
「そ、それよりも! お前は誰だよ! ここで一体何をしてたんだ!」

 男の質問を遮るように、俺の上擦った声が飛び出る。ドラゴンくんだけでなく柚月ちゃんも手の震えを隠せないでいる。そして、俺自身も。
 いま感じているのは紛れもない恐怖だ。目前に対峙する素性の分からない男に、形容しがたい怖れを感じている。

「あァ? 先に質問してんのァ俺様の方だろうが。三下がでしャばッてんじャねェぞ!!」

 俺の三寸先に、男の顔が現れる。男の近寄る速さに、音が遅れを取って追随する。鼓動は早鐘を打ち続け、今にも爆散しそうだ。

「……ドラゴンの子どもだよ。隣にいる柚月ちゃんが道端で倒れていたそのドラゴンを拾ったんだ」

 ビビって相手の言いなりになってしまう自分が情けない。黒い男は、俺から柚月ちゃんへ視線を移す。

「おい、メスガキ。そのドラゴンは俺様が探してたヤツの可能性が高ェ。コッチに寄越せ」

 男は柚月ちゃんを睨みつける。書斎一帯に訪れる沈黙。額から冷や汗が緩やかに流れる。その感触が異様に気持ち悪い。

「…………いやです」
「あァ? もういッぺん言ッてみろ」
「いやです! あなたみたいな乱暴者に、このコは預けたくないです!」

 柚月ちゃんの声に、瞳に、熱が入る。男を拒む意志が確固たるものだということは明白だった。それを察した男は苛立ったように頭を掻き毟る。

「あァそうか。てめェがそういう態度を取るんだッたら……容赦はしねェ」

 ポケットから出した両手の爪が鋭利に伸びる。その形状はまるで刃のようだ。

「安心しろ。痛みなんざァすぐに感じなくなる」

 その切っ先は柚月ちゃんを捉えている。腕を伸ばせば十分に届く距離。男は右手をかざし、一思いにと振り下ろす。寸分のムラもない動き。柚月ちゃんはひるみながらもドラゴンくんを強く抱き締める──。



「うわっ!!」

 突如、俺の態勢が崩れて黒い男に体当たりする。男は反射的に手を止めるも、抵抗する間もなく床に倒れる。

「危なかったぁ。間一髪、柚月ちゃんとドラゴンボーズを守れたな」

 腰の辺りが悲鳴を上げている。燃え上がる痛覚を我慢して、半身を起こす。それから緩んだ声のした方へ振り向く。柚月ちゃんが目を丸くして見ていた先には、不敵に笑う姐さんが意気揚々と立っていた。

「絢音さん!」
「グワッ!」
「よぉ。ギリギリの登場で悪かった。そこの黒ずくめにバレないよう部屋の外で息を潜めてたんだ」

 位置関係から察するに、俺は後ろから姐さんに思い切り蹴飛ばされたのだろう。よろめきそうになりながらも、ひとまず立ち上がる。蹴られた跡を優しく撫でる。

「全く、アンタって人は……いくらなんでも蹴飛ばすなんてひどいじゃないですか! 紙一重で俺の体に風穴が開くところでしたよ!」
「仕方ないだろう。あの速さよりも先に柚月ちゃんを退かすとなると、どうしても雑な扱いになってしまう。それだと柚月ちゃんやドラゴンボーズが怪我しちゃうかもしれない。だったら、竜司を蹴っ飛ばすのが英断ってもんだろう」
「俺が怪我するかもっていう懸念はこれっぽっちもないんですね……」

 勝手すぎる……。物理的に足蹴にされる身にもなってほしい。
 と、張り詰めた空気が弛んだところで。
 姐さんや柚月ちゃんの表情が固まる。後ろに視線を引かれているようだ。そちらを振り返ると、重々しい挙動で例の男が無言で立ち上がっていた。
 数歩後ずさって距離を取る。柚月ちゃんは姐さんの背後へ避難する。
 男は徐に顔を上げたかと思えば、今まで以上に凶々しい目つきで闖入者である姐さんを睨む。

「また余計なのが増えやがッた……仕事の邪魔なんだよ、てめェら。どいつもこいつも頭にくんだよ。ハァ……もういいや。てめェらまとめてズタボロにしてやる。その後でドラゴンを回収してとッとと退勤してやらァ」
「ずいぶんと物騒な奴だなぁ。どんな教育を受けたらかよわい女の子に得物を振りかざすようになるんだか……覚悟はできてんだろうな、クソザル」

 どすの利いた姐さん声に、男はほんの一瞬だけ眉を動かす。だがそれ以上ひるむ様子は見せず、姐さんを視認する。
 音も無く火花が散る。誰かが動いたその瞬間に、戦闘は開始するだろう。短くも長い時間は続く。
 床を蹴り出す音が二つ。姐さんと黒い男が同時に動いた。
 互いに迫ったかと思えば、姐さんは腰を落として男の腹部に打撃を食らわせる。その重い一撃に男は攻撃できなくなる。その隙を見逃さず、姐さんは男の襟元を左手で掴み上げる。その場で一回転、二回転と回って、遠心力とともに男を窓に向けて投げつける。男は抵抗できず、窓ガラスを割って外へ放り出される。
 矢継ぎ早な展開に息を呑む。視界から男が消えたのを確認した姐さんは一息つく。

「おい、竜司。お前はそこに倒れてる獅子ヶ谷さんを助けてやれ。柚月ちゃんはドラゴンボーズと一緒にここにいろ。私はあのクソザルの様子を見に行くから」

 そう言い残して、姐さんは机の上にあった灰皿を手に取る。それを使って割れ残った窓ガラスを叩く。ちょうど人が通れそうな隙間ができあがる。姐さんはよっこらせっと窓枠に足を掛けて、一思いに跳び出す。

「えっ、絢音さん!?」

 予想外の行動に、柚月ちゃんが仰天の声を漏らす。彼女が驚くのも無理はない。

「大丈夫だよ、柚月ちゃん。姐さんは人とは思えないほど頑丈な体なんだ。魔法で肉体強化も施してるしね。あの人に任せておけば問題ないよ。ひとまず俺たちは獅子ヶ谷さんを救助しないと」

 俺の説明に一応は納得してくれたのか、柚月ちゃんはコクリと頷く。それを見届けてから、本棚の下敷きになっている獅子ヶさんの傍へ近寄る。棚を持って尽くせる限りの力を込めてどかす。本がバラバラと落ちて獅子ヶ谷さんの体に当たってしまったが、依然として意識は戻らない。棚や本を部屋の脇へ置いて、獅子ヶ谷さんを俯せにさせる。脈を測ってみるとちゃんと活動していることが分かった。命に別状は無いようだ。

「さてと。姐さんがケリをつけるまではここで待機しておくけど。って、どうしたの、柚月ちゃん?」

 作業を終えると、一心に俺を見つめる柚月ちゃんと目が合う。目元を潤ませているが、なんらかの意思を伝えようとしている様子だ。

「竜司さん、ごめんなさい。わたしが勝手なことを言ったから、竜司さんを危ない目に遭わせちゃった……」
「気にしなくていいよ。俺だってあんなクズ野郎にドラゴンくんを渡したくないし。柚月ちゃんもそう思ってくれてたことが嬉しいよ」

 この場を和ませようと自分なりに優しく笑顔を見せる。それから柚月ちゃんの元へ近づいて、彼女の頭を優しく撫でる。撫でられて赤面すると、そそくさと目を伏せる。だが、その口元はとても嬉しそうに見える。すると、柚月ちゃんの懐中から「グエ~」と訝しげに鳴く声が一つ。
 ふと、ドラゴンくんは何かを察知したかのように辺りをキョロキョロと見渡す。

「どうしたの? 何か探してるのかな」

 するとドラゴンくんは翼をはためかせ、柚月ちゃんの元を離れる。「グワ、グワ!」と切羽詰まったような鳴き声とともに、部屋の中を忙しく飛び回ったかと思えば、廊下へと去っていく。

「待って!」

 柚月ちゃんがドラゴンくんの後を追う。て、ちょっと待てって! ひとまず──

「すいません、獅子ヶ谷さん! また後で戻ってくるんで、もう少し休んでてください!」

 と告げて書斎を出る。もちろん返事は無かった。



 獅子ヶ谷宅の前庭にて、絢音と黒い男は肉弾戦を繰り広げていた。爪を武器にして迫り来る男と、その軌道を躱して足技で応戦する絢音。決め手が見つからないまま、膠着状態が続いていた。

 “まさかあの高さから落下しておいて無傷だなんて……”

 男の消えた先を確認しに来た絢音を待ち受けたのは、不意打ちで放たれた男の攻撃だった。絢音と同じ肉体強化で難を逃れたのかは分からないが、とにかく戦いはまだ続くのは確かだった。
 拮抗した現状に、絢音は舌打ちする。それから形勢を覆すために、書斎から拝借してきた灰皿を男に投げつける。だが、男が身を反らして灰皿はあらぬ方向へ飛んでいく。一瞬、双爪の連撃が止んだ。その隙を待っていた絢音は、自由になった両手で拳を構えて、右ストレートを繰り出す。見事に男の顔面に当たる。だが浅かった。
 男は粘着質な笑みを零すと、絢音の腕を掴んで彼女の懐へ入り込む。移動するまでの勢いを利用して、掴んだ腕を前方へ引っ張って彼女を背負って投げ落とす。柔道でいう一本背負い投げだ。絢音は地面の上で受け身を取るも、体中に痛みが走る。
 苦痛に歪む絢音の顔へめがけて、男は左足で踏みつける。その直前で絢音は左方へ転がって足を避ける。そのまま男と距離を取って呼吸を整える。

 “野郎……かなり強いな。粗雑な態度と裏腹に、綺麗な体術を身につけてやがる。よほど鍛錬を積んでる証拠だ。なんて憎たらしい奴なんだ”

 対峙している男は、いかにも余裕そうに手を腰にやって絢音の様子を窺っている。ニタリ、と邪悪に歪んだ笑顔は見る者を不快にさせる。

「おいお~い。まだ動けんだろォ? 休憩なんてしてねェでもッと派手に暴れようぜ」
「ほざけ、この戦闘狂。さっきまでイラチだったくせして戦い始めた途端にヘラヘラしやがって。お前のお遊びに付き合ってやるほどこっちは暇じゃねぇんだよ」
「そッかそッか。てめェも忙しいご身分なんだな……だッたら速攻でケリをつけてやんよォ!」

 男の右掌は天を仰ぎ、目前で静止する。明鏡止水のごとく張り詰める緊張と、何かが起こると予兆させる無の動作。絢音は敵の間合いに踏み込むのは危険だと察知し、傍観に徹する。
 ボッ、と酸素が燃える音が跳ねる。男の掌上で炎が生まれ出たのだ。だが、それ以上に絢音の目を奪ったのは、

「黒い、炎だと!?」

 赤でも青でもなく、見るからに熱を感じさせない炎。おぞましいほどの純黒が寒気を誘う。
 異変はそれだけではない。牙を剥き出しにした男の耳は三角形を模るように尖っている。また、ギラつかせた瞳は洋紅色に染まって鮮やかに映えている。それらのパーツが意味するものはすなわち。

「お前……悪魔だったのか!」
「そうさ。できれば俺様の正体を明かさないまま遊んでやりたかッたんだが、てめェ様がチョッパヤをご所望ッてなわけだから瞬殺することに決めたんだ。ありがたく思えこのアマ」
「言ってる意味が分かんねぇ、よ!」

 そう吐き捨てると、絢音は右方へ向かって駆け出す。男は疾走する絢音に的を絞って黒炎を放つ。炎は絢音が踏んだ草花へ着火する。だが燃えつづけることは無く、霧散する。その後も立て続けに黒炎が放たれるものの、標的に当たることは無く地面の上で跡形も無く消え去るばかり。

「逃げんじャねェよ! 速攻で終わらせなきャ帰れねェだろうが!」
「寝ぼけたこと抜かすなクソザル! 悪魔の炎に焼かれたらそのまま地獄行きだろうが! 誰が好き好んで燃やされるんだよ!」

 悪魔の黒炎は魂ある者のみを燃やし、その魂を地獄へと持ち帰る。だからこそ、魂を持たない草花は燃やさず、魂を持つ人間の絢音を狙う。
 逃走する絢音に、追走する悪魔。その追いかけっこを終わらせたのは、男が投げたダガーナイフだった。刃が絢音の左足に刺さって彼女の動きを止めた。痛みに気を取られてその場に倒れ込む絢音。
 男が彼女の側まで近寄る。一歩、また一歩と、決着がつくことを惜しむように。

「ここ最近ではまァ楽しい戦いだッたよ。だがそれも終わりだ。俺様に出会ッたのが運の尽きだッたな。お疲れさん」

 再び黒炎が生み出される。逃げる機会を失った絢音は黙って男を睨むことしかできないでいる。男の掌から炎が放たれる。

「止めて!!」

 その手前で、制止する声が飛ぶ。絢音と男は音源の先に目をやる。そこにいたのは────



 ────すんでのところで間に合ったみたいだ。柚月ちゃんの呼び止めで向こう二人の注意を引きつけられた。
 ドラゴンくんが感じたのは男の強大な魔力だったようだ。それを感知した際に姐さんの身に危険が迫ることを予期して、居ても立っても居られずにここまで飛んできた、といったところか。ともあれ、グッジョブだ。

「なんでそんな危ないことをするんですか!? 人を傷つけたところで良いことなんて何もないのに!」

 懸命に叫ぶ柚月ちゃん。ひたむきな彼女の姿を見た男は、

「なんで……だと?」

 かつてないほど険しい顔でわなわなと体を震わせていた。思ってもいなかった反応に、俺たちは戸惑うばかりだった。

「んなもん、楽しいからに決まッてんだろうが! 命懸けの戦いッつうのは身も心も震わせるスリルがあんだよ。それが俺様に代え難い快感を味わわせてくれるのさ」

 男の訴えは慟哭の如く轟いた。それから唾を吐き捨て、柚月ちゃんに焦点を当てる。

「メスガキ。やッぱてめェは目障りだ。甘ッたれた性根が気に入らねェ。こッちのアマよりも先に黙らせてやる」

 言うや否や、男は柚月ちゃんに向かって疾走する。姐さんは依然として動けず、柚月ちゃんも足がすくんだように逃げられずにいる。「グワァー!」と、ドラゴンくんが柚月ちゃんと男の間に割って入ろうと羽ばたいたところを、

「危ない!!」

 全力で阻止した。ドラゴンくんを押し出して、柚月ちゃんの前に体を割り込ませる。当然、男の爪は、

「竜司さん!」
「竜司!」

 俺の背中に深々と刺さる。姐さんの蹴りとは比べ物にならない痛みが神経を迸る。

「痛ぇぇな、ボケ!」

 口汚く叫ぶのがやっとだ。あまりの痛さにこれからどうするかなど考えることすらできない。ただ、目の前にある柚月ちゃんの怯えた顔が、ひどく胸を苦しませる。

「あァ!? 突然湧いてでしャばッてんじャねェぞ、てめェ! 死にてェのか!」

 男がトンチンカンなことをほざく。お前が殺そうとしてきたんだろうが、と突っ込みたかったが、生憎まともに口を動かせなかった。背中に刺さった爪を男が抜いたのか、重心が後ろへ引っ張られる。その慣性に抗えず、俺の体が地面に落ちる。

「竜司さん、しっかりして!」「グワグワ!」「畜生! てめぇだけは絶対にブチのめしてやる、悪魔野郎!」「喚くんじャねェ! 俺様だッてこうなるとは──────」

 苛立つほどに清々しい青空を見上げながら。皆の騒々しい声が少しずつ遠くなっていく。もうすぐ俺が死ぬってことなのかな。本当に、死ぬのか? こんなにあっけなく、訳も分からないところで?
 ここまでで大した活躍なんてしてなかったじゃないか。やったことといえば、柚月ちゃんを励まして周りからロリコン認定を受けたことぐらい。せめて誤解はちゃんと解きたかった。なんだってこんな終わり方を迎えなきゃならないんだ。大体この物語の作者は一体何を考えてやがったんだ。もっとかっこいい見せ場とか用意してくれよ。死んだ後で必ず呪ってやるから覚悟しろ……。
 などと、心中で強がってみたものの。そろそろ意識が限界を迎えそうなのが分かった。
 あぁ……せめて一発でいいから、あの野郎をぶん殴りたかったな。一矢報いるために、この手で、俺の、力、で──────。



「……え?」

 柚月ちゃんの驚きの声。他の皆も同様に目が点になっているみたいだ。何故か・・・その顔が俺よりも低いところにある。

「おいおい、どうなッてやがんだ……」

 男も少なからず動揺しているようだ。まるで未知のものを発見したかのように強張らせた顔も、何故か・・・俺と同じ目線の高さにある。
 もしかして、俺は今立っているのか? あれだけの負傷だったというのに、どうして?
 まぁ・・そんなことはどうでもいいか・・・・・・・・・・・・・
 これから俺はあの男をぶん殴らなくちゃいけない。完膚無きまでに叩きのめす。
 右の拳に全神経を集中させる。姐さんから教わった一点集中型の強化魔法。実践する機会が無かったが、やってみると案外簡単にできた。全身の血液が右拳に収斂していくような感覚に、どことなく違和感がある。目の錯覚か、拳の周りに黒いモヤのようなものが現れた。これが魔力なのか。
 これならアイツを思い切りブチのめすことができそうだ。そういえば背中の痛みが無くなっているけれど、そんなことはどうでもよかった・・・・・・・・・・・・・・。殴ること。それだけを意識すればいいんだ。一歩、また一歩と男へ近づく。

「黒い魔力……てめェ、こッち・・・側の存在だッたのか!?」

 男が何かごちゃごちゃと抜かしていたが、放っておく。逃げないならちょうどいい。拳に力を込める。固く、かたく。そして勢い良く振りかぶって、男の顔面を殴りつける。鼻っ柱の感触は刹那で、男は体勢を崩して倒れる。
 あまり達成感は無かった。それを感じた途端に、足の力が抜けていく。抵抗する間もなく、地に伏せてしまう。
 きっと無理が祟ったんだ。けれど、ここまでして、一体何のために俺はアイツを殴りたかったんだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・……。



 それはずっと昔のこと。
 とある黒い悪魔と白い天使が出会って恋に落ちた。それは禁忌とされる危険な恋だった。混沌を望む悪魔と秩序を守る天使が交じるなど、両者の種族ともにあってはならないこととされていた。両者が混じり合うことで秩序が混沌に呑み込まれて、世界のバランスが崩れるきっかけとなり得るからだ。
 世界は彼らの出会いが災いの種となりかねないと断定して、ふたりの仲を切り裂こうと動いた。しかし、ふたりはそれでも離れなかった。
 やがて、個人的な幸せを願った代償として、ふたりは世界の片隅へと追いやられた。当然の罰として。
 悪魔と天使は、どことも知れぬ辺境の地でひっそりと、それでいて心豊かに生活を営んでいった。子どもが生まれ、その子どもが新たな家族を成して。そうして禁忌とされたふたりの系譜は、静かに、根強く、今日まで受け継がれていくのだった。



 目が醒めると真っ白な天井が見えた。蛍光灯の明かりが嫌に白色を強調して、まともに直視できない。ここはどこなんだ?

「ようやくお目醒めになりましたネ。良かったデス……」

 聞き慣れない女性の声が聞こえた。顔だけ動かして見ると、右手側にいたのは黒いローブを着た金髪の人だった。教会のシスターさんみたいな雰囲気を醸し出している。

「ほんとに良かったぁ。あれから三日三晩目を醒まさなかったもんだから、一時はどうなるかとヒヤヒヤしたんだぞ」

 謎のシスターさんの真向かい、俺から見て左側に姐さんが座っていた。その隣から時計回りに柚月ちゃんやドラゴンくん、獅子ヶ谷さん、そして黒い男までもが俺を囲っていた。皆は安堵したような表情を浮かべて、柚月ちゃんは大粒の涙を流している。そんな中、黒い男だけがすぐにそっぽを向いた。鼻頭にはデカデカとガーゼが貼られている。
 と、そこでようやく気がついた。俺は今まで病院で寝てたんだ。大きなベッドに、手首に繋がれた点滴、殺風景な部屋に、消毒液のような臭い。獅子ヶ谷さん宅での一件で、俺はあの男に後ろからぶっ刺されて、気絶したんだったっけ……。

「そうだ。あの後、どうなったんですか……! そこにいる男は、なんで野放しになってるんですか!」
「落ち着いてくだサイ。事の経緯については、ワタシの方から説明しマス」

 シスターさんが優しく制する。その声を聞いて、不思議と気持ちが穏やかになっていく。姿勢を正して、彼女の方を向く。

「マズ、ワタシの名前はレスニア=アイズといいマス。ワタシは人に仇なす魔物を討伐するために結成された武装組織、異端狩りの一員デス。そして、アナタに怪我を負わせてしまったこのストリートギャングみたいな男も、異端狩りの一員なんデス。
「……信じられないのも無理はありまセン。本来であればこの男はすでに討伐されていてもおかしくない存在ですカラ。
「この男の名前はジーク=ヴェルド=ルー。彼は第一級危険指定生命体、つまり悪魔デス。目元の刺青に黒い炎といえば悪魔特有のものデス。彼は元々討伐対象でしたガ、悪魔を攻略するための足掛かりとして、彼を捕縛して協力してもらうことになりまシタ……何か言いたいことがあるなら口にしたらどうナノ、ジーク?
「まぁいいでショウ。それで、ワタシたちがこの街に来たのは、ドラゴンの子どもが迷い込んだという情報を得たからデス。ドラゴンといえば高等魔獣に位置する存在。たった一体の力で街一つ壊滅させることができると云われています。子どもといえどその力は未知数デス。なので、捜索して保護するよう、異端狩りからワタシとジークが派遣されました。
「ところが、 ワタシが目を離してしまった時にこの男が単独で行動し出したんデス。この男は悪魔ということもあって、やること為すことがかなり粗暴でして……獅子ヶ谷サンのお宅へ出向いた際も、彼曰く『聞き込み調査』の一巻だったそうデ……皆サンに、特に竜司サンには大変ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでシタ」

 レスニアさんは深々と頭を下げる。事細かな説明、丁寧な所作に誠意が感じられる。それを見て、咎める気持ちなんて微塵も湧かない。それを言うなら────。

「ホラ、ジーク。アナタも早く謝りなサイ。自分の犯した罪は自分で償わなければいけないのヨ」
「わァッてますよ……お母さんじャあるまいし、一々言われなくてもやるッつーの」
「よく開くクチね……強引に縛り付けてもいいのかシラ?」

 レスニアさんの声に圧がかかると、ジークは「ハァ」と盛大に嘆息した後、激しく頭を掻きむしる。なんだか、上下関係がとても分かりやすいなこの二人。
 そして、目が醒めてから初めて俺の方へ向く。

「そのォ……なんだ。俺様が未熟なせいで、お前を危険な目に遭わせちまッて、あー、畜生! すんませんッした! はい、謝った! これで十分だろォ!」

 全く誠意も謝意も感じられない謝罪だった。しかし、とりあえず自分のプライドとバチバチに闘ってたんだということは伝わった。

「おいおい。そんなテキトーな謝罪で済ませられるわけねぇだろぉ。言葉が出ねぇんなら態度で示せよ、態度でぇ。簡単に言えば土下座をしろ。そこまでして初めて謝罪になるんだよ。特にお前みたいな脳みそカッスカスな俗悪生物にはなぁ」

 姐さんがジークにさらなる誠意を要求する。口調が完全に輩のそれだ。悪役ヒール感満載の笑みを浮かべて、とても活き活きとしていらっしゃる次第。隣の柚月ちゃんがオロオロと困った顔をしてるのが申し訳ない気持ちになる。

「おい、なにニヤついてんだよ。大丈夫か、竜司?」

 と、それまでチンピラになりきっていた姐さんが心配そうに俺に話しかけた。どうやら無意識に口元が緩んでいたらしい。

「大丈夫です。それにいいんですよ、姐さん。この男にとって、さっきのが精一杯の謝り方なんでしょうし、これ以上要求するのは酷でしょう。というか、一度死にかけた身としては土下座されたところで許すつもりは毛頭ありませんから」
「そ、そうか……竜司がそう言うんだったらいいけどさ」

 姐さんは物言いたげにしながらも了承してくれた。後は……。

「というわけだから。ジーク、だったっけ? 俺は今後一生涯にわたってアンタのことは憎み続けるけど、ひとまずこの場はレスニアさんの顔に免じて引き下がっておくから。そこまで気にしないでくださいよ。アンタの行方知らないところで、俺は死にかけた恨みと刺された疵を抱えながら生きていくんで」
「お、おォ……助かる。それと、本当にすまなかッたな……」

 率直な気持ちを伝えると、ジークはしおらしくなった。しかも素直に謝意の言葉も述べてくれた。やっぱり、大事なのは心からの言葉を伝えるコミュニケーションだよね(笑)。

「と、まぁ。竜司くんの意識が戻って、やることやったというわけで。そろそろさっきの話題へと移りますか」

 よっこらせっという擬音が聞こえるかのように、それまで場を静観していた獅子ヶ谷さんが取り仕切り始める。貫禄のあるその姿勢は、中年のなんだかんだで頼れるサラリーマンのおっちゃんという雰囲気だ。見た目のライオンみたいな凛々しさとのギャップが生じるものの、一周回って安心できる。自分でも何考えてるのか分からないが、とにかく安心できるヒトだと思った。

「まずは、竜司くん。俺が意識を失ってる時に助けてくれたんだってな。ありがとう。ずっとお礼が言いたかったんだ」

 獅子ヶ谷さんが頭を下げる。恐縮して、

「い、いえ。当然のことをしたまでですし……」

 とやや口ごもる。

「いやいや。その当然のことをやってくれること自体がとても嬉しいことなんだよ。君は立派だと思う。もっと胸を張りなさい」

 獅子ヶ谷さんの言葉に対して、自ずと
「はい!」と力強く頷く。
 それから獅子ヶ谷さんが咳払いをすると、皆の視線が一点に集中する。

「さてと。さっき話してたのは、これからドラゴンの子どもをどうするのかってことなんだが。異端狩りの方々には、この子どもが生まれたであろう住処を探していただくということでよろしいですね?」

 レスニアさんが頷く。

「ハイ。こちらで責任を持って捜索にあたりマス」

 その返答を受けて、獅子ヶ谷さんは話を続ける。

「ありがとうございます。そちらで捜索をしていただく間は、ドラゴンの子どもを俺の方で預からせてもらいます。ドラゴンの生態については一通りの知識があるんで、丁重に育てさせてもらいましょう」

 俺が寝ている間にトントン拍子で話が進んでいたようだ。それからも事務的な話が行われる。そんな中、

「あのぉ……ちょっとよろしいですか?」

 柚月ちゃんがおそるおそる手を挙げる。大人たちの視線が彼女に集まる。懐中のドラゴンくんが「グワ?」と円らな瞳を向ける。

「このコが獅子ヶ谷さんのところへ行っても、また会いに来てもいいですか……?」

 たどたどしく、されども精一杯の気持ちを伝えるように、柚月ちゃんは告げた。彼女と対面するように聞いていた獅子ヶ谷さんとレスニアさんは、ともに優しく微笑む。

「あぁ、もちろん構わないよ。そのコが一番懐いているのは柚月ちゃんなんだ。きっとその子も君に会えるのを喜ぶだろう」

 獅子ヶ谷さんが了承したのを受けて、柚月ちゃんは安堵の息を吐く。と思えば、突然思い出したかのように慌てて口を開く。

「そ、それから、もう一つご相談があるのですがっ!」

 レスニアさんが「なんでショウ?」と先を促す。

「この子の名前なんですけど、わたしが名付けても大丈夫……ですか?」

 柚月ちゃんは上目遣いに周囲を見渡す。その愛らしさたるや、なんと表現すればいいか。潤んだ瞳はとても透き通っていて、見る者を吸い寄せるように魅了していく。ぶっちゃけ、可愛い。こんなのロリコンでなくとも素直に「はい!」と承諾してしまうだろう。そうしない奴はきっと人の心も分からない極悪非道な最低野郎に決まってる。

「……おい、なんで俺様を睨んでんだ。なんも言ッてねェだろォが」

 とりあえず牽制したかっただけだ。そんな心配は杞憂に終わり、柚月ちゃんがドラゴンくんの名前を付けることになった。

「えへへっ。実はもう考えてあったんですよ~」

 にこやかに笑う柚月ちゃんの愛おしさたるや、なんと表現すれば(以下略)。

「君の名前は“とかげさん”だよ! 最初に会った時はドラゴンの子どもだなんて知らなかったんだよね。だからとかげさん、なんて呼んでたけどその名前もいいかなって思ったんだ。だからこれからも君はとかげさんだよ。これからもよろしくね!」

 柚月ちゃんがドラゴンくん、改めてとかげさんの頭を撫でる。とかげさんは「グワー」と間延びした返事をする。その表情はどこか満足げだ。



 お見舞いに来てくれた皆は退室することになった。姐さんは柚月ちゃんを自宅へ送り届けに、レスニアさんとジークは獅子ヶ谷さんの家まで同行するそうだ。皆が居なくなるのは淋しいなぁ、でもジークだけは要らないなぁなどと感傷に浸っていたところ。

「やっほー。お兄てば元気にしてるー? おっ、ようやくお目醒めになったようだねー。いやぁ、これで一安心だわぁ」
「あぁ、本当に良かった。いつ目が醒めるのか、お母さんヒヤヒヤして朝昼と眠れなかったんだからね」

 間延びした会話とともに、新たな見舞い客がやってきた。片や、黄色のオフショルダーにブルーのホットパンツ姿のサイドテール娘。片や、ライトグリーンのカーディガンに白のロングスカートという出で立ちでサラリとした長髪のご婦人。というか、その二人は、

「そちらはずいぶんとお元気そうですね、母さん、それにめぐりも」

 結羽家の母と長女だった。二人ともケロッとした様子で正直面食らってる。

「お兄に比べたらそりゃそうだよ……でも、本当に心配したんだからね? お兄は請負屋さんのところでいっつも無茶なことしてたけど、今回は本当に危ないところだったらしいから。それを聞かされるこっちのことも考えてよね」

 それまでと打って変わった声音に、俺への気遣いが窺えた。それはそうだよな。俺がしてたこともロクに知らないまま、瀕死に陥ったという報せが唐突に届けられたんだ。二人が何も感じないはずがない。

「ごめん。毎度心配させてたっていうのに反省もせず、こんなザマになっちまって。他にもっと言えたらいいんだけど、これだけしか言えないみたいだ。本当に、ごめん……」

 母さんと巡に向かって頭を下げる。謝る意図もあるけど、それ以上に目を合わせるのが辛かった。視界の外から溜息が零れるのが聞こえた。

「こんなことになるって分かってたら、バイトなんてさせなかったわ。子供を危険に晒すのを望む親なんて居ないんだから」

 呆れたように母さんが言う。諭すようにゆっくりと、それでいて責め立てるようにはっきりとした口調だ。

「でも、竜司は命を懸けて女の子を守ってあげたんだってね。あの子、大粒の涙を流してたのよ。それで、何度も私達に謝ってた。それから請負屋さんも。万が一のことがあれば全責任を負う、ていうことまで言ってくれてた」

 柚月ちゃんも、姐さんも。そこまで心配させてただなんて。自分の無力さがただただ苛立たしい。

「あなたが怪我をしたのは女の子を、ひいてはドラゴンのお子さんを守るためだった。色々と思うところはあるけれど、あなたのしたことは人として誇らしいことだと思う。目を醒ましてくれて、心から嬉しく思ってるの」

 その言葉を受けて顔をおもむろに上げる。すると、真っ先に見えたのは母さんの涙だった。

「あなたの決断したことだから、これ以上咎めるようなことは言わない。けど、ここまで色んな人に迷惑をかけたんだから、一刻も早く身体を治すのよ。分かった?」

 嗚咽を堪えて振り絞られた母さんの問いかけに、「はい」と答える。心から吐き出すように、力強く。

「約束だからね。破ったら往復ビンタ百発なんだから」
「それは怖いな」

 自然と頰が緩む。母さんは涙を拭いて、笑顔を作る。それを見て、何が何でも養生しないといけないと思った。



 それからしばらくして。怪我が完治して、無事に退院することができた。迎えに来てくれた家族はもちろん、姐さんや柚月ちゃん、獅子ヶ谷さんやレスニアさんも電話越しの報告で安堵の息を漏らした。特に柚月ちゃんは嬉し涙を流してくれたみたいで、時折嗚咽の声が聞こえた。心配をかけて申し訳ないと思うのと同時に、皆の想いが純粋に嬉しかった。
 今回の件を教訓として、これから邁進していかなければいけない。それを肝に銘じて、まず取り組まなければならないことは────。

 予定されていた実技試験は入院していた関係で延期してもらっていた。姐さんから教えてもらったことを元に、右拳の一点集中強化を図る。試験の内容は、瓦割り。シンプルでいいけど、なんだこりゃという印象を拭えない。しかし文句を言っても仕方がないので、いざ挑戦。はてさて、結果はどうなったかというと。

 割れた瓦が一枚。二枚目に少しヒビが入った。

 先生の評価は、及第点ギリギリのスレスレだった。命懸けで習得した魔法がこの始末。奇しくも結果まで姐さんの言った通りになっていて、なんとも複雑な気持ちだった。
 ……まぁ、これから頑張るしかないよな!
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