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第1章「リネスの暴風」
第02話「リゾルテ公爵家」
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大陸の西に位置する大国リネス王国において、リゾルテ公爵家の名は国内外に響き渡っている。
リゾルテ公爵家の領地は仇敵ロトワール皇国に隣接する北方の中心にあり、リネス王国に三家しかいない公爵家の中でも最も権勢を誇り、歴代の当主はそれぞれ王国の重職に就いてきた。
リゾルテ公爵家現当主のオルバートさんは、若い頃は騎士として戦場の最前線で戦果を上げて騎士の最高位である六星騎士の一人にまで上り詰めた。そして現在では国家の軍事・行政を取りしきる宰相を務めている。
*
俺はリゾルテ公爵家の屋敷にこっそり侵入した。
リゾルテ公爵家はリネス王国の大貴族である。
大貴族であるリゾルテ公爵家の屋敷は当然警備が厳重である。そんなリゾルテ公爵の屋敷に、平民の俺がどうしてこっそり侵入できたのか。
それは、門番の人にこっそりと敷地内に入れてもらったからである。
どうして門番の人にこっそりと敷地内に入れてもらえたのか。
それは、俺が小さい頃から数年前までこのリゾルテ公爵家の屋敷で生活していて門番の人とも顔見知りだったからである。
「お帰りなさい。ルクト」
礼拝堂で再会したアーシェに連れられて本邸に入るなり公爵夫人のマリアンヌさんに抱きしめられた。
オルベリアとアーシェの母親にして俺にとっても母親代わりの人だが、二児の母親で今年三十六歳とは思えない若々しい外見の女性に抱きしめられるのは少々気恥ずかしい。
だが、懐かしい母親の温もりについ動きを封じられていた。
「ただ今戻りました」
マリアンヌさんに抱きしめられたまま俺は答えた。
「また木箱に入っていたと聞いたわ。困った子ね」
マリアンヌさんは俺を離すとそのまま俺の顔を覗き込みながら微笑んで頭を撫でる。
もう十七歳になったというのに、ちょっと子供扱いしすぎではないだろうか。こっちは前世も含めると四十歳だ。精神年齢的には俺の方が年上だ。
そんなこともありマリアンヌさんの発言に少しムッとして、無言でマリアンヌさんから離れて目を合わせる。
「もう子供ではありません。騎士になりました」
俺は十五の時から騎士になって任務に着いているし戦場で戦果も上げている。この世界でももう一人前の大人だ。
今回だって戦を終えて帰ってきたのだ。学校に通う生徒が長期休暇で帰ってくるようなものとは全く違う。
「あらあら、じゃあ礼拝堂の木箱は撤去してもいいかしら?」
マリアンヌさんが微笑みながらとんでもないことを言う。
それは非常に困る。俺の頬に冷や汗が流れる。
「……すいません。少しだけ子供の部分も残っています」
こういう時は素直にお願いするに限る。
「素直ないい子ね」
再び抱きしめられて頭を撫でられた。
やっぱり恥ずかしい。
なんとか木箱だけは撤去せずに子供扱いをしないでほしいと思うのは贅沢だろうか。
恥ずかしさから顔が少し赤くなったが、礼拝堂の木箱(オアシス)を守るためになんとか耐えて見せた。
「休暇なのですから、箱の中でなく部屋でしっかり休むのよ」
「わかりました」
マリアンヌさんが目配せすると侍女の一人がこちらに歩いてきた。
「ルクト様。お部屋までご案内を致します」
「案内はいいです。勝手に行きます」
俺は一人で部屋へ向かった。
*
俺が数年前までリゾルテ公爵の屋敷で日々を過ごしてきた理由。
俺の父親とリゾルテ公爵家現当主のオルバートさんが王立学校の同期で親友だったからである。
平民と貴族。歳を重ねるごとにその差はいろいろなところに影響が出てくるが、生きるか死ぬかの戦場ではそんな些細な境目はどうでも良くなると言うのは我が父の弁だ。
まあ嫁に逃げられてその嫁を追いかけるから子供の面倒を見てくれと頼んできた男の息子を預かって娘と一緒に育てるくらいなのだから相当に仲は良いようだ。
もっとも、その時に交わされた余計な約束のせいで俺は現在進行形で苦しめられているのだが、それでもオルバートさんにはいくら感謝してもしきれない。
ここでは家族同然に育ててもらった。
俺も皆を家族と思っている。オルバートさんは父。マリアンヌさんは母。アーシェは妹だ。そして今日はまだ会っていないが俺付きの侍女としていろいろと世話になったルネは姉。オルベリアに関してはノーコメントにしておく。
ありがたいことに今でもこの屋敷には俺の部屋が残っている。俺が使っていた時と変わらずそのまま残っていた。
服も用意されている。それを身に纏って備え付けられた鏡を見るが、どう見ても大貴族の屋敷に部屋を持つような風貌には見えない。貴族感が出ている服を身に纏ったところで俺は俺だ。
そんな風に鏡を眺めているとドアの前に人の気配を感じた。そしてドアがノックされる。
「ルクト様。お食事の準備ができました」
「わかりました」
俺は部屋を出た。
*
職場じゃ食べられないような豪華な夕飯を食べ終えると俺は再び部屋に戻った。懐かしい部屋に安堵感を憶えると急に眠気が襲いかかりベッドに倒れるように飛び込んだ。
日頃の疲れが蓄積されていたようで段々と意識が遠のいていく。
意識が途切れる寸前に ドアがノックされる音が聞こえた。
「兄様。アーシェです」
「どうぞ」
返事をするとドアが開き遠慮がちに寝間着姿のアーシェが入ってきた。
手には枕を持っている。
「兄様。眠るまでの間少しお話しさせてもらってもいいでしょうか?」
「いいよ。おいで」
俺はアーシェを招き入れた。
最後にこの屋敷に来たのは一年前に騎士隊長に昇進したことを報告した時だった。その時の様子は割愛するが大規模なパーティを開かれて気恥ずかしかったのを覚えている。
一年ぶりに会う俺とアーシェはこの一年の間に起きた事を色々と話した。
魔獣退治の話をする時、特に危険もなく楽勝だったよと告げておく。本当は少し危険もあったがあまり心配はかけたくなかったので少し強がって見せた。
アーシェの近況も聞いた。その中で魔術の話も出た。アーシェは最近魔術を学んでいるのだがどうも魔術の発動が安定しないそうだ。
「私には才能がないのでしょうか?」
「そんなことないよ」
俺やオルベリアが今のアーシェと同じ年齢の頃には魔術を使っていたので、それを知るアーシェは自分に才能がないと落ち込んでいた。
「普通はその歳で魔術が発動できるだけで天才だよ」
それを言ってから自分が天才だと自慢しているようでその後の言葉を少し言い淀んだが、アーシェの頭を撫でながらそう伝える。
「ありがとうございます。早く兄様に追い付けるよう頑張ります」
アーシェは嬉しそうにそう返事をした。
オルベリアの近況も聞いた。
最近のオルベリア以前にも増して屋敷にいないことが多いらしい。良いことを聞いた。
話をしている内にアーシェは眠ってしまった。
可愛らしい寝顔だ。
「ルクト兄様」
静かに俺の名が呼ばれた。
どうやら夢を見ているらしい。アーシェの夢の中にも出られるとは我ながら果報者だ。
アーシェを見ていると、自分が許せなくなる。
俺は生まれてくるのが早すぎた。どうしてあと五年遅く生まれてこなかったんだろう。転生して来る年月を選べないとは言え、非常に後悔している。
あと五年遅く生まれてくれば、オルベリアではなくアーシェが婚約者に……いや、止めておこう。悲しくなるだけだ。
ふと考えてみると、オルベリアは生まれた時から婚約者がいる割にアーシェにはそう言った話は一切聞かない。
まあいたら悲しみのあまり俺の心がへし折れてしまうのだろうけど、アーシェが幸せになれるのであれば俺は応援する。その代わりに相手の男は絶対にぶん殴る。兄として。
アーシェは公爵家の令嬢である。相手の男は大貴族か下手したら王族になるだろうがそんなことは関係ない。仮に国王陛下だとしても殴って見せる。その際はリゾルテ家に迷惑がかからないように身分を隠して襲撃しなければならないが冗談抜きでその気概でいる。
それだけじゃない。結婚相手だろうがそうでない相手だろうが、もしもアーシェを泣かせるような男がいたとしたら、生まれてきたことを後悔するような目に会わせてやる。絶対に。
まあいずれにしてもだいぶ先の話だ。そう思いたい。
そうこう考えている内に、俺も睡魔に負けて段々と眠りの世界へ誘われた。
*
「あれ?」
目の前には久しぶりに見る見慣れた天井があった。
「ここは?」
辺りを見回す。
「アーシェ?」
隣には愛しき妹の姿。
少し戸惑ったが、ゆっくりと昨日の出来事を思い出して現状を把握した。
俺の横にはスヤスヤと眠るアーシェがいる。
天使が地上に降りてきたのかと思えるような美しい姿だ。
可愛らしい寝顔を眺めながら、そろそろ起きようかと考えていると廊下から何かが駆けてくるような音が聞こえた。
「ルクト様!」
ドアをノックもせずにネリーが部屋に飛び込んできた。
「おはよう。ネリー」
「おはようございます。……じゃない。ルクト様。大変です。アーシェリア様がお部屋にいないのです。ずっと探しているのですが他の方にお聞きしてもルクト様に聞くようにとしか言われずに」
ネリーの言葉が止まった。
ネリーの視線は俺の横で眠るアーシェに釘づけになっていた。
そしてゆっくりと俺の方を見ると再びアーシェを見て、俺とアーシェを交互に見るようになった。
「……アーシェリア様?……ルクト様?……アーシェリア様?」
混乱しているのだろう。可哀想に。
「アーシェならここにいるよ。心配ない」
俺はネリーに声をかけた。
屋敷で働くみなさん。いくら反応が可愛いからとは言え、オルベリアの事といいリゾルテ家のことについてちゃんと教えてあげてください。あとで侍女長のロザミーさんに言っておこう。
「……ルクト様。これはどういう━━」
「ネリー。静かに。アーシェが目を覚ます」
わけがわからないというネリーを見かねて俺は普段からアーシェが俺の部屋で一緒に寝ていることが多いとかオルベリアが屋敷にいないことについての説明をした。
「以上です」
「そ、そうだったのですか」
驚きながらもネリーはだいたいのことを理解してくれた。
「……あっ。おはようございます。ルクト兄様」
「おはよう。アーシェ」
説明が終わってようやくネリーが全てを理解した頃にアーシェは目を覚ました。
*
マリアンヌさんやアーシェの言葉に甘えて休暇はゆっくりと休ませてもらった。
リゾルテ公爵家当主・オルバートさんは王都での公務のため俺の滞在中は屋敷に一度も戻ってこなかったので、公爵夫人のマリアンヌさんに挨拶をして近況を説明した。
その際いろいろと心配してくれるのは嬉しいのだが、やはりいつまでも子供扱いは止めて欲しいと思う。木箱の設置のために口にはしなかったが。
そして幸運にも俺が屋敷に滞在中にオルベリアは屋敷に帰ってこなかった。長期休暇中のルネが戻って来なかったのが少し寂しかったが。
「姉様。帰ってこないですね」
アーシェが少し残念そうにそう言った。
「そうだな」
嬉しさがばれないように俺は返事する。
「嬉しそうですね?」
「そうかな?」
俺の考えはアーシェにばればれだった。
「もう、駄目ですよ。兄様」
オルベリアがいないことを喜んでいるのがばれてアーシェに怒られてしまった。
そのまま屋敷滞在の最終日、とうとうオルベリアに会わないまま、俺は屋敷を発とうとしていた。
「兄様。すぐ帰ってきてくださいね」
「ああ、また来るよ」
「そう言ってまた一年くらい会いに来てくれないのではないですか?」
「そんなことないよ。なるべく早めに会いに来る」
アーシェの頭を撫でた。
オルベリアには会いたくないがアーシェには会いたい。オルバートさんやマリアンヌさんやルネにも会いたい。
長期休暇が取れたらまた帰ってこよう。いや、長期休暇が取れなくても帰ってこようと密かに誓った。
「今度は姉様にも会ってくださいね」
「……………前向きに善処します」
長期休暇にならないと帰ってこれないな。長期休暇はしばらく取らないでいこう。
心の中でそっとアーシェに謝った。
「ルクト。あまり危ないことはしないのですよ」
「わかっています。マリアンヌさん」
マリアンヌさんに抱きしめられる。滞在中もう何回目かわからない抱擁だ。
「いってらっしゃい。私の可愛い息子」
「ありがとうございます。母上」
こういう場面では自然とマリアンヌさんを母と呼んでしまう。
母の温もりを感じながらマリアンヌさんから離れる。
「ルクト様。お気をつけて」
「ありがとう。ネリー」
ネリーを始め、他にも見送ってくれた人達に挨拶をした。
どうでもいいけど毎回俺の見送りだけで屋敷の人達総動員しないでほしい。執事のアルフレッドさんなんか普段あんなに忙しいのに見送ってもらうなんてなんだか本当に申し訳ない気分になる。
「兄様」
全員への挨拶が終わると、最後にアーシェが再び近づいてきた。
いつから始まったかは覚えていないが、小さい頃からの恒例行事なので俺は顔を少し下げて目をつぶる。
アーシェは俺の頬にキスをする。
「ルクト様。どうかご無事で」
「ああ。ありがとう。アーシェ」
アーシェの頭を撫でてから抱きしめた。
「いってらっしゃい。ルクト」
「「「いってらっしゃいませ。ルクト様」」」
マリアンヌさんの声に続いて門に集まった侍女やリゾルテ家私兵の皆さんの声が響き渡った。
「いってきます」
用意された馬車に乗り込む。そして馬車はゆっくりと発進した。
こんなに盛大な見送りはいらなかったなと思う俺を乗せて馬車は進んでいく。こうして俺の休暇は過ぎていった。
リゾルテ公爵家の領地は仇敵ロトワール皇国に隣接する北方の中心にあり、リネス王国に三家しかいない公爵家の中でも最も権勢を誇り、歴代の当主はそれぞれ王国の重職に就いてきた。
リゾルテ公爵家現当主のオルバートさんは、若い頃は騎士として戦場の最前線で戦果を上げて騎士の最高位である六星騎士の一人にまで上り詰めた。そして現在では国家の軍事・行政を取りしきる宰相を務めている。
*
俺はリゾルテ公爵家の屋敷にこっそり侵入した。
リゾルテ公爵家はリネス王国の大貴族である。
大貴族であるリゾルテ公爵家の屋敷は当然警備が厳重である。そんなリゾルテ公爵の屋敷に、平民の俺がどうしてこっそり侵入できたのか。
それは、門番の人にこっそりと敷地内に入れてもらったからである。
どうして門番の人にこっそりと敷地内に入れてもらえたのか。
それは、俺が小さい頃から数年前までこのリゾルテ公爵家の屋敷で生活していて門番の人とも顔見知りだったからである。
「お帰りなさい。ルクト」
礼拝堂で再会したアーシェに連れられて本邸に入るなり公爵夫人のマリアンヌさんに抱きしめられた。
オルベリアとアーシェの母親にして俺にとっても母親代わりの人だが、二児の母親で今年三十六歳とは思えない若々しい外見の女性に抱きしめられるのは少々気恥ずかしい。
だが、懐かしい母親の温もりについ動きを封じられていた。
「ただ今戻りました」
マリアンヌさんに抱きしめられたまま俺は答えた。
「また木箱に入っていたと聞いたわ。困った子ね」
マリアンヌさんは俺を離すとそのまま俺の顔を覗き込みながら微笑んで頭を撫でる。
もう十七歳になったというのに、ちょっと子供扱いしすぎではないだろうか。こっちは前世も含めると四十歳だ。精神年齢的には俺の方が年上だ。
そんなこともありマリアンヌさんの発言に少しムッとして、無言でマリアンヌさんから離れて目を合わせる。
「もう子供ではありません。騎士になりました」
俺は十五の時から騎士になって任務に着いているし戦場で戦果も上げている。この世界でももう一人前の大人だ。
今回だって戦を終えて帰ってきたのだ。学校に通う生徒が長期休暇で帰ってくるようなものとは全く違う。
「あらあら、じゃあ礼拝堂の木箱は撤去してもいいかしら?」
マリアンヌさんが微笑みながらとんでもないことを言う。
それは非常に困る。俺の頬に冷や汗が流れる。
「……すいません。少しだけ子供の部分も残っています」
こういう時は素直にお願いするに限る。
「素直ないい子ね」
再び抱きしめられて頭を撫でられた。
やっぱり恥ずかしい。
なんとか木箱だけは撤去せずに子供扱いをしないでほしいと思うのは贅沢だろうか。
恥ずかしさから顔が少し赤くなったが、礼拝堂の木箱(オアシス)を守るためになんとか耐えて見せた。
「休暇なのですから、箱の中でなく部屋でしっかり休むのよ」
「わかりました」
マリアンヌさんが目配せすると侍女の一人がこちらに歩いてきた。
「ルクト様。お部屋までご案内を致します」
「案内はいいです。勝手に行きます」
俺は一人で部屋へ向かった。
*
俺が数年前までリゾルテ公爵の屋敷で日々を過ごしてきた理由。
俺の父親とリゾルテ公爵家現当主のオルバートさんが王立学校の同期で親友だったからである。
平民と貴族。歳を重ねるごとにその差はいろいろなところに影響が出てくるが、生きるか死ぬかの戦場ではそんな些細な境目はどうでも良くなると言うのは我が父の弁だ。
まあ嫁に逃げられてその嫁を追いかけるから子供の面倒を見てくれと頼んできた男の息子を預かって娘と一緒に育てるくらいなのだから相当に仲は良いようだ。
もっとも、その時に交わされた余計な約束のせいで俺は現在進行形で苦しめられているのだが、それでもオルバートさんにはいくら感謝してもしきれない。
ここでは家族同然に育ててもらった。
俺も皆を家族と思っている。オルバートさんは父。マリアンヌさんは母。アーシェは妹だ。そして今日はまだ会っていないが俺付きの侍女としていろいろと世話になったルネは姉。オルベリアに関してはノーコメントにしておく。
ありがたいことに今でもこの屋敷には俺の部屋が残っている。俺が使っていた時と変わらずそのまま残っていた。
服も用意されている。それを身に纏って備え付けられた鏡を見るが、どう見ても大貴族の屋敷に部屋を持つような風貌には見えない。貴族感が出ている服を身に纏ったところで俺は俺だ。
そんな風に鏡を眺めているとドアの前に人の気配を感じた。そしてドアがノックされる。
「ルクト様。お食事の準備ができました」
「わかりました」
俺は部屋を出た。
*
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日頃の疲れが蓄積されていたようで段々と意識が遠のいていく。
意識が途切れる寸前に ドアがノックされる音が聞こえた。
「兄様。アーシェです」
「どうぞ」
返事をするとドアが開き遠慮がちに寝間着姿のアーシェが入ってきた。
手には枕を持っている。
「兄様。眠るまでの間少しお話しさせてもらってもいいでしょうか?」
「いいよ。おいで」
俺はアーシェを招き入れた。
最後にこの屋敷に来たのは一年前に騎士隊長に昇進したことを報告した時だった。その時の様子は割愛するが大規模なパーティを開かれて気恥ずかしかったのを覚えている。
一年ぶりに会う俺とアーシェはこの一年の間に起きた事を色々と話した。
魔獣退治の話をする時、特に危険もなく楽勝だったよと告げておく。本当は少し危険もあったがあまり心配はかけたくなかったので少し強がって見せた。
アーシェの近況も聞いた。その中で魔術の話も出た。アーシェは最近魔術を学んでいるのだがどうも魔術の発動が安定しないそうだ。
「私には才能がないのでしょうか?」
「そんなことないよ」
俺やオルベリアが今のアーシェと同じ年齢の頃には魔術を使っていたので、それを知るアーシェは自分に才能がないと落ち込んでいた。
「普通はその歳で魔術が発動できるだけで天才だよ」
それを言ってから自分が天才だと自慢しているようでその後の言葉を少し言い淀んだが、アーシェの頭を撫でながらそう伝える。
「ありがとうございます。早く兄様に追い付けるよう頑張ります」
アーシェは嬉しそうにそう返事をした。
オルベリアの近況も聞いた。
最近のオルベリア以前にも増して屋敷にいないことが多いらしい。良いことを聞いた。
話をしている内にアーシェは眠ってしまった。
可愛らしい寝顔だ。
「ルクト兄様」
静かに俺の名が呼ばれた。
どうやら夢を見ているらしい。アーシェの夢の中にも出られるとは我ながら果報者だ。
アーシェを見ていると、自分が許せなくなる。
俺は生まれてくるのが早すぎた。どうしてあと五年遅く生まれてこなかったんだろう。転生して来る年月を選べないとは言え、非常に後悔している。
あと五年遅く生まれてくれば、オルベリアではなくアーシェが婚約者に……いや、止めておこう。悲しくなるだけだ。
ふと考えてみると、オルベリアは生まれた時から婚約者がいる割にアーシェにはそう言った話は一切聞かない。
まあいたら悲しみのあまり俺の心がへし折れてしまうのだろうけど、アーシェが幸せになれるのであれば俺は応援する。その代わりに相手の男は絶対にぶん殴る。兄として。
アーシェは公爵家の令嬢である。相手の男は大貴族か下手したら王族になるだろうがそんなことは関係ない。仮に国王陛下だとしても殴って見せる。その際はリゾルテ家に迷惑がかからないように身分を隠して襲撃しなければならないが冗談抜きでその気概でいる。
それだけじゃない。結婚相手だろうがそうでない相手だろうが、もしもアーシェを泣かせるような男がいたとしたら、生まれてきたことを後悔するような目に会わせてやる。絶対に。
まあいずれにしてもだいぶ先の話だ。そう思いたい。
そうこう考えている内に、俺も睡魔に負けて段々と眠りの世界へ誘われた。
*
「あれ?」
目の前には久しぶりに見る見慣れた天井があった。
「ここは?」
辺りを見回す。
「アーシェ?」
隣には愛しき妹の姿。
少し戸惑ったが、ゆっくりと昨日の出来事を思い出して現状を把握した。
俺の横にはスヤスヤと眠るアーシェがいる。
天使が地上に降りてきたのかと思えるような美しい姿だ。
可愛らしい寝顔を眺めながら、そろそろ起きようかと考えていると廊下から何かが駆けてくるような音が聞こえた。
「ルクト様!」
ドアをノックもせずにネリーが部屋に飛び込んできた。
「おはよう。ネリー」
「おはようございます。……じゃない。ルクト様。大変です。アーシェリア様がお部屋にいないのです。ずっと探しているのですが他の方にお聞きしてもルクト様に聞くようにとしか言われずに」
ネリーの言葉が止まった。
ネリーの視線は俺の横で眠るアーシェに釘づけになっていた。
そしてゆっくりと俺の方を見ると再びアーシェを見て、俺とアーシェを交互に見るようになった。
「……アーシェリア様?……ルクト様?……アーシェリア様?」
混乱しているのだろう。可哀想に。
「アーシェならここにいるよ。心配ない」
俺はネリーに声をかけた。
屋敷で働くみなさん。いくら反応が可愛いからとは言え、オルベリアの事といいリゾルテ家のことについてちゃんと教えてあげてください。あとで侍女長のロザミーさんに言っておこう。
「……ルクト様。これはどういう━━」
「ネリー。静かに。アーシェが目を覚ます」
わけがわからないというネリーを見かねて俺は普段からアーシェが俺の部屋で一緒に寝ていることが多いとかオルベリアが屋敷にいないことについての説明をした。
「以上です」
「そ、そうだったのですか」
驚きながらもネリーはだいたいのことを理解してくれた。
「……あっ。おはようございます。ルクト兄様」
「おはよう。アーシェ」
説明が終わってようやくネリーが全てを理解した頃にアーシェは目を覚ました。
*
マリアンヌさんやアーシェの言葉に甘えて休暇はゆっくりと休ませてもらった。
リゾルテ公爵家当主・オルバートさんは王都での公務のため俺の滞在中は屋敷に一度も戻ってこなかったので、公爵夫人のマリアンヌさんに挨拶をして近況を説明した。
その際いろいろと心配してくれるのは嬉しいのだが、やはりいつまでも子供扱いは止めて欲しいと思う。木箱の設置のために口にはしなかったが。
そして幸運にも俺が屋敷に滞在中にオルベリアは屋敷に帰ってこなかった。長期休暇中のルネが戻って来なかったのが少し寂しかったが。
「姉様。帰ってこないですね」
アーシェが少し残念そうにそう言った。
「そうだな」
嬉しさがばれないように俺は返事する。
「嬉しそうですね?」
「そうかな?」
俺の考えはアーシェにばればれだった。
「もう、駄目ですよ。兄様」
オルベリアがいないことを喜んでいるのがばれてアーシェに怒られてしまった。
そのまま屋敷滞在の最終日、とうとうオルベリアに会わないまま、俺は屋敷を発とうとしていた。
「兄様。すぐ帰ってきてくださいね」
「ああ、また来るよ」
「そう言ってまた一年くらい会いに来てくれないのではないですか?」
「そんなことないよ。なるべく早めに会いに来る」
アーシェの頭を撫でた。
オルベリアには会いたくないがアーシェには会いたい。オルバートさんやマリアンヌさんやルネにも会いたい。
長期休暇が取れたらまた帰ってこよう。いや、長期休暇が取れなくても帰ってこようと密かに誓った。
「今度は姉様にも会ってくださいね」
「……………前向きに善処します」
長期休暇にならないと帰ってこれないな。長期休暇はしばらく取らないでいこう。
心の中でそっとアーシェに謝った。
「ルクト。あまり危ないことはしないのですよ」
「わかっています。マリアンヌさん」
マリアンヌさんに抱きしめられる。滞在中もう何回目かわからない抱擁だ。
「いってらっしゃい。私の可愛い息子」
「ありがとうございます。母上」
こういう場面では自然とマリアンヌさんを母と呼んでしまう。
母の温もりを感じながらマリアンヌさんから離れる。
「ルクト様。お気をつけて」
「ありがとう。ネリー」
ネリーを始め、他にも見送ってくれた人達に挨拶をした。
どうでもいいけど毎回俺の見送りだけで屋敷の人達総動員しないでほしい。執事のアルフレッドさんなんか普段あんなに忙しいのに見送ってもらうなんてなんだか本当に申し訳ない気分になる。
「兄様」
全員への挨拶が終わると、最後にアーシェが再び近づいてきた。
いつから始まったかは覚えていないが、小さい頃からの恒例行事なので俺は顔を少し下げて目をつぶる。
アーシェは俺の頬にキスをする。
「ルクト様。どうかご無事で」
「ああ。ありがとう。アーシェ」
アーシェの頭を撫でてから抱きしめた。
「いってらっしゃい。ルクト」
「「「いってらっしゃいませ。ルクト様」」」
マリアンヌさんの声に続いて門に集まった侍女やリゾルテ家私兵の皆さんの声が響き渡った。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
魔力0の貴族次男に転生しましたが、気功スキルで補った魔力で強い魔法を使い無双します
burazu
ファンタジー
事故で命を落とした青年はジュン・ラオールという貴族の次男として生まれ変わるが魔力0という鑑定を受け次男であるにもかかわらず継承権最下位へと降格してしまう。事実上継承権を失ったジュンは騎士団長メイルより剣の指導を受け、剣に気を込める気功スキルを学ぶ。
その気功スキルの才能が開花し、自然界より魔力を吸収し強力な魔法のような力を次から次へと使用し父達を驚愕させる。
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