ロシュフォール物語

正輝 知

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凍雪国編第4章

第112話 モイスの決意1

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 ダイザとテムは、工房の中にモイスがやってきたときから、モイスの様子が少しおかしいことに気がついていた。
 ただ、それは、長命族である二人を前に恐れを抱き、緊張しているのだろうと思っていた。
 しかし、テムが国主に謁見できるだろうと言った途端に、顔をこわばらせ、目をぎゅっとつぶって下を向いてしまった。
 その様子は、何かに耐えているようであり、あと少しすれば泣き出してしまいそうな感じにも見受けられる。
 ダイザとテムは、お互いに視線を交わした後、モイスのことをレイドックへ聞いてみることにする。

「レイドック殿」

 テムは、穏やかな口調でレイドックに話しかける。

「何だ?」

「ウズキ殿にその子を託すのはいい。だが、それにどういった意味があるのかを知りたい。先ほどから、その子の様子を見ていると、それは本人にとって良くないことであるようにも思える」

 テムは、僅かに肩を震わせているモイスを優しい目で見つめる。
 モイスは、まだ下を向き続けており、泣くのを必死に堪えているようである。
 テムに尋ねられたレイドックも、心なしか苦悩に満ちた表情を浮かべており、なかなか口を開こうとしない。
 ダイザもテムも、急いで答えを得ようとせず、レイドックの気持ちが落ち着くのを静かに待つ。

「……この子は、国主への新たな人質となる」

 レイドックは、5分ほど沈黙を保ってから、重い口を開く。
 語られた内容は、モイスの人生を左右するものであり、辛い未来を示唆している。

「我々は、チヌルやネオクトンのように、国都に対して反旗を翻せない」

「なぜ……と、聞いてもいいか?」

 テムの問いかけに、レイドックは小さく首を縦に振る。

「我々ゴイメールは、昔からレナール族との結びつきが強く、今もレナール族との姻戚関係を持つ者が多い」

「ふむ……」

 テムは、レイドックに相槌を打ち、顎に手をやって、大陸の歴史を思い返す。

「我が集落では、ドラインに反感を覚え、国都と断行するべきだとの声が上がる一方、国都の関係は保ちつつ、国主をすげ替えるべきだとの声も上がっている」

「どちらも、国主は支持していないんだな……」

「それは、我が部族の総意だ。ドラインは、すでに一線を超えている」

「そうか……」

 テムは、少しため息をつき、(今の国主は何をやってきたのだ?)と心の中で呟く。
 ダイザとテムが国都に来てからというもの、国主とその妻への悪い評判しか聞いていない。

「モイスは、ドラインの側へ送る。その代わりに、我々は、ヤナリスの元にいる若君を返してもらう。いわば、人質交換だ」

「うん? そんなことをして、どうするんだ? モイスよりも、その若君の方が大事なのか?」

「個人的なことを言えば、私は娘の方が大事だ。しかし、族民のことを考えると、次期族長である若君をこれ以上ヤナリスの元に置いておく訳にはいかない」

「そうか……。俺たちが、奪還の機会を潰してしまったのも、いけなかったな」

「それは、もう済んだことだ。気にはしていない。我々が今後取りうる道は、若君を族長の元へ返し、ドラインとヤナリスに譲位してもらうことだ」

「どうやって?」

「我々は、チヌルとネオクトンのように武力では排除しない。ハジル族の力を借り、ロマキ族と交渉する。ハジルも、ゴイメール同様、国主に人質を取られ、境遇は我々と同じだ。きっと力を貸してくれる」

 ハジル族は、五大族の1つであり、親レナール派の部族である。
 レイドックは、ゴイメールがハジルと手を組み、ロマキを抱き込むことで、ドラインとヤナリスに譲位を迫るつもりなのである。

「俺は、国都の力学がよく分からん。だが、それは、そんなに上手くいくものなのか? ヤナリスは、ロマキ族なのだろう?」

「ヤナリスは、ロマキ支族の娘に過ぎない。ロマキ族長との縁故もない」

「そうなのか?」

「これは、あまり知られていないことだが、事実だ。もともと、ヤナリスは、ドラインがロマキ族の集落へ逗留した際に、応接した縁で見初められただけで、ロマキ族長の推挙もなかった」

「ふぅむ……。それなら、確かにハジルと協力して、ロマキを抱き込むことはできそうだな。ただ、随分と時間が掛かりそうだ……」

 テムは、国主の側で辛い思いをすることになりそうなモイスを見て言う。
 モイスは、レイドックが話している間に、すすり泣きを始めてしまった。
 モイス自身は、国主の側に行きたいわけではなく、むしろ、そうするしかない運命を懸命に受け入れようとしているかのように見える。

(そうか。俺たちに気がつかなかったのは、寝ていたからではなく、泣き疲れていたからなのか……)

 テムは、洞穴の奥でレイドックたちに迎えられたとき、モイスの目に擦った痕があったのを見つけている。
 そのとき、安眠の邪魔をして済まないと思ったが、事態はより深刻なものであったらしい。
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