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神話時代:祈りの丘・最初の巫女
【祈りの丘・最初の巫女】 第五話:「居場所のきざし」
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焼け焦げた草地に、私は静かに腰を下ろしていた。
かつてここに村と呼ばれる営みがあったことを示すものは、いまや黒く崩れた梁や、炭となった木片ばかりだ。
土は煤にまみれ、風が吹けば灰がかすかに舞い上がる。
身を寄せられる場所は、多くない。倒れた石壁の陰や、誰かが即席で積んだ枝の下。そこだけが、風の冷たさをほんの少しだけ遮ってくれた。
私は膝を抱え、ひんやりとした地面の感触に身を預けながら、遠くで交わされる人々の気配に耳を澄ませていた。
焚き火の煙がゆるやかに空へ溶けていく。焦げた匂いとともに、わずかな温もりだけが周囲へ広がっていく。
あの焚き火のそばには、残った人々が集まり、炭になった木片や燃え残った枝を寄せ集めながら、控えめな食事の支度を進めていた。
けれど――私は、その輪にまだ入れない。
大人たちは黙々と火の番をし、別の人たちは土を撫でて植物の生え具合を確かめ、子供たちはかすかに残る草むらで静かに遊んでいる。
私は、その少し離れた場所で、ただ眺めていた。
草の葉には朝露が残り、倒れた梁の根元では小さな水滴が微かに光る。
指先でそっとなぞると、冷たいはずなのに、どこか柔らかい感触があった。
――世界は壊れたはずなのに、それでも『生まれようとしている』ものがある。
私は静かに息を吐き、土の奥に眠る命の気配を思い描いた。
失われたものは数えきれないほどあった。けれど、この瓦礫の中からでも、なお芽は伸び続ける。
◇◇◇
ふいに、背後から軽い足音が近づいてきた。
「おーい!」
振り返ると、カゴを肩にかけた少年が全身でこちらへ声を投げかけてきた。
「なにしてるの?」
私はとっさに言葉を返せず、視線を落とす。
少年は首をかしげ、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。
「いま食べれる草、探してるんだ。一緒に探そ!」
私は小さく首を横に振った。
すると少し離れた場所から、細身の少女が不安げな声を上げる。
「バルク、そんなに騒ぐと危ないよ……!」
「……ごめん、ミレア」
その名前が、胸の奥にするりと落ちてくる。
――名前を呼ぶ響きは、こんなにも温かかっただろうか。
この少女は名を持たぬ身になって以来『呼ばれること』の感触がどれほど遠のいていたかを知る。
人の声が誰かの名を呼ぶたび、胸の奥で何かがわずかに揺れた。
それは、失ってしまったはずのぬくもりが、不意に触れてくるような感覚だった。
◇◇◇
焼け跡では、大人たちが黙々と手を動かしていた。
畑だった場所で土を耕す大柄な男。
焚き火の前で鍋を混ぜる丸顔の女性。
薬草を選別する眼鏡の女性。
私はまだ彼らの名を知らない。
けれど時折、「ゴドー」「ミレナ」「エルマ」と互いに呼び合う声が聞こえる。
その一つ一つが、胸の奥にゆっくり滲んでいった。
「寒くない?」
焚き火のそばで働いていた丸顔のミレナが、こちらへ声をかけに来た。
私は小さくうなずく。
ミレナは布で包んだ木の器をそっと差し出してくれた。
「食べられる?」
私はふたたびうなずき、慎重に器を受け取る。
湯気が立ちのぼり、手のひらに熱がじんわり広がった。
――ありがとう。
声にはならなかったが、胸の奥が静かにあたたまっていく。
けれど、それでも私は食事の輪には入れなかった。
人々が焚き火のそばで小さく話しながら食事を進める間、私は少し離れ、静かに器を口に運んでいた。
遠くでバルクがカゴを振る。
「今日はいっぱいだ!」
「芽を踏まないでね……」
ミレアの注意する声が柔らかく響く。
そのやりとりを眺めているだけで、胸の奥に小さな灯がともる気がした。
◇◇◇
食事が終わるころ、皆はまたそれぞれの作業へ戻っていく。
崩れた壁の影で草を摘む眼鏡のエルマが、ふとこちらを見て言った。
「……これ、手伝ってくれる?」
私は迷いながらもうなずき、そっと隣に腰を下ろす。
「この葉っぱ、匂いが好きなんだ」
エルマは薬草を私の手にのせ、ちぎり方を教えてくれる。
「……よくできたね」
その優しい声に、私はほんのわずか、微笑みを返すことができた。
焚き火の薪がはぜる音、子供たちの足音、草を揺らす風のざわめき――
そのすべてが、私の中に静かな波紋をつくる。
――ひとりではなくても、いいのだろうか。
私はずっと、孤独の影に閉じ込められていた。
失われた家族も、戻らない過去も、その痛みさえも。
けれど、この焼け跡の村で誰かの声や手の温もりに触れるたび、心の奥がかすかに明るくなる。
「ねぇ、一緒に探そうよ!」
再びバルクが誘ってくれる。
私は一歩だけ踏み出した。
まだ言葉はうまく出ないけれど、その輪の端に、私の影が溶けていく。
芽を守るように座るミレアが、そっと隣をあけてくれた。
「……きれいだといいね」
私は小さくうなずく。
草の上に伸ばした指先が、小さな芽に触れた。
その瞬間、土の奥から淡い光が滲むように、指先へ温かさが流れこんだ。
壊れた家の隙間から、朝の光が差し込み始める。
土の匂いと焚き火の煙、皆の静かな声――
私は、この場所にほんの少しだけ『居場所』を得たような気がした。
壊れた家の隙間から、淡い朝の光が差し込み、芽の根元に小さな影をつくる。
風がふわりと草を揺らし、焚き火の煙が空へ昇る。
土の匂いと、かすかに残る焦げの気配――
それらが、胸の奥でそっと混ざり合い、静かな波紋を生んでいった。
――私は、この地で『ひとりきり』ではないのだろうか。
そんな思いが、まだ小さく頼りないかたちのまま胸の奥に芽生えてくる。
◇◇◇
人々の声が風に溶けていく。
ミレナが焚き火のそばで、子供たちにやさしく語りかけていた。
「昔、この村には立派な家があったのよ」
子供たちは、静かに耳を傾ける。
「家族も、友だちも、みんなが集まって、夜になると歌ったり、ご飯を分け合ったりして……」
私は語られる『昔』を想像した。
誰かの名を呼び、呼ばれ、寄り添い合う暮らし。
その情景の隅に、自分の居場所があったら――
そんな願いが、胸の奥でそっと膨らんでいく。
◇◇◇
バルクが草の上にしゃがみ、泥のついた手で芽を包み込んだ。
「俺、昔のことあんまり覚えてないけど……みんなで歌うの、好きだった」
ミレアも小さくうなずく。
「わたしも……お母さんの声、きれいだった」
私は黙って、二人のそばに座っていた。
名のない私の心が、少しずつ柔らかく溶けていく。
そのとき――
土の奥から、微かな振動が伝わってきた。
目を凝らすと、芽吹いたばかりの草の根元で、小さな光がゆらめいていた。
私はそっと指を伸ばす。
光は淡く脈動し、静寂の奥から語りかけてくるようだった。
――きみは、きみのままでいい。
土、風、光。
そのどれにも、精霊の気配が微かに宿っていた。
名もなき私を拒むことなく、ただ『ここに在る』ことを受け止めてくれている。
胸の奥が、じんわり満たされていく。
◇◇◇
ミレナがそっと近づき、私の肩に手を置く。
「あなたがここにいてくれるだけで、うれしいの」
やわらかな光を宿した瞳で私を見つめていた。
私は驚き、息をのむ。
「これからも、一緒にいてくれる?」
言葉が出ない。
けれど――私はゆっくりとうなずいた。
それだけで胸の奥に『居場所』という言葉が静かに芽生えていく。
土の上で芽吹く命。
隣で笑う子供たち、働く大人たち、草の下に眠る精霊たち。
私はそのすべてと、名もないままで結ばれていた。
◇◇◇
――私は、誰なのだろう。
そんな問いが、少女の胸の奥でそっと震えた。
名を持つ人々に囲まれ、互いに呼び合う声があふれる中、私はただ「お前」「君」「そこの子」と呼ばれる。
呼びかけが自分に向けられるたび、胸の奥がふるえた。
私は、『名もなき少女』
それは喪失の痛みであり、同時に『これから選ばれる可能性』だった。
私は創造主として、これまで何度も誰かへ名前を与え、名によって世界を繋げてきた。
けれどこの身体に宿ってからは、名を持たぬ不安が、ふいに胸へ染み込んでくる。
――それでも、いまは。
私は胸に手を当てた。
朝の光と土のぬくもり、風のやさしい歌声が重なる。
名もなきまま、世界とひとつになれる。
その事実が、静かな確信となって胸の底に降りてきた。
◇◇◇
ふと、壊れた家の隙間から光が流れ込む。
焚き火の煙が空へ昇り、土の匂いと混ざり合っていく。
私はそのすべてを、手のひらで受け止めるようにして眺めた。
ミレナの声が、かすかに届く。
「ねえ……この村、またきっと立て直せるよね」
子供たちが顔を上げる。
バルクが芽をそっと撫でながらうなずいた。
「うん。だって、ここ……もう生きてるよ」
私は、胸の奥で小さく息を吸う。
名もなく、帰る家もなく、居場所もなかった私が――
いま、この場所の息づかいと重なっている。
掌に残る微かなぬくもりは、まだ誰のものでもない。
けれど確かに、小さな光となって私の中に灯り続けていた。
――いつか、この手に名前と役割が宿る日が来るのだろうか。
そう思いながら、私はそっと目を閉じた。
土のぬくもり、草の揺れ、淡い光の粒、風の呼吸。
そのすべてが、名もなき私の胸の奥で静かに重なり合い、ひとつの波紋となって広がっていく。
まだ『名』はない。
けれど名を持たぬまま、この世界と調和していくことができる。
そう信じてみたいと、私は静かに祈った。
焼け跡の村に、新しい風がそっと流れはじめていた。
かつてここに村と呼ばれる営みがあったことを示すものは、いまや黒く崩れた梁や、炭となった木片ばかりだ。
土は煤にまみれ、風が吹けば灰がかすかに舞い上がる。
身を寄せられる場所は、多くない。倒れた石壁の陰や、誰かが即席で積んだ枝の下。そこだけが、風の冷たさをほんの少しだけ遮ってくれた。
私は膝を抱え、ひんやりとした地面の感触に身を預けながら、遠くで交わされる人々の気配に耳を澄ませていた。
焚き火の煙がゆるやかに空へ溶けていく。焦げた匂いとともに、わずかな温もりだけが周囲へ広がっていく。
あの焚き火のそばには、残った人々が集まり、炭になった木片や燃え残った枝を寄せ集めながら、控えめな食事の支度を進めていた。
けれど――私は、その輪にまだ入れない。
大人たちは黙々と火の番をし、別の人たちは土を撫でて植物の生え具合を確かめ、子供たちはかすかに残る草むらで静かに遊んでいる。
私は、その少し離れた場所で、ただ眺めていた。
草の葉には朝露が残り、倒れた梁の根元では小さな水滴が微かに光る。
指先でそっとなぞると、冷たいはずなのに、どこか柔らかい感触があった。
――世界は壊れたはずなのに、それでも『生まれようとしている』ものがある。
私は静かに息を吐き、土の奥に眠る命の気配を思い描いた。
失われたものは数えきれないほどあった。けれど、この瓦礫の中からでも、なお芽は伸び続ける。
◇◇◇
ふいに、背後から軽い足音が近づいてきた。
「おーい!」
振り返ると、カゴを肩にかけた少年が全身でこちらへ声を投げかけてきた。
「なにしてるの?」
私はとっさに言葉を返せず、視線を落とす。
少年は首をかしげ、すぐに屈託のない笑みを浮かべた。
「いま食べれる草、探してるんだ。一緒に探そ!」
私は小さく首を横に振った。
すると少し離れた場所から、細身の少女が不安げな声を上げる。
「バルク、そんなに騒ぐと危ないよ……!」
「……ごめん、ミレア」
その名前が、胸の奥にするりと落ちてくる。
――名前を呼ぶ響きは、こんなにも温かかっただろうか。
この少女は名を持たぬ身になって以来『呼ばれること』の感触がどれほど遠のいていたかを知る。
人の声が誰かの名を呼ぶたび、胸の奥で何かがわずかに揺れた。
それは、失ってしまったはずのぬくもりが、不意に触れてくるような感覚だった。
◇◇◇
焼け跡では、大人たちが黙々と手を動かしていた。
畑だった場所で土を耕す大柄な男。
焚き火の前で鍋を混ぜる丸顔の女性。
薬草を選別する眼鏡の女性。
私はまだ彼らの名を知らない。
けれど時折、「ゴドー」「ミレナ」「エルマ」と互いに呼び合う声が聞こえる。
その一つ一つが、胸の奥にゆっくり滲んでいった。
「寒くない?」
焚き火のそばで働いていた丸顔のミレナが、こちらへ声をかけに来た。
私は小さくうなずく。
ミレナは布で包んだ木の器をそっと差し出してくれた。
「食べられる?」
私はふたたびうなずき、慎重に器を受け取る。
湯気が立ちのぼり、手のひらに熱がじんわり広がった。
――ありがとう。
声にはならなかったが、胸の奥が静かにあたたまっていく。
けれど、それでも私は食事の輪には入れなかった。
人々が焚き火のそばで小さく話しながら食事を進める間、私は少し離れ、静かに器を口に運んでいた。
遠くでバルクがカゴを振る。
「今日はいっぱいだ!」
「芽を踏まないでね……」
ミレアの注意する声が柔らかく響く。
そのやりとりを眺めているだけで、胸の奥に小さな灯がともる気がした。
◇◇◇
食事が終わるころ、皆はまたそれぞれの作業へ戻っていく。
崩れた壁の影で草を摘む眼鏡のエルマが、ふとこちらを見て言った。
「……これ、手伝ってくれる?」
私は迷いながらもうなずき、そっと隣に腰を下ろす。
「この葉っぱ、匂いが好きなんだ」
エルマは薬草を私の手にのせ、ちぎり方を教えてくれる。
「……よくできたね」
その優しい声に、私はほんのわずか、微笑みを返すことができた。
焚き火の薪がはぜる音、子供たちの足音、草を揺らす風のざわめき――
そのすべてが、私の中に静かな波紋をつくる。
――ひとりではなくても、いいのだろうか。
私はずっと、孤独の影に閉じ込められていた。
失われた家族も、戻らない過去も、その痛みさえも。
けれど、この焼け跡の村で誰かの声や手の温もりに触れるたび、心の奥がかすかに明るくなる。
「ねぇ、一緒に探そうよ!」
再びバルクが誘ってくれる。
私は一歩だけ踏み出した。
まだ言葉はうまく出ないけれど、その輪の端に、私の影が溶けていく。
芽を守るように座るミレアが、そっと隣をあけてくれた。
「……きれいだといいね」
私は小さくうなずく。
草の上に伸ばした指先が、小さな芽に触れた。
その瞬間、土の奥から淡い光が滲むように、指先へ温かさが流れこんだ。
壊れた家の隙間から、朝の光が差し込み始める。
土の匂いと焚き火の煙、皆の静かな声――
私は、この場所にほんの少しだけ『居場所』を得たような気がした。
壊れた家の隙間から、淡い朝の光が差し込み、芽の根元に小さな影をつくる。
風がふわりと草を揺らし、焚き火の煙が空へ昇る。
土の匂いと、かすかに残る焦げの気配――
それらが、胸の奥でそっと混ざり合い、静かな波紋を生んでいった。
――私は、この地で『ひとりきり』ではないのだろうか。
そんな思いが、まだ小さく頼りないかたちのまま胸の奥に芽生えてくる。
◇◇◇
人々の声が風に溶けていく。
ミレナが焚き火のそばで、子供たちにやさしく語りかけていた。
「昔、この村には立派な家があったのよ」
子供たちは、静かに耳を傾ける。
「家族も、友だちも、みんなが集まって、夜になると歌ったり、ご飯を分け合ったりして……」
私は語られる『昔』を想像した。
誰かの名を呼び、呼ばれ、寄り添い合う暮らし。
その情景の隅に、自分の居場所があったら――
そんな願いが、胸の奥でそっと膨らんでいく。
◇◇◇
バルクが草の上にしゃがみ、泥のついた手で芽を包み込んだ。
「俺、昔のことあんまり覚えてないけど……みんなで歌うの、好きだった」
ミレアも小さくうなずく。
「わたしも……お母さんの声、きれいだった」
私は黙って、二人のそばに座っていた。
名のない私の心が、少しずつ柔らかく溶けていく。
そのとき――
土の奥から、微かな振動が伝わってきた。
目を凝らすと、芽吹いたばかりの草の根元で、小さな光がゆらめいていた。
私はそっと指を伸ばす。
光は淡く脈動し、静寂の奥から語りかけてくるようだった。
――きみは、きみのままでいい。
土、風、光。
そのどれにも、精霊の気配が微かに宿っていた。
名もなき私を拒むことなく、ただ『ここに在る』ことを受け止めてくれている。
胸の奥が、じんわり満たされていく。
◇◇◇
ミレナがそっと近づき、私の肩に手を置く。
「あなたがここにいてくれるだけで、うれしいの」
やわらかな光を宿した瞳で私を見つめていた。
私は驚き、息をのむ。
「これからも、一緒にいてくれる?」
言葉が出ない。
けれど――私はゆっくりとうなずいた。
それだけで胸の奥に『居場所』という言葉が静かに芽生えていく。
土の上で芽吹く命。
隣で笑う子供たち、働く大人たち、草の下に眠る精霊たち。
私はそのすべてと、名もないままで結ばれていた。
◇◇◇
――私は、誰なのだろう。
そんな問いが、少女の胸の奥でそっと震えた。
名を持つ人々に囲まれ、互いに呼び合う声があふれる中、私はただ「お前」「君」「そこの子」と呼ばれる。
呼びかけが自分に向けられるたび、胸の奥がふるえた。
私は、『名もなき少女』
それは喪失の痛みであり、同時に『これから選ばれる可能性』だった。
私は創造主として、これまで何度も誰かへ名前を与え、名によって世界を繋げてきた。
けれどこの身体に宿ってからは、名を持たぬ不安が、ふいに胸へ染み込んでくる。
――それでも、いまは。
私は胸に手を当てた。
朝の光と土のぬくもり、風のやさしい歌声が重なる。
名もなきまま、世界とひとつになれる。
その事実が、静かな確信となって胸の底に降りてきた。
◇◇◇
ふと、壊れた家の隙間から光が流れ込む。
焚き火の煙が空へ昇り、土の匂いと混ざり合っていく。
私はそのすべてを、手のひらで受け止めるようにして眺めた。
ミレナの声が、かすかに届く。
「ねえ……この村、またきっと立て直せるよね」
子供たちが顔を上げる。
バルクが芽をそっと撫でながらうなずいた。
「うん。だって、ここ……もう生きてるよ」
私は、胸の奥で小さく息を吸う。
名もなく、帰る家もなく、居場所もなかった私が――
いま、この場所の息づかいと重なっている。
掌に残る微かなぬくもりは、まだ誰のものでもない。
けれど確かに、小さな光となって私の中に灯り続けていた。
――いつか、この手に名前と役割が宿る日が来るのだろうか。
そう思いながら、私はそっと目を閉じた。
土のぬくもり、草の揺れ、淡い光の粒、風の呼吸。
そのすべてが、名もなき私の胸の奥で静かに重なり合い、ひとつの波紋となって広がっていく。
まだ『名』はない。
けれど名を持たぬまま、この世界と調和していくことができる。
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