旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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繁栄時代:統一王国ファルゲリア・改革の庶子伝説

【統一王国ファルゲリア・改革の庶子伝説】 第十話:「同志と裏切り・前半」

 夕暮れの王都は、朝とは違う色を纏っていた。

 陽が傾き、塔の影が長く伸びる。王宮の高い窓から外を見下ろすと、石畳の通りを行き交う人々の列が、ゆっくりと流れる川のように見えた。

 広場での出来事から、まだそう時間は経っていない。

 それでも、城の中はいつも通りの静けさを保っていた。文官たちは帳面を抱え、侍女たちは灯を用意し、廊下には決められた足音だけが響いている。

 俺は、執務室の卓上に広げられた報告書に目を落としていた。

 広場での『代表三名』のことが、すでに簡潔な文にまとめられている。

『暴徒化の兆しありしも、都市警備隊の適切な対処により流血は回避。代表三名を聴取のため召喚』

 淡々とした記録だった。

 そこに、握りしめられた拳や、落とされた棒の音や、祈り布に触れた手の温度が記されることはない。

 指先で紙の端をなぞる。

「……あの場にいた者の誰ひとりとして、自分を『暴徒』とは呼ばないだろうに」

 思わず漏れた独り言に、部屋の隅に控えていた従者がわずかに肩を揺らした。

 戸口が小さく叩かれる。

 許可を出すと、扉の向こうから軽い足音が近づいてきた。

「失礼いたします、アルス様」

 現れたのは、ラディスだった。

 癖のある金髪をいつものように撫でつけ、狐めいた目に穏やかな笑みを浮かべている。

「広場から戻られたばかりでお疲れのところ、申し訳ありません。少し、お時間を頂けますか」

「……もう少し『お疲れ』を味わっていたい気分だが、聞こう」

 椅子から身を起こすと、ラディスは肩をすくめた。

「時代は、疲れている者を待ってはくれませんので。実は、今夜ひとつ、ささやかな集まりがありましてね」

「集まり?」

「改革に関心を持つ方々の、非公式な顔合わせです。私と同じ新興貴族、商人、職人ギルドの代表……名目上は『情報交換会』ですが、今後の動き次第では、アルス様の窓を支える柱にもなり得る面々です」

 ラディスはさらりと言った。

 広場の光景が、胸の奥で揺れる。

「……今日の広場を見てから、その集まりを持ち出すのは、なかなかいい性格だな」

「褒め言葉と受け取っておきますよ」

 ラディスは笑い、少しだけ真顔に戻る。

「民衆の叫びは、確かに重い。ですが、それを受け止める枠組みを用意しなければ、いずれ別の形で噴き出します。上と下の間に、新しい『橋』が必要だと、私は考えています」

 その言い方は、どこまでも理性的だった。

 感情に溺れることも、切り捨てることもなく、天秤に載せるような調子。

「場所は?」

「城下の、とある館です。王宮からそう遠くはありません」

「……分かった。行こう」

「では、目立たぬよう服装は先日の路地歩きに準じて。護衛は少数で」

 ラディスは柔らかな笑みを残して、部屋を出ていった。

 窓の外では、夕陽がゆっくりと山の端へ沈みかけている。

 私は、その光が王宮の石壁を染める様子と、城下の家々の屋根を撫でる様子を見比べていた。

 同じ光のはずなのに、その届き方は、場所によってあまりにも違っていた。

◇◇◇

 日が沈みきるころ、俺は従者と護衛数人と共に王宮を出た。

 夜の王都は、昼の喧噪とは別の気配を纏っている。

 ところどころに灯された街灯と、店先から漏れる灯りが、細い路地をかろうじて浮かび上がらせていた。遠くでは酒場の笑い声が混じり合い、どこからか楽器の音がこぼれてくる。

 だが、その明るさの裏側には、見えない影が幾つも重なっていた。

 路地の奥、物陰から物陰へと移動する気配。噂をやり取りする小声。誰かを待つ足音。

 従者が、歩きながらふと口を開く。

「王都の夜は、シャドウウルフの巣と似ていますね」

「シャドウウルフか」

「ええ。光の届かぬ路地を好み、人の出入りをじっと見ている。牙を剥くのは、獲物が弱ったときだけですが……いつからそこにいたのか、誰もはっきりとは覚えていない」

 従者の言葉に、俺は路地の暗がりへと視線を向ける。

 もちろん、本物の魔物が潜んでいるわけではない。

 それでも、人の思惑というものは、ああした影とよく似ている、と感じることがあった。

「今夜の集まりに来る者たちが、シャドウウルフ側ではないことを祈るべきか」

「少なくとも、牙を隠しているかどうかは、見極める必要がありますね」

 従者は軽く笑った。

◇◇◇

 たどり着いたのは、王都でも比較的新しい区画に建てられた、三階建ての館だった。

 石と木を組み合わせた外壁は余計な装飾を避け、窓には厚手の布が下ろされている。表向きは商人の集会所として使われている建物だと、従者が説明した。

 入口近くには、簡素な服装の見張りが一人、壁にもたれて立っていた。腰には刃の短い剣。視線は鋭いが、こちらを見ても特に動揺は見せない。

 俺が合図を送ると、彼は黙って扉を開けた。

 館の中は、外の喧噪から切り離されたように静かだった。

 廊下を進み、二階の奥まった部屋へ入ると、すでに数人の影が集まっているのが見えた。

 卓の上には、簡素な茶器と軽い酒肴が並べられている。壁には王都の地図と、その周辺の村々を記した紙が重ねて貼られていた。

 ラディスとユーリが、窓際の椅子から立ち上がる。

「お待ちしていました、アルス様」

 中性的な顔立ちに、いつもの柔らかな笑みを浮かべている。手には帳面が一冊、指の間には細い羽根ペン。

「今日は、少し賑やかですよ。時代は、動く者のためにある……と申し上げたでしょう」

 ユーリの言葉に、部屋の中の面々が順にこちらへ視線を向ける。

 上質ではあるが、紋章を目立たぬよう抑えた服を着た若い男。指先にインクの染みが残る、書記官風の男。質素だが肩回りのしっかりした服装の女は、職人ギルドの代表かもしれない。

 誰も正式な名乗りはしない。

 ただ、互いの視線と、握手ひとつで『ここにいる理由』を共有しているようだった。

 ラディスが部屋の中央へ進み出る。

「お集まりいただき、感謝します。ご存じの通り、王都とその周辺では、今、様々なひずみが表に出はじめています。税、兵、土地、商い……いずれも切り離せない問題です」

 彼の声は落ち着いていた。

「上からの改革を待っているだけでは、間に合わない。かといって、下からの叫びに任せていては、ただの混乱になります。その中間で、橋を架けようとする者たちが必要です」

 ユーリが、頷きながら言葉を継いだ。

「ここにいるのは、皆さんそれぞれの場所で『もう少し何とかなるはずだ』と感じている方々です。利のためでもあり、同時に、生き延びるためでもある」

 ユーリはそう言って、視線を俺のほうへ向ける。

「そして、アルス様。あなたは王宮の中から、この橋を支えることができる数少ないお一人です」

 部屋の空気が、わずかに重くなった。

 期待だけではなく、不安や打算や、ささやかな恐れが混じった重さだ。

 俺は、一人ひとりの顔を見渡した。

 この街で生きるために、目の前の利害を計算している者たち。民衆の叫びを聞きながらも、そこから半歩引いた場所で考えざるを得ない者たち。

「……ここにいる全員が、同じ『旗』を見ているわけではないだろう」

 正直な感想が、口から零れる。

 ラディスが口角を上げた。

「ええ。その通りです。だからこそ、こうして顔を合わせているのです。同じ方向を見ているふりをして、それぞれ別のものを見ている同志もいるでしょう」

 その言葉に、かすかな笑いが漏れた。

 笑い声の中に、安堵と緊張が同居している。

 私は、その笑いがどこから生まれ、どこで途切れていくのかを見ていた。

◇◇◇

 話題は、具体的な案件へと移っていった。

 市場税の段階的な見直し案。兵の再配置に伴う補填策。辺境の村々への穀物輸送の優先順位。

 卓上に広げられた地図の上を、指先が行き交う。

「この路線を使えば、市場へ出す穀物の量は維持できます。ただ、貴族の専用倉庫の扱いを少し調整する必要がありますが」

 書記官風の男が、慎重な口調で提案する。

「倉庫の持ち主が誰かにもよりますね。ザガン侯の領にある倉庫に手をつけるとなると、話は少々ややこしくなります」

 ユーリがさらりと言う。

 ラディスは、その会話を聞きながら、杯の中身を一口だけ口に含んだ。

「ザガン侯とて、利になる話なら全てを拒むわけではないでしょう。問題は、どこまで『利』と見なされるかです」

 その言い回しは、どこか含みを持っていた。

 部屋の隅で、数人がひそひそと声を交わしている。

 そこには、名を告げなかった若い貴族と、商人風の男がいた。彼らの足元には、封をされたままの小さな箱が置かれている。

 その姿は、部屋の中央で交わされている『堂々とした改革』の話とは、少し違う影を帯びていた。

「……あれは?」

 俺が目線だけで問うと、ユーリがわずかに肩をすくめる。

「寄付ですよ。表向きは。新しい政策が決まったとき、どちらに転んでも困らないように、先に『誠意』を見せておきたい方々は多いのです」

「どちらに転んでも、か」

「ええ。デスカブトをご存じですか?」

 突然の魔物の名に、俺はユーリを見た。

「腐った木の中に巣を作る甲虫だろう」

「そうです。外から見れば、まだ立派な木。でも中では、少しずつ食われている。今日あの箱に詰める金貨は、明日の腐敗の巣になるかもしれない」

 ユーリの声は、笑っているようで笑っていなかった。

 ラディスが、ちらりとこちらを見た。

「腐った木でも、上手く使えば薪にはなります。問題は、その木を『家の柱』に使ってしまう者がいることです」

 その言葉は、軽口の形をしていたが、重さを帯びていた。

 部屋の片隅から、別の声が聞こえてきた。

「ザガン侯の側にも顔を出しておけば、どちらが勝っても損はしない。そう考えるのは、商人としては当然のことだ」

 商人風の男の呟きに、若い貴族が曖昧に笑う。

「勝ち負けの話ではないはずだが」

 思わず口にすると、ラディスが視線を向けてきた。

「アルス様。勝ち負けではない、と言えるのは、今のところあなただけかもしれませんよ」

 その声に、部屋の空気がわずかに揺れた。

 俺は、言葉を飲み込む。

 広場での叫びが、耳の奥で蘇る。

『贅沢がしたいわけじゃねえんだ』

 あの言葉を口にした男は、今ここにはいない。

 代わりに、帳面と地図と金貨の箱が、この部屋の中心を占めている。

 私は、その距離を測っていた。

 広場と、この密談の部屋とのあいだに横たわる目に見えない溝が、どれほど深く、どれほど静かに広がっているのかを。

◇◇◇

 やがて、話し合いは一段落した。

 今夜ここで決まることは少ない。

 それでも、誰がどこに座り、誰と目を合わせ、誰と目を合わせなかったか。その全てが、これからの形を左右する種になる。

 ラディスは、集まった者たちに向き直った。

「本日は、あくまで顔合わせです。皆さまそれぞれの立場で、持ち帰っていただくことが多いでしょう。ただ一つだけ、私からお願いがあるとすれば――」

 彼は、卓上の小さな灯を見つめた。

「この場で交わした話を、『あったことそのものを、無かったことにする』だけは、しないでいただきたい。どの選択を取るにしても、今日ここで見た顔ぶれと、交わした言葉の重さは、どうか覚えておいてください」

 それは、裏切りを咎める言葉ではなかった。

 むしろ、裏切りさえも選択肢の一つとして認めたうえで、その重さを忘れるな、と告げるような口調だった。

 部屋の隅の箱に、影が落ちる。

 誰かが、その影の中で静かに笑った。

 俺は、自分の指先に意識を向けた。

 拳を握りしめることも、卓を叩くこともせず、ただそこに置いておく。

 今、この場で声を荒げることはできる。

 しかし、その言葉がどこまで届くのか、どこで途切れてしまうのか、俺にはまだ見えなかった。

 私は、広場で生まれた叫びの余韻と、この部屋に満ちる静かな笑い声とが、どこかで交わるのかどうかを見つめていた。

 灯りの揺らぎが、壁に映る影の形を少しずつ変えていく。

 その中に、シャドウウルフの輪郭にも似た何かが、一瞬だけ浮かんでは消えた。

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