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「取り敢えず、ここなら安全だから」
そう言って頭を撫でられて、そこで初めてここに至るまでずっと自分達が手を繋いだままだったことに気がついた。慌てて繋がれた手を乱暴に振ってダグラスの手を振り払う。てっきりていこうされるものとばかりおもっていたのに意外な事に少し残念そうな顔と共に、ダグラスは大人しく手を離した。
ここはダグラスの住居であり実家でもある、エルシャーナ大公邸の一室だ。あの後僕の家の前に停めてあったエルシャーナ家の家紋のついた馬車にダグラスと一緒に乗せられ、手を引かれるがままついて行っていたらあれよあれよという間にここまで来ていた。ここは誰かの私室だろうか? 客間と言うには少々置いてある家具がシンプルでものが少ない感じがする。客間ならもう少し没個性で持て成しの為の品々が置いてあるだろう。勿論だからと言って貧相な内装だというわけではなく、大公家として恥ずかしくないだけの高級感はあるのだけれど。……あ。シンプルなこの部屋に似合わないあの猫の置物、ちょっと前にダグラスと一緒に行った蚤の市で、僕が奴に似てるからって買って贈ったのだ。あれが置いてあるという事は、ここはダグラスの部屋か。
「取り敢えず座って、トーリ君。何か飲む? 暖かいものがいいかな、飲むと落ち着くから」
「結構だ。ここに長居するつもりはない」
「そういう訳にはいかない。あんな不審な手紙を見せられた以上、あの家に君を帰らせる訳には行かなくなった」
「そんな事言って、このまま僕をここに囲い込むつもりか? ダグラス。お前、何様のつもりだ?」
「……それでトーリ君の安全が確保されるなら、私はなんだってする覚悟だよ」
真剣な表情のダグラスを見て、僕はチッと低く舌打ちした。その顔を見ただけで、ダグラスが一歩も譲歩する気がない事を察したからだ。なんだかんだ言って、頑固な奴なんだよな。なんせ十年以上殆ど接触のない僕の事を好きでいたくらいである。虎視眈々と長い目で見て獲物を狙う、蛇みたいに執念深い男なのだ。こいつが僕を逃がさないと決めたのなら、そう思い続けている限り僕はここから逃れられないだろう。大きく息を吐いて、窓際の読書用らしきスペースにあった椅子に座る。意地を張って立ちんぼしても無駄だと察したのだ。そんな僕の事を、ダグラスは気遣わしげな表情をして見ていた。
コンコン
部屋の扉をノックする音が聞こえる。するとダグラスは自らそちらに足を向け扉に近寄りながら声をかけた。
「入ってくれ」
「失礼します」
侍女の制服を着た女性が扉を開け、その後ろからもう一人歳若い女性の姿が現れる。僕はその姿を見て、思わず体がギシリと音が立ちそうな程強ばるのを感じた。
「やあ、シンシア。来てくれたか」
「当然よ。出て行ったと思ったら直ぐに帰って来て呼び出すなんて、何かあったんでしょう? 最近助けられてばかりだし、なんでも協力するわよ」
ダグラス越しに、僕はその女性を見つめる。スラリと伸びた美しい肢体。利発そうで光に満ちた桃花眼。そして何より印象的な、栗色のウェーブのかかった長髪。そう。ダグラスの幼馴染で最近エルシャーナ大公邸に泊まり込んでいる、大本命と目されているシンシア王女、その人だった。
絵になる美男美女のダグラスとシンシア王女の二人を呆然と見ている僕の前で、ダグラスは人払いして侍女を部屋の外に出し、念入りに部屋の内鍵をかけてからシンシア王女と一緒に僕の方に戻ってきた。そして、シンシア王女は僕の向かいの椅子に、ダグラスは僕の隣に腰を下ろす。正直ダグラスに近くに来られるのはいささか業腹だったが、正面にこられて向かい合うのもそれはそれで嫌だったので我慢しよう。ダグラス達が席に着いてから、暫し気まずい沈黙が流れる。それを遮ったのは、ダグラスの咳払いだった。
「あー、取り敢えず……。これでようやく落ち着いて話ができるね?」
「……僕はお前と話す気はないし、話す事もない」
「トーリ君……」
止めろ。そんな悲しそうな顔でこっちを見るな。悪いのはそっちなのに、罪悪感で胸が締め付けられる。僕は腕を組んでツンッとダグラスが居るのとは反対方向を向いた。視線の先には窓がある。そこには空が見え、静かに光る月の姿があった。破綻し切った僕達の関係性には関わりなく、月は以前と同じ美しさだ。その事ですら、今は無性に腹立たしかった。
「えっと……。私、若しかしてお邪魔かしら? 一度二人でジックリ話し合う時間を設けてから、また訪ねてきた方が良さそう?」
「いや、シンシア。君はここに居てくれ。私とトーリ君だけだと、多分余計に拗れる」
「そう? ならここに居るけど……」
お互いを尊重しあい、落ち着いて話をする。たったそれだけの事。今まではできていて、そして今は僕が意固地になっているせいでダグラスとできなくなっているその事を、ダグラスとシンシア王女が目の前でしている。その事にすら腹が立って仕方がない。僕が頑なな態度をとっているのが悪いのに、それなのに……。どんどん自分が嫌いになっていく。苛立ちが限界に達し、思わずその嫌味が口から飛び出したのは無意識だった。
「随分仲のよろしい事で。流石未来の夫婦は違うな」
「へ? 夫婦?」
「トーリ君、だからそれは誤解だってば」
「誤解? 何が誤解だって言うんだ!」
思わず逸らしていた顔をダグラスの方に向ける。組んでいた腕を解き、ダグラスの肩を掴む。ギリッと音がたちそうな程強く握ったのに、ダグラスは痛がる素振りも見せない。その顔に浮かぶのは僕を心配する表情ばかり。その事にまた腹が立ち、僕は怒りのままに叫んだ。
「お前だって見ただろう、あの封筒の中身を! 他国の王女と好い仲になったって示す証拠がわんさかだ! お前の母親にも、お前と王女がただならぬ関係で、もう結婚間近だって聞いた! 始まりは友達の関係でもいずれは僕と恋人になって、行く行くは結婚したいって、そう言ってくれたのに……。なのに……! お前なんて大っ嫌いだ!」
「トーリ君……」
「離せ! 僕に近寄るな!」
ダグラスの手がこちらに伸びてきて、優しく、しかし有無を言わさぬ強さで僕を抱き締める。最初は激しく暴れて抵抗していた僕だったが、逞しいダグラスにはヒョロガリの僕なんて到底敵わない。暴れる余地もないくらい密着して抱き締められ、とうとう観念するしかなかった。
頬にダグラスの厚い胸板が当たる。ドクドクと鳴る鼓動が近くで聞こえた。何だか熱くて濡れている。ダグラスに宥めるように背中を撫でられ、そこでようやく僕は自分が泣いている事に気がついた。
「トーリ君、落ち着いて。不安にさせてごめん。でも、本当に誤解なんだ。私が愛しているのは、後にも先にも君だけだよ」
「……グスッ。五月蝿い……。あんな事を見たり聞いたりした後で、どうやって信じろってんだ。……こんな事なら、お前の事なんか好きになるんじゃなかった……」
「そんな悲しい事言わないで、愛しい人」
ダグラスが赤ん坊をあやすみたいに、体をゆっくり揺らして僕の背中を優しく叩く。涙が止まらない。ただ、僕はもう暴れなかった。酷い裏切り者だと分かっていても、ダグラスの体に寄り添うのを止められない。どんなに酷い事をされたとしても、僕はこいつの事が好きなのだ。愛する相手の優しい抱擁を振り解ける程、今の僕は強くはない。さめざめと泣く僕をダグラスが抱き締めて、どれ程経った事だろう。少し落ち着いてくると、ダグラスは僕を抱き締めたまま静かに話を始めた。
「……疑問点とか引っかかるところがあったら、遠慮なく聞いてね。ここまで来て変な蟠り残したくないから。先ずあの封筒の中身だけど、虚実入り交じったものだ。確かに新聞記事や雑誌記事は実際に刊行されたものだ。私も報告に上がってくるから見た事がある。だからと言ってそこに書かれている事が事実とは言い難いがね。あそこに書いてある事は大概大外れの憶測で嘘っぱちだと思ってくれていい」
「……証拠は?」
「他国の人間と逢い引きしてる暇があったら君に会いに行ってたのはご存知の通りだし、子供時代の事は一応昔の警護記録とか見てもらえば行動記録がつけてあって大体何してたか分かるだろうから、それ見る? 本当に何も特別な事してないからね。シンシアのお爺様が昔気質でそこら辺厳しくて、異性の私は彼女と二人切りになった事すらないよ。そもそもこうして人払いでもしない限りお付きの人間が付いて回る立場だし、子供のうちは粗相がないようにお付の人間は離れないよ。ていうか、君もそこそこ有名人だからマスコミにある事ない事書かれたりした経験あるでしょう? あれ、そういう類のカストリ雑誌と三文新聞だから。真に受けない方がいいよ」
「……領収書の控えはどう説明する。彼女への贈り物を買いまくってたんじゃないのか」
「あれなら全部偽物だよ。そもそも、店側で保管する筈の物があんなにいくつもの店から一気に流出する筈がない。王室関係者が使う程の管理のシッカリした高級店なら尚更だ。どういう目的でかは分からないが、悪意ある誰かが捏造したんだろうね。サインも似せてるけど私のものじゃないよ。ていうか、全部別々の店で買ってる筈なのに品代とか金額とか、店員が書くであろう所の筆跡がよく見ると全部同じ筆跡なんだよね。多分私のサインを捏造する事にばっかり気を取られて、そこまで気が回らなかったんだろう。かなり杜撰な仕事だ。プロじゃない。君も普段なら気がつくだろうけど、私が浮気してると思って動揺してたから、見逃しちゃったんだね。貴人のサインを捏造するのは重罪だ。犯人にはそれなりの罰を受けてもらうよ。……ていうか、流石にプライベートでの人への贈り物で領収書は切らないかな。相手に私を意識して欲しいなら、尚更。そういうのは自分のポケットマネーから出すよ。君も知ってるでしょう?」
確かに、二人で遊びに行った先で買い物をした時にダグラスから贈り物をされた事はあるが、領収書は発行してもらっていなかったな。食べ物を貰う時も、ちょっとした小物を贈ってくる時も、懐から出した財布から金を出して品物を受け取ってそれではい、終了、だった。そもそもダグラスは個人的に運用している資産だけでも相当なもののようだし、一々エルシャーナ大公家づけで領収書を切らなくてはならない程困窮はしていないのだろう。サインもどさくさに紛れてダグラスが持ってきていた問題の封筒の中身を見せてもらえば、確かに店員が書く箇所の筆跡がどれも似ている。ダグラスのサインは……そもそも偽物かどうか判別できる程、僕は今までジックリとダグラスの文字を見た事がなかった。雑誌記事や新聞記事の事も、まあ納得できる。
「でも、お前の家にシンシア王女が泊まってる。前に国を訪れた時だってコソコソ会ってた」
「あー、それは……」
「私から説明するわ」
「シンシア、でも」
「言わせて頂戴。このまま私のせいで二人が喧嘩別れなんて事になったら、酷すぎるもの」
横合いから凛とした声がかかり、そちらを向く。シンシア王女がその大きく円らな目で、僕の事を見ていた。流石にこのままでは体裁が悪いので一旦ダグラスから離れようとするが、僕を抱き締める腕が緩まない。少しモゾモゾ動いたが一向にどうにもならないので、結局諦めてそのまま話を聞く事にした。
「うーん、何から話すべきかしら……。バークレーさんは私とダグラスの関係を、どんな風に思っていらっしゃるの? あ、ついでにあなたの思う今の自分の現状も教えて頂きたいわ」
「……シンシア王女がダグラスの初恋の相手で、ダグラスはシンシア王女を忘れようと僕に手を出したけど、ひょんな事から焼けぼっくいに火がついて今では二人は結婚秒読み。僕は二号としてキープされそう」
「……因みに、そう思う根拠は何か聞いてもいいかな?」
「お前の母親の話」
「……あの糞ババア……」
今まで僕の前では何があってもお上品な喋り方を崩さなかったダグラスが、初めて汚い言葉を使ったのでギョッとする。顔を上げてどんな表情をしているのか見ようとしたが、残念ながらフカフカの胸筋に頭を押し込まれてしまって上は見られなかった。横目に見たシンシア王女の方も、情報源がダグラスの母親だと聞いて頭痛を抑えるかのように額に手を当てている。
「バークレーさん……。それは事実と違うわ。全く違う」
「でも、あなたとダグラスは文通をしたり、実際に会ったりしてたらしいし、あなたも家出先としてエルシャーナ大公家を選んでるじゃありませんか」
「確かにダグラスとは最近頻繁に文通をしていたわ。でも、それは彼に相談事があったから。こうしてこの国に来る前で実際に会ったのは、子供時代を除けば私の祖国であなたが見かけたあの一回切りだけ。家出先にエルシャーナ大公家を選んだのは……。相談に乗ってくれているダグラスの近くに居た方が、家出をした問題の根本的解決に繋がると思ったからよ」
「そこにまたぞろうちの母上が独自解釈の糞ブレンドでタップリアレンジしたんだろうね……。そろそろくたば……寿命が縮めばいいのに」
「おば様、夢見がちで想像と現実をごっちゃにするところがあるものね……。頭の中で捏ねあげた夢物語を、真実と思い込んでしまうというか……」
「夢見がちなんて可愛い言葉で誤魔化すな。あれは立派な公害だ。現にこうしてトーリ君が被害にあっている。母上は自分の立場を分かっていなさ過ぎる。こうなると嫌だから話さなかったのに、どこから情報を得たのやら……。大公夫人に有るまじき浅慮と口の軽さ、そろそろ舌を引っこ抜いた方がいい」
「それは概ね私も同意だわ……」
この国で王妃殿下の次に高貴な身の上と言っても過言ではない女性相手に二人とも物凄いいい言いようだ。その言葉の端々に苦労と苦々しさが滲む。シンシア王女の事はよく知らないが、あの温厚で人のいいダグラスがここまで言うとは相当だ。余程母親の事で今までに嫌な思いをしてきたのだろうか……。
「でも、相談事なら態々疎遠になってる幼馴染じゃなくても、自国にもっと適任の相手が居るんじゃありませんか? そこでいきなり一足飛びにダグラスに相談する理由がありません」
「あー、それは……」
「バークレーさん、鋭いわね。いいわ、もうここまで来たら全部素直に話しちゃいましょう」
「……いいのか、シンシア?」
「構わないわ。ていうか、私は最初から彼に話したかったのよ? バークレーさんを巻き込みたくないと言って、それを邪魔してたのはあなたじゃない」
シンシア王女が胸に手を当て、目を閉じて大きく深呼吸をする。覚悟を決めるかのように小さく一度頷くと、彼女は目を開けて僕の方を見た。その目には、確かに揺るぎない意志の炎が宿っている。
「バークレーさん。私ね……女の人が好きなの。同性愛者よ」
「……へ?」
「女性の恋人も居るわ。私の侍女をしてくれていた同い年の子で、マリーって言うの。……破局寸前だけどね。私はマリーと一生添いとげるつもりだったんだけど、彼女は違ったみたい。私の事は心から愛してるけど、二人の身分は違うし、立場上私は子供を残さなくちゃいけないし、考えの古いお爺様の影響で家族もみーんな古い価値観の人ばっかり。だから彼女は、悲しいけどいずれ別れるつもりだったんですって。それで、彼女と一生一緒に居たい私と意見の相違で擦れ違って……。本当に酷い喧嘩をしたわ」
「それは……」
「でも私、どうしてもマリーの事が諦められなかった。だって本当に愛してるんですもの。諦められるわけないじゃない。身分は違っても王女の私の侍女になるくらいだから、マリーだって一応貴族の娘だわ。天と地程に身分差があるわけじゃない。高位貴族の養女になれば、その差も埋まる。子供も、私は上にお兄様が居るから無理に授かろうとしなくても大丈夫なのよ? お爺様達の事だって、マリーと一緒になる為ならいくらだって説得できる。ただ、マリーは私達の間に子供を授かれないのを本当に気にしていて……。彼女は早くにご家族を亡くして幼い頃はご親戚の家を盥回しにされたから、本音では子供が欲しかったみたい。でも、私の事も愛していて、諦められない。彼女、本当に苦しんでいたわ」
「……」
とても切なそうなシンシア王女の表情に、僕は彼女の恋人であるマリーさんに思いを馳せた。僕も、家族に恵まれず家族が欲しくて苦しんだ。でも、僕は家族になってさえくれれば後はもう誰でもいいという適当な気分で相手を探していた。その頃はまだ、ダグラスに会っていなかったから。でも、もし先にダグラスに会っていて、彼を愛しながらも家族を、子供を欲しいと願ってしまっていたら? 家族を作りたい、愛する人との子供が欲しい。たったそれだけの願いが叶えられなかったら、僕だってどれ程苦しんだ事だろう。
「でも、そんな時にとても素晴らしいニュースが飛び込んできたの。バークレーさん。あなたの発明についてのニュースよ! 男でも妊娠できる魔法を発明されたんでしょう? 私ね、それなら逆に、女が妊娠させる魔法も発明できるんじゃないかなって思ったの! それさえあれば、私とマリーの所にも、可愛い赤ちゃんが来てくれるわ! そう思ったら居てもたってもいられなくて、早速あなたに連絡を取ろうとしたの」
「まさか、ダグラスに手紙を送ったのは」
「ええ。ダグラスが名誉顧問をしている国立魔法研究所にバークレーさんが所属してるって聞いたから、繋いでくれるように彼に頼んだわ。それなのに、ダグラスってば酷いのよ! もう少し君達二人で話し合ってからでも遅くないって言って、全然あなたに繋いでくれないんだもの!」
「仕方ないだろ。シンシアが子供を授かれるかもしれない喜びで舞い上がってて、マリーさんと全く話し合わないまま子供を作りかねない勢いだったんだから。子供を作るなんて事、相手や子供の人生もかかってくるんだから慎重に慎重を重ねてから行うべきだ。それに、一国の王女が同性愛者だって情報、おいそれと部外者に話せないだろう」
「あら、私は別に構わないわよ」
「シンシアが構わなくても、知ってしまったトーリ君に何か嫌な外力が加わりかねないから嫌なんだ。私だってトーリ君との付き合いは側近のジェラルドにしか知らせてないぞ」
成程、それでダグラスは僕に何も話さなかったのか。秘密を知ってしまった事を理由に僕に万一でも危害が加わるのが嫌で……。それだけ僕はこの男に大切にされている。今更ながらに改めて思い知らされたその事実に、なんだか心臓の辺りが少しだけ痺れるようだった。
「まあ、私達のような種類の人間が、マイノリティな事は認めるわ。私達の恋路が、前途多難な事もね。それでも私、諦めなかったわ。マリーの説得と並行してどんなに嫌がられてもダグラスに対してバークレーさんに会わせてって手紙を書き続けたし、ダグラスが私の国に仕事で来るっていうから迎賓館まで直接説得しに行ったりもした。だって、マリーと別れたくないのは勿論の事、どうしても彼女との間に子供が欲しかったんですもの! でも、待ちきれなくてそのうち紹介したい人が居るって家族に言ったり、別れたがるマリーを引き留めたりしていたら、マリーに不審がられちゃったわ。仕方がないからマリーに子供の事を打ち明けたんだけど……。そしたら彼女、混乱して私の前から逃げ出しちゃったの。あんなに好きだった侍女の仕事まで辞めてしまって……今も行方知れずよ」
「言わんこっちゃない」
「五月蝿いわね、それについては反省してるわよ。でも、今でこそ落ち着いていられるけどマリーが居なくなった当初は何も考えられなかった。だから『子供さえ授かる方法が確立できればマリーは帰ってきてくれる! 子供さえ産まれればマリーはもうどこにも行かない!』って考えてしまって……。あの時は私も酷く混乱してたのね。それで、ダグラスにバークレーさんへの仲介を頼もうとこの国に家出する形でやってきたわ」
「母上を丸め込んでこの邸に滞在するようになったと思ったら、朝から晩まで付き纏ってトーリ君の連絡先を教えろって五月蝿いのなんの。お陰で私はただでさえ忙しい時期なのにトーリ君と会う時間が減って大迷惑だ。シンシアがまた馬鹿な考えを起こさないよう、マリーさんとちゃんと話し合う気になるよう、付きっきりで説得して本当に疲れた」
「だから、反省してるってば」
そうか、それで最近ダグラスと会えなかったのか。ただでさえ忙しい人間なのに、更に仕事とは別の面倒事を抱えたら、そりゃあ僕に会いに来る時間もなくなるだろう。シンシア王女が家に居るなら逃げようにも逃げられなかったろうし、何だかんだ優しいダグラスの事だ。シンシア王女とマリーさんの事を放っておけなくて何とか仲を取り持とうと頑張っていたのかもしれない。……あ、でも。
「それなら、婚姻届の事はどう説明するつもりだ」
そう言って頭を撫でられて、そこで初めてここに至るまでずっと自分達が手を繋いだままだったことに気がついた。慌てて繋がれた手を乱暴に振ってダグラスの手を振り払う。てっきりていこうされるものとばかりおもっていたのに意外な事に少し残念そうな顔と共に、ダグラスは大人しく手を離した。
ここはダグラスの住居であり実家でもある、エルシャーナ大公邸の一室だ。あの後僕の家の前に停めてあったエルシャーナ家の家紋のついた馬車にダグラスと一緒に乗せられ、手を引かれるがままついて行っていたらあれよあれよという間にここまで来ていた。ここは誰かの私室だろうか? 客間と言うには少々置いてある家具がシンプルでものが少ない感じがする。客間ならもう少し没個性で持て成しの為の品々が置いてあるだろう。勿論だからと言って貧相な内装だというわけではなく、大公家として恥ずかしくないだけの高級感はあるのだけれど。……あ。シンプルなこの部屋に似合わないあの猫の置物、ちょっと前にダグラスと一緒に行った蚤の市で、僕が奴に似てるからって買って贈ったのだ。あれが置いてあるという事は、ここはダグラスの部屋か。
「取り敢えず座って、トーリ君。何か飲む? 暖かいものがいいかな、飲むと落ち着くから」
「結構だ。ここに長居するつもりはない」
「そういう訳にはいかない。あんな不審な手紙を見せられた以上、あの家に君を帰らせる訳には行かなくなった」
「そんな事言って、このまま僕をここに囲い込むつもりか? ダグラス。お前、何様のつもりだ?」
「……それでトーリ君の安全が確保されるなら、私はなんだってする覚悟だよ」
真剣な表情のダグラスを見て、僕はチッと低く舌打ちした。その顔を見ただけで、ダグラスが一歩も譲歩する気がない事を察したからだ。なんだかんだ言って、頑固な奴なんだよな。なんせ十年以上殆ど接触のない僕の事を好きでいたくらいである。虎視眈々と長い目で見て獲物を狙う、蛇みたいに執念深い男なのだ。こいつが僕を逃がさないと決めたのなら、そう思い続けている限り僕はここから逃れられないだろう。大きく息を吐いて、窓際の読書用らしきスペースにあった椅子に座る。意地を張って立ちんぼしても無駄だと察したのだ。そんな僕の事を、ダグラスは気遣わしげな表情をして見ていた。
コンコン
部屋の扉をノックする音が聞こえる。するとダグラスは自らそちらに足を向け扉に近寄りながら声をかけた。
「入ってくれ」
「失礼します」
侍女の制服を着た女性が扉を開け、その後ろからもう一人歳若い女性の姿が現れる。僕はその姿を見て、思わず体がギシリと音が立ちそうな程強ばるのを感じた。
「やあ、シンシア。来てくれたか」
「当然よ。出て行ったと思ったら直ぐに帰って来て呼び出すなんて、何かあったんでしょう? 最近助けられてばかりだし、なんでも協力するわよ」
ダグラス越しに、僕はその女性を見つめる。スラリと伸びた美しい肢体。利発そうで光に満ちた桃花眼。そして何より印象的な、栗色のウェーブのかかった長髪。そう。ダグラスの幼馴染で最近エルシャーナ大公邸に泊まり込んでいる、大本命と目されているシンシア王女、その人だった。
絵になる美男美女のダグラスとシンシア王女の二人を呆然と見ている僕の前で、ダグラスは人払いして侍女を部屋の外に出し、念入りに部屋の内鍵をかけてからシンシア王女と一緒に僕の方に戻ってきた。そして、シンシア王女は僕の向かいの椅子に、ダグラスは僕の隣に腰を下ろす。正直ダグラスに近くに来られるのはいささか業腹だったが、正面にこられて向かい合うのもそれはそれで嫌だったので我慢しよう。ダグラス達が席に着いてから、暫し気まずい沈黙が流れる。それを遮ったのは、ダグラスの咳払いだった。
「あー、取り敢えず……。これでようやく落ち着いて話ができるね?」
「……僕はお前と話す気はないし、話す事もない」
「トーリ君……」
止めろ。そんな悲しそうな顔でこっちを見るな。悪いのはそっちなのに、罪悪感で胸が締め付けられる。僕は腕を組んでツンッとダグラスが居るのとは反対方向を向いた。視線の先には窓がある。そこには空が見え、静かに光る月の姿があった。破綻し切った僕達の関係性には関わりなく、月は以前と同じ美しさだ。その事ですら、今は無性に腹立たしかった。
「えっと……。私、若しかしてお邪魔かしら? 一度二人でジックリ話し合う時間を設けてから、また訪ねてきた方が良さそう?」
「いや、シンシア。君はここに居てくれ。私とトーリ君だけだと、多分余計に拗れる」
「そう? ならここに居るけど……」
お互いを尊重しあい、落ち着いて話をする。たったそれだけの事。今まではできていて、そして今は僕が意固地になっているせいでダグラスとできなくなっているその事を、ダグラスとシンシア王女が目の前でしている。その事にすら腹が立って仕方がない。僕が頑なな態度をとっているのが悪いのに、それなのに……。どんどん自分が嫌いになっていく。苛立ちが限界に達し、思わずその嫌味が口から飛び出したのは無意識だった。
「随分仲のよろしい事で。流石未来の夫婦は違うな」
「へ? 夫婦?」
「トーリ君、だからそれは誤解だってば」
「誤解? 何が誤解だって言うんだ!」
思わず逸らしていた顔をダグラスの方に向ける。組んでいた腕を解き、ダグラスの肩を掴む。ギリッと音がたちそうな程強く握ったのに、ダグラスは痛がる素振りも見せない。その顔に浮かぶのは僕を心配する表情ばかり。その事にまた腹が立ち、僕は怒りのままに叫んだ。
「お前だって見ただろう、あの封筒の中身を! 他国の王女と好い仲になったって示す証拠がわんさかだ! お前の母親にも、お前と王女がただならぬ関係で、もう結婚間近だって聞いた! 始まりは友達の関係でもいずれは僕と恋人になって、行く行くは結婚したいって、そう言ってくれたのに……。なのに……! お前なんて大っ嫌いだ!」
「トーリ君……」
「離せ! 僕に近寄るな!」
ダグラスの手がこちらに伸びてきて、優しく、しかし有無を言わさぬ強さで僕を抱き締める。最初は激しく暴れて抵抗していた僕だったが、逞しいダグラスにはヒョロガリの僕なんて到底敵わない。暴れる余地もないくらい密着して抱き締められ、とうとう観念するしかなかった。
頬にダグラスの厚い胸板が当たる。ドクドクと鳴る鼓動が近くで聞こえた。何だか熱くて濡れている。ダグラスに宥めるように背中を撫でられ、そこでようやく僕は自分が泣いている事に気がついた。
「トーリ君、落ち着いて。不安にさせてごめん。でも、本当に誤解なんだ。私が愛しているのは、後にも先にも君だけだよ」
「……グスッ。五月蝿い……。あんな事を見たり聞いたりした後で、どうやって信じろってんだ。……こんな事なら、お前の事なんか好きになるんじゃなかった……」
「そんな悲しい事言わないで、愛しい人」
ダグラスが赤ん坊をあやすみたいに、体をゆっくり揺らして僕の背中を優しく叩く。涙が止まらない。ただ、僕はもう暴れなかった。酷い裏切り者だと分かっていても、ダグラスの体に寄り添うのを止められない。どんなに酷い事をされたとしても、僕はこいつの事が好きなのだ。愛する相手の優しい抱擁を振り解ける程、今の僕は強くはない。さめざめと泣く僕をダグラスが抱き締めて、どれ程経った事だろう。少し落ち着いてくると、ダグラスは僕を抱き締めたまま静かに話を始めた。
「……疑問点とか引っかかるところがあったら、遠慮なく聞いてね。ここまで来て変な蟠り残したくないから。先ずあの封筒の中身だけど、虚実入り交じったものだ。確かに新聞記事や雑誌記事は実際に刊行されたものだ。私も報告に上がってくるから見た事がある。だからと言ってそこに書かれている事が事実とは言い難いがね。あそこに書いてある事は大概大外れの憶測で嘘っぱちだと思ってくれていい」
「……証拠は?」
「他国の人間と逢い引きしてる暇があったら君に会いに行ってたのはご存知の通りだし、子供時代の事は一応昔の警護記録とか見てもらえば行動記録がつけてあって大体何してたか分かるだろうから、それ見る? 本当に何も特別な事してないからね。シンシアのお爺様が昔気質でそこら辺厳しくて、異性の私は彼女と二人切りになった事すらないよ。そもそもこうして人払いでもしない限りお付きの人間が付いて回る立場だし、子供のうちは粗相がないようにお付の人間は離れないよ。ていうか、君もそこそこ有名人だからマスコミにある事ない事書かれたりした経験あるでしょう? あれ、そういう類のカストリ雑誌と三文新聞だから。真に受けない方がいいよ」
「……領収書の控えはどう説明する。彼女への贈り物を買いまくってたんじゃないのか」
「あれなら全部偽物だよ。そもそも、店側で保管する筈の物があんなにいくつもの店から一気に流出する筈がない。王室関係者が使う程の管理のシッカリした高級店なら尚更だ。どういう目的でかは分からないが、悪意ある誰かが捏造したんだろうね。サインも似せてるけど私のものじゃないよ。ていうか、全部別々の店で買ってる筈なのに品代とか金額とか、店員が書くであろう所の筆跡がよく見ると全部同じ筆跡なんだよね。多分私のサインを捏造する事にばっかり気を取られて、そこまで気が回らなかったんだろう。かなり杜撰な仕事だ。プロじゃない。君も普段なら気がつくだろうけど、私が浮気してると思って動揺してたから、見逃しちゃったんだね。貴人のサインを捏造するのは重罪だ。犯人にはそれなりの罰を受けてもらうよ。……ていうか、流石にプライベートでの人への贈り物で領収書は切らないかな。相手に私を意識して欲しいなら、尚更。そういうのは自分のポケットマネーから出すよ。君も知ってるでしょう?」
確かに、二人で遊びに行った先で買い物をした時にダグラスから贈り物をされた事はあるが、領収書は発行してもらっていなかったな。食べ物を貰う時も、ちょっとした小物を贈ってくる時も、懐から出した財布から金を出して品物を受け取ってそれではい、終了、だった。そもそもダグラスは個人的に運用している資産だけでも相当なもののようだし、一々エルシャーナ大公家づけで領収書を切らなくてはならない程困窮はしていないのだろう。サインもどさくさに紛れてダグラスが持ってきていた問題の封筒の中身を見せてもらえば、確かに店員が書く箇所の筆跡がどれも似ている。ダグラスのサインは……そもそも偽物かどうか判別できる程、僕は今までジックリとダグラスの文字を見た事がなかった。雑誌記事や新聞記事の事も、まあ納得できる。
「でも、お前の家にシンシア王女が泊まってる。前に国を訪れた時だってコソコソ会ってた」
「あー、それは……」
「私から説明するわ」
「シンシア、でも」
「言わせて頂戴。このまま私のせいで二人が喧嘩別れなんて事になったら、酷すぎるもの」
横合いから凛とした声がかかり、そちらを向く。シンシア王女がその大きく円らな目で、僕の事を見ていた。流石にこのままでは体裁が悪いので一旦ダグラスから離れようとするが、僕を抱き締める腕が緩まない。少しモゾモゾ動いたが一向にどうにもならないので、結局諦めてそのまま話を聞く事にした。
「うーん、何から話すべきかしら……。バークレーさんは私とダグラスの関係を、どんな風に思っていらっしゃるの? あ、ついでにあなたの思う今の自分の現状も教えて頂きたいわ」
「……シンシア王女がダグラスの初恋の相手で、ダグラスはシンシア王女を忘れようと僕に手を出したけど、ひょんな事から焼けぼっくいに火がついて今では二人は結婚秒読み。僕は二号としてキープされそう」
「……因みに、そう思う根拠は何か聞いてもいいかな?」
「お前の母親の話」
「……あの糞ババア……」
今まで僕の前では何があってもお上品な喋り方を崩さなかったダグラスが、初めて汚い言葉を使ったのでギョッとする。顔を上げてどんな表情をしているのか見ようとしたが、残念ながらフカフカの胸筋に頭を押し込まれてしまって上は見られなかった。横目に見たシンシア王女の方も、情報源がダグラスの母親だと聞いて頭痛を抑えるかのように額に手を当てている。
「バークレーさん……。それは事実と違うわ。全く違う」
「でも、あなたとダグラスは文通をしたり、実際に会ったりしてたらしいし、あなたも家出先としてエルシャーナ大公家を選んでるじゃありませんか」
「確かにダグラスとは最近頻繁に文通をしていたわ。でも、それは彼に相談事があったから。こうしてこの国に来る前で実際に会ったのは、子供時代を除けば私の祖国であなたが見かけたあの一回切りだけ。家出先にエルシャーナ大公家を選んだのは……。相談に乗ってくれているダグラスの近くに居た方が、家出をした問題の根本的解決に繋がると思ったからよ」
「そこにまたぞろうちの母上が独自解釈の糞ブレンドでタップリアレンジしたんだろうね……。そろそろくたば……寿命が縮めばいいのに」
「おば様、夢見がちで想像と現実をごっちゃにするところがあるものね……。頭の中で捏ねあげた夢物語を、真実と思い込んでしまうというか……」
「夢見がちなんて可愛い言葉で誤魔化すな。あれは立派な公害だ。現にこうしてトーリ君が被害にあっている。母上は自分の立場を分かっていなさ過ぎる。こうなると嫌だから話さなかったのに、どこから情報を得たのやら……。大公夫人に有るまじき浅慮と口の軽さ、そろそろ舌を引っこ抜いた方がいい」
「それは概ね私も同意だわ……」
この国で王妃殿下の次に高貴な身の上と言っても過言ではない女性相手に二人とも物凄いいい言いようだ。その言葉の端々に苦労と苦々しさが滲む。シンシア王女の事はよく知らないが、あの温厚で人のいいダグラスがここまで言うとは相当だ。余程母親の事で今までに嫌な思いをしてきたのだろうか……。
「でも、相談事なら態々疎遠になってる幼馴染じゃなくても、自国にもっと適任の相手が居るんじゃありませんか? そこでいきなり一足飛びにダグラスに相談する理由がありません」
「あー、それは……」
「バークレーさん、鋭いわね。いいわ、もうここまで来たら全部素直に話しちゃいましょう」
「……いいのか、シンシア?」
「構わないわ。ていうか、私は最初から彼に話したかったのよ? バークレーさんを巻き込みたくないと言って、それを邪魔してたのはあなたじゃない」
シンシア王女が胸に手を当て、目を閉じて大きく深呼吸をする。覚悟を決めるかのように小さく一度頷くと、彼女は目を開けて僕の方を見た。その目には、確かに揺るぎない意志の炎が宿っている。
「バークレーさん。私ね……女の人が好きなの。同性愛者よ」
「……へ?」
「女性の恋人も居るわ。私の侍女をしてくれていた同い年の子で、マリーって言うの。……破局寸前だけどね。私はマリーと一生添いとげるつもりだったんだけど、彼女は違ったみたい。私の事は心から愛してるけど、二人の身分は違うし、立場上私は子供を残さなくちゃいけないし、考えの古いお爺様の影響で家族もみーんな古い価値観の人ばっかり。だから彼女は、悲しいけどいずれ別れるつもりだったんですって。それで、彼女と一生一緒に居たい私と意見の相違で擦れ違って……。本当に酷い喧嘩をしたわ」
「それは……」
「でも私、どうしてもマリーの事が諦められなかった。だって本当に愛してるんですもの。諦められるわけないじゃない。身分は違っても王女の私の侍女になるくらいだから、マリーだって一応貴族の娘だわ。天と地程に身分差があるわけじゃない。高位貴族の養女になれば、その差も埋まる。子供も、私は上にお兄様が居るから無理に授かろうとしなくても大丈夫なのよ? お爺様達の事だって、マリーと一緒になる為ならいくらだって説得できる。ただ、マリーは私達の間に子供を授かれないのを本当に気にしていて……。彼女は早くにご家族を亡くして幼い頃はご親戚の家を盥回しにされたから、本音では子供が欲しかったみたい。でも、私の事も愛していて、諦められない。彼女、本当に苦しんでいたわ」
「……」
とても切なそうなシンシア王女の表情に、僕は彼女の恋人であるマリーさんに思いを馳せた。僕も、家族に恵まれず家族が欲しくて苦しんだ。でも、僕は家族になってさえくれれば後はもう誰でもいいという適当な気分で相手を探していた。その頃はまだ、ダグラスに会っていなかったから。でも、もし先にダグラスに会っていて、彼を愛しながらも家族を、子供を欲しいと願ってしまっていたら? 家族を作りたい、愛する人との子供が欲しい。たったそれだけの願いが叶えられなかったら、僕だってどれ程苦しんだ事だろう。
「でも、そんな時にとても素晴らしいニュースが飛び込んできたの。バークレーさん。あなたの発明についてのニュースよ! 男でも妊娠できる魔法を発明されたんでしょう? 私ね、それなら逆に、女が妊娠させる魔法も発明できるんじゃないかなって思ったの! それさえあれば、私とマリーの所にも、可愛い赤ちゃんが来てくれるわ! そう思ったら居てもたってもいられなくて、早速あなたに連絡を取ろうとしたの」
「まさか、ダグラスに手紙を送ったのは」
「ええ。ダグラスが名誉顧問をしている国立魔法研究所にバークレーさんが所属してるって聞いたから、繋いでくれるように彼に頼んだわ。それなのに、ダグラスってば酷いのよ! もう少し君達二人で話し合ってからでも遅くないって言って、全然あなたに繋いでくれないんだもの!」
「仕方ないだろ。シンシアが子供を授かれるかもしれない喜びで舞い上がってて、マリーさんと全く話し合わないまま子供を作りかねない勢いだったんだから。子供を作るなんて事、相手や子供の人生もかかってくるんだから慎重に慎重を重ねてから行うべきだ。それに、一国の王女が同性愛者だって情報、おいそれと部外者に話せないだろう」
「あら、私は別に構わないわよ」
「シンシアが構わなくても、知ってしまったトーリ君に何か嫌な外力が加わりかねないから嫌なんだ。私だってトーリ君との付き合いは側近のジェラルドにしか知らせてないぞ」
成程、それでダグラスは僕に何も話さなかったのか。秘密を知ってしまった事を理由に僕に万一でも危害が加わるのが嫌で……。それだけ僕はこの男に大切にされている。今更ながらに改めて思い知らされたその事実に、なんだか心臓の辺りが少しだけ痺れるようだった。
「まあ、私達のような種類の人間が、マイノリティな事は認めるわ。私達の恋路が、前途多難な事もね。それでも私、諦めなかったわ。マリーの説得と並行してどんなに嫌がられてもダグラスに対してバークレーさんに会わせてって手紙を書き続けたし、ダグラスが私の国に仕事で来るっていうから迎賓館まで直接説得しに行ったりもした。だって、マリーと別れたくないのは勿論の事、どうしても彼女との間に子供が欲しかったんですもの! でも、待ちきれなくてそのうち紹介したい人が居るって家族に言ったり、別れたがるマリーを引き留めたりしていたら、マリーに不審がられちゃったわ。仕方がないからマリーに子供の事を打ち明けたんだけど……。そしたら彼女、混乱して私の前から逃げ出しちゃったの。あんなに好きだった侍女の仕事まで辞めてしまって……今も行方知れずよ」
「言わんこっちゃない」
「五月蝿いわね、それについては反省してるわよ。でも、今でこそ落ち着いていられるけどマリーが居なくなった当初は何も考えられなかった。だから『子供さえ授かる方法が確立できればマリーは帰ってきてくれる! 子供さえ産まれればマリーはもうどこにも行かない!』って考えてしまって……。あの時は私も酷く混乱してたのね。それで、ダグラスにバークレーさんへの仲介を頼もうとこの国に家出する形でやってきたわ」
「母上を丸め込んでこの邸に滞在するようになったと思ったら、朝から晩まで付き纏ってトーリ君の連絡先を教えろって五月蝿いのなんの。お陰で私はただでさえ忙しい時期なのにトーリ君と会う時間が減って大迷惑だ。シンシアがまた馬鹿な考えを起こさないよう、マリーさんとちゃんと話し合う気になるよう、付きっきりで説得して本当に疲れた」
「だから、反省してるってば」
そうか、それで最近ダグラスと会えなかったのか。ただでさえ忙しい人間なのに、更に仕事とは別の面倒事を抱えたら、そりゃあ僕に会いに来る時間もなくなるだろう。シンシア王女が家に居るなら逃げようにも逃げられなかったろうし、何だかんだ優しいダグラスの事だ。シンシア王女とマリーさんの事を放っておけなくて何とか仲を取り持とうと頑張っていたのかもしれない。……あ、でも。
「それなら、婚姻届の事はどう説明するつもりだ」
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