嘘ばかりついてごめん

我利我利亡者

文字の大きさ
上 下
2 / 2

ここまで読めばハピエン

しおりを挟む




「ええ、顔に目立つ大きな痣のある若い兵士です。身につけているのは敵国の軍服ですが、背中に我が軍の濃い青のマントを羽織っているかもしれません。どんなに些細な情報でも構わないので、知りませんか?」
「いやぁ、悪いけど知らないね。先の戦争でここら辺も大分荒れたから、儂らも最近戻ってきたばかりなんだ」
「そうですか……。あの、もしこれから先何か彼について分かった事があったら、どんな情報でも構わないので教えてくれませんか? 勿論お礼は払います。情報料は彼に繋がるなら言い値で結構です。私はこの先の宿に泊まっているので、いつでも構いませんから教えてください。私は殆ど出かけていますが、宿の人間にアシュレイ・ランドンに伝えたい事がある、と言えば分かりますから」
「ああ、分かったよ。……そんなに必死になって探すなんて、その敵兵は兄ちゃんの大事な人の仇なのかい?」
「……ある意味では、そうかもしれません」
 年老いた漁夫に丁寧に別れを告げ、俺は再び川辺りを歩き出す。背中に漁夫のものらしき気遣わしげな視線が突き刺さったが、もう慣れたものだ。捜索を初めて早2ヶ月。ここら辺も大体回った。未だ確かな情報は何1つ得られない。……もう少し下流を探そうか。不自由になった足を引き摺りながら、そう考える。
 あの日、ブルースを乗せたヒューは敵兵を沢山引き付け、最後にはこの大きな川に落ちた。ヒューの大きく重たい体は水の底に沈み、その道連れにでもされたかのようにブルースも見つかっていない。せめて髪の毛1本、マントの切れ端1枚見つかれば、まだ良かった。それなら俺もそのブルースの名残りを縁にあいつの事を諦めて生きていたかもしれない。しかし、ブルースはなんの痕跡も残さず、思い出だけを残して幻のように消えてしまった。だから俺は、夢から覚められず今もこうしてあいつの落ちた川辺りを幽霊みたいに彷徨っている。
 あの日何故ブルースが俺を庇ったのか分からない。迷惑を掛けた詫びのつもりか、それとも本当に俺を愛してくれていたのか。せめて陳腐な恋愛小説みたいに、最後に分かりやすく愛の言葉でも吐いてくれていたら良かったのに。そんな事を毎日頭が痛くなる程考える。しかし、それで答えが出る訳もなく、だからこそ考え続けた。
 もう週末か。そろそろ家族に連絡を入れねば。1度は敵の間諜と通じた疑惑を持たれ、次に味方を庇い川に落ちて死んだと誤報が流れ、かと思えば最後には大怪我を負いながらも生還した俺は、終戦の有耶無耶で罪が流れ、今では不死身の英雄扱いだ。そんな末っ子を家族はとても心配し、大変な思いをしたんだから多額の恩給も出るんだし余生は家族と一緒に故郷で穏やかに過ごしなさい、と言い募ってくる。今の俺はそんな彼等を週に1度の連絡だけで何とか押し留めている状態だった。
 戦争が終わって残ったのは、満足に動かない足と莫大な恩給、そして今なお眩いばかりに輝いて忘れられないブルースとの思い出だけだ。疲れのせいか足が痺れて動かなくなってきたので、土手に座って休憩し、暇潰しに記憶を紐解く。いつも躊躇うように控えめに笑っていたブルース。あいつを探して敗残兵に聴き込むうちに、ブルースは顔の痣を揶揄われて付けられた渾名だと知った。名簿も終戦のどさくさで重要書類と一緒に燃やされてしまって、未だ俺はあいつの本名すら知らない。呼ばう名前すら知らないとは。だからあいつは俺の前に出てきてくれないのだろうか。
 一緒に俺の故郷に帰ろうと言って、あいつが笑っていい返事をくれたから、俺は馬鹿みたいに喜んだのに。結局それも嘘だった。あいつに見せたい景色、会わせたい人間、教えたい知識。今でも数え上げたらキリがない。どんなに貧しく倹しい暮らしも、俺とブルース、それにヒューが居れば天国だと思ってた。それなのに……。結局ヒューとブルースは俺を置いて先に行っちまった。ブルースは騎龍が好きだったし、ヒューもベッタリあいつに懐いてたけど、だからって俺を置いて1人と1匹で心中とは。何ともまあ笑える話だ。
 もしやり直せるならどこからやり直そう。最初から? ブルースと仲良くならないようにするか? それとも途中から? ブルースと恋人にならないようにする? 将また、最後の別れ? いっそあの場であいつを殺して俺も後を追えば良かったか? 何もかもが判然とせず、思考はグルグルと平行線だ。
 ブルースに会いたい。最後まで閨以外では名前ではなく中尉と呼ぶ癖が治らなかったな。戦火の中でもあいつが笑っているとそれだけで何もかも全部救われた気持ちになった。あいつを抱き締めているだけで幸せで、毎日はそれだけで満ち足りていたのに。本当は今直ぐ目の前の川に飛び込んで、地獄の底までブルースを追いかけてなんで俺を置いていったんだと口汚く罵ってやりたかった。そうしないのは、あいつが生きろ、幸せになれと笑いながら俺に呪いを吐いたから。
 ブルースが居なけりゃ生きていても幸せになんて到底なれないが、それでも会える確証もなく死んでも幸せにはなれない事だけは確かだ。せめてあいつの生死さえ分かれば。死んでいるなら墓を建てて自分がくたばるまで墓守をしたいし、生きているなら唾を吐きつけぶん殴って罵声を浴びせてやりたかった。どっちつかずのこの状況が1番辛い。ああ、今でもこんなに苦しくなるくらい、俺はブルースを愛してる。愛してるのに……。大きく溜息をついて目を閉じ、眉間を揉む。と、その時。
「ミャー」
 か細い鳴き声がして、不自由な方の足に擦り寄る柔らかな感触が。驚いて目を開けると、1匹の子猫が足の間で俺を見上げていた。何の変哲もない、白と黒のブチ猫だ。頭でっかちな子猫で、ポワポワの毛玉みたいな見た目をしている。誰かの飼い猫らしく、毛艶が良くて首には青のリボンがしてあった。しかし、何より俺の目を引いたのは。
「……ヒュー……ブルース……?」
 子猫の目は何の変哲もないキトゥンブルーだ。まるでかつての相棒、ヒューのような青い虹彩。そして、今なお愛する相手の顔の痣によく似たブチ模様。まるで求めて止まない1人と1匹が俺の呼び掛けに地獄から甦ってくれたかのような都合のいい錯覚をして、俺は愕然と目を見開いた。
「ミャー」
 子猫がもうひと鳴きして、トテテと俺の足の間から駆け出す。俺は慌てて立ち上がり、その後を追った。何故かは分からない。ただ、その時は追いかけねばならないとだけ思ったのだ。子猫は薮の中に隠れて気が付かなかった険しい道を進んでいく。足の悪い俺はそれに置いてかれないようにするのに必死だ。肩で息をしながら、夢中になって子猫を見失わないように進み続ける。
 そうして進み続けると、突然目の前が開けた。俺はフラフラと転び出るようにして草木の整備された広場に出る。ここはどうやら誰かの庭のようだ。広場の真ん中に赤い屋根の小さな家が立っていた。
 いつの間にか子猫は居なくなっている。途端、俺は不安になって辺りを見渡した。すると、家の扉が開いて誰かが出てくる。酷く歳老いた老女のようだ。ヨボヨボと杖をつきながら、ゆっくりと扉を開けている。こんな所にも人が住んでいたのか。知らなかった。あの子猫にここまで導かれたのも何かの運命だし、次はあの人に話を聞いてみよう。
「すみません」
 大きく声をかけながら近づく。しかし、老女は目も耳も悪いのか俺に気がついた素振りはない。驚かせてしまわなければいいんだが。そう思いながら近づこうとした、その時。
「ほら、そこに段差があるから気をつけて。あなたが転んでも年寄りの私じゃ助けられないから」
「フフッ、いつも注意してくれるから、分かってますよ」
「そんな事言って、あなたついこの間まで伏せり切りだったんだから、心配なんだもの。お爺さんがあなたを見つけた時だって、体はビックリするくらい冷たくて、水もたらふく飲んでたし、水死体かと思ったのよ? せめて弔ってあげようと引き上げたらまだ息をしていて、本当に驚いてただでさえ残り少ない寿命が10年は縮んだわ」
「その節は本当にご迷惑をお掛けしました。でも、本当にもう大丈夫ですから。あまり長居してもご迷惑ですし、もう少し恩返ししたらここを出ていきますよ」
「あら、そんな気を使わなくていいのに! 何度も言うようだけど、私達はあなたの事を昔流行病で亡くした一人息子が帰ってきてくれたように思っているの。だから、いつまでもここに居てくれていいのよ?」
「そういう訳にもいきませんから」
 老女が開いた扉から家の中を覗き込む。その後ろから1人分の人影が出てきた。洗いざらしの白いシャツに黒いズボンを身につけたその人は、俺の存在に気がついて顔を上げる。その痣の中に埋もれた瞳に俺の存在が映り、目が大きく見開かれた。言いたい事は沢山ある。あの頃伝えられなかった思いも、予め取ろうと思っていた態度も山程だ。それでも、俺が1番最初に口にした言葉は。震える舌を何とか動かして、俺は言葉を紡いだ。
「久し振り、愛しい人。……先ずはお前の名前を聞いてもいいか?」
 さあ、ここからやり直そう。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

死なぬ身体は甘く残酷にいたぶられる

BL / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:11

吸血少女ののんびり気ままなゲームライフ

SF / 連載中 24h.ポイント:1,222pt お気に入り:107

死が見える…

ホラー / 完結 24h.ポイント:1,363pt お気に入り:2

魔女の弟子≪ヘクセン・シューラー≫

BL / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:26

今宵、鼠の姫は皇子に鳴かされる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:631pt お気に入り:10

腐違い貴婦人会に出席したら、今何故か騎士団長の妻をしてます…

BL / 連載中 24h.ポイント:25,356pt お気に入り:2,323

超短くても怖い話【ホラーショートショート集】

ホラー / 連載中 24h.ポイント:16,941pt お気に入り:66

愛する事はないと言ったのに

BL / 完結 24h.ポイント:319pt お気に入り:377

初恋♡DESTINY☆

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:17

処理中です...