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おまけ 3の2
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鶏小屋の建設計画はいたって順調だ。ロランの獣人の特性由来の大掛かりな魔法と力仕事による必要な木材の切り出し。セヴランさんの鍛え上げられた肉体を使った簡単な木材加工や材木運び。俺の従軍時代にあれこれ雑事をやらされた経験を生かした鶏小屋の設計と細かい作業。このコンビネーションにより建築はドンドン進む。
現役兵時代、任務地で散々塹壕に簡易小屋にと様々な作業をさせられていたことがこんなところで役立つとは。当時はキツい重労働が嫌で嫌で仕方がなかったが、真面目に働いててよかった。身に染み付いた労働の経験とは何物にも変え難い確かな財産だな。
「ほら、コッコ、クック、皆、餌の時間だぞー」
セヴランさんが作ってくれた物理遮断の結界は、だいたい俺の胸あたりの高さまでの障壁が丸く展開されているもので、ポッカリ口の開いた上から中に入って、餌をやることができる。脚立を使って上から入り、地面に餌をバラ撒いてやって水の入った器を下ろすと、鶏達は忙しなく首を動かしながら鳴き声を上げ、それに駆け寄った。
待ちかねた水と餌に全身で狂喜乱舞する鶏の様子は、可愛いけどちょっとした狂気だ。だが、見てる分には面白くて、ついつい熱心に見入ってしまう。
「おっと、いけない。こんなことをしている場合じゃないや。早く戻って朝食を採らないと」
腰を持ち上げ、屋敷へと戻るべく踵を返す。餌やり当番は3人で1日ずつの輪番制だけど、食事づくりはセヴランさんが壊滅的らしくてできない為、俺とロランの2人で1日交代。その代わり、セヴランさんは終身名誉皿洗い隊長である。今日はロランが朝食当番だったので、鶏の仮居住スペースの掃除と餌やりは俺が引き受けていた。
脚立を使って結界内に入るのに少し手間どってしまった為、もう朝食はできあがっているかもしれない。待たせては悪いしせっかくの食事が冷めてしまうから、とっとと身なりを整えて食べに行こう。倉庫の中に入って持っていた脚立を片付け、汚れないように着ていた作業用エプロンを脱ぐ。腕を肘の上までくまなく洗ってから、肌についた水気を拭って食堂へ向かった。
「やあ、おはよう、マルセルさん」
「おはようございます、セヴランさん」
「ああ、マルセル。餌やりと掃除お疲れ様。丁度できたところだから、席についてくれ」
「はい、分かりました」
俺が食堂に入った時、ロランとセヴランさんは手分けして各々の席に食事を並べていたところだったので、戻ってきたのは正にピッタリのタイミングだったのだろう。食事を並べ終えて椅子を引いた2人に続いて、俺も席に着く。いつもの食前の祈りを捧げ、食事が始まった。
「鶏小屋の建設、もう半分はできてきたな。セヴランのお陰で進捗が宜しくて大助かりだ」
「いやいや、ロランの魔法やマルセルさんの知識がなけりゃ、ここまでこれなかったさ」
「謙遜するな、本当のことなんだから。それにしても、ここの所全員働き詰めだな。セヴランは、少なくとも鶏小屋が建つまでの間はここに滞在するんだろう? 急ぐことはない、なかなか手が回らなくて滞っている家事もあるし、休息も兼ねて今日1日は鶏小屋の建設は休むか」
「ああ、それがいいかもしれないな。マルセルさんも、それでいいかな?」
「ええ、賛成です」
3人で囲む食卓はなかなか賑やかで楽しいものだ。全員話題が豊富で、価値観や考え方も合い、会話は途切れない。俺たちは結構上手くやれていると思う。そのことはいいのだが。ただ、ちょっとだけ、寂しいと思ってしまう自分がいる。
何故って、最近会話にセヴランさんという新しい人物が1人加わったことにより、相対的にどうしてもロランとの会話が減ったからだ。当然、セヴランさんの前で2人切りだった頃のようにあっぴろげにイチャイチャするわけにもいかず、ロランとの物理的な接触も以前ほどではなくなってしまっている。流石に俺にだって、イチャつくのに人目を憚るぐらいの分別はあるのだ。
別に、セヴランさんが邪魔者だと言いたいのではない。セヴランさんとだって一緒にいて楽しいし、彼は本当によく働いてくれていて、俺もとても助かっている。セヴランさんを歓迎する俺の気持ちには一点の曇りもない。俺だって、ただ少しロランとの会話や接触を、寂しいからってちょっとの間我慢できない程子供ではないのだ。それくらいの節度は守れるし、毎日力仕事で草臥れて夜の方がご無沙汰なのも……まあ、我慢しようと思えばできる。
ただ、そういった寂しい距離感以外にも、ちょっとした問題が幾つかあって。
「そうだ、そういえば、ロラン。外交官の親に着いてきてこの国に来ていて、子供の頃近所に住んでいた、ロザリンド。覚えてるか?」
「ああ、あの男勝りでお転婆な。俺が引き篭る前は他にも何人かと合わせて、親がお茶会している間なんかによく一緒に遊んだな。あの子がどうかしたのか?」
「あの子、この国に戻ってきてるぜ。嫁いできたんだ。ほら、マクシムっていたろう? 俺達より2つ年上で、官僚の息子の。あいつと結婚したんだよ。なんでもマクシムの方が母国に戻ったロザリンドに熱烈アタックして射止めたらしいぜ」
「へえ、あの2人が。確かにマクシムはロザリンドのことをやけに気にかけていたもんな。ロザリンドの方も懐いていたし、お似合いの2人だ」
1つ目は、これ。ロランとセヴランさんが俺の知らない2人にしか分からない話題を話すこと。ロランとセヴランさんは古い付き合いだし、色々あったから積もる話もあるんだろう。俺には俺のロランとの時間があるように、セヴランさんにはセヴランさんのロランとの時間がある。2人が俺の知らない話題で盛り上がるのは、いたしかたないことなのだ。
2人だって俺を仲間外れにしないよう、話が俺にも分かるよう説明を加えてくれたり、短く切り上げたりしてくれている。決して蔑ろにされているとは感じていない。それでも、セヴランさんとの間に俺の知らないロランの一面が見える度、どうしようもなく疎外感を覚えてしまうのだ。こればっかりは俺の勝手な気持ちの問題だから、せめて優しい2人に気が付かれないようにしなくては。
そして、2つ目の問題。それは。
「よし、もう全員食べ終わったみたいだし、この後の仕事の役割分担をするか。私は屋敷内の掃除をするから、セヴランは汚れ物の洗濯と干すのを。マルセルは1人で申し訳ないが、薬草畑で水やりと雑草抜きをやってもらっていいか? 薬草畑の世話は重労働だから、こっちが片付いたら、すぐ手伝いに行くよ」
「分かった。それで俺は問題ないよ」
「私も、不満はありません」
ああ、まただ。ロランとセヴランさんが屋敷内の仕事で、俺が屋外の仕事という、2対1に分けられた役割分担。これが初めてのことではない。夕食後のそれぞれの寝室に下がるまでの少しの時間、俺が何か用事で席を外しているちょっとした間、俺の目を避けるかのように、最近何かとロランはセヴランさんと2人切りになりたがる。
そういう時はなにか2人でコソコソと話しているようだ。それも、やけに真剣な顔で、親密そうに。こう言うとロランがセヴランさんと浮気しているみたいに思われるかもしれないが、そうじゃない。
これを口にすると自惚れていると言われても仕方がないが、ロランは俺にベタ惚れだ。それは常日頃のロランの態度や俺に向けられる甘い視線を見ていれば分かる。相思相愛になって以来、俺はロランの気持ちを疑ったことはない。それは今でもそうだ。
それに、ロランとセヴランさんの間にある空気は、親密さはあっても恋愛特有の熱っぽさは感じられない。あの2人の間にある感情は、純粋な友情ただそれだけだろう。
でも、だからといってロランが特に思い当たる理由もなく、積極的に自分以外の誰かと2人切りになろうとしていることに、何も感じない程の朴念仁には俺はなれなかった。だって、俺とロランはついこの間漸く宿願を果たしたばっかりの、今が1番熱々のカップルなのだ。本音を言えばロランの目に映るのは俺だけがいいし、朝も夜も彼を独り占めしたい。それなのに、ロランは友人のセヴランさんとばかり2人切りの時間を共有しようとする。『友達より恋人の俺を優先しろよ』とか、そんないい歳こいて独り立ちできていない依存人間になる気はないが、今の状況は余りにも心寂しいものではないか。
それに続く、3つ目の問題。それは、ロランとセヴランさんが、俺になにか隠しているということ。
さっきも言った通り、ロランとセヴランさんは俺に隠れてコソコソ何か話している。2人の前に俺が姿を現すとさり気なく話題を変えるし、物陰で声を潜めて何事か話しているのも見た。確実にあの2人は、俺には知られたくない何かを抱えているのだ。
別に、人間獣人関わらず、いい大人なら隠し事の1つや2つ、あるだろう。それを無理に話す必要もない。恋人より気の置けない友人相手の方が話しやすいこともある筈だ。例えば……そう、恋人に対する、不満とか。
そこまで考えて、その不吉な予想にブルリと体を震わせる。万に一つもあって欲しくないが、有り得ないことではない。ロランは優しいから、何か俺に対する不満があってもなかなか言い出せずにいるのかもしれないし、それを友人であるセヴランさんに話すのは全く不自然なことではないのだ。
「どうした、マルセル。固まったりして。具合でも悪いのか? やっぱり、今日は屋外作業は止めて、屋敷内でできる軽作業に変えるか?」
「えっ、あっ、いや。すみません、少し考え事を。何でもないですから、心配なさらないでください」
「けど、体調が悪いのなら無理するのはよくないよ。今の時期は日差しが強いし、薬草畑は開けていて日差しがよく差し込む。体調が悪化するかも」
「いえ、本当に大丈夫ですから。実際体調はすこぶるよくて、なんともないんです。さあ、食器を片付けてもういきましょう。時間は有限、待ってはくれません。有効に使わなくてはね」
俺の体を心配する2人を無理やり振り払い、食べ終えた食器を持って席を立つ。気遣わし気な2つの視線から逃れるかの如く、ニコッと笑ってから皿を置く為、急いで調理場に向かう。
危ないところだった。この憂う気持ちは決して2人に知られるわけにはいかないのに。だってそうだろう? あの2人が俺に隠し事をするのは、きっとなにか理由がある筈だ。あの人達は理由もなく不信な行動をおこす人達ではないものね。
結局は俺の感じ方と気持ちの問題なのだ。ロランは心から俺のことを愛してくれている。一瞬でもその愛を疑うなんて、不誠実な事だ。……いや、でも、愛しているかどうかと不満を持つかどうかはまた別の問題だしなあ。これで自分の欠点に目を逸らし続けて、ロランに幻滅される原因を作ったら間抜けもいいところだし。
そうして俺は、重苦しい気持ちを抱え、思い悩み続けるのを止めることができなかった。
あの後、俺は雑念を散らす為に必死になって畑に水を撒き、一心不乱に雑草を抜いたりしたのだが。無心になろうと働けど働けど頭の中はロランとセヴランさんのことでいっぱいだ。到底考えないでいることなどできそうにない。
「これは食べられる、食べられる、食べられない、食べられる、食べられない……」
雑草を抜いたり薬草を間引いたりしながら、鶏達に食べさせてあげられるものとそうでないものをより分けて籠に入れていく。鶏に食べさせられないものは堆肥にする。自然は無駄がないのだ。鶏糞でも堆肥が作れるらしいから、今度やり方を調べてみよう。
ああ、でも、調べるとなったらどこからか園芸の本を調達しなくてはならないよな。この屋敷にある園芸の本は、早くロランの役に立ちたくて、知識をつけるために全部読み切ってしまった。新しく買うとしたら、本というのは高いものだし俺の手持ちではとてもじゃないが買えないだろう。それなら、ロランに多少お金を都合をしてもらわなくてはならない。ロランなら嫌な顔1つせず、本の1冊や2冊、買ってくれるだろう。
でも、今のロランにはちょっと頼み事をしにくいな。セヴランさんと難しい顔をして話し合っている姿は、少し話しかけるのを躊躇してしまう。そんなことを考えているから、最近は更にロランとの時間が減る一方だ。というか、ここのところロランと2人切りになれるのは、俺が先にベッドに入って後からセヴランさんとの話し合いを終えたロランが遅くにベッドにやってきた、その後の少しの時間だけじゃないか? それも、俺は疲れて睡眠中だから意識ないし。殆ど2人の時間は無いに等しいじゃん。うー、ロランを困らせたくないが、やっぱり寂しい。どうしたものか。
そんなことを考えながら畑仕事をしていると、いつもの3分の2程の時間で仕事は終わってしまった。どうしようもない気持ちのやり場がなくて仕事に逃げた形になったわけだが、ここまで効率が良くなるとは。いつもだって手を抜いて仕事しているわけではないのにな。1つのことに打ち込みすぎる性格が、こんな所でも出てきた訳だ。
もう見渡しても他に仕事は残っていなかったので、浅い籠一杯の鶏の餌になる草を携え、ロランが被せてくれた麦わら帽子を頭に被り直し、屋敷への道を戻る。
そうだ、ロランは決して、俺のことを気にかけてくれていない訳ではないのだ。被せてくれた麦わら帽子しかり、脱水にならないようにと持たせてくれた冷却魔法のかかった水がたっぷりの水筒しかり、色々気を使ってくれている。朝はおはようのキスから始まるし、昼間も優しい言葉を沢山かけてくれ、ベッドに入る時間はズレていても眠る時は必ず俺のことを抱きしめてくれていた。
どうせセヴランさんはいつかこの屋敷を去る人だし、ロランの恋人は他でもない俺だけ。今ちょっとくらいロランを独占できないからって、それがなんだというのだ。そんなことで俺達の絆は揺るぎはしないだろう。大人になれ、マルセル。
モヤモヤとした思いを頭を振って追い払う。この胸の中に暗雲がたちこめたような気持ちにつけるべき名前はよく分からないが、そのうち消えてくれる筈さ。俺は家事なり他の仕事なり、自分にできることを精一杯して一刻も早くこの気持ちを忘れよう。これで間違ってもロランやセヴランさんに迷惑をかけてしまうようなことがあってはいけない。
そう思いつつ、畑仕事で汚れた体で彷徨って屋敷内を汚さなくてもいいように、外から直接調理場に繋がっている裏口から屋敷内に入る。鶏の餌になる草でいっぱいの籠を、床の邪魔にならない場所に置き、泥で汚れた手を洗った。
ロランやセヴランさんはまだ自分達に割り当てられた仕事をしているのだろうか? 屋敷は広いから掃除は大変だし、洗濯もそこそこ重労働だ。俺も手伝いに行くか。
でも、その前にこの土で汚れた格好をどうにかしないと。大まかな汚れは屋敷内に入る前にあらかた手で払ったが、それでもまだ土汚れはこびりついている。そもそも今着ている屋外用の作業着はあまり屋内作業に向かない。さっさと着替えてこよう。外で労働してたから暑いな、とパタパタ手で顔を煽ぎつつ、屋敷内を進む。
2人の姿をどこかに見かけないかと探しながらテクテク歩き、外の大きなバルコニーに面していて、掃き出し窓から外へ出られる部屋の前に差し掛かった。このバルコニーは物干し紐が張ってある屋敷の前の、庭とも呼べない少し開けた土地に面していて、その土地の辺りから人の気配がする。セヴランさんだろうか。
洗濯をするのは水を使う関係上、近くに川もないので水道の引いてある屋内だが、洗濯物はどうしても外で干した方が乾きがいい。今日は天気もよく、絶好の洗濯日和。セヴランさんは、洗い終えた洗濯物を干している途中なのだろう。この広い屋敷内のどこかで掃除にあけくれるロランよりも、先に見つかったセヴランさんの手伝いをするか、と考えて足を向ける。
まだ昼間なので灯りをつけていない室内は眩しい日の差す外よりはどうしても暗い。外からだと俺の姿は影に沈んで見えないだろう。下は起毛の絨毯で、足音が立たない。影と絨毯で、そうしようとも思わなくとも俺は気配をけせてしまう。それがいけなかった。
「なあ、ロラン。前にも言った通り、俺と一緒にここを出て王都に来てもらうわけにはいかないか?」
聞こえてきたセヴランさんの言葉に、ピタッと足が止まる。今、なんと? セヴランさんが、ロランを王都へ連れ出そうとしている? どうして。耳にした言葉が信じられず、思わず息を潜め耳を攲てる。
「セヴラン、それは」
「ああ、馬鹿なことを言ってるのは分かっている。それでも、どうしても俺にはお前が必要なんだ。どうか承知してくれないか? 俺はお前に傍にいて欲しい」
「しかしなあ」
「ロラン、頼むよ」
どういうことだ? ロランがどうしても必要? 傍にいて欲しい? なんだよそれ。それじゃあまるで、セヴランさんがロランのことを口説いて、王都に連れていきたがっているみたいじゃないか。セヴランさんはいい大人だ。心身共に鍛え上げられた立場のある騎士だし、そんな強い人がロランに傍にいてもらわなくてはならない程困るなんてこと、そうそうあるとは思えない。だとしたら、やっぱりセヴランさんはロランにそういう意味で傍にいて欲しいと……?
ロランはセヴランさんの言葉に渋っていた。俺を裏切るような不誠実なことをする人でもない。ただ、ロランは優しい人だ。セヴランさんに根負けして、王都に行くことを承知するかもしれない。そして、そのまま色々あって、この屋敷に帰らないなんてことになったり……。
自分で自分の考えに、ゾッと背筋を震わせる。もしもロランが王都に行きたいと言い出したら、俺にはそれを止める手だてがない。王都にはロランの実家や珍しい薬草、最新の医術書など、ここにないものが沢山あって、そのどれかにロランが心を奪われてしまったら? そうしてロランが山奥の寂しい暮らしやつまらない俺のことを忘れてしまったとして、誰がその事を攻められるだろうか?
ああ、そして俺は、ロランのその言葉を無情にも聞いてしまった。
「……分かったよ、他でもないお前の言葉だ。王都に行くことは、考えるだけ考えてみる」
「本当か、ロラン!? 恩に着るよ!」
「おい、早まるなよ。まだ『考えてみる』と言っただけだからな。そうだな、鶏小屋が建つまでの間、考えさせてくれ。どうせセヴランもそれまではここにいるだろう?」
「ああ、そうだな。分かった。いい返事を期待して待ってるぜ」
そんな、女神様! なんてご無体な! ロランを王都へ導くなんて!
いや待て、俺。慌てるのはまだ早い。ロランはただ単に、セヴランさんから王都の彼の邸宅へと招かれただけかもしれない。セヴランさんにロランが必要だとか傍にいて欲しいとか言っていたのは、今までもよく話題に上っていた2人の共通の旧友に『セヴランさんばっかりロランに会って狡い』とか『俺達、私達にもロランに会わせろ』とかせっつかれて困っているからとかかも。そうだよ、きっとそうに違いない。
それに、ロランならきっと、王都に行くのを律儀に俺に報告だってしてくれる筈だ。若しかしたら『私の恋人として、皆に紹介したいから一緒についてきてくれ』とか言ってくれるかも。いや、ロランは俺に対して何もやましいことがないんだから、絶対そう言うに決まってる。そう、思ったのに。
「分かってると思うけど、マルセルさんにはくれぐれも秘密にしておいてくれよな」
「ああ、分かってる。無論そのつもりだ」
ロ、ロラン? 嘘でしょ? まさかあなた、俺よりもセヴランさんのこと……。いやいや、そんなはずないって! まさか、有り得ない! ……そうだよね? ほんの数日前まで俺達あんなにイチャイチャしてたじゃないか。俺はあなたを信じていいんだよね、ロラン?
俺はロランのことを信じているから、何もおかしなことはしないぞ! と、言い切りたいところだが、残念ながらそうもいかない。1度胸に浮かんだ疑念は遅効性の毒のようにジクジクと胸を蝕む。ロランのことを信じようとすればする程、彼のことを思う気持ちが強くなればなる程、不安な思いがドンドン膨らんでいくのだ。
言い訳は見苦しいが、それも当然だろう。だって、俺はロランに恋しているんだ。当然、自分の1番がロランであるように、ロランの1番も自分であって欲しいとどうしても願ってしまう。恋はどこまでも人を貪欲にするのだ。
それなのに、2人が別の生き物である以上、互いの心を寸分の違いもなく詳らかに知ることはできない。相手が自分のことをどう思ってくれているのか、そこに一度疑念が浮かんでしまえば真実を確かめる術がないのだ。ロランの言動に不信な面があるこの場合でも、俺はそれから彼の心の内を察するしかないのである。ことは単純に相手を信じる信じないとは別問題なのだ。
さて、ロランは王都行きを『考える』と言った。『嫌だ』でも『無理だ』でもなく、『考える』と言ったのだ。この違い、分かってもらえるだろうか? ロランはあれで結構無理なものは無理、したくないことはしない、となかなかハッキリ意思表示をする。思慮深く頑固なので、物事はまずよく考えて、1度出した意見を変えることは滅多にない。そして、多少気が乗らないことでも、自分から積極的にやる訳ではないのだというポーズをとりつつも、根が優しいので他人に配慮をしてくれるところもある。
つまり、セヴランさんに対してロランが言った『考える』という言葉は、ほぼほぼ了承の言葉と考えても相違ないのだ。それはつまり、ロランがセヴランさんについていって王都に行ってしまうことに他ならない。ああ、なんということだろう! 今立っている足元がガラガラと音を立てて崩れていく様な気分だ。
王都は魅力溢れる場所である。こんな狭くて閉ざされた世界から出たロランはそこで、俺以上に夢中になれる何かを見つけてしまうかもしれない。そうなったら最悪だ。俺は愛しい狼を、永遠に失うことになる。万に一つでも、ロランが王都に行く可能性を潰さねば。
ショックで上手く動かない体に鞭打ち、2人に気が付かれない様、今度はわざと気配を消してソッとその場を離れる。まだ何事か真剣に話し合っている2人は、俺の存在に気がついた様子もなかった。
何がなんでも、ロランをこの場所に繋ぎ止めるのだ。その為なら、どんな手でも使ってやる。そう固く決心し、その目的の為の一手を打つべく、決意も新たに俺は廊下を歩き出した。
現役兵時代、任務地で散々塹壕に簡易小屋にと様々な作業をさせられていたことがこんなところで役立つとは。当時はキツい重労働が嫌で嫌で仕方がなかったが、真面目に働いててよかった。身に染み付いた労働の経験とは何物にも変え難い確かな財産だな。
「ほら、コッコ、クック、皆、餌の時間だぞー」
セヴランさんが作ってくれた物理遮断の結界は、だいたい俺の胸あたりの高さまでの障壁が丸く展開されているもので、ポッカリ口の開いた上から中に入って、餌をやることができる。脚立を使って上から入り、地面に餌をバラ撒いてやって水の入った器を下ろすと、鶏達は忙しなく首を動かしながら鳴き声を上げ、それに駆け寄った。
待ちかねた水と餌に全身で狂喜乱舞する鶏の様子は、可愛いけどちょっとした狂気だ。だが、見てる分には面白くて、ついつい熱心に見入ってしまう。
「おっと、いけない。こんなことをしている場合じゃないや。早く戻って朝食を採らないと」
腰を持ち上げ、屋敷へと戻るべく踵を返す。餌やり当番は3人で1日ずつの輪番制だけど、食事づくりはセヴランさんが壊滅的らしくてできない為、俺とロランの2人で1日交代。その代わり、セヴランさんは終身名誉皿洗い隊長である。今日はロランが朝食当番だったので、鶏の仮居住スペースの掃除と餌やりは俺が引き受けていた。
脚立を使って結界内に入るのに少し手間どってしまった為、もう朝食はできあがっているかもしれない。待たせては悪いしせっかくの食事が冷めてしまうから、とっとと身なりを整えて食べに行こう。倉庫の中に入って持っていた脚立を片付け、汚れないように着ていた作業用エプロンを脱ぐ。腕を肘の上までくまなく洗ってから、肌についた水気を拭って食堂へ向かった。
「やあ、おはよう、マルセルさん」
「おはようございます、セヴランさん」
「ああ、マルセル。餌やりと掃除お疲れ様。丁度できたところだから、席についてくれ」
「はい、分かりました」
俺が食堂に入った時、ロランとセヴランさんは手分けして各々の席に食事を並べていたところだったので、戻ってきたのは正にピッタリのタイミングだったのだろう。食事を並べ終えて椅子を引いた2人に続いて、俺も席に着く。いつもの食前の祈りを捧げ、食事が始まった。
「鶏小屋の建設、もう半分はできてきたな。セヴランのお陰で進捗が宜しくて大助かりだ」
「いやいや、ロランの魔法やマルセルさんの知識がなけりゃ、ここまでこれなかったさ」
「謙遜するな、本当のことなんだから。それにしても、ここの所全員働き詰めだな。セヴランは、少なくとも鶏小屋が建つまでの間はここに滞在するんだろう? 急ぐことはない、なかなか手が回らなくて滞っている家事もあるし、休息も兼ねて今日1日は鶏小屋の建設は休むか」
「ああ、それがいいかもしれないな。マルセルさんも、それでいいかな?」
「ええ、賛成です」
3人で囲む食卓はなかなか賑やかで楽しいものだ。全員話題が豊富で、価値観や考え方も合い、会話は途切れない。俺たちは結構上手くやれていると思う。そのことはいいのだが。ただ、ちょっとだけ、寂しいと思ってしまう自分がいる。
何故って、最近会話にセヴランさんという新しい人物が1人加わったことにより、相対的にどうしてもロランとの会話が減ったからだ。当然、セヴランさんの前で2人切りだった頃のようにあっぴろげにイチャイチャするわけにもいかず、ロランとの物理的な接触も以前ほどではなくなってしまっている。流石に俺にだって、イチャつくのに人目を憚るぐらいの分別はあるのだ。
別に、セヴランさんが邪魔者だと言いたいのではない。セヴランさんとだって一緒にいて楽しいし、彼は本当によく働いてくれていて、俺もとても助かっている。セヴランさんを歓迎する俺の気持ちには一点の曇りもない。俺だって、ただ少しロランとの会話や接触を、寂しいからってちょっとの間我慢できない程子供ではないのだ。それくらいの節度は守れるし、毎日力仕事で草臥れて夜の方がご無沙汰なのも……まあ、我慢しようと思えばできる。
ただ、そういった寂しい距離感以外にも、ちょっとした問題が幾つかあって。
「そうだ、そういえば、ロラン。外交官の親に着いてきてこの国に来ていて、子供の頃近所に住んでいた、ロザリンド。覚えてるか?」
「ああ、あの男勝りでお転婆な。俺が引き篭る前は他にも何人かと合わせて、親がお茶会している間なんかによく一緒に遊んだな。あの子がどうかしたのか?」
「あの子、この国に戻ってきてるぜ。嫁いできたんだ。ほら、マクシムっていたろう? 俺達より2つ年上で、官僚の息子の。あいつと結婚したんだよ。なんでもマクシムの方が母国に戻ったロザリンドに熱烈アタックして射止めたらしいぜ」
「へえ、あの2人が。確かにマクシムはロザリンドのことをやけに気にかけていたもんな。ロザリンドの方も懐いていたし、お似合いの2人だ」
1つ目は、これ。ロランとセヴランさんが俺の知らない2人にしか分からない話題を話すこと。ロランとセヴランさんは古い付き合いだし、色々あったから積もる話もあるんだろう。俺には俺のロランとの時間があるように、セヴランさんにはセヴランさんのロランとの時間がある。2人が俺の知らない話題で盛り上がるのは、いたしかたないことなのだ。
2人だって俺を仲間外れにしないよう、話が俺にも分かるよう説明を加えてくれたり、短く切り上げたりしてくれている。決して蔑ろにされているとは感じていない。それでも、セヴランさんとの間に俺の知らないロランの一面が見える度、どうしようもなく疎外感を覚えてしまうのだ。こればっかりは俺の勝手な気持ちの問題だから、せめて優しい2人に気が付かれないようにしなくては。
そして、2つ目の問題。それは。
「よし、もう全員食べ終わったみたいだし、この後の仕事の役割分担をするか。私は屋敷内の掃除をするから、セヴランは汚れ物の洗濯と干すのを。マルセルは1人で申し訳ないが、薬草畑で水やりと雑草抜きをやってもらっていいか? 薬草畑の世話は重労働だから、こっちが片付いたら、すぐ手伝いに行くよ」
「分かった。それで俺は問題ないよ」
「私も、不満はありません」
ああ、まただ。ロランとセヴランさんが屋敷内の仕事で、俺が屋外の仕事という、2対1に分けられた役割分担。これが初めてのことではない。夕食後のそれぞれの寝室に下がるまでの少しの時間、俺が何か用事で席を外しているちょっとした間、俺の目を避けるかのように、最近何かとロランはセヴランさんと2人切りになりたがる。
そういう時はなにか2人でコソコソと話しているようだ。それも、やけに真剣な顔で、親密そうに。こう言うとロランがセヴランさんと浮気しているみたいに思われるかもしれないが、そうじゃない。
これを口にすると自惚れていると言われても仕方がないが、ロランは俺にベタ惚れだ。それは常日頃のロランの態度や俺に向けられる甘い視線を見ていれば分かる。相思相愛になって以来、俺はロランの気持ちを疑ったことはない。それは今でもそうだ。
それに、ロランとセヴランさんの間にある空気は、親密さはあっても恋愛特有の熱っぽさは感じられない。あの2人の間にある感情は、純粋な友情ただそれだけだろう。
でも、だからといってロランが特に思い当たる理由もなく、積極的に自分以外の誰かと2人切りになろうとしていることに、何も感じない程の朴念仁には俺はなれなかった。だって、俺とロランはついこの間漸く宿願を果たしたばっかりの、今が1番熱々のカップルなのだ。本音を言えばロランの目に映るのは俺だけがいいし、朝も夜も彼を独り占めしたい。それなのに、ロランは友人のセヴランさんとばかり2人切りの時間を共有しようとする。『友達より恋人の俺を優先しろよ』とか、そんないい歳こいて独り立ちできていない依存人間になる気はないが、今の状況は余りにも心寂しいものではないか。
それに続く、3つ目の問題。それは、ロランとセヴランさんが、俺になにか隠しているということ。
さっきも言った通り、ロランとセヴランさんは俺に隠れてコソコソ何か話している。2人の前に俺が姿を現すとさり気なく話題を変えるし、物陰で声を潜めて何事か話しているのも見た。確実にあの2人は、俺には知られたくない何かを抱えているのだ。
別に、人間獣人関わらず、いい大人なら隠し事の1つや2つ、あるだろう。それを無理に話す必要もない。恋人より気の置けない友人相手の方が話しやすいこともある筈だ。例えば……そう、恋人に対する、不満とか。
そこまで考えて、その不吉な予想にブルリと体を震わせる。万に一つもあって欲しくないが、有り得ないことではない。ロランは優しいから、何か俺に対する不満があってもなかなか言い出せずにいるのかもしれないし、それを友人であるセヴランさんに話すのは全く不自然なことではないのだ。
「どうした、マルセル。固まったりして。具合でも悪いのか? やっぱり、今日は屋外作業は止めて、屋敷内でできる軽作業に変えるか?」
「えっ、あっ、いや。すみません、少し考え事を。何でもないですから、心配なさらないでください」
「けど、体調が悪いのなら無理するのはよくないよ。今の時期は日差しが強いし、薬草畑は開けていて日差しがよく差し込む。体調が悪化するかも」
「いえ、本当に大丈夫ですから。実際体調はすこぶるよくて、なんともないんです。さあ、食器を片付けてもういきましょう。時間は有限、待ってはくれません。有効に使わなくてはね」
俺の体を心配する2人を無理やり振り払い、食べ終えた食器を持って席を立つ。気遣わし気な2つの視線から逃れるかの如く、ニコッと笑ってから皿を置く為、急いで調理場に向かう。
危ないところだった。この憂う気持ちは決して2人に知られるわけにはいかないのに。だってそうだろう? あの2人が俺に隠し事をするのは、きっとなにか理由がある筈だ。あの人達は理由もなく不信な行動をおこす人達ではないものね。
結局は俺の感じ方と気持ちの問題なのだ。ロランは心から俺のことを愛してくれている。一瞬でもその愛を疑うなんて、不誠実な事だ。……いや、でも、愛しているかどうかと不満を持つかどうかはまた別の問題だしなあ。これで自分の欠点に目を逸らし続けて、ロランに幻滅される原因を作ったら間抜けもいいところだし。
そうして俺は、重苦しい気持ちを抱え、思い悩み続けるのを止めることができなかった。
あの後、俺は雑念を散らす為に必死になって畑に水を撒き、一心不乱に雑草を抜いたりしたのだが。無心になろうと働けど働けど頭の中はロランとセヴランさんのことでいっぱいだ。到底考えないでいることなどできそうにない。
「これは食べられる、食べられる、食べられない、食べられる、食べられない……」
雑草を抜いたり薬草を間引いたりしながら、鶏達に食べさせてあげられるものとそうでないものをより分けて籠に入れていく。鶏に食べさせられないものは堆肥にする。自然は無駄がないのだ。鶏糞でも堆肥が作れるらしいから、今度やり方を調べてみよう。
ああ、でも、調べるとなったらどこからか園芸の本を調達しなくてはならないよな。この屋敷にある園芸の本は、早くロランの役に立ちたくて、知識をつけるために全部読み切ってしまった。新しく買うとしたら、本というのは高いものだし俺の手持ちではとてもじゃないが買えないだろう。それなら、ロランに多少お金を都合をしてもらわなくてはならない。ロランなら嫌な顔1つせず、本の1冊や2冊、買ってくれるだろう。
でも、今のロランにはちょっと頼み事をしにくいな。セヴランさんと難しい顔をして話し合っている姿は、少し話しかけるのを躊躇してしまう。そんなことを考えているから、最近は更にロランとの時間が減る一方だ。というか、ここのところロランと2人切りになれるのは、俺が先にベッドに入って後からセヴランさんとの話し合いを終えたロランが遅くにベッドにやってきた、その後の少しの時間だけじゃないか? それも、俺は疲れて睡眠中だから意識ないし。殆ど2人の時間は無いに等しいじゃん。うー、ロランを困らせたくないが、やっぱり寂しい。どうしたものか。
そんなことを考えながら畑仕事をしていると、いつもの3分の2程の時間で仕事は終わってしまった。どうしようもない気持ちのやり場がなくて仕事に逃げた形になったわけだが、ここまで効率が良くなるとは。いつもだって手を抜いて仕事しているわけではないのにな。1つのことに打ち込みすぎる性格が、こんな所でも出てきた訳だ。
もう見渡しても他に仕事は残っていなかったので、浅い籠一杯の鶏の餌になる草を携え、ロランが被せてくれた麦わら帽子を頭に被り直し、屋敷への道を戻る。
そうだ、ロランは決して、俺のことを気にかけてくれていない訳ではないのだ。被せてくれた麦わら帽子しかり、脱水にならないようにと持たせてくれた冷却魔法のかかった水がたっぷりの水筒しかり、色々気を使ってくれている。朝はおはようのキスから始まるし、昼間も優しい言葉を沢山かけてくれ、ベッドに入る時間はズレていても眠る時は必ず俺のことを抱きしめてくれていた。
どうせセヴランさんはいつかこの屋敷を去る人だし、ロランの恋人は他でもない俺だけ。今ちょっとくらいロランを独占できないからって、それがなんだというのだ。そんなことで俺達の絆は揺るぎはしないだろう。大人になれ、マルセル。
モヤモヤとした思いを頭を振って追い払う。この胸の中に暗雲がたちこめたような気持ちにつけるべき名前はよく分からないが、そのうち消えてくれる筈さ。俺は家事なり他の仕事なり、自分にできることを精一杯して一刻も早くこの気持ちを忘れよう。これで間違ってもロランやセヴランさんに迷惑をかけてしまうようなことがあってはいけない。
そう思いつつ、畑仕事で汚れた体で彷徨って屋敷内を汚さなくてもいいように、外から直接調理場に繋がっている裏口から屋敷内に入る。鶏の餌になる草でいっぱいの籠を、床の邪魔にならない場所に置き、泥で汚れた手を洗った。
ロランやセヴランさんはまだ自分達に割り当てられた仕事をしているのだろうか? 屋敷は広いから掃除は大変だし、洗濯もそこそこ重労働だ。俺も手伝いに行くか。
でも、その前にこの土で汚れた格好をどうにかしないと。大まかな汚れは屋敷内に入る前にあらかた手で払ったが、それでもまだ土汚れはこびりついている。そもそも今着ている屋外用の作業着はあまり屋内作業に向かない。さっさと着替えてこよう。外で労働してたから暑いな、とパタパタ手で顔を煽ぎつつ、屋敷内を進む。
2人の姿をどこかに見かけないかと探しながらテクテク歩き、外の大きなバルコニーに面していて、掃き出し窓から外へ出られる部屋の前に差し掛かった。このバルコニーは物干し紐が張ってある屋敷の前の、庭とも呼べない少し開けた土地に面していて、その土地の辺りから人の気配がする。セヴランさんだろうか。
洗濯をするのは水を使う関係上、近くに川もないので水道の引いてある屋内だが、洗濯物はどうしても外で干した方が乾きがいい。今日は天気もよく、絶好の洗濯日和。セヴランさんは、洗い終えた洗濯物を干している途中なのだろう。この広い屋敷内のどこかで掃除にあけくれるロランよりも、先に見つかったセヴランさんの手伝いをするか、と考えて足を向ける。
まだ昼間なので灯りをつけていない室内は眩しい日の差す外よりはどうしても暗い。外からだと俺の姿は影に沈んで見えないだろう。下は起毛の絨毯で、足音が立たない。影と絨毯で、そうしようとも思わなくとも俺は気配をけせてしまう。それがいけなかった。
「なあ、ロラン。前にも言った通り、俺と一緒にここを出て王都に来てもらうわけにはいかないか?」
聞こえてきたセヴランさんの言葉に、ピタッと足が止まる。今、なんと? セヴランさんが、ロランを王都へ連れ出そうとしている? どうして。耳にした言葉が信じられず、思わず息を潜め耳を攲てる。
「セヴラン、それは」
「ああ、馬鹿なことを言ってるのは分かっている。それでも、どうしても俺にはお前が必要なんだ。どうか承知してくれないか? 俺はお前に傍にいて欲しい」
「しかしなあ」
「ロラン、頼むよ」
どういうことだ? ロランがどうしても必要? 傍にいて欲しい? なんだよそれ。それじゃあまるで、セヴランさんがロランのことを口説いて、王都に連れていきたがっているみたいじゃないか。セヴランさんはいい大人だ。心身共に鍛え上げられた立場のある騎士だし、そんな強い人がロランに傍にいてもらわなくてはならない程困るなんてこと、そうそうあるとは思えない。だとしたら、やっぱりセヴランさんはロランにそういう意味で傍にいて欲しいと……?
ロランはセヴランさんの言葉に渋っていた。俺を裏切るような不誠実なことをする人でもない。ただ、ロランは優しい人だ。セヴランさんに根負けして、王都に行くことを承知するかもしれない。そして、そのまま色々あって、この屋敷に帰らないなんてことになったり……。
自分で自分の考えに、ゾッと背筋を震わせる。もしもロランが王都に行きたいと言い出したら、俺にはそれを止める手だてがない。王都にはロランの実家や珍しい薬草、最新の医術書など、ここにないものが沢山あって、そのどれかにロランが心を奪われてしまったら? そうしてロランが山奥の寂しい暮らしやつまらない俺のことを忘れてしまったとして、誰がその事を攻められるだろうか?
ああ、そして俺は、ロランのその言葉を無情にも聞いてしまった。
「……分かったよ、他でもないお前の言葉だ。王都に行くことは、考えるだけ考えてみる」
「本当か、ロラン!? 恩に着るよ!」
「おい、早まるなよ。まだ『考えてみる』と言っただけだからな。そうだな、鶏小屋が建つまでの間、考えさせてくれ。どうせセヴランもそれまではここにいるだろう?」
「ああ、そうだな。分かった。いい返事を期待して待ってるぜ」
そんな、女神様! なんてご無体な! ロランを王都へ導くなんて!
いや待て、俺。慌てるのはまだ早い。ロランはただ単に、セヴランさんから王都の彼の邸宅へと招かれただけかもしれない。セヴランさんにロランが必要だとか傍にいて欲しいとか言っていたのは、今までもよく話題に上っていた2人の共通の旧友に『セヴランさんばっかりロランに会って狡い』とか『俺達、私達にもロランに会わせろ』とかせっつかれて困っているからとかかも。そうだよ、きっとそうに違いない。
それに、ロランならきっと、王都に行くのを律儀に俺に報告だってしてくれる筈だ。若しかしたら『私の恋人として、皆に紹介したいから一緒についてきてくれ』とか言ってくれるかも。いや、ロランは俺に対して何もやましいことがないんだから、絶対そう言うに決まってる。そう、思ったのに。
「分かってると思うけど、マルセルさんにはくれぐれも秘密にしておいてくれよな」
「ああ、分かってる。無論そのつもりだ」
ロ、ロラン? 嘘でしょ? まさかあなた、俺よりもセヴランさんのこと……。いやいや、そんなはずないって! まさか、有り得ない! ……そうだよね? ほんの数日前まで俺達あんなにイチャイチャしてたじゃないか。俺はあなたを信じていいんだよね、ロラン?
俺はロランのことを信じているから、何もおかしなことはしないぞ! と、言い切りたいところだが、残念ながらそうもいかない。1度胸に浮かんだ疑念は遅効性の毒のようにジクジクと胸を蝕む。ロランのことを信じようとすればする程、彼のことを思う気持ちが強くなればなる程、不安な思いがドンドン膨らんでいくのだ。
言い訳は見苦しいが、それも当然だろう。だって、俺はロランに恋しているんだ。当然、自分の1番がロランであるように、ロランの1番も自分であって欲しいとどうしても願ってしまう。恋はどこまでも人を貪欲にするのだ。
それなのに、2人が別の生き物である以上、互いの心を寸分の違いもなく詳らかに知ることはできない。相手が自分のことをどう思ってくれているのか、そこに一度疑念が浮かんでしまえば真実を確かめる術がないのだ。ロランの言動に不信な面があるこの場合でも、俺はそれから彼の心の内を察するしかないのである。ことは単純に相手を信じる信じないとは別問題なのだ。
さて、ロランは王都行きを『考える』と言った。『嫌だ』でも『無理だ』でもなく、『考える』と言ったのだ。この違い、分かってもらえるだろうか? ロランはあれで結構無理なものは無理、したくないことはしない、となかなかハッキリ意思表示をする。思慮深く頑固なので、物事はまずよく考えて、1度出した意見を変えることは滅多にない。そして、多少気が乗らないことでも、自分から積極的にやる訳ではないのだというポーズをとりつつも、根が優しいので他人に配慮をしてくれるところもある。
つまり、セヴランさんに対してロランが言った『考える』という言葉は、ほぼほぼ了承の言葉と考えても相違ないのだ。それはつまり、ロランがセヴランさんについていって王都に行ってしまうことに他ならない。ああ、なんということだろう! 今立っている足元がガラガラと音を立てて崩れていく様な気分だ。
王都は魅力溢れる場所である。こんな狭くて閉ざされた世界から出たロランはそこで、俺以上に夢中になれる何かを見つけてしまうかもしれない。そうなったら最悪だ。俺は愛しい狼を、永遠に失うことになる。万に一つでも、ロランが王都に行く可能性を潰さねば。
ショックで上手く動かない体に鞭打ち、2人に気が付かれない様、今度はわざと気配を消してソッとその場を離れる。まだ何事か真剣に話し合っている2人は、俺の存在に気がついた様子もなかった。
何がなんでも、ロランをこの場所に繋ぎ止めるのだ。その為なら、どんな手でも使ってやる。そう固く決心し、その目的の為の一手を打つべく、決意も新たに俺は廊下を歩き出した。
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