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ハラッパバッカのコのセカイ
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自然に帰せ、我が仔よ。
その暗闇に響く音ならざる声は、夢の中において繰り返し繰り返し同じ言葉だけで語りかけてくる。物心ついた時から何百回も否応無しに聞かされた言葉である。その意は、十八となった今でも理解できないが、ただの夢ではない事だけは流石に理解していた。
青年は、ふと夢から目覚めた。地面に突き立てた剣にもたれかかるようにして跪いたまま、おもむろに顔を上げ、眠気の余韻すら残らぬ鋭い眼でしかと周囲を見渡した。
やはり視界に映るのは、とうに見飽きた鋼鉄の街並みであった。鈍い光沢を放つこげ茶色に染まりきり、うっすらと朧げな白い蒸気が立ち込めるこの街こそが、己が戦場である。“ガゼット”と呼ばれている。その役割は、日常生活の基盤たる“街”と言うよりかは、外界の一切を排した“シェルター”と言った方が適当である。ガゼット全体が鋼鉄のドームに覆われているため、天候に左右される事はなく、太陽光に照らされる事もないばかりか、かつてのように青空を仰ぐ事すら決して叶わない。いついかなる時も常闇に包まれたガゼットを照らすのは、街に瞬く白き照明だけである。錆びた鉄製の建物群は、それもかしこも点々とした光を放ち、まるで満天の星空のごとき輝きによって、万人に必要不可欠な光を生み出していた。
青年は、ガゼットの街並みから目を逸らし、目の前に立ち塞がる敵の群れを見据えると、おもむろに立ち上がった。右手で剣を引き抜き、両手で構えると、その鋭利な剣先を敵の一体に突きつけた。
青年の敵意は、ヒトを模倣した異形の木に対して向けられていた。樹皮を大量に寄せ集めて雑に形作られた人形を、植物の蔓で縛り上げ、強引に固定していた。意思を持っているのか、四肢を盛んに動かし、青年の周囲一帯を埋め尽くすその敵の名は、“自然”といった。その言葉は本来であるならば、“山や海といった人の手の加わっていないもの”を指し示すのだが、時代の移り変わりと共に“敵”を意味する言葉へと変容していった。現に、ありとあらゆる自然は、そのすべてが明確な自我を持ち、人類に対して牙を剥いていた。彼らは、世界を自らで覆い尽くすと、文明の入り込む余地すらない人類有史以前の時代へ逆行させ、無慈悲にも人々の居場所を奪ってしまった。そればかりか、自然から隠れ住む人々の生活をも脅かし、街を見境なく破壊し、住人を無差別に何処かへ連れ去っていく。その一連の行動の意図は、依然として謎のままであったが、その謎がかえって人々の恐怖心を煽り、得体のしれない不気味な怪物という本来の自然とはかけ離れた印象を誰もが植え付けられていた。
自然によって一度連れ去られたが最後、二度と人前に姿を現す事はなく、言わずもがな帰ってくる事もなく、まさに神隠しのように忽然と蒸発してしまう。危険を顧みず、すべてを投げ打ってまで探しに行く者も少なからずいたが、彼らもまた、たちどころに消え失せてしまった。いつしか人々は、自然によって連れ去られる事を“死”と同等に扱うようになり、何処かへ消えていった者たちを日々偲ぶばかりにとどまっている。
故に、ガゼットは外界を拒み、自然を拒絶している。鋼鉄の大地の上に街のすべてを作り上げ、自然の一切を取り除いている。動植物はもちろん、水や食物といった飲食物、さらには火や電気といったエネルギー源までもを排除しているばかりか、あえて空気すらも汚している。ガゼットにあるのは、鋼鉄と機械、そして自然の枠から抜け出た人間だけである。自然物は、たとえどんなに些細であっても敵となりうるため、水の一滴すら許容される事はない。そのため人々は、人口的に作られた代替食物によって栄養を摂取し、石炭による蒸気機関を動力源としている。当然、石炭や鉄は、紛うことなき自然物であるが、その恩恵を何事もなく享受できるのは、敵を活用するための技術が進歩した賜物であり、人々が手にする頃には一介の加工物として取り扱われる。自然は人の手が加えられる事によって、ようやく人類の発展に貢献できるのである。総じてガゼットは、人の出入りが極端に少ない閉鎖的空間ではあるものの、自然という脅威から人々を保護し、永久の安全をもたらす鉄のゆりかごなのである。
ところが、ゆりかごの中であるにもかかわらず、自然の脅威にさらされる一人の青年がいた。ヒトの姿を模倣せし木人に取り囲まれてもなお一振りの剣だけを頼りに単身自然に挑もうとするその若者の名は、トロン・F・レインといった。自然の狩猟を生業としており、人々からの依頼を達成する事によって金銭を得ている。剣の腕には多少の覚えがあったため、あえて危険な狩人稼業に黙々と精を出している。周囲にひしめく異形の木々は、彼にとっては仕留めるべき獲物であり、いくら窮地に立たされたからといって、むやみに背を向けていては、到底狩人は務まらないのである。
窮地に陥る少し前、トロンは、街に湧いて出た自然を排除するようにと依頼を受けた。報酬は全額前払いがモットーであり、後払いに固執する者からの依頼は断固として引き受けない。依頼の後で報酬を出し渋るんじゃないか、あるいは報酬を払わずに姿をくらますのではないか、といった被害妄想を抱えているわけではなく、ただ単にトロンが少々あまのじゃくなだけである。庶民は誰もが報酬を後払いにしたがる故、トロンは意味もなく先払いに固執するのである。寡黙だが、いざ口を開けば不愛想な言葉を言い放つ。それがトロン・F・レインという青年だった。だからといって、人間を嫌っているわけではなく、住人を守りたいという人並みの正義感は、きちんと持ち合わせていた。
しかし、仕事に私情を挟む事はなく、一度引き受けた依頼は愚直に成し遂げるのみである。今回の依頼人は、何度も仕事をよこしてくれる常連であり、報酬を気前よく前払いしてくれた。早速、自然を狩るために東の区域へ赴くと、依頼人の言った通り不気味な木人が多数湧いていたのが視認できた。こちらを見るなり躊躇なく襲いかかってきた木人を次々と剣で切り捨て、返り討ちにしていったまではよかったが、敵は次から次へと群れを成して湧き出てきた。持久戦に持ち込まれたせいで体力をひどく消耗したが、その甲斐あって木人を残り数十体まで減らしてやった。ところが、あと少しというところでトロンの体力は底を尽き、膝を折り、剣を地面に突き立て、わずかの間だけ、うたた寝をしていたのである。
紆余曲折あり、トロンは体力をわずかばかり回復し、依頼完遂に向けて最後の闘争を開始した。トロンが駆け出すと、同時に木人も飛びかかってきた。鮮やかな剣捌きは、樹皮の体を真っ二つに切り裂いていった。心の中で討ち取った敵を数え、やがて二十五を数え終えた時、遂に木人は駆逐された。
依頼は達成した。しかし、トロンに達成感などなく、ただただ疲れ果てていた。獲物の後始末は狩人の仕事ではないので、剣を収め、さっさと家路に就いた。
ガゼットにおいて狩人稼業で身を立てている者は少なくなかった。今より一年ほど前、ガゼットを覆っているドームの一角に穴が開き、人々が外界との接触を余儀なくされてからは、より一層狩人の需要が高まった。何の脈絡もなく開いたその穴からは、青空の下に広がる広大な原っぱを覗き見る事ができたが、ガゼットで暮らす人々の目には、そのすべてが敵としか映らなかった。幸い、人ひとり通れるほどの矮小な入り口でしかなかったため、幾分の時間をもって塞ぐ事は十分に可能であった。しかし、住人より自然の方が穴の存在に一手早く気付いた結果、それが自然によるガゼット侵略の糸口となってしまった。蛇のように曲がりくねった大木が入口を拡大しながら何本も侵入すると、瞬く間に建物に絡みつき、街の東部を鬱蒼とした森へと変えたのだ。敵意を持った自然に阻まれ、もはや穴を修繕する事すら叶わない。ガゼットの地盤たる鋼鉄の大地に根を張り巡らせる事はできなかったようだが、依然として危険である事に変わりはないため、大木に侵食された地区は禁止区域として特定の人間以外の立ち入りを禁じている。
自然の侵入を許した事は、ガゼットの住人にとって痛恨の極みであった。穴が開いた原因を知る者は、皆無だった。自然によるものなのか、はたまた人為的なものなのかは定かではないが、原因を突き止めるだけの余裕はなかった。こうしている間も森はガゼットへの侵食を続け、休む事なく木々を生み出しては、住人を連れ去ろうと絶えず襲撃させている。それに対して住人は、街中をニ十四時間体制で徘徊したり、大量のサーチライトで森を照らしたりして、自然の動向に目を見張らせていたが、人々の不安は解消されるどころか募っていく一方であった。そんな人々にとっての頼みの綱は、二本あった。そのうちの一本が、狩人である。
トロンの自宅は、鉄の塊のようなアパートの一室であった。目につくような物は何も置かれていない無個性な部屋にたどり着くと、真っ先にベッドに腰かけた。それから剣を足元に立てかけ、肘を膝の上に乗せ、うなだれたように頭を垂れた。仕事以外にやる事はなく、趣味らしい趣味も持ち合わせてはいなかった。テレビでも眺めていようか、とも思ったが、まったくと言っていいほどに気が乗らない。次にいつ来るかもわからない依頼に備え、最低限の休息だけは怠らないようにしなければならない。それが今の自分にできる事だ、と睡魔に屈し、あえなく眠りの中へ落ちていった。
目を覚ましたのは、それからまもなくの事であった。ブザーのようにけたたましいインターホンが鳴り響くと、眠りは妨げられ、ベッドから揺らぎ立ち、遅足で歩いて行くと、玄関扉を若干開き、隙間から外を覗き見た。訪問者は、十代の子どもであった。少年とも少女とも見て取れる容姿の子どもが玄関先に立っていた。
「あの、トロン・F・レインさんだよね?」
そうたずねられたトロンは、固く口を閉ざしたまま疑り深く子どもを凝視した。その声質から女性である事だけは判明したが、どこかで見覚えのあるような顔が、いつまでも疑念として心に引っかかっていた。
「……どうしたの?ボクの顔になんか付いてる?」少女は苦笑いを浮かべると、頬を人差し指で掻いた。
「依頼か」トロンは極めて手短に発した。
「トロンさんでいいんだね?はじめまして、ボクの名前はスコア」スコアは軽く一礼した。「突然で悪いんだけど、“アースガル”の招集で来たんだ。これから大事な作戦を決行するから、その加勢を君にお願いしたいんだ」
トロンの心に引っかかっていた疑念が、すっかり晴れた。この少女は、いつぞやの仕事でアースガルと鉢合わせになった際、その隊員として活動しているのを見かけていたのだ。自然に慄く住人にとってのもう一本の頼みの綱とは、アースガルの事である。自然に対抗すべく組織された自警団のような集団、と言えば聞こえはいいが、その隊員たちは、住人から適当に寄せ集めただけの凡人ばかりであり、個々の力量は狩人に遠く及ばない。にもかかわらず、ガゼットに侵入した自然の処理の大部分を担っており、したがって狩人を生業とする者にとっては、目の上のたんこぶでしかない。しかし、仕事の依頼となれば、話は別であった。アースガルが狩人に頭を下げるなど稀であったし、よほど重要な作戦を決行しようとしている違いない。いまだ疲労困憊であるにもかかわらず、トロンは依頼に前向きであった。
「何をすればいい?」
「詳しい事は基地で話すからさ、とりあえずボクと一緒に来てくれないかな?」
「報酬は前払いだ」
「なんでもいいよ。たぶん大丈夫だと思うから」
トロンは剣を携えると、スコアに連れ出され、ガゼット南部のアースガル基地へ向かった。狩人は、命知らずかつ疲れ知らずでなければ到底務まる仕事ではない。それは重々承知していたし、間髪入れずに依頼が転がり込んでくる状況も珍しくはないため、疲れた体を引きずる事には慣れきってしまっていた。
トロンは招集に応じ、アースガル基地に呼び出されたものの、基地内部には入れてもらえず、その門前で足止めを食らった。銃器で武装したアースガル隊員たちが、せわしく準備をしている渦中に置き去りにされ、同じく呼び出された五人の同業者共々待ちぼうけを食らわされた。言いたげな表情を浮かべる者もいたが、スコアになだめられ、仕方なく黙って待ちわびる事にした。
じきに一人の男が狩人たちの前に姿を現した。その者こそがアースガルのリーダーである事をトロンは既に知っていた。その豪胆そうな若者の名は、シンバル・サーズデイといった。
シンバルは、集まった狩人を目で数えてから「……六人だけか…!!」と少し落胆した。
「しょうがないよ。いきなりの要請だったんだから。むしろ六人も集まってくれた事に感謝しなきゃ」スコアは、シンバルの隣に立つと、諦めたような口調で慰めた。
「…そうだな!」シンバルは気持ちを切り替えると、狩人たちに向かって威厳をもって話を切り出した。
「突然の要請に応じてくれて感謝する!!知っての通り、オレはアースガルのリーダーをしているシンバル・サーズデイという!!今日呼んだのは他でもない、これからアースガルは重要な作戦を決行する!!その名も、黄昏の一撃作戦だ!!内容は単純明快で、禁止区域に巣食った自然を一掃する、ただそれだけの事だ!!」
それが簡単にできれば苦労はしない、と皆の顰蹙を買ったに違いない。シンバルが単純な男である事は知っていたが、その性格が今作戦にまで反映されているとは思いもよらず、トロンは一抹の不安を感じた。その理屈や今後を無視する直情的な性格は、しばしば悪評となってガゼット内を轟かせており、リーダーに不向きなのではないかと度々懸念を抱いていたが、悪感は見事に的中し、人知れず戦々恐々とした。
不安を抱かされた狩人たちに反して、シンバルは、やけに自信に満ち溢れていた。「諸君、心配はいらない!!今日という日のためにアースガルは秘密兵器を準備してきたのだ!!“ヒートヘイズ”と名付けたその兵器を使えば、自然を一掃できる!!間違いなく!!」
それはどんな兵器だ、と狩人の一人が率直な疑問をぶつけると、シンバルは胸を張ってこう答えた。
「熱の力によって木々を焦がす兵器だ!!我々は森を一掃するために知恵を振り絞った!自然物たる炎で焼き払えば、それすらも自我を持ち、我々に襲いかかってくるだろう!そこで炎ではなく熱によって木々を丸焦げにする兵器を開発させた!それがヒートヘイズだ!!」
「でもね、ヒートヘイズは、まだ完成してないんだよ」スコアはシンバルの言葉に補足した。「大体は完成してる…と思いたいけど、あくまで最終手段として投入する事になるから、それまではボクらだけで頑張らないと。禁止区域を侵食する森は、ガゼットの中心を目指して徐々に拡大を続けてる。これまではゲリラで時間を稼いできたけど、このままだとヒートヘイズが完成する前にガゼットが森に覆われてしまうかも。そこでシンバルは、思い切って攻勢に出たらどうかって。ボクは反対したんだけど、どうしてもやるって聞く耳持たずなんだよ」
「ムスムスボムでガゼットごと自然を吹き飛ばすよりマシだろ!」シンバルは、リーダーの面目をつぶされると、むきになってスコアに報いた。
「あれは絶対に使っちゃダメだよ!!あんな危険な爆弾、開発するべきじゃなかったんだよ!!」スコアは、顔面蒼白となって慌てふためいた。
「だったら、もうヒートヘイズしかない!!」シンバルはスコアを強引に説き伏せた。それから、「もし失敗したら、オレが責任とってやるから、ドンとぶつかっていけ!!」と狩人たちを鼓舞した。
「作戦の度に同じ事言ってるけど、実際に責任をとった事なんて一度もないじゃないか!」スコアは呆れかえった。
「何度もあっただろ、オレがリーダーを辞めようとした事が!そしたら、誰もが引き留めたのを覚えてるはずだぞ!そうだよな、スコア!」
「誰もリーダーになりたがらないからだよ!皆、言われた事だけやってればいいって思ってるから、指揮なんてできるわけないし。それにシンバルは失敗も多いけど、たまに大きな成果を上げる時もあるし、なんだかんだ言われても結局は頼られてるんだよ」
「とにかく、ヒートヘイズは必ず投入する!!準備はこっちでするから、それまでに可能な限り自然を狩るのがオマエたちの仕事だ!!ヒートヘイズ発動の際には、発煙筒で合図を出すから、見かけたら即刻退避してくれ!!解散!!」そう言い残すと、シンバルは、準備に忙しい隊員たちの群れに混ざっていった。
「ごめんね。いつも行き当たりばったりなんだよ、あのリーダー」スコアは狩人たちに平謝りした。「今は人手が足りなくてね。皆には、アースガルに先駆けて自然を排除してもらうから、準備ができたら禁止区域に向かって。それ相応の報酬も用意してあると思うから、頑張ってね」
シンバルは大風呂敷を広げていたが、こちらに任された仕事は至極単純であり、普段通り自然の殲滅作業に徹していればいいと受け取った。トロンは、スコアに背を向け、質問を口走る狩人たちを置き去りにし、慌ただしい隊員の流れを横切り、万人に先駆けて禁止区域へと向かった。
街と禁止区域の境目は、いくばくか前の出来事とは打って変わって、波風も立たないほどの静寂に包まれていた。自らの手で取り戻した平穏も束の間、これから展開される大規模な作戦によって、平穏は遥か彼方へと押しやられ、かわりに人類の居場所を賭けた闘争が往来するだろう。もっとも、作戦と呼ぶには、いささか単純な力押しであったが、所詮は雇われの身である狩人が意に介する必要もない。トロンは、自らに与えられた仕事を全うするべく、警備員の許可を得て金網を通過し、遠くにひしめく深き森へと単身歩いて行った。
こげ茶色の街並みは次第に新緑の森へと変わっていった。あらゆる建物に蛇のごとく巻き付いた大木からは、人間に対する攻撃的な姿勢をありありと感じ取る事ができた。生い茂る枝葉の下、トロンは剣を片手に森を突き進んだ。その歩みからは、微塵の恐れも感じさせない。狩人稼業を始めて早五年になるが、その間一度として依頼主の期待を裏切った事はないと自負している。それは自慢ではなく、ましてや傲慢になっているわけでもなく、仕事に対してひたむきに取り組んだ結果でしかない。狩人としての評判など、トロンは一切気にかけていないのだ。
突然トロンが、その歩みを止めた。前方に、木人を発見したのだ。それも一体ではなく、七体もの木人が行く手を遮るようにして立っていた。狩人たるもの狩らねばなるまい。トロンは自らの疲労した肉体に鞭を打ち、戦いに身を投じた。疲労の色をまるで感じさせない躍動の剣捌きに、木人たちは次々と切り伏せられていった。ところが、木人は、木々の茂みから際限なく降って湧いてくると、ぐるりとトロンを取り囲んだ。敵の本拠地に足を踏み入れた以上、消耗戦は覚悟の上。そうあらかじめ腹をくくっていたため、ひるむ事もなかった。
この木人、個々は貧弱だが、いくらかの群れを成し、人々に集団戦を仕掛けてくる。彼らは、大いなる自然を構成する欠片でしかなく、他にも多種多様な自然がガゼットに出現する。例えば雷や鳥、氷などが自我を持ち、人々を急襲してきた事が過去に何度かあった。穴が開いて以来は特に頻発していたが、急襲自体はそれ以前から度々起きていた。いくら鋼鉄のドームで拒絶の意を表そうとも、自然の侵略を完全に防ぎきる事はできない。その多くは、ガゼットと外界における人の出入りの際に行われており、門番がどれだけ注意深く目を凝らそうとも、それをあざ笑うかのごとく人の目を盗んでは侵入を繰り返していた。
トロンは、襲い来る木人の群れを途切れる事なく切り伏せていった。その最中、森が徐々に騒がしくなっていくのを聞き取った。アースガルの一隊が到着し、自然との全面抗争が開始された事を悟ったが、自分の元に誰かがやってくる気配はなく、結局は孤軍奮闘、己が力によってのみ仕事を完遂する事に変わりはなかった。たとえ孤独でも、心だけは折るまいと己を奮い立たせ、一心不乱に剣を振るっていると、予期せぬ事に木人の群れが森の奥へと逃げ出し始めた。何事か、とトロンは一層警戒を強めたが、木人が消え去った後になっても一向に変化が起きる様子はなかった。森の中に、ただ一人取り残されてもなお身構え続けていたが、ふと人の気配を察知すると、すぐに振り向いた。
いくらか離れた所から、こちらを堂々と見つめる一人の青年がいた。丸眼鏡をかけたニヒルな青年ではあったが、一際目を引いたのは、彼の左肩に乗った猿である。全長は七十センチほどで、ほっそりとしており、灰白色の毛で覆われ、顔面と手足の先が黒く、尾は細長い。なんにせよ、自然物たる動物を連れているなど言語道断、この青年の素性を推し量るには十分すぎた。
「この猿が気になりますか」その青年の口調は、丁寧ではあったが、神経を逆なでするような響きがあった。
トロンは黙って青年を睨んでいた。先ほど木人が逃げていったのは、この青年に関係があるのか、と勘繰った。
「警戒するのも無理はありません。しかし、いきなり目の敵にされては、いくら猿といえども困ってしまいますよ」青年は、肩に乗った猿の頭を愛おしそうに撫でた。「彼は私の友人なものですから、あまり怖い思いをさせたくないと思いまして…」
「猿は敵だ。アンタもそうなのか?」トロンは、鋭い語気でたずねた。
「人々にとっては敵かもしれません。しかし、あなたにとっては、味方……いえ、同族…とでも言い換えるべきでしょう」
「アンタと一緒にされるいわれはない」
「自然に帰せ、我が仔よ」
トロンは、思いがけない一言に不意を突かれた。それは幼い頃から夢で何度も聞かされた言葉に相違なかった。
「あなただけではありません。私も同様に幼い頃から何度も聞かされているのですよ」青年は、トロンの反応に、にやりと不気味な笑みを浮かべた。「あれは、ただの夢ではありません。その正体に、あなたも薄々勘付いているのではないですか?」
トロンは、得体のしれない青年に警戒心を強めると、口を閉ざし、疑り深い視線を浴びせた。
「おっと失礼。私は、ウェザー・マイミルと申します」ウェザーは改まって名乗った。「あなたは確か……トロン・F・レインといいましたか。しかし、私は、人の名前にさほど興味がありませんので…」
「アンタは、あの夢の何を知っている」トロンは半信半疑でたずねた。
「それは彼らに聞くとよいでしょう」ウェザーは、トロンに向かって、ゆっくりと歩き出した。
ウェザーの接近に対し、トロンは腰を低くし、両手で剣を構えた。威嚇のつもりであったが、ウェザーは怖気づく事なく、ずかずかとした歩みで向かってくる。こうなれば致し方ない、と剣を大げさに振り上げて、相手の出方をうかがおうとした。その刹那、ウェザーの姿を一瞬見失ったかと思うと、まばたき一回の合間に眼前に出現し、自らの額に人差し指を突きつけられた。亡霊と見紛うほどの俊敏さに絶句し、驚きのあまり身動きが取れなかった。
「兄弟よ、自然に変われ」
ウェザーの言い放った一言は、人差し指を伝って、トロンの脳内に直接送り届けられた。途端、意識が朦朧とし始め、立っている事すら困難になり、崩れ落ちるように跪いた。ただでさえ疲労困憊の体に精神まで侵され、かすかながらに意識を維持しているのが精一杯だった。心を強く保ち、なんとか立ち上がってやろうと足に力を入れてみたが、微動だにしない。一体何をされたのか、と考える事すらままならず、ひたすらに意識を繋ぎとめる事に集中せざるを得なかった。
「いよいよ目覚めの時です、同族よ」ウェザーは、跪くトロンの眼前に立ち、両手を後ろで組んで、悠々と見下ろしていた。「これからは人と袂を分かち、己の宿命を全うするのです。もっとも、宿命に流されるか、それとも抗うか………それは、あなたの意思次第ですが」
その時、一際大きな矢音が耳に飛び込んできた。音の出所を追って、トロンとウェザーが同時に上方を見上げた。枝葉の隙間から青い狼煙が垣間見えた。薄ら闇の中、サーチライトを受けて浮かび上がったそれは、発煙筒によるものだと、トロンはすぐに理解した。ヒートヘイズの発動が間近に迫っている。そう焦心しながらも、体が思うように動かず、退避行動に移る事ができなかった。
「まったく。無駄な労力を使いましたね、アースガルも」ウェザーは、恐らく部外者であるにもかかわらず、発煙筒の意味を理解しているような口ぶりであった。再び視線をトロンにやると「ここにいると、あの兵器に巻き込まれるかもしれませんが、心配には及びません。あの程度の力では自然を滅ぼす事などできはしないのですから」
「アンタは…何者だ…!?」トロンは声を振り絞ってたずねた。
「私は、あなたの同族であり、また、彼らの同族でもある。少しばかり思想は違いますがね」そう言い残すと、ウェザーは、いくつも連なった残像を生み出すほどに疾走し、この場から立ち去っていった。
ウェザーの後ろ姿を映す残像は、瞬く間に消えていき、やがてトロンは孤立した。自分もこの場から離れたかったが、もはや意識を保っている事すら困難な状態であった。ヒートヘイズの詳細は知らされていないが、どのような攻撃方法であれ、アースガルがこちらに退避を促してきた以上、広範囲を攻撃可能と考えるのが妥当だった。万が一、巻き込まれれば、命を落とす可能性も否定できない。しかし、トロンは限界を迎えようとしていた。視界が薄れ、耳も遠くなっていったが、それでも全身に熱を感じる事だけはできた。このまま野垂れ死にか。炎天下をゆうに超える猛熱の中、トロンの意識は遂に途切れた。
その暗闇に響く音ならざる声は、夢の中において繰り返し繰り返し同じ言葉だけで語りかけてくる。物心ついた時から何百回も否応無しに聞かされた言葉である。その意は、十八となった今でも理解できないが、ただの夢ではない事だけは流石に理解していた。
青年は、ふと夢から目覚めた。地面に突き立てた剣にもたれかかるようにして跪いたまま、おもむろに顔を上げ、眠気の余韻すら残らぬ鋭い眼でしかと周囲を見渡した。
やはり視界に映るのは、とうに見飽きた鋼鉄の街並みであった。鈍い光沢を放つこげ茶色に染まりきり、うっすらと朧げな白い蒸気が立ち込めるこの街こそが、己が戦場である。“ガゼット”と呼ばれている。その役割は、日常生活の基盤たる“街”と言うよりかは、外界の一切を排した“シェルター”と言った方が適当である。ガゼット全体が鋼鉄のドームに覆われているため、天候に左右される事はなく、太陽光に照らされる事もないばかりか、かつてのように青空を仰ぐ事すら決して叶わない。いついかなる時も常闇に包まれたガゼットを照らすのは、街に瞬く白き照明だけである。錆びた鉄製の建物群は、それもかしこも点々とした光を放ち、まるで満天の星空のごとき輝きによって、万人に必要不可欠な光を生み出していた。
青年は、ガゼットの街並みから目を逸らし、目の前に立ち塞がる敵の群れを見据えると、おもむろに立ち上がった。右手で剣を引き抜き、両手で構えると、その鋭利な剣先を敵の一体に突きつけた。
青年の敵意は、ヒトを模倣した異形の木に対して向けられていた。樹皮を大量に寄せ集めて雑に形作られた人形を、植物の蔓で縛り上げ、強引に固定していた。意思を持っているのか、四肢を盛んに動かし、青年の周囲一帯を埋め尽くすその敵の名は、“自然”といった。その言葉は本来であるならば、“山や海といった人の手の加わっていないもの”を指し示すのだが、時代の移り変わりと共に“敵”を意味する言葉へと変容していった。現に、ありとあらゆる自然は、そのすべてが明確な自我を持ち、人類に対して牙を剥いていた。彼らは、世界を自らで覆い尽くすと、文明の入り込む余地すらない人類有史以前の時代へ逆行させ、無慈悲にも人々の居場所を奪ってしまった。そればかりか、自然から隠れ住む人々の生活をも脅かし、街を見境なく破壊し、住人を無差別に何処かへ連れ去っていく。その一連の行動の意図は、依然として謎のままであったが、その謎がかえって人々の恐怖心を煽り、得体のしれない不気味な怪物という本来の自然とはかけ離れた印象を誰もが植え付けられていた。
自然によって一度連れ去られたが最後、二度と人前に姿を現す事はなく、言わずもがな帰ってくる事もなく、まさに神隠しのように忽然と蒸発してしまう。危険を顧みず、すべてを投げ打ってまで探しに行く者も少なからずいたが、彼らもまた、たちどころに消え失せてしまった。いつしか人々は、自然によって連れ去られる事を“死”と同等に扱うようになり、何処かへ消えていった者たちを日々偲ぶばかりにとどまっている。
故に、ガゼットは外界を拒み、自然を拒絶している。鋼鉄の大地の上に街のすべてを作り上げ、自然の一切を取り除いている。動植物はもちろん、水や食物といった飲食物、さらには火や電気といったエネルギー源までもを排除しているばかりか、あえて空気すらも汚している。ガゼットにあるのは、鋼鉄と機械、そして自然の枠から抜け出た人間だけである。自然物は、たとえどんなに些細であっても敵となりうるため、水の一滴すら許容される事はない。そのため人々は、人口的に作られた代替食物によって栄養を摂取し、石炭による蒸気機関を動力源としている。当然、石炭や鉄は、紛うことなき自然物であるが、その恩恵を何事もなく享受できるのは、敵を活用するための技術が進歩した賜物であり、人々が手にする頃には一介の加工物として取り扱われる。自然は人の手が加えられる事によって、ようやく人類の発展に貢献できるのである。総じてガゼットは、人の出入りが極端に少ない閉鎖的空間ではあるものの、自然という脅威から人々を保護し、永久の安全をもたらす鉄のゆりかごなのである。
ところが、ゆりかごの中であるにもかかわらず、自然の脅威にさらされる一人の青年がいた。ヒトの姿を模倣せし木人に取り囲まれてもなお一振りの剣だけを頼りに単身自然に挑もうとするその若者の名は、トロン・F・レインといった。自然の狩猟を生業としており、人々からの依頼を達成する事によって金銭を得ている。剣の腕には多少の覚えがあったため、あえて危険な狩人稼業に黙々と精を出している。周囲にひしめく異形の木々は、彼にとっては仕留めるべき獲物であり、いくら窮地に立たされたからといって、むやみに背を向けていては、到底狩人は務まらないのである。
窮地に陥る少し前、トロンは、街に湧いて出た自然を排除するようにと依頼を受けた。報酬は全額前払いがモットーであり、後払いに固執する者からの依頼は断固として引き受けない。依頼の後で報酬を出し渋るんじゃないか、あるいは報酬を払わずに姿をくらますのではないか、といった被害妄想を抱えているわけではなく、ただ単にトロンが少々あまのじゃくなだけである。庶民は誰もが報酬を後払いにしたがる故、トロンは意味もなく先払いに固執するのである。寡黙だが、いざ口を開けば不愛想な言葉を言い放つ。それがトロン・F・レインという青年だった。だからといって、人間を嫌っているわけではなく、住人を守りたいという人並みの正義感は、きちんと持ち合わせていた。
しかし、仕事に私情を挟む事はなく、一度引き受けた依頼は愚直に成し遂げるのみである。今回の依頼人は、何度も仕事をよこしてくれる常連であり、報酬を気前よく前払いしてくれた。早速、自然を狩るために東の区域へ赴くと、依頼人の言った通り不気味な木人が多数湧いていたのが視認できた。こちらを見るなり躊躇なく襲いかかってきた木人を次々と剣で切り捨て、返り討ちにしていったまではよかったが、敵は次から次へと群れを成して湧き出てきた。持久戦に持ち込まれたせいで体力をひどく消耗したが、その甲斐あって木人を残り数十体まで減らしてやった。ところが、あと少しというところでトロンの体力は底を尽き、膝を折り、剣を地面に突き立て、わずかの間だけ、うたた寝をしていたのである。
紆余曲折あり、トロンは体力をわずかばかり回復し、依頼完遂に向けて最後の闘争を開始した。トロンが駆け出すと、同時に木人も飛びかかってきた。鮮やかな剣捌きは、樹皮の体を真っ二つに切り裂いていった。心の中で討ち取った敵を数え、やがて二十五を数え終えた時、遂に木人は駆逐された。
依頼は達成した。しかし、トロンに達成感などなく、ただただ疲れ果てていた。獲物の後始末は狩人の仕事ではないので、剣を収め、さっさと家路に就いた。
ガゼットにおいて狩人稼業で身を立てている者は少なくなかった。今より一年ほど前、ガゼットを覆っているドームの一角に穴が開き、人々が外界との接触を余儀なくされてからは、より一層狩人の需要が高まった。何の脈絡もなく開いたその穴からは、青空の下に広がる広大な原っぱを覗き見る事ができたが、ガゼットで暮らす人々の目には、そのすべてが敵としか映らなかった。幸い、人ひとり通れるほどの矮小な入り口でしかなかったため、幾分の時間をもって塞ぐ事は十分に可能であった。しかし、住人より自然の方が穴の存在に一手早く気付いた結果、それが自然によるガゼット侵略の糸口となってしまった。蛇のように曲がりくねった大木が入口を拡大しながら何本も侵入すると、瞬く間に建物に絡みつき、街の東部を鬱蒼とした森へと変えたのだ。敵意を持った自然に阻まれ、もはや穴を修繕する事すら叶わない。ガゼットの地盤たる鋼鉄の大地に根を張り巡らせる事はできなかったようだが、依然として危険である事に変わりはないため、大木に侵食された地区は禁止区域として特定の人間以外の立ち入りを禁じている。
自然の侵入を許した事は、ガゼットの住人にとって痛恨の極みであった。穴が開いた原因を知る者は、皆無だった。自然によるものなのか、はたまた人為的なものなのかは定かではないが、原因を突き止めるだけの余裕はなかった。こうしている間も森はガゼットへの侵食を続け、休む事なく木々を生み出しては、住人を連れ去ろうと絶えず襲撃させている。それに対して住人は、街中をニ十四時間体制で徘徊したり、大量のサーチライトで森を照らしたりして、自然の動向に目を見張らせていたが、人々の不安は解消されるどころか募っていく一方であった。そんな人々にとっての頼みの綱は、二本あった。そのうちの一本が、狩人である。
トロンの自宅は、鉄の塊のようなアパートの一室であった。目につくような物は何も置かれていない無個性な部屋にたどり着くと、真っ先にベッドに腰かけた。それから剣を足元に立てかけ、肘を膝の上に乗せ、うなだれたように頭を垂れた。仕事以外にやる事はなく、趣味らしい趣味も持ち合わせてはいなかった。テレビでも眺めていようか、とも思ったが、まったくと言っていいほどに気が乗らない。次にいつ来るかもわからない依頼に備え、最低限の休息だけは怠らないようにしなければならない。それが今の自分にできる事だ、と睡魔に屈し、あえなく眠りの中へ落ちていった。
目を覚ましたのは、それからまもなくの事であった。ブザーのようにけたたましいインターホンが鳴り響くと、眠りは妨げられ、ベッドから揺らぎ立ち、遅足で歩いて行くと、玄関扉を若干開き、隙間から外を覗き見た。訪問者は、十代の子どもであった。少年とも少女とも見て取れる容姿の子どもが玄関先に立っていた。
「あの、トロン・F・レインさんだよね?」
そうたずねられたトロンは、固く口を閉ざしたまま疑り深く子どもを凝視した。その声質から女性である事だけは判明したが、どこかで見覚えのあるような顔が、いつまでも疑念として心に引っかかっていた。
「……どうしたの?ボクの顔になんか付いてる?」少女は苦笑いを浮かべると、頬を人差し指で掻いた。
「依頼か」トロンは極めて手短に発した。
「トロンさんでいいんだね?はじめまして、ボクの名前はスコア」スコアは軽く一礼した。「突然で悪いんだけど、“アースガル”の招集で来たんだ。これから大事な作戦を決行するから、その加勢を君にお願いしたいんだ」
トロンの心に引っかかっていた疑念が、すっかり晴れた。この少女は、いつぞやの仕事でアースガルと鉢合わせになった際、その隊員として活動しているのを見かけていたのだ。自然に慄く住人にとってのもう一本の頼みの綱とは、アースガルの事である。自然に対抗すべく組織された自警団のような集団、と言えば聞こえはいいが、その隊員たちは、住人から適当に寄せ集めただけの凡人ばかりであり、個々の力量は狩人に遠く及ばない。にもかかわらず、ガゼットに侵入した自然の処理の大部分を担っており、したがって狩人を生業とする者にとっては、目の上のたんこぶでしかない。しかし、仕事の依頼となれば、話は別であった。アースガルが狩人に頭を下げるなど稀であったし、よほど重要な作戦を決行しようとしている違いない。いまだ疲労困憊であるにもかかわらず、トロンは依頼に前向きであった。
「何をすればいい?」
「詳しい事は基地で話すからさ、とりあえずボクと一緒に来てくれないかな?」
「報酬は前払いだ」
「なんでもいいよ。たぶん大丈夫だと思うから」
トロンは剣を携えると、スコアに連れ出され、ガゼット南部のアースガル基地へ向かった。狩人は、命知らずかつ疲れ知らずでなければ到底務まる仕事ではない。それは重々承知していたし、間髪入れずに依頼が転がり込んでくる状況も珍しくはないため、疲れた体を引きずる事には慣れきってしまっていた。
トロンは招集に応じ、アースガル基地に呼び出されたものの、基地内部には入れてもらえず、その門前で足止めを食らった。銃器で武装したアースガル隊員たちが、せわしく準備をしている渦中に置き去りにされ、同じく呼び出された五人の同業者共々待ちぼうけを食らわされた。言いたげな表情を浮かべる者もいたが、スコアになだめられ、仕方なく黙って待ちわびる事にした。
じきに一人の男が狩人たちの前に姿を現した。その者こそがアースガルのリーダーである事をトロンは既に知っていた。その豪胆そうな若者の名は、シンバル・サーズデイといった。
シンバルは、集まった狩人を目で数えてから「……六人だけか…!!」と少し落胆した。
「しょうがないよ。いきなりの要請だったんだから。むしろ六人も集まってくれた事に感謝しなきゃ」スコアは、シンバルの隣に立つと、諦めたような口調で慰めた。
「…そうだな!」シンバルは気持ちを切り替えると、狩人たちに向かって威厳をもって話を切り出した。
「突然の要請に応じてくれて感謝する!!知っての通り、オレはアースガルのリーダーをしているシンバル・サーズデイという!!今日呼んだのは他でもない、これからアースガルは重要な作戦を決行する!!その名も、黄昏の一撃作戦だ!!内容は単純明快で、禁止区域に巣食った自然を一掃する、ただそれだけの事だ!!」
それが簡単にできれば苦労はしない、と皆の顰蹙を買ったに違いない。シンバルが単純な男である事は知っていたが、その性格が今作戦にまで反映されているとは思いもよらず、トロンは一抹の不安を感じた。その理屈や今後を無視する直情的な性格は、しばしば悪評となってガゼット内を轟かせており、リーダーに不向きなのではないかと度々懸念を抱いていたが、悪感は見事に的中し、人知れず戦々恐々とした。
不安を抱かされた狩人たちに反して、シンバルは、やけに自信に満ち溢れていた。「諸君、心配はいらない!!今日という日のためにアースガルは秘密兵器を準備してきたのだ!!“ヒートヘイズ”と名付けたその兵器を使えば、自然を一掃できる!!間違いなく!!」
それはどんな兵器だ、と狩人の一人が率直な疑問をぶつけると、シンバルは胸を張ってこう答えた。
「熱の力によって木々を焦がす兵器だ!!我々は森を一掃するために知恵を振り絞った!自然物たる炎で焼き払えば、それすらも自我を持ち、我々に襲いかかってくるだろう!そこで炎ではなく熱によって木々を丸焦げにする兵器を開発させた!それがヒートヘイズだ!!」
「でもね、ヒートヘイズは、まだ完成してないんだよ」スコアはシンバルの言葉に補足した。「大体は完成してる…と思いたいけど、あくまで最終手段として投入する事になるから、それまではボクらだけで頑張らないと。禁止区域を侵食する森は、ガゼットの中心を目指して徐々に拡大を続けてる。これまではゲリラで時間を稼いできたけど、このままだとヒートヘイズが完成する前にガゼットが森に覆われてしまうかも。そこでシンバルは、思い切って攻勢に出たらどうかって。ボクは反対したんだけど、どうしてもやるって聞く耳持たずなんだよ」
「ムスムスボムでガゼットごと自然を吹き飛ばすよりマシだろ!」シンバルは、リーダーの面目をつぶされると、むきになってスコアに報いた。
「あれは絶対に使っちゃダメだよ!!あんな危険な爆弾、開発するべきじゃなかったんだよ!!」スコアは、顔面蒼白となって慌てふためいた。
「だったら、もうヒートヘイズしかない!!」シンバルはスコアを強引に説き伏せた。それから、「もし失敗したら、オレが責任とってやるから、ドンとぶつかっていけ!!」と狩人たちを鼓舞した。
「作戦の度に同じ事言ってるけど、実際に責任をとった事なんて一度もないじゃないか!」スコアは呆れかえった。
「何度もあっただろ、オレがリーダーを辞めようとした事が!そしたら、誰もが引き留めたのを覚えてるはずだぞ!そうだよな、スコア!」
「誰もリーダーになりたがらないからだよ!皆、言われた事だけやってればいいって思ってるから、指揮なんてできるわけないし。それにシンバルは失敗も多いけど、たまに大きな成果を上げる時もあるし、なんだかんだ言われても結局は頼られてるんだよ」
「とにかく、ヒートヘイズは必ず投入する!!準備はこっちでするから、それまでに可能な限り自然を狩るのがオマエたちの仕事だ!!ヒートヘイズ発動の際には、発煙筒で合図を出すから、見かけたら即刻退避してくれ!!解散!!」そう言い残すと、シンバルは、準備に忙しい隊員たちの群れに混ざっていった。
「ごめんね。いつも行き当たりばったりなんだよ、あのリーダー」スコアは狩人たちに平謝りした。「今は人手が足りなくてね。皆には、アースガルに先駆けて自然を排除してもらうから、準備ができたら禁止区域に向かって。それ相応の報酬も用意してあると思うから、頑張ってね」
シンバルは大風呂敷を広げていたが、こちらに任された仕事は至極単純であり、普段通り自然の殲滅作業に徹していればいいと受け取った。トロンは、スコアに背を向け、質問を口走る狩人たちを置き去りにし、慌ただしい隊員の流れを横切り、万人に先駆けて禁止区域へと向かった。
街と禁止区域の境目は、いくばくか前の出来事とは打って変わって、波風も立たないほどの静寂に包まれていた。自らの手で取り戻した平穏も束の間、これから展開される大規模な作戦によって、平穏は遥か彼方へと押しやられ、かわりに人類の居場所を賭けた闘争が往来するだろう。もっとも、作戦と呼ぶには、いささか単純な力押しであったが、所詮は雇われの身である狩人が意に介する必要もない。トロンは、自らに与えられた仕事を全うするべく、警備員の許可を得て金網を通過し、遠くにひしめく深き森へと単身歩いて行った。
こげ茶色の街並みは次第に新緑の森へと変わっていった。あらゆる建物に蛇のごとく巻き付いた大木からは、人間に対する攻撃的な姿勢をありありと感じ取る事ができた。生い茂る枝葉の下、トロンは剣を片手に森を突き進んだ。その歩みからは、微塵の恐れも感じさせない。狩人稼業を始めて早五年になるが、その間一度として依頼主の期待を裏切った事はないと自負している。それは自慢ではなく、ましてや傲慢になっているわけでもなく、仕事に対してひたむきに取り組んだ結果でしかない。狩人としての評判など、トロンは一切気にかけていないのだ。
突然トロンが、その歩みを止めた。前方に、木人を発見したのだ。それも一体ではなく、七体もの木人が行く手を遮るようにして立っていた。狩人たるもの狩らねばなるまい。トロンは自らの疲労した肉体に鞭を打ち、戦いに身を投じた。疲労の色をまるで感じさせない躍動の剣捌きに、木人たちは次々と切り伏せられていった。ところが、木人は、木々の茂みから際限なく降って湧いてくると、ぐるりとトロンを取り囲んだ。敵の本拠地に足を踏み入れた以上、消耗戦は覚悟の上。そうあらかじめ腹をくくっていたため、ひるむ事もなかった。
この木人、個々は貧弱だが、いくらかの群れを成し、人々に集団戦を仕掛けてくる。彼らは、大いなる自然を構成する欠片でしかなく、他にも多種多様な自然がガゼットに出現する。例えば雷や鳥、氷などが自我を持ち、人々を急襲してきた事が過去に何度かあった。穴が開いて以来は特に頻発していたが、急襲自体はそれ以前から度々起きていた。いくら鋼鉄のドームで拒絶の意を表そうとも、自然の侵略を完全に防ぎきる事はできない。その多くは、ガゼットと外界における人の出入りの際に行われており、門番がどれだけ注意深く目を凝らそうとも、それをあざ笑うかのごとく人の目を盗んでは侵入を繰り返していた。
トロンは、襲い来る木人の群れを途切れる事なく切り伏せていった。その最中、森が徐々に騒がしくなっていくのを聞き取った。アースガルの一隊が到着し、自然との全面抗争が開始された事を悟ったが、自分の元に誰かがやってくる気配はなく、結局は孤軍奮闘、己が力によってのみ仕事を完遂する事に変わりはなかった。たとえ孤独でも、心だけは折るまいと己を奮い立たせ、一心不乱に剣を振るっていると、予期せぬ事に木人の群れが森の奥へと逃げ出し始めた。何事か、とトロンは一層警戒を強めたが、木人が消え去った後になっても一向に変化が起きる様子はなかった。森の中に、ただ一人取り残されてもなお身構え続けていたが、ふと人の気配を察知すると、すぐに振り向いた。
いくらか離れた所から、こちらを堂々と見つめる一人の青年がいた。丸眼鏡をかけたニヒルな青年ではあったが、一際目を引いたのは、彼の左肩に乗った猿である。全長は七十センチほどで、ほっそりとしており、灰白色の毛で覆われ、顔面と手足の先が黒く、尾は細長い。なんにせよ、自然物たる動物を連れているなど言語道断、この青年の素性を推し量るには十分すぎた。
「この猿が気になりますか」その青年の口調は、丁寧ではあったが、神経を逆なでするような響きがあった。
トロンは黙って青年を睨んでいた。先ほど木人が逃げていったのは、この青年に関係があるのか、と勘繰った。
「警戒するのも無理はありません。しかし、いきなり目の敵にされては、いくら猿といえども困ってしまいますよ」青年は、肩に乗った猿の頭を愛おしそうに撫でた。「彼は私の友人なものですから、あまり怖い思いをさせたくないと思いまして…」
「猿は敵だ。アンタもそうなのか?」トロンは、鋭い語気でたずねた。
「人々にとっては敵かもしれません。しかし、あなたにとっては、味方……いえ、同族…とでも言い換えるべきでしょう」
「アンタと一緒にされるいわれはない」
「自然に帰せ、我が仔よ」
トロンは、思いがけない一言に不意を突かれた。それは幼い頃から夢で何度も聞かされた言葉に相違なかった。
「あなただけではありません。私も同様に幼い頃から何度も聞かされているのですよ」青年は、トロンの反応に、にやりと不気味な笑みを浮かべた。「あれは、ただの夢ではありません。その正体に、あなたも薄々勘付いているのではないですか?」
トロンは、得体のしれない青年に警戒心を強めると、口を閉ざし、疑り深い視線を浴びせた。
「おっと失礼。私は、ウェザー・マイミルと申します」ウェザーは改まって名乗った。「あなたは確か……トロン・F・レインといいましたか。しかし、私は、人の名前にさほど興味がありませんので…」
「アンタは、あの夢の何を知っている」トロンは半信半疑でたずねた。
「それは彼らに聞くとよいでしょう」ウェザーは、トロンに向かって、ゆっくりと歩き出した。
ウェザーの接近に対し、トロンは腰を低くし、両手で剣を構えた。威嚇のつもりであったが、ウェザーは怖気づく事なく、ずかずかとした歩みで向かってくる。こうなれば致し方ない、と剣を大げさに振り上げて、相手の出方をうかがおうとした。その刹那、ウェザーの姿を一瞬見失ったかと思うと、まばたき一回の合間に眼前に出現し、自らの額に人差し指を突きつけられた。亡霊と見紛うほどの俊敏さに絶句し、驚きのあまり身動きが取れなかった。
「兄弟よ、自然に変われ」
ウェザーの言い放った一言は、人差し指を伝って、トロンの脳内に直接送り届けられた。途端、意識が朦朧とし始め、立っている事すら困難になり、崩れ落ちるように跪いた。ただでさえ疲労困憊の体に精神まで侵され、かすかながらに意識を維持しているのが精一杯だった。心を強く保ち、なんとか立ち上がってやろうと足に力を入れてみたが、微動だにしない。一体何をされたのか、と考える事すらままならず、ひたすらに意識を繋ぎとめる事に集中せざるを得なかった。
「いよいよ目覚めの時です、同族よ」ウェザーは、跪くトロンの眼前に立ち、両手を後ろで組んで、悠々と見下ろしていた。「これからは人と袂を分かち、己の宿命を全うするのです。もっとも、宿命に流されるか、それとも抗うか………それは、あなたの意思次第ですが」
その時、一際大きな矢音が耳に飛び込んできた。音の出所を追って、トロンとウェザーが同時に上方を見上げた。枝葉の隙間から青い狼煙が垣間見えた。薄ら闇の中、サーチライトを受けて浮かび上がったそれは、発煙筒によるものだと、トロンはすぐに理解した。ヒートヘイズの発動が間近に迫っている。そう焦心しながらも、体が思うように動かず、退避行動に移る事ができなかった。
「まったく。無駄な労力を使いましたね、アースガルも」ウェザーは、恐らく部外者であるにもかかわらず、発煙筒の意味を理解しているような口ぶりであった。再び視線をトロンにやると「ここにいると、あの兵器に巻き込まれるかもしれませんが、心配には及びません。あの程度の力では自然を滅ぼす事などできはしないのですから」
「アンタは…何者だ…!?」トロンは声を振り絞ってたずねた。
「私は、あなたの同族であり、また、彼らの同族でもある。少しばかり思想は違いますがね」そう言い残すと、ウェザーは、いくつも連なった残像を生み出すほどに疾走し、この場から立ち去っていった。
ウェザーの後ろ姿を映す残像は、瞬く間に消えていき、やがてトロンは孤立した。自分もこの場から離れたかったが、もはや意識を保っている事すら困難な状態であった。ヒートヘイズの詳細は知らされていないが、どのような攻撃方法であれ、アースガルがこちらに退避を促してきた以上、広範囲を攻撃可能と考えるのが妥当だった。万が一、巻き込まれれば、命を落とす可能性も否定できない。しかし、トロンは限界を迎えようとしていた。視界が薄れ、耳も遠くなっていったが、それでも全身に熱を感じる事だけはできた。このまま野垂れ死にか。炎天下をゆうに超える猛熱の中、トロンの意識は遂に途切れた。
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