めぐりしコのエコ

しろくじちゅう

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信条に架ける風

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 彷徨った挙句、疲労気味の三人であったが、一筋の光明を得ると、途端に足取り軽く歩んでいき、その終点に蒔ク種族王とおぼしき暗影を見た。同時に、その人影に付き添う山のような影をも目撃し、目を凝らしてみると、それはシフォンの巨大な猪であった。アルミによって雲上に召し上げられる事もなく、置き去りにされていたが、どうやら蒔ク種族王の元で延々と帰りを待っていたようだ。友の姿を見るや否や、喜び勇んで駆け寄ってくると、その意に応じ、シフォンは謝罪を兼ねたスキンシップを交わした。一段落すると、蒔ク種族王に歩み寄り、権威によってこう声をかけた。
「あの…。おたずねしたい事があるのですが」
「そう、それでいいのだ。我の権威など、もはや何の意味も為さないのだからな」蒔ク種族王は、シフォンのみならず、二人の流れ者に向けても言い放った。
「それはありがたいですね」ウェザーは、無礼講と言わんばかりに口を出した。「いやはや、蒔ク種族王に出会えるだなんて、またとない機会ですから、言葉の一つや二つくらいは交わさないともったいない。して、あなたはなぜヘイヴンに身を置いているのですか?十二の部族の王は、世界中を絶えず点々としているはずなのですが」
「まったく。いけ好かない小僧じゃが、よかろうて」蒔ク種族王は、小さく咳払いをした。「我は、救世主より二つの使命を背負わされた都合上、長きに渡ってこの地に縛られているだけだ。一つは、我の持つブードゥー、いわゆる“原初の種”より、げんぽぽの種を生み出し、提供する事。もう一つは、この高原を見張り続ける事だ」
「原初、持ってるんだ。じゃあ、ちょっとの間だけ貸してよ」スコアは、原初の名を聞いた途端、目を輝かせつつ無心した。
「これは誰にも与えるつもりはないな」そこで蒔ク種族王は、スコアの左手に目を付けると「もっとも、まだまだ未熟とは言え、お主は、ブードゥーに勝るとも劣らない力を宿しているがな」
「これ知ってるの?」スコアは、自然除けの文字を見せつけ、たずねた。
「ああ。四の権化、すなわち天地鳴動に対抗するべく人間が生み出した文字だ。その力が、この“夢幻畑むげんばたけ”に眠る文字と引き合い、お主らを我の元へと導いた。夢幻畑とは、めぐりし遺産とやらのたぐいであり、この蒼茫そうぼうたる風景そのものを指す。元はただの高原が、文字の魔力によって空漠くうばくとしたものに変えられ、その広さは、まさに大海原の如し。大抵の人間は、むやみやたらと彷徨い、徒労し、我の元へとたどり着く事すらできぬのだが、お主らは運の良い奴よ」
「ほう、こんな身近な所に遺産があったとはねぇ…」ウェザーは、不敵な笑みを見せた。「そして、その文字を守る番人が、あなたという訳ですか」
「我がおらずとて文字を持ち去る事は到底できん。大海を漂う蟻を見つけ出せるというのであれば、話は別だがな」
「文字と文字が引き合うのならば、恐らく……」
「どうでもいい話は、もう終わりにしてください!!」シフォンは、強い語気でウェザーの言葉を遮った。「それよりも、お兄様です!!早く雲上に昇り、助け出さなければ!!」
 蒔ク種族王は、シフォンの今にも泣きだしそうな顔を見据えると、「雲上に昇りたいのなら、面白い事を教えてやろう。げんぽぽの種子、そのたった一粒のみで雲上に昇る方法だ」
「え、教えてくれるんだ!でも、なんで?」スコアは、やけに親切な態度を猜疑さいぎした。
「我は、あのような天仔風情をかしずきはしない。どうせならシフォンの無念を晴らさせてやろうと思ったのだ。さて、雲上に昇りたければ、げんぽぽの種を植えてみるがよい。かの花々は、我がブードゥー、つまりは原初の種の力を受け継ぎし子。よって、その種は、あらゆる植物に成長できるが、どの植物に遂げるかは、芽吹いてみるまでわからん。しかし、権威ある者の一声にかかれば、その意に従わせる事ができる」
「でも、雲に届くほどの植物があるでしょうか…?」シフォンは、思わず疑問を呈した。
「カスタノスペルマムと呼ばれるマメ科の植物がある。その芽をお主の権威によって芽吹かせ、天高く伸ばしてやるがよい。それを可能にするだけの権威が、第五位の権威が、お主には備わっているのだからな」
「わたしには、第九位の権威があると、ミハルは言っていました」
「とんだ戯言ざれごとよ。それよりも、ユライの気持ちをんでやるがよい。そう……あれほどの権威は、この世に二つとあってはならないのだ」
「どういう意味ですか…?」
「お主とユライの名には、同じ“Vヴァ”の文字がある。それは第五位の権威を示すものなのだが、元来、同じ文字が二人以上の名に冠されるなどという事は絶対にない。しかし、ユライは、お主に自らの文字を、権威を分け与えた。それは、双子の兄たるトロンに授けられた権威が、救世主に匹敵するほどの位を備えており、もしユライが進み出なければ、危うく、生まれた時を同じくするお主にも授けられてしまう所であった。それほどまでに、トロンという天仔には、とりわけ数奇な宿命が背負わされているのだ。そんな茨の道をシフォンにも背負わせたくないと、ユライは厳罰を恐れぬほどの覚悟を持ち、救世主に諫言かんげんした結果、お主はユライと同じ第五位の権威を授かる事を認められたのだ」
「でも、お兄様は、第十位の権威だと…」
「ミハルは、自らの地位を脅かしかねないほどの権威を有するトロンを恐れている。何を企んでいるかまでは知らんが、ユライに命じて改めの小山にやったのも、自らの支配下に置くためだろう。第一位の権威さえあれば、救世主の真似事をするのも容易かろうて。だから、いけ好かないのだ、あの男は」
「まさか…!!お兄様を酷い目に遭わせたのは、ミハル…!!」
「心を挫くのは、ミハルの常套手段。あの改めの小山は、今から数年ほど前、ミハルが住人を罰するために作り上げたものだ。信条に背く住人に理不尽な試練を課し、完膚なきまでに痛めつけ、その心を折る事で、信条への服従を強いる。まさに鬼畜の所業よ。住人を服従させる事で救世主の意に報い、より強い権威を授かった今なお手法を変えてはおらん。シフォンよ。このままでは、ミハルは、お主の養母だけでなく、兄までもを奪いかねん。これ以上、実の身内を失うのは、つらかろうて」蒔ク種族王は、感傷に浸るように少し間を置くと「だから、もう行け。そして、養母の仇を討ってやるのだ」
 「……はい!」シフォンは、強く意を決し、猪にまたがったかと思うと、枯れ色の道を駆け戻った。
「えっ、ちょっと!?」スコアは、慌てて猪の後を追いかけた。
ウェザーは、ため息を吐くと、心残りながらも仕方なく話を切り上げる事にした。
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