やめてよ、お姉ちゃん!

日和崎よしな

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第四章 谷良内嘉男

第21話

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「カフェモカおかわり」

「違う! それ、カフェラテ」

 いや、俺はカフェモカも飲んでみたいなって……。

「カフェラテをお一つですね?」

「いいえ、カフェモカを一つ」

「いいえ、カフェラテを二つ」

「……かしこまりました」

 あ、おい! このウエイトレス、面倒臭くなりやがったな?

 次はハンマーを注文してやろうか。谷良内やらうちを叩く用のやつ。ピコピコハンマーじゃなくて、プラスチックハンマーくらい硬いやつ。

「谷良内……」

「ああ、隼人はやと君、名前で呼んでくれないか?」

 なんだと⁉

「えっと、下の名前って何だっけ?」

「嘉男だよ。トシオ君って呼んでもらえると、嬉しいな」

 女子にしか許されないキュピキュピ上目遣いでおねだりされた。

「気持ち悪っ!」

「ゴホッ、ゴホッ」

 くぅ、こいつ……。なんで気持ち悪いの一言ひとことで終わらせてくれないんだ。

「あー、分かった、分かったよ。トシ、とかでいい?」

「むむむむ、よし、それで手を打とう。僕も隼人君のことを隼人って呼び捨てにしていいかな?」

「好きにしろ」

 ああ、なんだか、俺の人生という名の砂の城が、風や波で少しずつ削り取られて崩壊に向かっているような気がするのだが、気のせいだろうか。

 そんな俺の正面には、チューリップが咲いたような形の両手にあごを乗せ、頭を左右に揺らしてルンルンしているトシがいる。

「で、俺のどこが好きなの?」

「そんなこと、恥ずかしい……。まずは同性愛者だと気づいて、気になりはじめて、その後に知った優しさが決定打かな。例えば今日みたいな、はっきりと言う優しさ。あれは僕のためでもあり、江口さんのためにもなる言葉だよ。それでいて、あんな言いにくいことをはっきりと言えるなんて、本当に隼人君は勇気があるし優しいよ。僕はそういう隼人君をずっと見てきたんだ」

「俺、ずっと見られていたの? 気持ち悪いなぁ」

「ゴホッ、ゴホッ」

「あーもう、分かったから。もう言わないから!」

 正面に座っているのが学ランではなくセーラー服ならどんなによかったか。いや、ここまでの奴だと女でも鬱陶うっとうしいだろうな。姉とは正反対の厄介性を持っている。

「あ、僕たちが付き合っていることは秘密ね。あと僕が同性愛者だってことも」

「たりめーだ! 付き合ってないんだから!」

「ゲホッ、ゲホッ」

 結局、俺はトシと喫茶店で二時間くらい時間を潰してしまった。
 夏は日が沈むのが遅いが、さすがに空は暮れなずみ、傾いた陽光がアスファルトやら建物の壁やら誰かさんの頬やらを赤く染めている。
 部活をしていない俺の帰りが遅いと、姉が妙な勘繰かんぐりを入れてくるので、そちらも面倒臭い。

「今日はもういいよね? 早く帰らないと」

「ああ、うん。今日はありがとう。途中まで一緒に帰ろう」

 チッ、こいつの家も同じ方向かよ。
 できれば早めに別れたい。こいつのことは姉には知られたくない。

 そういうことを考えているから出くわしたりするのだ。
 会計を済ませ、チリンチリンという音色にお見送りされた直後である。

「あら、隼人、今日は遅いわね」

「お姉ちゃん!」

 しまった! いまの反応はまずかった。
 突然出くわして驚いたにしては反応が大きかった。
 姉は探りを入れてくるだろうか。
 気づかないでくれ……。

 花模様の入った若草色のノースリーブに、白と黒と灰色を編みこんだようなチェックのハーフパンツ姿の姉が、ニコリと笑った。
 これは愛想笑いだ。俺の隣にトシがいるからだ。
 その笑顔を受けとめたトシがツカツカツカと姉の前に歩み寄った。

「お姉さん? 僕は谷良内やらうち嘉男としおと言います。隼人君とはお付き合いさせてもらっています」

 おいっ! さっき秘密にするって話をしたばかりじゃないか! このバカ!

「友達だよ。ただの友達」

「本気なんです!」

 何をアピールしてんだ、こいつは!

「へえ、本気なのね。何に?」

 食いつかないでー。
 掘り下げないでくれぇ……。

「実は……」

 かくかくしかじかで、とトシが詳しく説明する。
 俺は頭を抱えることしかできなかった。

「ふーん。隼人、そんな趣味があったんだー」

 あ、お姉ちゃん、面白がってる?
 もしかして、面倒臭い事態にはなりそうにない?

「そんな趣味、あるわけないでしょ!」

 トシが咳をして妨害してくるかと思ったが、いまの言葉にはストレスを感じなかったようだ。
 親友以上、恋人以下。それで俺が手を打った、というところまで姉は把握したので、事情は理解してくれているのだと思う。

「ま、それはさておき、谷良内嘉男君、隼人は私の弟であり、私のものよ。あなたが隼人とどう付き合おうが構わないけれど、あなたが私のものを借りているということは理解してちょうだい。つまり、隼人の時間は私が最優先して使えるということよ」

 おいおい、俺の時間は俺が最優先だろ。

「え……、ゴホッ、ゴホゴホッ、な……に……ゴホッ!」

 出た! 咳が出た!

 俺は姉に説明した。都合が悪くなると咳をする、というのは俺の推測なので言わなかったが、ストレスが高まると咳が出ることを説明した。
 おそらく姉も俺と同じ結論に達したのだろう。「いい度胸だわ」とでも言わんばかりの意地悪な笑みを浮かべ、とめどなく出てくる咳に苦しむトシに、姉がスゥーッと接近する。

 姉が不意に右上方を見上げた。彼女が何を気に留めたのか、俺もトシもそちらを見上げる。

「ゴブッ!」

 咳とも取れぬトシのその一声を最後に、彼は咳をしなくなった。

 彼は意識を失った。

「まさか、お姉ちゃん……」

「意識がなけりゃ、咳もできないでしょ?」

 出た! こっちも出たよ、伝家の宝刀、強制停止! 視線誘導付き。

 俺には分かっていたことだが、咳ごときが姉に通用するはずはなかった。

 俺は姉の肩に頭が落ちているトシの身体を引き取り、手を首に回すようにして背負った。
 さすがは男、重い。男のわりに軽いのだろうが、でも男なのだ。重い。
 早く起きてくれないだろうか。
 起きてくれないだろうなぁ。
 俺は姉の拳に休日を丸ごと潰されたもんな。

「ところでお姉ちゃん、なんでこんな所にいるの? まさか俺を探しに?」

「そうね、ウォーリーを探す感覚くらいには。でも、メインはこっち」

 姉は左手にげた白くて小さな紙袋を持ち上げて見せた。

「ああ、なるほど。根回しね」

 どこへ行くのかは不明だが、菓子折りを持って挨拶あいさつに行くのだ。いつものことなので、何の根回しかは不明でもかない。
 これも姉の伝家の宝刀。父より継承されし宝刀である。
 たしか喫茶店にも謝罪という名の根回しに行っていたと思う。

「隼人、そんなことより彼を自宅まで送っていってやりなさい」

「でも、住所は知らないよ」

「ケータイがあれば電話番号から割り出せるでしょ? あずさのときみたいに」

「そりゃあ携帯の電話番号は交換したけれど、あれは家の固定電話の番号が分からないと……」

「仕方ないわね」

 そう言って、姉は自分の携帯電話のアドレス帳で検索し、谷良内家の固定電話の番号を読み上げた。

「まさか、お姉ちゃん……」

「当然、連絡網に書いてあった番号は全部入力済みよ」

 俺の連絡網なのに?

 …………。

 うん、よし、今日はもう考えるのはよそう。
 頭が痛くなってきた。
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