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第一部
その19の巻 決戦。その3
しおりを挟む態度には出さないように努めていたが、クレイは忸怩たる思いを抱いていた。
ーー自分は凡人に過ぎない。
クレイは自己分析している。自分が若き天才と言われ蒼龍騎士団長に成った事は、実力で得たものではない。それは自分の出自が王族に次ぐ大貴族である事と、人より少しだけうまく指揮をとる能力があっただけだと。
もっとも、少し前までは出自の事もあるが、周囲に自分が王国有数の剣士であるとも言われており、それは当然であると思っていた。
しかし、その驕りは魔族との戦いであっさり露呈した。
戦場で王を討たれた混乱をもっとも広げたのは蒼龍騎士団であり、それを迅速にまとめる事がクレイには出来なかった。自分の実力が机上のものでしかなかった事を、まざまざと見せつけられたのだ。王族達やアルゴルと違い、戦場でハウザー襲われなかった事も、クレイのプライドを傷つけた。こう言われた気分だったのだ、お前には襲う価値もない、と。
何とか敗軍をまとめて王都に帰ったクレイは、完全に不抜けていた。その時のクレイは、一部から言われている蔑称『貴族のお坊ちゃん』と言って、誰でもいいから自分を罵って欲しいとまで思っていたのだ。
そこを出合うなり、ブッチャ内務卿が厳しく怒声で叱咤激励してくれた。
ソフィア王女を、肉親を亡くしたばかりの少女を見ろ! 自分が力ないと分かっていながらも、決して諦めようとしていない姿を! それに比べお前はどうなのだ! ただ一度の挫折で全てを諦めるのか? クレイよ!
目から鱗が落ちた気分だった。クレイは悟った。それまでのクレイは本当の挫折を経験したことが無かったのだ。だから挫折からの立ち直り方も分からず、自虐的にすねていただけだったである。
挫折からの立ち直り方は、目の前でソフィアが身体で教えてくれている。この時にソフィアがかけてくれた、
「クレイ、貴方が必要です。一緒にキーシュに来てください」
この言葉は一生忘れない、そうクレイは心に刻み込み、誓ったのだ。自分はソフィアの剣と盾となり、命をかけて一生お仕えする、と。
ーーだから、たとえ上級魔族と会話をして呪われたとしても構わない。私の命は、ソフィア王女の物なのだから!
「ハウザー! 千年も森の中に隠っていた魔族が、何故ソフィア王女の名前を知っている!」
「はて? 何故だろうな。愚かな人間には想像も出来ないかな、蒼龍騎士団長クレイどの?」
「私の名前まで……。下種な魔族よ! どうせ捕虜でも捕え拷問して聞き出したのだろう!」
「我に向かって下種な魔族だと? 愚かな奴め、人間を捕虜にする価値などあると思っているのか? そんな事せずとも勝手にさえずりだすのが人間であろうが」
やはりそうか、クレイは唇を噛みしめた。
ハウザーは誰かからか情報を得ているのは確かなようだ。問題は誰から得ているかという事だろう。
それにしてもこれが上級魔族なのか? 疑問が頭を渦巻く。
話してみた感触だがこいつはとても人間くさい。しかもこんな性格の奴は貴族の社交界に見かけるタイプだ。それならば誘導もしやすい。伝承の記述と違うのは気になるが、今はあとだ。
「嘘だ! 魔族に情報を売る人間などいる訳がない!」
「フンっ。我がお前らの名前を知っているのが何よりの証拠だろうが、愚か者め」
ハウザーは呆れた顔をして、大仰に肩まですくめてみせる。
「証拠というならその者の名前を言って見るがいい! 下品な服で着飾るしか能のない田舎者が!」
クレイの一言を聞くなり、ハウザーは先ほどまでの態度と表情を一転させる。本を持ったままの右手でクレイを指し、紅い目を怒りで輝かせた。
「貴様が我に無礼な口をきくのか! 人間にしては綺麗な顔立ちをしておったから、先の戦いでもアイツの言う事を無視して見逃してやったものを!」
「これが魔族なのか……まるで成金貴族そのままだな」
怒鳴り散らすハウザーを観察しながら、クレイは呟いた
クレイは父親に教育の一環として、幼い頃から貴族の社交会や王家ご用達の商人たちとの折衝に出席させられ、人の見る目と交渉力を鍛えられていた。そのクレイから見ると、ハウザーは自尊心の肥大した成り上がりの貴族の様に感じる。金をかけた自慢の品を貶されると逆上するところなんかそっくりだ。
それにしてもアイツというのが気になる。ハウザーの言い方だと、自分を殺すように指示していた存在のようだ。アイツという者が内通者だろうか? そう仮定して挑発を続けてみる。
「おや、やはり金魚の糞でありましたかアイツという人間の言う事に従うだけの上級魔族様? いや、間違えてしまいました。上級などとはおこがましいかったですね。失礼致しました、下級魔族様?」
その言葉と共に先ほどハウザーがしたお辞儀を、そっくりそのまま真似してみせた。
「我が下等な人間などに従うものか! アイツとは、上級魔族の事だ! それに我がアイツを従えているのだ! 上級魔族とはいえ、下等な人間や下級魔族を操るしかない能のないルルエールに我が従うものか! お前は特別に我が苦しめて殺してやろう!」
「……そんな」
ますます激高していくハウザーに対してクレイは顔色が青くなっていった。
ーー最悪だ!
ハウザーは確かに金魚の糞では無かった。自分から媚びへつらっているのではなく、自分がうまく使われている事にも気付いていない。
こいつはまさしくピエロ、操り人形の道化師。
おそらくルルエールという上級魔族が黒幕で全てを操っているのだろう。
初戦で魔族の軍勢の指揮が高かったのは、ルルエールが魔法で操っていたからか……。
「おや? 今更殺されるのが怖くなったのか?」
顔色が目に見えて悪くなっていくクレイを見て溜飲が下がったのかハウザーは意地の悪い笑みを顔に張り付かせる。自分の言葉でクレイが動揺したと思ったのだろう。
「クックック、人間が怯えるさまは実に我が心を震わせるものよ。もしお前が土下座をして許しを請うならば、我の絵のモデルにしてやっても良い。その顔、その体、もったいないからな」
勘違いをして調子が良くなっているハウザーのお陰で、多少冷静さを取り戻せた。銀色の髪を振りクレイは考えを切り替えた。今は目の前の事をどうにかしなければいけない。
「絵のモデル? 一体何を言っているのだ?」
「教えてやろう! 我こそは世界で最も偉大な芸術家、ハウザー・ヴァンシュタインである!」
「芸術家だと? 魔族なのにか?」
「フンッ、これだから人間などは俗物なのだ。特別に我が芸術を見せてやろう。ほらっ!」
そう言うなりハウザーは城門の外側だがクレイ達と同じ高さの空中に『瞬間移動』すると手に持っていた本を放り投げてきた。そして自分が落ちる前に『瞬間移動』で元の位置に戻る。
投げられた本を受け止めるクレイ。本はスケッチブック程のサイズで、厚手の黒い表紙がつき左側をひもで結び束ねられていた。
ハウザーに顎で促され、クレイは中を確認する。
「……これは!?」
「素晴らしいだろう? デイル王子だ。ぜひソフィア王女にも見てもらいたい?」
意味ありげにハウザーはソフィアを見つめると、両手を自分の身体にまわし、恍惚の表情で身悶え始める。
だが、そんなハウザーの言葉にも気が付かない程、クレイはその本に衝撃を受けていた。
本を見る碧眼の目は大きく見開き、唇も震えている。
「……クレイ、クレイ! その本を私にも見せて下さい」
ソフィアが話しかけているにクレイはやっと気付いた。慌てて本を後ろ手に隠し首を振る。動揺の為か動きがぎこちない。
「駄目です、ソフィア王女。これは悪魔の書です」
声も若干震えているクレイを茶化するように、ハウザーが声をかける。
「何を馬鹿な事を言っておるのだ? これが芸術なのだ。デイル王子もさぞ満足している事だろう?」
意味ありげに言葉を吐くハウザーを一瞥すると、ソフィアはクレイにきつく言いつけた。
「クレイ、構いません。デイル王子の、兄の事ならばどんな事でも、王女としても肉親としても受け止めなければいけません。その本を私に、命令です」
「それでもいけません、蒼龍騎士団長クレイとしてソフィア王女には渡せません」
断固として拒否するクレイやハウザーの言葉の端々から、ソフィアは不穏な物を感じ取っている。
このままではらちが明かないとソフィアは判断すると、
「イザベラ!」
「!」
ソフィアの言葉を合図に一瞬の早業でクレイから本を奪うイザベラ。その絶妙で迅速な行動にクレイも、イザベラの後ろにいたアルゴルの部下も虚をつかれた。普段の動きとは違い過ぎる。
そのままイザベラは、恭しくソフィアに本を奉じた。止める間もない。
「あっ、いけませ……」
「!?」
クレイの制止を聞かずソフィアは本のページをめくりーー凍りついた。
一ページ目ーーデイルの遺体の絵だった。毒で苦しんで死んだのだろう、顔に紫の斑点が浮かび、苦悶の表情を浮かべた表情まで緻密に描かれていた 。
二ページ目ーー絵画の中のデイルは身体全てが紫色に染まり、ソフィアとお揃いであった青い瞳も濁ってきていた。
三ページ目ーーデイルの身体が紫色の濃い部分から徐々にに溶けてきている。綺麗だった金髪もところどころ抜けてきた。
四ページ目ーーさらに全身がぐずぐずに溶けてきている。
五ページ目ーーもはやこれがあの国の皆に愛された天真爛漫な少年とは誰も思わないだろう。
六ページ目、七ページ目、八ページ目、九ページ目、十ページ目、十一ページ目、十二ページ目、十三……。
この本はデイルの遺体が、ただの腐った肉塊になり、さらには骨だけになるまでを精巧に描かれた観察日記だった。
「……!」
声を出すことも出来ず、ソフィアは本を取り落としその場にうずくまった。顔を両手で覆い、身体を震わせ首を振る。まるで世界の全てを否定するように。
その時いちじんの風が吹き、神の悪戯か落ちていた本のページがめくれ上がり、その場にいた全員が本の内容を見てしまった。
誰も動けない。時間が止まった様だった。
その様子を見て満足げに微笑むとハウザーはマントを大きく翻す。
「これぞ我が芸術! ソフィア王女! お前も我が絵のモデ……」
ガキッ!
飛んできた剣を避ける為に、ハウザーは『瞬間移動』をしたので得意げな演説も途中で消える。目標を見失なった剣はハウザーが立っていた後ろの地面に深く突き刺さった。
イザベラがたまらず、剣を投げたのだ。
そのままイザベラはハウザーを罵声しながら、城壁から飛び降りようしているのを、アルゴルの部下に慌てて止められいる。だが、飛び降りようとしている者は他にもいた。
「クレイ、ちょっと暴れてくるぜ? なぁに、少しあいつの手足をもいでくるだけだからさ?」
「……駄目です。自重してください、アルゴル。ソフィア王女の為にも。これは相手の誘いです」
城壁から身を乗り出し、『瞬間移動』で消えたハウザーの姿を探しながら物騒な事を言っているアルゴルを、クレイは制止する。
「イザベラがいて助かったかも知れない」
そうクレイは言いながら、目を血走らせているイザベラに顔を向ける。
真っ先にイザベラが暴れてくれたから冷静になれた。特にアルゴルはイザベラが先にキレていなかったら、クレイに話しかける前に飛び出していただろう。自分も危ない所だった。アルゴルを止めるのに若干間が空いた事から、自分の精神状態をそう判断する。
「我の話を遮るとは万死に値するぞ! 芸術を 解さない野蛮人め!」
いつの間にか『瞬間移動』で元の位置に戻り、ハウザーはイザベラに怒声を浴びせかける。
「全員落ち着きなさい! アルゴルも!」
殺気だち、剣を投げようとする部下達を注意し、ハウザーが再び姿を見せた事で興奮して飛び降りようとしているアルゴルを身体で止めるクレイ。
クレイ達とハウザーはにらみ合い、動きが止まった。
一触即発の空気が漂った。
ーーその空気を、
「エイ、エイ、オー!」
涼やかな女性の声が、切り裂いた。
応援ありがとうございます!
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