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第2章 オフィスラブは失恋後が厄介です
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妊娠検査薬で陽性判定が出た翌日、産婦人科に行こうかとさんざん迷った挙句、結局は会社に行くことにした。
産婦人科に行く勇気がなかった。自分がどうしたいのかわからない。
産むの? 産まないの?
それすら答えが出ていない。
もしも一希に一緒に育てられないと言われたら、そのときわたしはひとりで育てるの?
それに一希がこのことを知ったとき、どんな反応をするのかも怖い。けれどどんな答えでも、それを受け止めるだけの覚悟と強さを持たないと……。
会社に着くと無意識にお腹に手を当てていた。
これまでの自分とは違うわたし。けれど今日もいつもどおりに仕事をしなくてはならない。
わたしが勤める会社は「R&Pフードサービス」という大手の外食産業。ダイニングレストランやワインバーを展開しており、会社名を聞いたことのない人でも「ダイニングレストラン・カシェット」の名前をあげるとピンとくる人も多いだろう。「カシェット」とはフランス語で、隠れ家という意味。フレンチやイタリアンなどの創作料理のお店で、社会人の女性同士やカップルがゆっくり食事を堪能しくつろげるようなレストランを目指している。
親会社は「ロイヤルプリズムホテル」という全国の主要都市には必ずあるシティホテル。
いずれも深見地所という日本でトップクラスの不動産会社の傘下であり、我が社と親会社を含めたグループ企業は国内外合わせて数十社に及ぶ。
12階建ての自社ビルは都内の新興オフィス街にある。有名な建築デザイナーが設計しただけあって、オシャレで機能的な自慢の社屋だ。
正面玄関から入ると右奥にエレベーターが4基あるけれど、朝は通勤電車のラッシュ並みに混雑しているため、いつもはそれを避け階段を使う。働いているフロアは4階なので階段でもさほど苦にならない。
しかし今朝は階段をのぼる気力がなかったのでエレベーターを利用することにした。幸いエレベーターはそれほど混雑していなかった。最後に乗り込んで手を伸ばし、4階のボタンを押す。
するとドアが閉まりかけたところで声が聞こえた。
「すみません! 乗ります!」
この声……。
ドアが開くとそこにいたのは一希だった。わたしと一希は同じ職場。だからこんなふうにエレベーターで一緒になるのはあり得ること。
一希と真正面で顔を見合わせる形になり、わたしが目をそらせずにいると一希が気まずそうな顔をした。
わたしのことがそんなに嫌なのかな。一希と別れてからこれまで何度か会社で顔を合わせたけれど、だいたい今みたいな顔をしている。
「……おはよう」
ドアの前にいたせいか、一希と隣り合わせになり、無視するわけにもいかず声をかける。顔は合わせても、こんなふうに挨拶するのは別れて以来だった。
「おはよ」
一希は小さく返してくれた。
だけどこの胸はぎゅっと締めつけられる。触れようと思えば触れられる距離にいるのに、今のわたしは必死に一希を避けている。本音は触れたいのに。
だって一希は迷惑だと思っているに決まっている。わたしのことを嫌いになって別れたのに、同じ会社に勤めているせいで会いたくもない元カノにこれからも何度も会う羽目になってしまうのだから。
そんなことをうじうじと考えていたら、すぐ近くで軽やかな声がした。
「本間 さん、おはようございます」
経理課の女の子が一希に声をかけていた。華やかな装いの可愛らしいひと。わたしとは反対側の一希の隣に並んでいた彼女が一希を見上げ、微笑んでいる。
「おお! おはよう」
一希も愛想よく答えた。
「この間はお土産ありがとうございました。みんなでおいしく頂きました」
「ならよかった」
「さすが本間さんはセンスがあるって、みんなも言ってました。スイーツに詳しいんですか?」
「ううん、詳しくはないよ。羽田空港のお土産屋さんに女の子がたくさん並んでたから人気のスイーツなのかなと思って買ってみたんだ」
「そのお店、最近オープンしたんです。京都に本店があって有名なお店なんですよ」
経理課の女の子はここが混雑したエレベーターの中だというのに話しかけ続けている。
「へえ、知らなかった」
「いつもありがとうございます。またよろしくお願いしますね」
「もちろんだよ。経理課の子たちにはいつも迷惑かけてるからね」
それにしても一希のやつ、よその部署の女の子たちにお土産なんて買っていたのか。ぜんぜん知らなかった。ていうか、「またよろしくお願いします」って、随分と馴れ馴れしいな、この女の子は。
一希も一希で、さわやかな笑顔なんかしちゃって。
人がこんなに悩んでいるのに。
あー、なんかイライラする!
産婦人科に行く勇気がなかった。自分がどうしたいのかわからない。
産むの? 産まないの?
それすら答えが出ていない。
もしも一希に一緒に育てられないと言われたら、そのときわたしはひとりで育てるの?
それに一希がこのことを知ったとき、どんな反応をするのかも怖い。けれどどんな答えでも、それを受け止めるだけの覚悟と強さを持たないと……。
会社に着くと無意識にお腹に手を当てていた。
これまでの自分とは違うわたし。けれど今日もいつもどおりに仕事をしなくてはならない。
わたしが勤める会社は「R&Pフードサービス」という大手の外食産業。ダイニングレストランやワインバーを展開しており、会社名を聞いたことのない人でも「ダイニングレストラン・カシェット」の名前をあげるとピンとくる人も多いだろう。「カシェット」とはフランス語で、隠れ家という意味。フレンチやイタリアンなどの創作料理のお店で、社会人の女性同士やカップルがゆっくり食事を堪能しくつろげるようなレストランを目指している。
親会社は「ロイヤルプリズムホテル」という全国の主要都市には必ずあるシティホテル。
いずれも深見地所という日本でトップクラスの不動産会社の傘下であり、我が社と親会社を含めたグループ企業は国内外合わせて数十社に及ぶ。
12階建ての自社ビルは都内の新興オフィス街にある。有名な建築デザイナーが設計しただけあって、オシャレで機能的な自慢の社屋だ。
正面玄関から入ると右奥にエレベーターが4基あるけれど、朝は通勤電車のラッシュ並みに混雑しているため、いつもはそれを避け階段を使う。働いているフロアは4階なので階段でもさほど苦にならない。
しかし今朝は階段をのぼる気力がなかったのでエレベーターを利用することにした。幸いエレベーターはそれほど混雑していなかった。最後に乗り込んで手を伸ばし、4階のボタンを押す。
するとドアが閉まりかけたところで声が聞こえた。
「すみません! 乗ります!」
この声……。
ドアが開くとそこにいたのは一希だった。わたしと一希は同じ職場。だからこんなふうにエレベーターで一緒になるのはあり得ること。
一希と真正面で顔を見合わせる形になり、わたしが目をそらせずにいると一希が気まずそうな顔をした。
わたしのことがそんなに嫌なのかな。一希と別れてからこれまで何度か会社で顔を合わせたけれど、だいたい今みたいな顔をしている。
「……おはよう」
ドアの前にいたせいか、一希と隣り合わせになり、無視するわけにもいかず声をかける。顔は合わせても、こんなふうに挨拶するのは別れて以来だった。
「おはよ」
一希は小さく返してくれた。
だけどこの胸はぎゅっと締めつけられる。触れようと思えば触れられる距離にいるのに、今のわたしは必死に一希を避けている。本音は触れたいのに。
だって一希は迷惑だと思っているに決まっている。わたしのことを嫌いになって別れたのに、同じ会社に勤めているせいで会いたくもない元カノにこれからも何度も会う羽目になってしまうのだから。
そんなことをうじうじと考えていたら、すぐ近くで軽やかな声がした。
「本間 さん、おはようございます」
経理課の女の子が一希に声をかけていた。華やかな装いの可愛らしいひと。わたしとは反対側の一希の隣に並んでいた彼女が一希を見上げ、微笑んでいる。
「おお! おはよう」
一希も愛想よく答えた。
「この間はお土産ありがとうございました。みんなでおいしく頂きました」
「ならよかった」
「さすが本間さんはセンスがあるって、みんなも言ってました。スイーツに詳しいんですか?」
「ううん、詳しくはないよ。羽田空港のお土産屋さんに女の子がたくさん並んでたから人気のスイーツなのかなと思って買ってみたんだ」
「そのお店、最近オープンしたんです。京都に本店があって有名なお店なんですよ」
経理課の女の子はここが混雑したエレベーターの中だというのに話しかけ続けている。
「へえ、知らなかった」
「いつもありがとうございます。またよろしくお願いしますね」
「もちろんだよ。経理課の子たちにはいつも迷惑かけてるからね」
それにしても一希のやつ、よその部署の女の子たちにお土産なんて買っていたのか。ぜんぜん知らなかった。ていうか、「またよろしくお願いします」って、随分と馴れ馴れしいな、この女の子は。
一希も一希で、さわやかな笑顔なんかしちゃって。
人がこんなに悩んでいるのに。
あー、なんかイライラする!
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