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2.敏腕社長の華麗な駆け引き
004
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翌日、約束の時間の五分前に冴島WESTビルに赴くと、いつものように署名し、ビジターカードを受け取る。
「十六階へどうぞ」
受付の女性に言われ、身体が強張った。
最上階だ……。
十六階建てのビルはこの辺りだと一番高いビル。店からいつも見上げていたフロアに足を踏み入れることになるなんて思ってもみなかった。
花や花器、必要な道具類をつんだボックスつきの台車を押してエレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押すと、エレベーター内の人たちの視線を感じた。
エリート集団のなかでは異質の格好だし、やはり最上階というのは特別なフロアなのだろう。
エントランスにあった案内板を見たら、冴島テクニカルシステムズは十二階から十六階となっていた。ビルの上層階を占領している会社ということは、グループ企業のなかでも大きな力を持っている会社なのだろうか。
最上階に到着すると、エレベーターの前に女性が立っていた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。わたくし、電話でお話させていただいた小山田です。社長秘書をしております」
「FLORALはるなの春名と申します。このたびはご依頼ありがとうございます」
台車から手を離し、頭を下げて挨拶をした。
小山田さんは電話の声でイメージしていたよりも若い。たぶんわたしと年齢はそう変わらないと思う。
肩につくぐらいの黒髪をひとつに束ねた、すっきりとした顔立ちの美人。しなやかな立ち振る舞いで女性らしい美しさがある。「どうぞ、こちらへ」とさっそく小山田さんに社長室へ案内された。
「社長が挨拶をしたいと申しております」
「えっ、社長さん、なかにいらっしゃるんですか?」
「はい、おります」
てっきり社長さんが不在の時間に作業をするものだと思っていたので、まさかお会いすることになるとは……。
ということは、今日の作業は社長さんがいる前でやるの?
しかし戸惑っている暇はなかった。
小山田さんは社長室の前に来ると、ドアをノックし、すかさずドアを開けた。わたしは背筋をピンと伸ばし、小山田さんに気づかれないよう、ゆっくりと息を吐いた。
「社長、FLORALはるな様をお連れしました」
「失礼します。FLORALはるなの春名と申します」
小山田さんのときと同様に挨拶し、頭を下げる。
「よく来てくれたね。よろしく、春名さん」
社長の声は思ったよりも若い声だった。大きな会社の社長というものは、年配の人かと思っていた。しかもこの声、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「あっ!」
顔を上げ、思わず口もとを手で押さえた。
にこやかな顔で椅子の背にゆったりと身体をあずけているその人は、お母様の誕生日プレゼントを買いにきたあのお客様だ。昨日もエントランスでお会いしている。
ということは、この人が社長……?
「びっくりした?」
「……はい、とても」
びっくりなんてもんじゃない。まさか社長だなんて!
だってこんな大企業の社長が、うちみたいな庶民の店に花を買いに来るなんて思うわけないじゃない。
「ごめんね。でも、わざわざ自分から社長ですなんて言うのも変だろう? それにあくまでも春名さんと僕は、店主と客の関係だからね」
「それはそうですが……」
彼は、冴島秋成《あきなり》。冴島テクニカルシステムズの代表取締役社長だ。
榎本くんにホームページを見せてもらったあと、自分でも確認した。
仕事を請け負う前に、先方がどんな会社なのかを知らなくてはならない。業種、沿革、従業員数、取引銀行、簡単な財務状況の情報ぐらいは収集する必要がある。
冴島社長の背後にある窓からは街を一望できる。さすが最上階。周りに高い建物があまりないため、かなり迫力ある眺めだ。
この人、本当に社長なんだ。
「社長が急に花を飾りたいとおっしゃるのでおかしいなと思ったんですが、そういうことだったんですね」
小山田さんが少し厳しい口調で冴島社長に言ってのけた。
「そんな目で見るなよ。花を飾ることには小山田さんも賛成してただろう? 和みますねって」
「賛成はしましたが、まさか下心からそんな発想をされたとは思いもしませんでしたので」
……下心?
思わぬ言葉にぽかんとなる。
「本人がいる前でよく言うね。春名さん、困ってるよ」
「なら、ご自身で否定してください」
「なんで?」
「『なんで?』じゃありません。まったくもう……」
小山田さんはあきれたように言って肩を落とす。冴島社長は相変わらずにこにことしていた。
今の冴島社長の返答は、小山田さんをからかうつもりで言ったのかな。
軽いノリの冴島社長を見る限り、わたしのことにそれほど興味を持っているように思えなかった。
「春名さん。こんな社長ですが、お仕事を引き受けてくださいますでしょうか?」
小山田さんが仕切り直しをするように確認をしてくる。
「あっ、は、はい! それはもちろんです! 今日もそのつもりで準備してきましたから」
断わる理由なんてあるわけない。うちの店の現状では、どんな仕事も逃すわけにいかないのだ。
それから社長室の応接用ソファに座り、小山田さんから支払い条件について説明を受けた。
「金額については電話でお話した通りです。ご記入いただく書類はこちらです。この書類は一週間を目安にこちらの返信用封筒で送っていただくか、わたしまで直接ご提出ください」
小山田さんは丁寧に書類の内容を説明してくれる。だけどちょっと淡々とした感じもする。几帳面でまじめな方だ。
わたしは一字一句聞き逃さないよう、真剣に耳を傾けた。
ひと通りの説明が終わり、預かった書類を受け取って、カーキのエプロンのポケットにしまう。
大きい前ポケットがついて撥水加工もしてあるエプロンはとても機能的。常時、ペンや電卓、ステープラーなどの文房具を入れている。それを見た小山田さんが、「便利そうですね」と、ようやく顔をほころばせてくれた。
「それでは作業が終わりましたら、秘書室に寄ってくださいね。完了報告をお願いします」
「はい、わかりました」
ニコリとされ、わたしも笑みを返す。それから小山田さんが社長室を出ていき、ドアが閉められた。
ドアが閉まり、そこでようやく重大なことに気がついた。小山田さんがいなくなった今、この部屋にいるのは冴島社長とわたしだけ。社長室の隣は秘書室ではあるけれど、壁に囲まれた空間でふたりきりというのは緊張する。
「生け込みの作業は三十分以上かかってしまうのですが……」
恐れ多くて語尾が小さくなっていく。
最初の懸念通り、やはり冴島社長のいる前で作業をすることになるのだろうか。わたしはぜんぜんかまわないのだけれど、目の前で作業をされたら冴島社長の仕事のじゃまになるのではないかと心配になる。
しかしわたしの心配をよそに冴島社長は、「かまわないよ」と平然と答えた。
「よろしいんですか?」
「もちろん。それとも僕がいるとじゃまかな?」
「いいえ、そんなことありません! むしろ逆ですから!」
失礼なことを言ってしまったような気がして、強く否定した。
生け込みの作業をしているときはかなり集中しているので、周囲にいる人をじゃまに思うことはない。
「なら気にしなくていいよ。せっかくだし、花を生けているところを見たいなと思ったから」
「そんなにおもしろいものではないと思いますけど」
「お店で見たとき、おもしろかったよ。バラバラの種類の花を器用にまとめるなあと思って。実は自分で花を買うのはあのときが初めてだったんだ。仕事関係はすべて小山田さんが手配してくれるから」
冴島社長は楽しげに語ってくれた。
「そうだったんですね」
だから店では居心地の悪そうな感じだったのか。
「立場上、花をもらったり贈ったりすることは多いのに、アレンジメントする花屋さんのことを考えたことがなかったから、僕にとってはちょっとした衝撃だった」
「普通は花屋のことは考えませんよ。大切なのは、花を買い求めるお客様や贈られる側の人の気持ちですから。自分のため、誰かのため……。わたしは花を手に取った方が喜んでくださったり、贈り主の想いを伝えたりする手助けになればいいと思っています」
「きっとみんな喜んでるし、想いも届いてるよ。でもそれは春名さんが心を込めてアレンジメントしてくれるからこそだと思う」
「そんな、言いすぎです」
「本当だよ。母がすごく喜んでた。あのアレンジも気に入ってたみたいで、『いいセンスね』って言って、大事そうに抱えてしばらく眺めてた。そんな母を見て、僕自身も癒やされたよ」
冴島社長の真摯な言葉がじんわりと胸にしみてくる。
掴みどころのない人のようで、時々まじめなことを言うのものだから、余計にドキッとしてしまう。
わたしが花を生けている間、冴島社長はパソコンを操作し、たまに電話で誰かと話をしていた。わたしは電話の内容を聞かないようにしながら、黙々と作業を続けた……のだけれど。
なんなのだろう、この緊張感は。周囲に人がいても、いつもは作業に差し支えないのに、さっきからうしろが気になって仕方がない。強い視線を感じて、やりにくいことこの上ない。
そう思っていたら、ふいに声をかけられた。
「その花、なんて言うの?」
手を止めて振り向くと、仕事そっちのけで前のめりになって見ている。
「こちらの大ぶりの花はユリ科のカサブランカで、小ぶりなのがホワイトデンファレといって、ラン科の花です」
小山田さんがおまかせでというので、部屋の雰囲気に合いやすい白い花にしてみた。花器も白にした。そうすることで、カサブランカやホワイトデンファレのグリーンの葉が映えるのだ。
「へえ、白い花もいいものだね。高貴な感じがする」
冴島社長は感心したように言うと、椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
離れたところからじっと見られるのも困るのに、そばに寄られたらさらに気が散って集中できない。
だけど冴島社長の目的は違うところにあった。
「いい匂いだね」
顔を近づけて香りを嗅いでいるのを見て、なんだそういうことかと安堵する。
「匂い、平気ですか? 人によってはだめという方もいらっしゃるんです」
「平気。きつい香水の匂いより、こっちのほうがずっといい」
それには思わずふき出してしまった。
きっと冴島社長のまわりには常に女性がいらっしゃって、そこそこ遊び慣れているのだろう。容姿もそうだし、わたしに接する態度からもそれはうかがえた。
そういうことを悟られるのを気にすることなく、ましてや単なる花屋のわたしの前で言えてしまうなんて、正直な人だと思った。
そして、その奔放さはさっそく遺憾なく発揮された。
「このあと一緒に昼食はどうかな?」
いきなり、なにかのスイッチが入ったかのようだった。冴島社長がカサブランカの花びらを指でなぞりながら甘く見つめてくる。
その甘さの奥に宿るのは貪欲な強い意志。興味を持ったものを試したがっている。
この人はとことん自分に正直だ。
だけど、こういうのは慣れていないので、うまくかわす方法がわからない。
どうして誘う相手がわたしなのだろう。社交辞令? それともただの気まぐれ? それとも癖みたいなもの? 女の人を見ると、とりあえず声をかけておこうという感じで、いつもの調子で誘ってしまったのだろうか。
「このあとは……」
「お店も忙しいだろうから近場の店にしようと思ってるんだけど、だめかな?」
「えっと、今日はちょっと……」
その目を見ていると、了承してしまいそうになる。
でもよく考えたら天下の冴島物産のグループ企業で、かの有名な冴島テクニカルシステムズの社長だ。冴島の姓ということはおそらく親戚関係なのだろう。
いやいや、さすがに住む世界が違いすぎるでしょう。
「絶対に無理です!」
ついムキになってしまった。
彼の隣を歩くことすら不釣り合いなのに、食事なんてめっそうもない。
「そんなふうに拒絶されたのは初めてなんだけど。なんかショックだな」
「すみません。でも……」
どう見ても落ち込んでいるふうではないけれど、わたしの言い方もひどかったので、素直に謝罪する。だからといって気軽に行こうという気にはなれない。
「このあと予定あるの? 配達とか、アポイントとか?」
「いいえ、そういうのはないんですが。なるべく早く店に戻らないとならないんで」
「そっか、そうだよね。だけどこう考えられない? たとえばクライアントへの接待とか情報収集とか」
「情報収集……ですか?」
「そうだよ。仕事相手のことを知るいい機会だと思わない?」
やんわりと断ってもグイグイ押してくる。さすが人の上に立つ人。駆け引きがうまい。わたしの逃げ道を作るフリをして、しっかりと包囲している。
「情報収集はいいとして。接待と言われても、そんなたいそうなことはできませんし……」
「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」
「でも……」
「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」
「はい?」
「とりあえず一年契約でどう?」
なにそれ……。
交換条件を突きつけられ、唖然とする。わたしごときとのランチのために、そこまで躍起になるなんて。
「花代プラス出張料と技術料と花器レンタル料。しめて一回二万円。週一で訪問してもらおうかと思っているんだけど」
「えっ、そんなに高いプランですか?」
それだと一回エントランスと同じプランだ。
エントランスは大きめのアレンジメントだから一式で二万円でもおかしくないけれど。この社長室の場合、エントランスと同価格を頂くわけにいかない。
でも今後も仕事をさせてもらえるのなら、ぜひ受けたいところ。
ランチぐらいかまわないじゃないか。店の経営のためなら喜んでおつき合いしよう。
「その気になった?」
わたしの考えを読み取っているのか、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》なのが悔しい。
「はい。でも料金プランは適正価格に訂正させてください。一回の訪問で二万円も頂けませんから」
「まじめだね。ならこうしよう。このフロアにある役員会議室も一緒に頼むよ」
「そういうことなら……」
「色気のない部屋でね。だから華やかにしたいんだけど、だからといって派手にもしたくない。できる?」
「もちろん、できます」
「決まりだな」
もしかして……?
ポーカーフェイスで単調なもの言いに、最初からこの展開は彼の筋書き通りなのかもしれないと思った。
相変わらず、なぜわたしのような庶民に興味を持ったのかわからない。
もしかすると興味があるわけでもないのかもしれない。ただわたしを従わせたいだけなのかも。若くして社長になられた人だし、支配欲が強い人なのだろう。
「十六階へどうぞ」
受付の女性に言われ、身体が強張った。
最上階だ……。
十六階建てのビルはこの辺りだと一番高いビル。店からいつも見上げていたフロアに足を踏み入れることになるなんて思ってもみなかった。
花や花器、必要な道具類をつんだボックスつきの台車を押してエレベーターに乗り込む。最上階のボタンを押すと、エレベーター内の人たちの視線を感じた。
エリート集団のなかでは異質の格好だし、やはり最上階というのは特別なフロアなのだろう。
エントランスにあった案内板を見たら、冴島テクニカルシステムズは十二階から十六階となっていた。ビルの上層階を占領している会社ということは、グループ企業のなかでも大きな力を持っている会社なのだろうか。
最上階に到着すると、エレベーターの前に女性が立っていた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。わたくし、電話でお話させていただいた小山田です。社長秘書をしております」
「FLORALはるなの春名と申します。このたびはご依頼ありがとうございます」
台車から手を離し、頭を下げて挨拶をした。
小山田さんは電話の声でイメージしていたよりも若い。たぶんわたしと年齢はそう変わらないと思う。
肩につくぐらいの黒髪をひとつに束ねた、すっきりとした顔立ちの美人。しなやかな立ち振る舞いで女性らしい美しさがある。「どうぞ、こちらへ」とさっそく小山田さんに社長室へ案内された。
「社長が挨拶をしたいと申しております」
「えっ、社長さん、なかにいらっしゃるんですか?」
「はい、おります」
てっきり社長さんが不在の時間に作業をするものだと思っていたので、まさかお会いすることになるとは……。
ということは、今日の作業は社長さんがいる前でやるの?
しかし戸惑っている暇はなかった。
小山田さんは社長室の前に来ると、ドアをノックし、すかさずドアを開けた。わたしは背筋をピンと伸ばし、小山田さんに気づかれないよう、ゆっくりと息を吐いた。
「社長、FLORALはるな様をお連れしました」
「失礼します。FLORALはるなの春名と申します」
小山田さんのときと同様に挨拶し、頭を下げる。
「よく来てくれたね。よろしく、春名さん」
社長の声は思ったよりも若い声だった。大きな会社の社長というものは、年配の人かと思っていた。しかもこの声、どこかで聞いたことがあるような気がする。
「あっ!」
顔を上げ、思わず口もとを手で押さえた。
にこやかな顔で椅子の背にゆったりと身体をあずけているその人は、お母様の誕生日プレゼントを買いにきたあのお客様だ。昨日もエントランスでお会いしている。
ということは、この人が社長……?
「びっくりした?」
「……はい、とても」
びっくりなんてもんじゃない。まさか社長だなんて!
だってこんな大企業の社長が、うちみたいな庶民の店に花を買いに来るなんて思うわけないじゃない。
「ごめんね。でも、わざわざ自分から社長ですなんて言うのも変だろう? それにあくまでも春名さんと僕は、店主と客の関係だからね」
「それはそうですが……」
彼は、冴島秋成《あきなり》。冴島テクニカルシステムズの代表取締役社長だ。
榎本くんにホームページを見せてもらったあと、自分でも確認した。
仕事を請け負う前に、先方がどんな会社なのかを知らなくてはならない。業種、沿革、従業員数、取引銀行、簡単な財務状況の情報ぐらいは収集する必要がある。
冴島社長の背後にある窓からは街を一望できる。さすが最上階。周りに高い建物があまりないため、かなり迫力ある眺めだ。
この人、本当に社長なんだ。
「社長が急に花を飾りたいとおっしゃるのでおかしいなと思ったんですが、そういうことだったんですね」
小山田さんが少し厳しい口調で冴島社長に言ってのけた。
「そんな目で見るなよ。花を飾ることには小山田さんも賛成してただろう? 和みますねって」
「賛成はしましたが、まさか下心からそんな発想をされたとは思いもしませんでしたので」
……下心?
思わぬ言葉にぽかんとなる。
「本人がいる前でよく言うね。春名さん、困ってるよ」
「なら、ご自身で否定してください」
「なんで?」
「『なんで?』じゃありません。まったくもう……」
小山田さんはあきれたように言って肩を落とす。冴島社長は相変わらずにこにことしていた。
今の冴島社長の返答は、小山田さんをからかうつもりで言ったのかな。
軽いノリの冴島社長を見る限り、わたしのことにそれほど興味を持っているように思えなかった。
「春名さん。こんな社長ですが、お仕事を引き受けてくださいますでしょうか?」
小山田さんが仕切り直しをするように確認をしてくる。
「あっ、は、はい! それはもちろんです! 今日もそのつもりで準備してきましたから」
断わる理由なんてあるわけない。うちの店の現状では、どんな仕事も逃すわけにいかないのだ。
それから社長室の応接用ソファに座り、小山田さんから支払い条件について説明を受けた。
「金額については電話でお話した通りです。ご記入いただく書類はこちらです。この書類は一週間を目安にこちらの返信用封筒で送っていただくか、わたしまで直接ご提出ください」
小山田さんは丁寧に書類の内容を説明してくれる。だけどちょっと淡々とした感じもする。几帳面でまじめな方だ。
わたしは一字一句聞き逃さないよう、真剣に耳を傾けた。
ひと通りの説明が終わり、預かった書類を受け取って、カーキのエプロンのポケットにしまう。
大きい前ポケットがついて撥水加工もしてあるエプロンはとても機能的。常時、ペンや電卓、ステープラーなどの文房具を入れている。それを見た小山田さんが、「便利そうですね」と、ようやく顔をほころばせてくれた。
「それでは作業が終わりましたら、秘書室に寄ってくださいね。完了報告をお願いします」
「はい、わかりました」
ニコリとされ、わたしも笑みを返す。それから小山田さんが社長室を出ていき、ドアが閉められた。
ドアが閉まり、そこでようやく重大なことに気がついた。小山田さんがいなくなった今、この部屋にいるのは冴島社長とわたしだけ。社長室の隣は秘書室ではあるけれど、壁に囲まれた空間でふたりきりというのは緊張する。
「生け込みの作業は三十分以上かかってしまうのですが……」
恐れ多くて語尾が小さくなっていく。
最初の懸念通り、やはり冴島社長のいる前で作業をすることになるのだろうか。わたしはぜんぜんかまわないのだけれど、目の前で作業をされたら冴島社長の仕事のじゃまになるのではないかと心配になる。
しかしわたしの心配をよそに冴島社長は、「かまわないよ」と平然と答えた。
「よろしいんですか?」
「もちろん。それとも僕がいるとじゃまかな?」
「いいえ、そんなことありません! むしろ逆ですから!」
失礼なことを言ってしまったような気がして、強く否定した。
生け込みの作業をしているときはかなり集中しているので、周囲にいる人をじゃまに思うことはない。
「なら気にしなくていいよ。せっかくだし、花を生けているところを見たいなと思ったから」
「そんなにおもしろいものではないと思いますけど」
「お店で見たとき、おもしろかったよ。バラバラの種類の花を器用にまとめるなあと思って。実は自分で花を買うのはあのときが初めてだったんだ。仕事関係はすべて小山田さんが手配してくれるから」
冴島社長は楽しげに語ってくれた。
「そうだったんですね」
だから店では居心地の悪そうな感じだったのか。
「立場上、花をもらったり贈ったりすることは多いのに、アレンジメントする花屋さんのことを考えたことがなかったから、僕にとってはちょっとした衝撃だった」
「普通は花屋のことは考えませんよ。大切なのは、花を買い求めるお客様や贈られる側の人の気持ちですから。自分のため、誰かのため……。わたしは花を手に取った方が喜んでくださったり、贈り主の想いを伝えたりする手助けになればいいと思っています」
「きっとみんな喜んでるし、想いも届いてるよ。でもそれは春名さんが心を込めてアレンジメントしてくれるからこそだと思う」
「そんな、言いすぎです」
「本当だよ。母がすごく喜んでた。あのアレンジも気に入ってたみたいで、『いいセンスね』って言って、大事そうに抱えてしばらく眺めてた。そんな母を見て、僕自身も癒やされたよ」
冴島社長の真摯な言葉がじんわりと胸にしみてくる。
掴みどころのない人のようで、時々まじめなことを言うのものだから、余計にドキッとしてしまう。
わたしが花を生けている間、冴島社長はパソコンを操作し、たまに電話で誰かと話をしていた。わたしは電話の内容を聞かないようにしながら、黙々と作業を続けた……のだけれど。
なんなのだろう、この緊張感は。周囲に人がいても、いつもは作業に差し支えないのに、さっきからうしろが気になって仕方がない。強い視線を感じて、やりにくいことこの上ない。
そう思っていたら、ふいに声をかけられた。
「その花、なんて言うの?」
手を止めて振り向くと、仕事そっちのけで前のめりになって見ている。
「こちらの大ぶりの花はユリ科のカサブランカで、小ぶりなのがホワイトデンファレといって、ラン科の花です」
小山田さんがおまかせでというので、部屋の雰囲気に合いやすい白い花にしてみた。花器も白にした。そうすることで、カサブランカやホワイトデンファレのグリーンの葉が映えるのだ。
「へえ、白い花もいいものだね。高貴な感じがする」
冴島社長は感心したように言うと、椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
離れたところからじっと見られるのも困るのに、そばに寄られたらさらに気が散って集中できない。
だけど冴島社長の目的は違うところにあった。
「いい匂いだね」
顔を近づけて香りを嗅いでいるのを見て、なんだそういうことかと安堵する。
「匂い、平気ですか? 人によってはだめという方もいらっしゃるんです」
「平気。きつい香水の匂いより、こっちのほうがずっといい」
それには思わずふき出してしまった。
きっと冴島社長のまわりには常に女性がいらっしゃって、そこそこ遊び慣れているのだろう。容姿もそうだし、わたしに接する態度からもそれはうかがえた。
そういうことを悟られるのを気にすることなく、ましてや単なる花屋のわたしの前で言えてしまうなんて、正直な人だと思った。
そして、その奔放さはさっそく遺憾なく発揮された。
「このあと一緒に昼食はどうかな?」
いきなり、なにかのスイッチが入ったかのようだった。冴島社長がカサブランカの花びらを指でなぞりながら甘く見つめてくる。
その甘さの奥に宿るのは貪欲な強い意志。興味を持ったものを試したがっている。
この人はとことん自分に正直だ。
だけど、こういうのは慣れていないので、うまくかわす方法がわからない。
どうして誘う相手がわたしなのだろう。社交辞令? それともただの気まぐれ? それとも癖みたいなもの? 女の人を見ると、とりあえず声をかけておこうという感じで、いつもの調子で誘ってしまったのだろうか。
「このあとは……」
「お店も忙しいだろうから近場の店にしようと思ってるんだけど、だめかな?」
「えっと、今日はちょっと……」
その目を見ていると、了承してしまいそうになる。
でもよく考えたら天下の冴島物産のグループ企業で、かの有名な冴島テクニカルシステムズの社長だ。冴島の姓ということはおそらく親戚関係なのだろう。
いやいや、さすがに住む世界が違いすぎるでしょう。
「絶対に無理です!」
ついムキになってしまった。
彼の隣を歩くことすら不釣り合いなのに、食事なんてめっそうもない。
「そんなふうに拒絶されたのは初めてなんだけど。なんかショックだな」
「すみません。でも……」
どう見ても落ち込んでいるふうではないけれど、わたしの言い方もひどかったので、素直に謝罪する。だからといって気軽に行こうという気にはなれない。
「このあと予定あるの? 配達とか、アポイントとか?」
「いいえ、そういうのはないんですが。なるべく早く店に戻らないとならないんで」
「そっか、そうだよね。だけどこう考えられない? たとえばクライアントへの接待とか情報収集とか」
「情報収集……ですか?」
「そうだよ。仕事相手のことを知るいい機会だと思わない?」
やんわりと断ってもグイグイ押してくる。さすが人の上に立つ人。駆け引きがうまい。わたしの逃げ道を作るフリをして、しっかりと包囲している。
「情報収集はいいとして。接待と言われても、そんなたいそうなことはできませんし……」
「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」
「でも……」
「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」
「はい?」
「とりあえず一年契約でどう?」
なにそれ……。
交換条件を突きつけられ、唖然とする。わたしごときとのランチのために、そこまで躍起になるなんて。
「花代プラス出張料と技術料と花器レンタル料。しめて一回二万円。週一で訪問してもらおうかと思っているんだけど」
「えっ、そんなに高いプランですか?」
それだと一回エントランスと同じプランだ。
エントランスは大きめのアレンジメントだから一式で二万円でもおかしくないけれど。この社長室の場合、エントランスと同価格を頂くわけにいかない。
でも今後も仕事をさせてもらえるのなら、ぜひ受けたいところ。
ランチぐらいかまわないじゃないか。店の経営のためなら喜んでおつき合いしよう。
「その気になった?」
わたしの考えを読み取っているのか、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》なのが悔しい。
「はい。でも料金プランは適正価格に訂正させてください。一回の訪問で二万円も頂けませんから」
「まじめだね。ならこうしよう。このフロアにある役員会議室も一緒に頼むよ」
「そういうことなら……」
「色気のない部屋でね。だから華やかにしたいんだけど、だからといって派手にもしたくない。できる?」
「もちろん、できます」
「決まりだな」
もしかして……?
ポーカーフェイスで単調なもの言いに、最初からこの展開は彼の筋書き通りなのかもしれないと思った。
相変わらず、なぜわたしのような庶民に興味を持ったのかわからない。
もしかすると興味があるわけでもないのかもしれない。ただわたしを従わせたいだけなのかも。若くして社長になられた人だし、支配欲が強い人なのだろう。
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