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6.身代わりでもいいから
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黒い大きな傘を持った佐野先生を見たとき、待っていてよかったと思った。
「びしょ濡れじゃないか。いつからいたんだよ?」
傘をさしていたにもかかわらず、髪までも濡れていた。
「一時間くらい……かな」
「前もって連絡寄こせよ。すれ違っていたら会えなかったかもしれないんだぞ。しかもこんな雨のなかで、風邪ひいたらどうすんだよ」
怒られているのにうれしくなる。会いに来たことは迷惑じゃないんだ。
わたしは買い物袋を掲げた。
「急にすき焼きを食べたくなっちゃって」
びしょ濡れの服で部屋にあがり込むのは悪いと思ったけれど、今日はどうしても一緒にいたい。だって花火大会の日から一ヶ月も会えていないから、そろそろ限界だった。
オートロックのドアを抜け、生花が飾られているエントランスを通り過ぎた。想像よりも豪華な十五階建てマンションでちょっとびっくり。聞けば築二年ほどだというので二度びっくり。賃貸で住んでいるのではなさそう。
「もしかして分譲ですか?」
「まあな。庭つき一戸建ても考えたけど独身だし」
でもいつかは家族ができるでしょう? ……と思ったけれど、それは心のなかにとどめておいた。
佐野先生の部屋は十二階にある。「金持ちだったらタワマンといきたいところだったけど」と言いつつ、リビングダイニングの内装とインテリアはどことなく高級感がある。全体的にブラウンとブラック、そしてホワイトで統一され、広々としていた。
「先にシャワー浴びてこいよ。そのままだと風邪ひくから」
「でも……」
「着替えなら貸すから」
そう言って、奥のベッドルームらしき部屋からTシャツとハーフパンツを出してきた。
「ちゃんと洗濯してあるから」
「お借りします」
「バスルームはあっち。タオルもなかに置いてあるから。濡れた服はあとで洗濯すればいい」
服を抱えてバスルームへ駆け込む。
服、借りちゃった……。
洗いたての服のようだけれど、佐野先生の匂いがつまっているみたいで顔を埋めてしまう。改めて佐野先生の家なんだと実感した。と同時に、いきなり家に押しかけるなんて、我ながら大胆だと思った。
シャワーを浴び終え、バスルームから出ると、佐野先生はキッチンに立っていた。
「わたしがやります!」
そのために来たのに。
「これくらい俺にもできるよ」
今日買ったネギやシイタケ、春菊などの食材がきれいに切りそろえられ、皿に盛りつけてあった。それを見て、なにしに来たんだとしょんぼりした。
「あとはカセットコンロだな」
佐野先生はキッチンの戸棚からそれをおろし、ダイニングテーブルにセットした。
よく見たら調理器具も鍋も完璧なまでにそろっている。いつもはコンビニ弁当や外食が多いらしいけれど。そういえば前にカレーライスを作ったという話を思い出した。
「お料理するの、好きなんですか?」
「嫌いじゃないよ。学生時代はよく自炊してた」
佐野先生の大学時代か。いまのわたしと同年代の頃だ。いったいどんな大学生活を送っていたんだろう。教師になる前の話はあまり聞いたことがないので興味がわく。どんな恋愛をしてきたんだろう。失恋もしたのかな。
佐野先生が用意したカトラリーと食器をダイニングテーブルに並べた。だけどわたしが手伝ったのはそれぐらいで、ほとんど佐野先生にやらせてしまった。
「よし、とりあえず準備完了」
「じゃあ、さっそく作りましょう」
せめて調理ぐらいはと思い、カセットコンロに火をつけようとすると。
「待った」
佐野先生に制止された。
「なんでですか?」
「その前に……」
それからなぜか佐野先生はバスルームに向かい、かと思ったらすぐに戻ってきて、「こっち来い」とリビングのソファに腰をおろす。手にはドライヤーがあった。
ドキドキしながら隣に座ると、大きな手のひらで頭をガシガシとかきまわされる。ドライヤーの風を受けながら、わたしは佐野先生に背中を向け、下を向いていた。
「髪、やわらかいな」
「猫っ毛なので毎朝セットが大変です」
「でも長い髪もよく似合っていてかわいいよ」
顔に熱が集まってくる。こんなときにそんなセリフを言うなんて卑怯だよ。
乱暴気味に乾かしていたのがだんだんと丁寧になっていった。ゆっくりと撫でる手のひらが気持ちいい。顔だけにとどまらず全身がほてってくる。
「佐野先生?」
「ん?」
わたしが改まったように言ったので、佐野先生がドライヤーのスイッチをOFFにする。それと同時に振り向くと、その目がじっとわたしを見据えていてハッとした。
瞳の奥に見えたのは、冷めた眼差し。それはわたしとの境界線。決してわたしのすべてを受け入れているわけじゃない。わたしとは到底通い合わない想いに愕然とした。
佐野先生はわたしの気持ちに気づいている。だからそんな目をするんだ。
どれだけ求めてもこの想いは佐野先生には届かないのかな。なのにわたしはあと戻りできないところまできている。
好きなんです。佐野先生の彼女にしてください。
喉まで出かかった言葉をそのときは飲み込むしかなかった。
「……お腹が空きました」
口角をあげ、小さく笑ってみる。それが作られたものだと自覚して、胸の奥をぎゅっとつかまれたみたいに苦しかった。
「びしょ濡れじゃないか。いつからいたんだよ?」
傘をさしていたにもかかわらず、髪までも濡れていた。
「一時間くらい……かな」
「前もって連絡寄こせよ。すれ違っていたら会えなかったかもしれないんだぞ。しかもこんな雨のなかで、風邪ひいたらどうすんだよ」
怒られているのにうれしくなる。会いに来たことは迷惑じゃないんだ。
わたしは買い物袋を掲げた。
「急にすき焼きを食べたくなっちゃって」
びしょ濡れの服で部屋にあがり込むのは悪いと思ったけれど、今日はどうしても一緒にいたい。だって花火大会の日から一ヶ月も会えていないから、そろそろ限界だった。
オートロックのドアを抜け、生花が飾られているエントランスを通り過ぎた。想像よりも豪華な十五階建てマンションでちょっとびっくり。聞けば築二年ほどだというので二度びっくり。賃貸で住んでいるのではなさそう。
「もしかして分譲ですか?」
「まあな。庭つき一戸建ても考えたけど独身だし」
でもいつかは家族ができるでしょう? ……と思ったけれど、それは心のなかにとどめておいた。
佐野先生の部屋は十二階にある。「金持ちだったらタワマンといきたいところだったけど」と言いつつ、リビングダイニングの内装とインテリアはどことなく高級感がある。全体的にブラウンとブラック、そしてホワイトで統一され、広々としていた。
「先にシャワー浴びてこいよ。そのままだと風邪ひくから」
「でも……」
「着替えなら貸すから」
そう言って、奥のベッドルームらしき部屋からTシャツとハーフパンツを出してきた。
「ちゃんと洗濯してあるから」
「お借りします」
「バスルームはあっち。タオルもなかに置いてあるから。濡れた服はあとで洗濯すればいい」
服を抱えてバスルームへ駆け込む。
服、借りちゃった……。
洗いたての服のようだけれど、佐野先生の匂いがつまっているみたいで顔を埋めてしまう。改めて佐野先生の家なんだと実感した。と同時に、いきなり家に押しかけるなんて、我ながら大胆だと思った。
シャワーを浴び終え、バスルームから出ると、佐野先生はキッチンに立っていた。
「わたしがやります!」
そのために来たのに。
「これくらい俺にもできるよ」
今日買ったネギやシイタケ、春菊などの食材がきれいに切りそろえられ、皿に盛りつけてあった。それを見て、なにしに来たんだとしょんぼりした。
「あとはカセットコンロだな」
佐野先生はキッチンの戸棚からそれをおろし、ダイニングテーブルにセットした。
よく見たら調理器具も鍋も完璧なまでにそろっている。いつもはコンビニ弁当や外食が多いらしいけれど。そういえば前にカレーライスを作ったという話を思い出した。
「お料理するの、好きなんですか?」
「嫌いじゃないよ。学生時代はよく自炊してた」
佐野先生の大学時代か。いまのわたしと同年代の頃だ。いったいどんな大学生活を送っていたんだろう。教師になる前の話はあまり聞いたことがないので興味がわく。どんな恋愛をしてきたんだろう。失恋もしたのかな。
佐野先生が用意したカトラリーと食器をダイニングテーブルに並べた。だけどわたしが手伝ったのはそれぐらいで、ほとんど佐野先生にやらせてしまった。
「よし、とりあえず準備完了」
「じゃあ、さっそく作りましょう」
せめて調理ぐらいはと思い、カセットコンロに火をつけようとすると。
「待った」
佐野先生に制止された。
「なんでですか?」
「その前に……」
それからなぜか佐野先生はバスルームに向かい、かと思ったらすぐに戻ってきて、「こっち来い」とリビングのソファに腰をおろす。手にはドライヤーがあった。
ドキドキしながら隣に座ると、大きな手のひらで頭をガシガシとかきまわされる。ドライヤーの風を受けながら、わたしは佐野先生に背中を向け、下を向いていた。
「髪、やわらかいな」
「猫っ毛なので毎朝セットが大変です」
「でも長い髪もよく似合っていてかわいいよ」
顔に熱が集まってくる。こんなときにそんなセリフを言うなんて卑怯だよ。
乱暴気味に乾かしていたのがだんだんと丁寧になっていった。ゆっくりと撫でる手のひらが気持ちいい。顔だけにとどまらず全身がほてってくる。
「佐野先生?」
「ん?」
わたしが改まったように言ったので、佐野先生がドライヤーのスイッチをOFFにする。それと同時に振り向くと、その目がじっとわたしを見据えていてハッとした。
瞳の奥に見えたのは、冷めた眼差し。それはわたしとの境界線。決してわたしのすべてを受け入れているわけじゃない。わたしとは到底通い合わない想いに愕然とした。
佐野先生はわたしの気持ちに気づいている。だからそんな目をするんだ。
どれだけ求めてもこの想いは佐野先生には届かないのかな。なのにわたしはあと戻りできないところまできている。
好きなんです。佐野先生の彼女にしてください。
喉まで出かかった言葉をそのときは飲み込むしかなかった。
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