恋い焦がれて

さとう涼

文字の大きさ
46 / 53
8.儚い時間

045

しおりを挟む
 この手首の痛みは、わたしの心の痛みのはけ口になっているのかな。身体は無傷のくせに、そこだけがじんじんと痺れが続いている。

 あのあと通りかかった人に頼んで救急車を呼んでもらい、病院で警察から事情を聞かれた。そこへ両親も駆けつけた。ストーキングされていることを両親に黙っていたので、そこはこってりしぼられたけど、そんなことはどうでもよかった。それよりも佐野先生だ。
 佐野先生は入院となった。右肩を刺され軽傷とは聞いているけれど、傷は深かったそうだ。麻痺が残るかもしれない。佐野先生を見舞った父から聞かされた。
 ビルの前に落ちていたわたしのバッグを拾った佐野先生が嫌な予感がして入ってきたら、あの有様だったそうだ。佐野先生はバッグをとっさに放り投げたのか、それは部屋の出入口付近に落ちていたそうで、警察官がバッグを届けてくれた。
 ストーカー男は救急車よりもひと足早く到着した警察官にあの場所で逮捕された。だけど誰の心も救われない結末のような気がする。佐野先生は大怪我を負っているというのに、ストーカー男は反省の言葉もないそうだ。
 わたしはあまりにも申し訳なくて、泣くことしかできない。深く沈んだわたしには、佐野先生に面会する気力はなかった。

「佐野先生の様子はどうだった?」

 事件の翌日の昼頃。見舞いから帰ってきた母に真っ先に尋ねた。

「元気そうだったわ。逆に先生が輝を心配していたわよ」
「……そう」
「あんなことがあってつらいでしょうけど。お見舞いには行かないの?」

 心配か……。母が言っていた言葉が胸に引っかかった。お見舞いに行きたい気持ちはあるけれど、なんて謝っていいのかわからない。いや、そもそも佐野先生は謝罪なんて求めていないのはわかっている。そうじゃなくて、佐野先生の人生に悪い影響を与えてしまっている自分のことが許せなかった。
 でもそれって自分のことしか考えていないということになるのかな。それじゃだめだ。自分のことより、まずは佐野先生を安心させてあげなきゃ。


 その日の夕方、わたしは病院に行った。「コンコン」とノックをしたら、なかから「はい」と返事がした。ゆっくりとドアを開けると佐野先生は食事中だった。

「……こ、こんにちは。じゃなかった、こんばんは……かな」
「輝……」
「来るのが遅くなって、すみません」

 ベッドのそばに寄ると左手を差し出された。意味がわからなかったけれど、その手を握った。
 すると、ぐっと引き寄せられた。握られた手のひらからすべてが伝わってくるような気がした。「来てくれてありがとう」と言ってもらえたような気がして、なにかが解放されたみたいに、涙がこぼれた。
 やさしすぎるよ。なのにわたしは心配ばかりかけている。怪我をさせてしまった責任を感じ、ひとりで怖がって、会うのをためらっていたわたしはなんて情けないんだろう。

「ごめんなさいっ……。本当に、ごめん……なさい……」

 顔をくしゃくしゃにして大号泣。右手で涙を拭いながら、ひたすら泣いた。

「大丈夫。こんな怪我、どうってことないから」

 だけど肩から腕は三角巾で固定され、点滴にもつながれていて痛々しい。それを見ていると胸がしめつけられる。

「痛みますか?」
「動かさなければ平気だよ。すぐに治るよ」
「でも麻痺が残ると聞きました」
「それはちょっとおおげさだな。傷が少し深かったから、最初は少し不自由があるかもっていう意味だよ」
「本当? じゃあ、ちゃんと治るんですか?」
「あたり前だろう。医者も、リハビリすればじきによくなるって言っていたよ」
「よかった……。本当によかった……」

 お父さんたらあんな言い方をするからてっきり……。もちろん、そんなことになったら一生かけて償う覚悟はしていたけれど。

「聞いたよ、前からストーカーにつきまとわれてたって。なんで言わないんだよ?」
「……ごめんなさい」
「踏切であきらめて帰らないでよかったよ。俺の心配性もたまには役に立ったな」
 佐野先生は、暗い夜道のなか、わたしをひとりで帰すのが心配で、あんなにしつこく追いかけてくれたそうだ。

「佐野先生がいなかったら、わたし、どうなってたか……」
「そんなことは考えなくていいんだよ。輝は無事だったんだから」
「はい……」

 ずっと手を離さずに、佐野先生は低い声でわたしの心の奥の、さらにもっと奥をさぐろうとしている。嘘をついても無駄だよと言っているかのように手に力をこめてくる。
 その手はあたたかくて頼りがいもある。すべてを包み込む大人の余裕と懐の深さを感じた。

「大丈夫か?」
「わたしの心配はしないでください」
「するよ、心配。あんな目に遭ったら精神的に参らないわけないよ」
「たしかに怖かったけど、佐野先生が怪我をしたことのほうがずっとずっと怖かったんです」

 再びこぼれた涙を拭うと、佐野先生は「おいで」とベッドの端にわたしを座らせ、自由がきく左手でわたしの背中を引き寄せた。
 わたしは右腕で身体を支えながら佐野先生の胸に顔を埋め、左腕を佐野先生の腰にまわした。
 呼吸のたびに揺れる上半身に生命を感じる。無事でよかった。この状況に心から感謝した。
 もう離れたくない、このままずっとそばにいたい。ふたりきりの静かな病室でそんなあり得ないことを思った。
 思うだけ。いまだけだから……。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】

remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。 地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。 水村ゆい、23歳、シングルマザー。 誰にも言えないけど、愛息子の父親は、 今人気絶頂バンドのボーカルなんです。 初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。 待っている… 人生で、一度だけの恋。 【完結】ありがとうございました‼︎

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

Short stories

美希みなみ
恋愛
「咲き誇る花のように恋したい」幼馴染の光輝の事がずっと好きな麻衣だったが、光輝は麻衣の妹の結衣と付き合っている。その事実に、麻衣はいつも笑顔で自分の思いを封じ込めてきたけど……? 切なくて、泣ける短編です。

私の大好きな彼氏はみんなに優しい

hayama_25
恋愛
柊先輩は私の自慢の彼氏だ。 柊先輩の好きなところは、誰にでも優しく出来るところ。 そして… 柊先輩の嫌いなところは、誰にでも優しくするところ。

元男装傭兵、完璧な淑女を演じます。――嫁ぎ先はかつての団長でした!?

中野森
恋愛
貧乏男爵家の長女クラリスは、弟の学費を稼ぐために男装して傭兵団へ入団した。 副団長にまで上り詰め、団長をはじめとした仲間から信頼を得るが、決して正体は明かさなかった。 やがて戦争が終わり、傭兵団は解散となる。 出稼ぎするために流した嘘の悪評により、修道院入りを覚悟していたクラリスだったが、帰郷した彼女を待っていたのは父からの「嫁ぎ先が決まった」という一言だった。 慌ただしく始まる淑女教育、そして一度も未来の夫と顔合わせすることなく迎えた結婚式当日。 誓いの言葉を促され隣からきこてくる声に、クラリスは凍りつく。 ……嘘でしょ、団長!? かつての想い人でもある傭兵仲間が今は夫となり、妻の正体には気づいていない――気づかれてはいけないのだ、絶対に! 本作品はゆるふわ設定、ご都合主義、細かいことは気にしたら負け! ※この小説は、ほかの小説投稿サイトにも投稿しています。

処理中です...