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婚約者としての生活
第6話
しおりを挟む背中に衝撃が走った。
肩甲骨から胸の間を何かで貫かれたかのような感覚に陥り、サクラの全身に鳥肌が立つ。
──殺される、サクラの頭の中に最悪の光景が浮かんだ。
とても穏やかな朝だった。
同じ屋根の下で暮らす者同士で笑い合う、そんないち日のはじまり。
だから、油断してしまったのだ。
ここは人外の存在が王位を巡って争い合っている殺伐とした世界であることを。
失念していたのだ。
ここが死と隣り合わせの世界であることを。
突然の背後からの一撃でも、サクラが膝をつくことはなかった。
だが、こうして襲撃を受けた以上、この後にどんな展開が待ち受けているのかわからない。
サクラは手にしていたほうきを剣のようにして構えると、背後の襲撃者から距離をとりつつ振り返った。
「──っヴァルカさん⁉︎」
ほうきを手に身構えるサクラの視線の先にいたのは、ヴァルカだった。
彼女は掃除用のはたきを片手に持ち、唖然とした表情をしてサクラをみつめている。
「……ど、どうしたんですか?」
「それを聞きたいのはこちらですわ。ぼんやりなさっているから、活を入れてさしあげようとしただけですのに」
ここはNPCであるクロビスの邸宅である。そこに彼の使用人であるヴァルカがいるのは自然なことだ。
ましてや、今のサクラはヴァルカの指示で掃き掃除をしていた。手を止めていれば、注意をされて当たり前だ。
サクラは先ほどの衝撃が襲撃者によるものではなく、ヴァルカの叱責であったことに気がついた。
ヴァルカに小突かれつつ指導を受けることなんて、これまでに何度もあった。どうして今日に限って、敵対者による襲撃と勘違いしてしまったのだろうか。
「ご、ごめんなさい。すぐにお掃除の続きをしまっ……⁉︎」
サクラは恥ずかしくなって頬を赤く染めながら構えていたほうきを下すと、ヴァルカに向かって謝罪を口にした。そのまますぐに掃除を再開しようとすると、今度は両肩に痛みを感じる。ヴァルカが手にしていたはたきを床に落として、がっしりとサクラの肩を掴んでいた。
「まあまあ、あまり情けないことをおっしゃらないでくださいませ。婆やは悲しいですわ!」
いきなりヴァルカが涙を流しながら大声で叫んだ。
殺されたかと思うほどの暴力を振るわれたのはサクラの方だ。こちらが抗議のために声を荒げるのはわかる。どうして加害者側のヴァルカの方が、痛そうなほどに顔を歪ませているのか。
「どうしてどうして! ああ、なんて嘆かわしいのでしょうか」
ヴァルカが頭を振り乱して泣いている。
いったいなにが起きているのか。サクラには状況がまったく理解できない。
「………………ふう」
サクラはひとまず大きく息をはいた。
こういうときは焦ってなにかをするよりも、落ち着いたほうがよい。この世界にきたとき、そう反省したはずだ。
そうして、サクラはひとつの可能性にたどりつく。
「……もしかしてヴァルカさん、いまの私の独り言を聞いていたの?」
サクラは深呼吸をしたあと、淡々とした声色でヴァルカに尋ねた。
肩を震わせて泣いているヴァルカは、サクラの問いかけに大きく頷いた。
「ええ、ええ! 料理はまずい、掃除もまともにできないのあたりから、しっかりと聞かせていただきましたとも!」
「ああ、なるほどね。そういうことか」
その前のゲームについてぼやいている部分を聞かれなくてよかった。
サクラは安堵から、ほっと息をついて優しく微笑んだ。ヴァルカにも落ち着いてもらうために、笑顔を見せてあげようと思ったのだ。
しかし、サクラはすぐに自分が口にしてしまった言葉のすべてを思い出した。
彼のことを好きになっていると、たしかに言ってしまっていた。
「あ、あはははは。そこから聞かれちゃっていたのか。それは恥ずかしいなあ」
サクラが抱き始めている繊細な感情を知られてしまった。
あまりにも気まずい。身の置きどころがない。
サクラはなんとか笑ってごまかそうとするが、急激にからだが熱を持っていくことがわかる。
頬だけでなく、首筋から耳元まで、肌が見えている部分は真っ赤になっていることがヴァルカにもわかるだろう。
そんなごまかし笑いを浮かべるサクラとは対照的に、ヴァルカの方は悲しそうに顔を曇らせていくのだった。
「……どうかどうか。お嫁さんごっこだなんて、そんな言い方はなさらないでくださいませ」
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