私は王子の婚約者にはなりたくありません。

黒蜜きな粉

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「私はたまたま帰省しているだけでございますので……。休暇はもう終わりますし、明日にでも留学先に戻ろうかと思っていたところでしたのよ」

 メリッサは取り繕うように愛想笑いを浮かべる。そんなメリッサを、王子は余裕たっぷりの表情で見つめていた。

「それはわかっている。だからこそ手早く済ませてしまおうと考えたのだ」

 王子はそう言って自分の唇を指差した。
 王子の言いたいことを察したメリッサは、自分の唇を服の裾で拭った。先ほどまで王子の唇が触れていたかと思うと、気持ちが悪くてたまらなかった。

「今さらそんなことをしても、ここにいる皆が見た事実は消せないぞ?」

「そんなことはわかっております。けれど、こうしたいほど嫌だったということですわ」

 既成事実を作られてしまった。
 まさかこんなに大勢の人がいる中で王子に口づけをされてしまうとは誰が思うだろうか。

「いずれこの国の王になる私の好意を嫌がるとは面白い女だ」

「面白がっていただかなくて結構です! 私はもう失礼させていただきますわ」

 メリッサは王子に向かって丁寧にお辞儀をしてから夜会の会場を後にしようとする。
 すると、そんなメリッサの前に見知らぬ女が立ち塞がった。

「あなたは誰? 殿下とはどういうご関係なの⁉」

 女は腕を組んで仁王立ちしながら叫んだ。
 メリッサは女の顔に見覚えがない。記憶に間違いがなければ、この女とは初対面のはずだ。
 だというのに、この女のメリッサに対する態度はどうしたものなのかと驚いてしまう。

「あなたは誰だって聞いているの! 言葉が通じていないの⁉」

 女は怒っているらしい。
 メリッサは女が憤慨している理由がさっぱりわからなかった。
 それでも、相手に対して失礼がないようにしなければならないのが礼儀というものだ。

「お初にお目にかかります。私はメリッサ・ダールベックと……」

「彼女のことは君には関係のないことだ」

 メリッサが名乗っている途中で王子に遮られた。
 メリッサは舌打ちをしたい気持ちをぐっとこらえて顔を上げた。それからすぐに状況を把握するために、微笑みを浮かべながら王子と女へ交互に視線を向けた。

「殿下! お会いできてよかったあ」

 女はメリッサの隣に立つ王子に向かって目を輝かせている。
 女はもうメリッサのことはどうでもよくなったらしい。すっかりこちらを無視して、王子にじゃれついている。
 あまりにも失礼な女の態度に、メリッサは怒りを通り越して呆れてしまった。

 この女がこの国を救うために異世界から招かれた聖女だとメリッサが知るのは、もう少し後だ。
 このときのメリッサは、これ幸いと王子が女の相手をしている間に夜会の会場から逃げ出した。

 この時から、メリッサの苦難の日々が始まった。
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