ありのままでいたいだけ

黒蜜きな粉

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「ねえねえ、すっごい血が出てるけど大丈夫ー?」

 希星が真奈美の目の前に、ずいっとハンカチを差し出してきた。
 真奈美はそれをぼんやりと見つめていた。徳之がこの場からいなくなっても、まだ叩かれる恐怖で動けなかった。

「うーん、とりあえずこれで押さえておきなよ。すっごい顔になってるから、少し休んだ方がいいと思うし」

 口の中が切れていることは自覚していたが、どうやら頬を叩かれた衝撃で鼻血まで出ていたらしい。希星は険しい顔をしながらハンカチで真奈美の鼻を押さえた。

「派手に叩かれてたねえ。まさか本家のお坊ちゃまがこんなことをするなんて驚いちゃった」

 いったいなにが面白いのか、希星はえくぼをつくりながら無邪気にきゃっきゃと笑い出した。
 その姿を見ていて、真奈美はようやく恐怖が薄らいできた。希星からハンカチをありがたく受け取ると、自分で鼻を押さえた。

「…………ごめんなさい。ちゃんと洗って返すわね」

「真奈美が謝らなくていいよー。どう考えてもお坊ちゃまのほうが悪いじゃんね」

 希星は頬を膨らませて憤慨している。彼女はこの場に顔を出してからのわずかな間に、コロコロと表情が変わっている。
 真奈美はそのことに少しばかり圧倒されながら希星を見つめていた。すると、彼女は大きく息を吸い込んでから、大げさにため息をついた。

「まったくもう! 暴力で言うことを聞かせようとするなんて、性根が腐ってるよね」

「……そうだね。私もそう思うよ」

 真奈美は希星に同意するように力無くそう言って、薄ら笑いを浮かべた。
 徳之のことは幼い頃から知っているだけに、彼の立派な本家の跡取りとしての成長っぷりにはがっかりしてしまった。

「真奈美ってば叩かれたってのに、黙ってあいつに喋らせてるんだもん。たまらず声かけちゃったよー」

「声をかけてくれて助かったわ。怒ってくれてありがとう」

 先ほどのあの状況で徳之に声をかけられるのは、希星がこの土地の出身ではないからだ。
 もしここで生まれ育った者ならば、本家の跡取り息子に意見をするようなこと、恐ろしくてできない。ましてやあいつ呼ばわりなんて、できるわけがない。

 ふと、祖母が希星と親しくしていたというのは、彼女のこういうところが気に入ったからなのかもしれないと思った。
 真奈美はそんなことを考えながら希星をみつめ、先ほどから気になっていたことを尋ねた。

「……そういえば、私たちはまだ自己紹介をしていないはずだけれど。あなたは私の名前を知っているのね?」

「うん。初枝はつえから写真を見せてもらったことあるし、話も聞いてたからね」

 初枝とは祖母の名だ。
 親しくしていたとは聞いていたが、まさか呼び捨てをしているなんて思わなかった。

「あら、私の話を聞いていたの。いったい何を聞いていたのやら」

 嫌味ったらしく真奈美が言うと、希星は幼さの残る可愛らしい顔でにこりと微笑んだ。

「いっつも褒めてたよ。うちの孫は世界一可愛いんだってね」
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