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兎屋亀吉

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84.年始の挨拶

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 米作りにはよく八十八の手間がかかるなどと言うが、スケルトンさんが1万人とゴーレムさんが1000体もいればたとえ百の手間がかかったとしても十分に手が足りる。
 米はすでに育苗が始まっており、後は彼らに任せておけば全自動で米を作り続けてくれるだろう。
 大体6、7ヶ月もすれば最初の米が取れる。
 食料事情を改善させるためにかかる時間が半年くらいとは、長いのか短いのか。
 たぶん短いのだろう。
 あと50年以上も食糧難の状態が続くはずだった日本列島に食料という劇薬を投与したとき、いったい何が起こるのかは想像もすることができない。
 俺は食料が安くなってみんなが美味しい料理に興味を持ち始めるといいなと思う。
 なにはともあれ食料生産はもう時間の経過を待つだけとなった。
 島の地上階層の整備も島民が中心となって頑張ってくれているし、俺はいまのところやることは無い。
 侍稼業に専念するとしよう。
 年が明けたので織田軍の侍は岐阜城に出仕して信長に年始の挨拶をしなければならない。
 昨年は足利義昭を退け、信長包囲網を食い破り、室町幕府が無くなった。
 いよいよ信長の天下も現実味を帯びてきた。
 勝ち馬狙いで織田軍についた多くの侍たちは、そのことを肌で感じている。
 そして信長が天下をとったあかつきには自分もしかるべき地位にと、信長と直接の謁見ができるかもしれない年始の挨拶に押しかけているというわけだ。
 殿も以前は有象無象の木っ端侍と同じように外で待たされて結局信長とは直接会うことができないみたいな年始だったが、出世した今は違う。
 信長の直臣ではないとはいえ、その子息の家臣なのだ。
 その他の陪臣たちよりも一歩信長に近い位置の侍だ。
 位置的には直参と陪臣の間くらいの位置だろう。
 そんなわけで有象無象よりも優先して岐阜城に入城することができた。
 まず向かうのは勘九郎君のところだ。
 主君である勘九郎君にまずは挨拶をして、それから一緒に信長と挨拶という流れになっている。
 なんだかんだ信長は勘九郎君には甘いから、彼と一緒だと無礼をしちゃったとしても少し安心だ。
 長い板張りの廊下を抜け、雅な庭園内の渡り廊下を進むと勘九郎君が住んでいる御殿にたどり着く。
 元服した男子はすでに一国一城の主であるとばかりに、この御殿には勘九郎君とその家臣や召し使いしか住んでいない。
 前は信長と同じ建物内に住んでいたようだが、元服を境に勘九郎君専用の御殿を信長が建てさせたようだ。
 ボンボンは違うね。
 俺なんか殿が出世してもまだ長屋だってのに。
 たぶん屋敷くらいくれって言ったらくれると思うけどなんかお小遣いをねだっているようで言い出し辛い。
 島には平蔵さんたちが頑張って建ててくれた俺の屋敷があるし、雪さんもダンジョンの能力で作った屋敷内のシステムキッチンを気に入っている。
 だから今のところこちらにも屋敷が欲しいとは思っていない。
 殿は現在禄高8000石の領地なしだが、織田家次期当主の家臣としてはちょっと安い。
 たぶんそのうち禄も加増されて領地ももらえると思うし、俺たちの屋敷は別にそのときでもいいと思っている。
 加増がなくてもそのうち信長は安土城を造り始めるはずだ。
 そしたら岐阜城の主は勘九郎君だ。
 屋敷なんて貰い放題だろう。
 そんなにいらないから1個でいいけどね。

「おお、伊右衛門。来たか」

「新年明けましておめでとうございます」

「「「おめでとうございます」」」

 殿と一緒に俺達家臣も床に手をついて頭を下げる。

「堅苦しいのはいい。面を上げよ」

「「「はっ」」」

 俺は持ってきた風呂敷包みを開け、山内家総出で作ってきたわらび餅を献上する。
 わらび餅は俺の故郷静岡県にある日坂宿というところの名物で、この時代でも知られているスイーツだ。
 しかしこの時代のわらび餅は未来のわらび餅のように甘いお菓子ではない。
 ただ葛の粉を練った餅にきな粉をかけただけの食感を楽しむお菓子だ。
 だが故郷の名物で、俺も子供の頃から慣れ親しんだわらび餅が甘くないなんて俺は我慢ができなかった。
 このわらび餅には、砂糖が練りこまれている。
 そして俺は持ってきた小さな徳利の蓋を開ける。
 これが無いとわらび餅は始まらない。
 俺はその黒くてトロッとした液体をわらび餅に振りかけた。
 黒砂糖を水に溶かして煮詰めた、自家製の黒蜜だ。
 関西のほうではわらび餅に黒蜜をかけない地域もあるようだが、俺は甘党なので黒蜜がかかっていたほうが美味しいと思う。
 
「なにをしておる善次郎?それはなんだ?見たところわらび餅のように思えるが、なぜその黒い液体をかけておる?そのような真っ黒な液体をかけたら食えぬではないか」

「まあ、食べてみてください。話はそれからです」

「なに?わかった。そこまで言うのなら、食べてやろうじゃないか」

「若様、毒見を……」

「必要ない。早く食わせろ」

「はっ」

 取り巻き連中が黒蜜のかかったわらび餅を気持ちが悪いものでも見るように膳に乗せて持っていく。
 あれには俺達山内家の汗と涙がすべて込められているのに、なんて顔をしてくれているんだ。
 葛の根からでんぷんを抽出するのにどれだけの苦労があるのかも分からずに。
 でんぷんから餅にするのだって、腕が棒になっても混ぜる手を止めることは許されないんだぞ。
 スイーツというのは、和洋中どれも手間がかかるものだ。
 おかげで山内家内ではわらび餅作りは男の仕事に分類されてしまった。
 清さんとか俺より力あると思うんだけどな。

「うむ、黒い汁がかかっておる以外は普通のわらび餅に見えるな」

「若様、やはり危険です。あのような成り上がり共の作った物など、お口になさるのは……」

「そなたら、しばし黙っていなさい。若様は今集中しておいでになられる」

「は、はい……」

 いつも絡んでくる取り巻き連中は河尻さんに注意されてしゅんとなる。
 やはりあいつらも河尻さんには口答えできないようだ。
 勘九郎君は意を決したようで、トロリとした黒蜜のかかったわらび餅を恐る恐る口に運ぶ。
 パクリ。

「なっ……」

「若様、どうなされたのですか!貴様、やはり毒を……」

「黙っていなさいと言ったはずですよ」

「も、申し訳ありません」

 勘九郎君は一言も声を発することなくもぐもぐと口を動かす。
 ごくんと飲み込み、そして2つ目を口に入れた。
 もぐもぐ、ごくん。
 そして3つ目。

「わ、若様、あまり食べ過ぎると……」

「はっ、そ、そうじゃな。飯が食えんくなるな。だが、この手が止まらんのだ」

「なんと。それほどまでに?」

「ああ、美味い」

 勘九郎君は3つ目を口に放り込み、目を閉じてその味を堪能する。

「ふぅ、名残惜しいが私はこのくらいにしておく。河尻殿、一ついかがか」

「では遠慮なく」

 河尻さんは渋い口ひげの生えた口元に優雅な動きでわらび餅を運び込んだ。
 目を閉じ、その味を堪能する。
 そして名残惜しそうにゴクリと飲み込んだ。

「なんという美味。このようなものがこの世にあったとは……」

 気に入ってもらえたようだ。
 先ほど黒蜜のかかったわらび餅を気持ちが悪いものでも運ぶように勘九郎様の元へ運んだ取り巻きは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 残念ながら君に食べさせるわらび餅は無い。
 

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