えぞのあやめ

とりみ ししょう

文字の大きさ
101 / 210

三の段 なやみ 新三郎(二)

しおりを挟む
 たいていの不快な行為には慣れてしまったかのようなあやめを、心の底から戦慄させたのは、新三郎が深夜、戦場から戻ったままの姿でいどんできたことであった。
 さすがに甲冑や腹巻は外させていたが、あとは血や泥のこびりついた軍衣のままである。髷もほどけ、目は殺戮の昂奮が残ってかギラギラと輝き、荒い息すらまだついていた。この格好で、激しい昂奮を持続させたまま、あやめを組み敷きたいと思ったものらしい。
 あやめはその姿をみるなり、さすがに恐怖の声をあげて、反射的に逃げようとした。それに躍りかかるようにして引き倒し、新三郎は雑兵が戦場で女を襲うそのままの様子で、あやめの寝衣をはぎとり、のしかかった。体を固めるように押さえつけ、肌に噛みつくようにむしゃぶりついた。
「あやめっ!」
 新三郎は耳元で叫ぶ。耳が潰れそうなあやめは、それだけでもう声が出ない。返事もできない。
 その新三郎の手にはまったままの篭手と手袋は、血か何かわからないものに汚れていた。そのままの指が、あやめの裸の肌を撫で、押さえつけた。
 あやめは自分の気が違うかと思う。普段の荒々しい新三郎ですらない、異形の怪物に襲われている気がした。
 さすがに気づいた新三郎が、血まみれの篭手と手袋を放り投げる。しかし、その下の素手もまた、ぬらぬらとした血と汗に濡れていた。あやめは茫然とするばかりで、かすれた声をたてた。
 乾いていた血が匂いたち、狭い部屋は暴力そのものが空気となって渦巻いたようだった。組み敷かれたままで犯されるあやめは、恐怖に絶叫し、解放と許しを空しく乞うしかない。一刻も早く気を喪ってこの陰惨から逃れたいと、もはやそればかりを願ったが、果たせなかった。あやめの意識は冴えて尖り、血の匂いと大量の死の名残りの気配に慄き続けた。
 抵抗もできないあやめにむしゃぶりつき、新三郎は、戦から持ちこした昂奮を吐き出し切った。

 そのあとの新三郎が、なだめるように尋ねた。
「あやめ、まことに、欲しいものはないのか。」
 大抵のものはお前に与えられる、というのだろうか。
 あやめはまだ茫然として仰向きに横たわっていた。
 自分の躰中から、いつもとは違って、むせ返るような血の匂いがする気がした。
「……ついに、儂はやった。お家の宿願を果たした。蝦夷どもはもう上ノ国で大きな顔はできぬ。」
今日、松前から北西部にあたる上ノ国に蟠踞していた、セナタイアイノの討伐に成功したというのであろう。
 家中の反対を押し切っての出兵であったと、あやめは知っていた。

 新三郎は隠居の内意を背にした弟たちの大半や宿老の反対を押しのけ、手元で涵養していた兵力だけで、くりかえし北上の遠征を張った。逆襲を受けかねない危機的な側面も交えつつ、それが徐々に成果をあげだして、ようやく蠣崎家とその同盟者的な家臣の兵力をつぎ込めるようになり、この日を迎えたのである。
 上ノ国に攻め入って、セナタイアイノの首長と主だった者を討ち取り、本拠地を占領した。この半島において蠣崎家に武力で対抗できる勢力は、残りの東部の別のアイノたち―シリウチアイノなど―だけである。かつて和人の舘が並んでいた海岸線に沿って、かれらの拠点がある。いまはアイノ優勢の和人との混住地だが、これらもいずれ片づける算段がついたといえよう。
 和人領は、安東家の直接支配のときからは、縮小の一途をたどっていた。およそ百年前のアイノとの戦いののちもなんとか生き延びた松前大舘を、当時新興の蠣崎家が握り、さらに下って五代季広の代に歴史的和解で小さな和人領をようやく確定した。
 それから三十年の時を経て、蠣崎慶広は、半島南部一帯に広がっていた前時代の和人領を回復していくのである。
 成功の背後にあったのは、武器の差ではない。数こそ開きがあったが、アイノとて鉄砲は手に入れている。武家崩れの和人の男たちが何人もついてもいた。
 だが、火器を集団的に使用し、それを軸にして組織としての戦闘をおこなうという新しい戦術思想に、蠣崎慶広は(家中ではほぼ、かれだけが)目覚めていた。
 そして新鮮で旺盛な戦意が、新三郎の指揮を支えていた。長い優位に馴染んでいたアイノとはそこが違った。それが勝敗を分けた。
 六代慶広の代になってようやく、蠣崎家が率いる和人の戦闘力はアイノに拮抗し、これを少なくとも各個撃破できるようになったのである。

「……それは、おめでとうござりまする。」
 あやめはのろのろと起き上がり、座って祝意を述べた。
 新三郎が何も無闇矢鱈に、近隣に襲いかかったわけではないのも知っている。セナタイアイノには、長く続いた武力の優越に慣れ、和睦が定めていたはずの蝦夷代官の統治を軽んじる素振りが常態化していた。先代とのあいだに取り交わした、アイノ船が松前の沖では帆を下して見せるといった儀礼も無視されるようになっていた。
「それくらいは大目にみてやる。だが、血を見てしまえば、蝦夷代官が黙っているわけにはいかん。」
 すでに何人かの和人住民の犠牲も出していた。それでも先代は戦には決して踏み切らなかったのだが、新三郎は現状に見切りをつけていた。
 混住地においてはアイノと和人との些細な諍いは絶えない。刃傷沙汰ともなれば処罰せねばならないが、先代の蝦夷代官は、当事者となったアイノの処分を部族に一任していた。
 ところが、天正十一年にセナタイアイノの支配する混住地で和人が怪我人を出す騒ぎがまた起きたとき、新三郎はアイノを目こぼしするのはやめ、蝦夷代官は上の国のアイノを処罰する権限を行使するという姿勢を崩さなかった。
前時代には考えられないことであり、武威に自信をもつセナタイアイノは、下手人引き渡しの命令を無視する。戦端が開かれてしまったが、新三郎は戦機を見ていたのだろう、ついにセナタイアイノの本拠地を一挙に屠ったのであった。
(この男の果断と戦上手は、たしかに、思った以上……。)
 あやめの中に、素直に感心する思いもたしかにある。お人好しだ自分は、と思いながらも、技量は技量として認めずにいられないのが、そこはあやめという人間であった。
 とはいえ、恐怖こそ過ぎ去ったものの、あまりの怒りに、いわずにはいられないことも口にする。
「戦場で襲われるとは、斯様なことでございましたか。躰から血の匂いがたちまする。……ま、終わった後で殺されぬだけ、ようございました。」
 新三郎が手の甲であやめの頬を打った。手加減はあったのだろうが、あやめは吹き飛ぶように倒れる。鼻血が流れた。
「たいしたことではないとでも、いいたいのか。蝦夷の討伐など、わしのやったことなど、上方の者どもにくらべれば、たいしたことではないとでも?」
(ほう、そこを怒ったか。態度で知れるというわけか。)
「滅相もございませぬ。いよいよ、にござりますれば。」
「いよいよ、なんじゃ。」
「……どちらでお答えいたしましょうか。この格好でございますが?」
「どちら?」
「納屋としてでしょうか。堺としてでしょうか。もし堺ならば、このまま、おそろしい目に遭うたとて、ただ震えてだけおりまする。」
「……納屋として答えよ。面倒な女ごよ。」
 新三郎は、なぜか少しうれしそうな声を出した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...