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第五章 謀叛人 その五
しおりを挟む無名舘のさ栄のもとに飛び込んで来た瀬太郎が死ぬまでにも、そう時間はかからなかった。
血塗れの青年がもう立っておられず、縁に横たわりながら絞り出す言葉に、さ栄は硬直した。一瞬、なにを言われているかわからない。
父と長兄が叔父親子に殺された。長兄を直接、手にかけたのは次兄であった。……
昔、どこかで自分がこんな報せを聞いたことがあったような気が、何故かした。こんなことが、遠い昔、たしかあったかと、ぼんやりした気分に一瞬陥る。
姫さま、と小さく呼びかけられて正気に復した。
「……御所さまは、姫さまにだけ伝えよ、と。」
「え? ……何故じゃ! 兄上こそは大謀叛人ではないか!」
「……お家のため、でござろう?」
瀬太郎は、あおざめて震えているさ栄の顔を、うつむきに寝かされながら仰いでいる。姫さまは驚いて駆け寄ってくれた。庭先から縁に引っ張り上げるようにして寝かせ、薬を、医師を、と侍女に命じて走らせてくれた。
シャムの「お家」というのも阿呆らしいわ、と瀬太郎は思わずにいられない。新三郎の蠣崎家も、御所の北畠氏も、その「お家」のためだと言っては家中で殺しあっているのだ。そして、情や理を崩してまで「お家」とやらを守ろうというのか、おれはこんな騒ぎに巻き込まれて死ぬのか、と、腹立たしく、馬鹿馬鹿しかった。
だが、この姫さまはたしかに美しいな、と今さらながら感じ入った。天が崩れるほどのものだろう衝撃に打ちのめされて涙を浮かべ、それでも武家の女らしく仇への憎悪に表情を強張らせていてさえも、この女はひどく美しい。
おれもこの姫さまが好きだな、と思った。新三郎とこの姫さまに逢えたのは、悪くなかった。
(……伝えておくべきことがあったな。どうでもいいことと、大事なことと。)
「姫さま、御所さまは、右腿を斬れ、とお命じでござった。痣が見えぬようにせよ、と。」
さ栄は息を呑んだ。御所さま―長兄の言わんとしたことがわかってしまった。
(左衛門尉の兄上には何も教えるな、気づかせるな、となおも仰ったのだ! なおも……!)
「それで、ようございますか?」
さ栄は固い表情で頷いたが、瀬太郎の顔からまったく血の気が失せたのに気づくと、
「瀬太郎、無理をすな。すぐ医者が来る。」
瀬太郎は無言のまま微笑んだ。城中、医者どころの騒ぎではあるまい。いまに、左衛門尉の率いる兵が川原御所を攻める戦になるであろう。それに、自分も最期だとわかった。
(大事なことが残っていたわ。)
「姫さま。……ご大将に、……新三郎さまに……。」
瀬太郎、という呼び名にも馴染んではいたが、本当の名が別にある。アイノの名だ。それを新三郎と姫さまに教えておきたかった。そのうえで姫さまに、新三郎のことを頼みたかったのである。
なにか、とさ栄が一層小さくなった瀬太郎の声をとろうと、躰を傾けたとき、この離れのある屋敷の門の薄い板を破る音がした。
(こんなところを攻めるのか? 物置のようなものじゃが、兵糧でもあったか?)
さ栄は緊張したが、たしかに十数人の川原御所の兵たちが飛び込んできたのは、アクシデントのようなものだった。
かれらは本来、まず西舘から浪岡御所に進入するはずだった。そこで待つ左衛門尉の兵と合流し、主人である川原御所親子が浪岡宗家の主たちを討ち果たすと同時に内舘に突入し、浪岡御所を一気に制圧してしまうという絵図であった。浪岡宗家直属の軍を率いる「兵の正」たる西舘が味方である以上、戦闘はおろか衝突らしいものも起きえない。そのはずだったのだ。
だが、決行の朝にそう伝えられたのとは、いまは全く違う流れになってしまった。西舘は濠を渡る橋の門を固く閉ざし、まず川原勢に足止めを喰らわせた。ようやく門を開いたかと思うと、あろうことか、謀叛人の討伐を呼号して一斉にこちらを攻撃してきたのである。
西舘の裏切りを知った部隊の長たちは、川原御所への撤退を図ったが、一部はこのまま突入をと望み、すぐに敗退、四散した。街道沿いの無名舘に侵入し、この目立つ大きな屋敷を襲ったのは、この兵たちであった。
ただ、逃げ遅れのあまりとはいえ、行動を起こせば、目的ができる。
「ここには、たしか浪岡宗家のおかたがひとりおられる。」
御所の家族の誰かを人質にとって、立て籠もろうというのであった。そうすればどうなるという目処もたたないが、そもそものクー・デター(ということすら、兵の大半は飲みこめていない)の失敗がある以上、もはやなにが上策なのかも、これら本隊からはぐれてしまった侍たちにはわからない。
「……!」
邪魔をしおって、と瀬太郎が怒りに呻きをあげて体を起こそうとしたが、やめよ、とさ栄は制止した。
頭を落した瀬太郎が、意識を喪っていくのが、呼びかけるさ栄にはわかった。さ栄はその血塗れの手を両手で握る。氷のように冷たくなっていくのを感じた。
(瀬太郎? 新三郎に何を、……何を言い残したかった?)
人の気配に気づいたのであろう、離れに向かって、屋内から兵たちが飛び出してきた。左程統率はとれていないが、ばらばらに矢を放った。いくらかが庭の土に刺さる。脅かすつもりなのであろう。
ふくが駆け戻って来る。無名舘の外にはとても出られない。街道にも城内にも兵が満ちているという。
「あれは、川原か?」
「さようでございますね。御所さま方、西舘さま方……お味方ではありますまい。」
「兄上の兵であっても、……」
と、さ栄は言いかけて、口を噤む。
(恥をかかされるくらいならば、死んでやる。父上と若君さま(御所さま)のところに参ろう。)
さ栄は決意した。どこへ逃げることもできないし、そもそも今、いったい誰が自分たちの味方なのかも判然としない。扇の要である宗家の主君が消えた今、城中の北畠氏の一族が、揃って川原御所攻めに加わるかどうかすらも怪しいではないか。
(一家で殺しあいをしたのじゃ。もう浪岡御所に、味方などおらぬ!)
その時、迫りつつある川原の兵たちの背後を、叫喚が襲った。血しぶきがあがり、矢を放てと命じたばかりの、下士の長らしい男が悲鳴をあげて崩れた。
離れの奥からも大勢の足音と金属音がする。さ栄は驚かない。瀬太郎の冷たい手をまだ握りしめながら、心の中は激痛にも似た歓喜に戦慄している。
(いた……! そうじゃ、どんな時でもわたくしの味方になってくれる者がいた! この城に、もう、たった一人が……!)
旋風のように、血刀をかかげたままで、新三郎が庭に駆け込んで来た。縁に座るさ栄と目が合う。さ栄は頷いた。
縁に飛び上がった新三郎は、姫さまと入れ替わるように縁に並んだ蝦夷足軽たちに、矢を構えよ、と命じた。そうしておいて、頭目が傷ついて怯んだ川原御所の兵たちを一喝する。
「御所さまのお身内に何の無礼か? 早々にこのお舘を立ち去らねば、残らず斬る。」
新三郎は川原兵を追い払うと、この閑散とした無名舘にもいる武家たちに命じ、舘の門をあらためて堅く閉じさせた。様子が知れるまで、ここにしばらくは立て籠もらねばならない。
みずからは屋敷の門も固め、日が傾くのを見越して、門前と離れの庭に篝火を準備させた。
離れの縁には、姫さまがそれを見守るように座っている。瀬太郎の遺骸を奥の間に移し、父と兄のためにもその前で一心に念仏を唱えていたが、新三郎が戻る気配に応じていた。
ここまで、二人はほぼ無言であった。さ栄の方からは、礼と労い以外は、何も喋らない。新三郎も、その無事を確認できればいい。あとは瀬太郎の死にざまを訊ねただけだった。そこで、少し泣いた。
「瀬太郎、お前は最後まで、立派なアイノのもののふ。そして、聡かったの。おれが姫さまをお守りに駆けつけるものと読んだか。その通りじゃったが、間に合わなんだ。」
さ栄は無言で泣きながら、首を振った。本当のことはまだ言えない。だが、新三郎がどう取るかはわからないが、嘘はつきたくない。
「おれにも、言いたいことがあったな?……すまない。おれが、お前をお庭に勤めさせなければ……。」
「そんなことはありますまい。悪いのは、……謀叛人じゃ。」
その首謀者であろう人物の名を、さ栄は口にしないし、できない。新三郎にすら、それは言えない。
「あやつ、悔やんだでございましょう。やはりアイノはシャムなんぞになるべきではなかったわと。瀬太郎はどうやら、迷っておった。そ、それを、お庭に侍れなどと、おれが……おれが、余計なことをっ。」
新三郎のこのときの後悔は、かれの「蝦夷」への思いや態度を決めてしまったのかもしれない。蠣崎新三郎慶広の原住民への考えと政策は、同化を阻むもの、父の時代よりもある意味で後退した、彼我の分断の固定を図る烈しいものになる。だが、それは遠い先の話である。
涙は、涙を誘う。戦闘の興奮から醒めた新三郎は、あらためて主君を急に喪った驚きと悲哀に打ちのめされ、声をあげてすすり泣いた。そして、しずかに泣き疲れたかのようになっているさ栄にむかい、あらためて低頭した。
「なんと申し上げてよいか、わかりませぬ。お気落としのござらぬように、とはとても言えぬ。……じゃが、この新三郎が姫さまをお守りいたす。それだけは、ご安心くだされ。くれぐれも、……」御短慮なきように、とも言いかねて言葉を呑んだが、立ち上がり、側で顔を伏せて泣きじゃくっているふくに、お乳母どの、頼んだぞ、とだけ言いおいた。
戻ってきたときには、涙は乾いている様子だったが、疲れ切っているのがわかった。緊張して動きながら考えることが多かったのだろう。
上がらせようとしたが、いやここで、と庭先に立っている。南の空を見ていたいらしい。
昼間から、兵の喊声が遠くに聴こえていた。街道を駆ける人馬の集団が絶えない。あきらかに、外では激しい戦闘が起きていた。
「姫さま!」
南西の方角に、白い煙が上がった。
「川原御所が、落ちましたようでございます。」
その煙は、北舘の大小の屋根や、内舘の政庁の壮麗な大屋根の向こうから上がっていた。屋根は夕陽を受けて、暗い朱色に染まりはじめている。
「お城が、燃えている……?」
縁から庭に降りたさ栄は、呟いた。滅相もない、と否定しようとしたが、新三郎も息を呑んでしまう。風向きのせいだろうか、煙はこちらに流れ、まるでお城全体が燃え始めたように見えてならない。
(お城が、浪岡御所が、燃えて、落ちていくのか……?)
まるで浪岡北畠氏の滅びを示すかのように、川原御所を焼く遠い煙は勢いを増し、川一本を隔てた浪岡御所の屋根に覆いかぶさった。
ふたりは無言で立ち尽くした。
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