魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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第一章 姫さまと少年 その四

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(この月あかり、陰ったほうがいいのであろうな。)
 しんと静まった屋敷の門の前に立っている。門衛のいるはずの舘の門はもう閉まっているので、入って来られる人間はそも、そうはいない筈なのだが、と思いながら、背後に姫さまの離れ屋の生垣を気にしている。
 誰が来るというのだろう、とやはりそれが気になった。
(門衛に言えば、通させる力のある人だというのだろうか。……ならば、なるべく顔は見たくない。名も知らぬままのほうが身のためじゃ。)
 さきほどの昂揚はおさまってしまい、怯えが戻っている。
(逃げてしまうか?)
 首を振った。もし通してしまったら、姫さまは本当に、あの白い、細いお喉を突かれるだろう。
(それはならぬ。)
 と、遠くに小さな灯りが見えた。小さな黄色い点が近づいてくる。門のほうからだ。
(やはり、夜中に木戸をくぐれるほどのお人か……?)
 蝋燭の灯が、まっすぐに近づいてきた。足音は重い。躰の大きな男だ。
「たれか。」
 先に誰何してしまった、と慌てたが、相手は答えない。
 灯に目が慣れると、月明りに若い武士の姿が浮かび上がった。
「わたしは、御所さまが猶子、蝦夷代官蠣崎若狭守の子、天才丸。番役として尋ねる。どちらへ参られるか。」
 尋ねる声を張り上げたときには、動転している。
(あのひとではないか!)
 木刀を振っていた自分を地面に転がした美貌の武家だ。今日は従者もなく、一人だが、見紛いはない。
 天才丸を無視して、立ち止まりもせずに行こうとする。
「待たれよ。もしや、姫さまに御用か。今宵はお会いになられぬ。御用は、番役がお聞きしておく。」
 なお無言である。表情はよく見えないが、まったく平静の雰囲気だった。
「待たれぬか。姫さまはお会いになりませぬ。はっきりとお断りである。これ以上は行かれませぬ。お帰りあれ。」
「さ栄は喋ったか?」お前なんぞに、と言う口調で、やや不審気に男は、はじめてこちらを認めて、立ち止まった。天才丸はこれには答えない。詳しい事情は知らぬが、などと本当のことを言うのも、何もかも存じておる、と嘘を言うのも、ともに義理はない。
(不審に思ったまま、引き揚げてくれればよいのじゃ。)
 天才丸の腹の底は、冷え切っている。
「蠣崎の。儂が誰かは知っておるか?」
「存じませぬ。」
「知らぬままにしておけ。身の為じゃ。」
 つまらなそうに言い捨てると、通ろうとする。
「なりませぬ。」
「退け。」
 天才丸は走って前を塞いだ。まだ刀は抜かない。抜いてしまえば、おしまいだという気がある。剣でこのひとに敵うわけがない。
「蠣崎の。無粋な真似をするな。女を男が訪ねるのじゃ。」
「どなたです、あなたさまは?」
 天才丸はなにか怒りが起こって、つい訊いてしまった。姫さまが侮辱された気がする。
「訊かぬがよいぞ。」
「拙者にもお役がござる。どこのたれとも知らぬ者を、女じゃ男じゃと戯言をうのみにして通すわけにはいかぬ。」
 男は薄く笑ったようであった。そのまま、進もうとする。天才丸は気押されて後ろに下がりかけたが、踏みとどまった。
「姫君さまは、お断りになられたのでござる。厭がっておられる。」
 男は立ち止った。
「ゆえに、通さぬというのか?……そうか、儂が名乗っても、通さぬわけか?」
「さようにござる。帰られよ。」
「言わんでおいてやろう、と思うたに。」
 ほれ、と若い男は、手燭を形のよい鼻先まで上げたが、天才丸は別にそれと気づく名の覚えはない。一度しかお目通りかなっていない浪岡のお偉い方がたの顔を全部覚えているはずがないし、こちらは御所さまのお顔をこわごわ拝むのが精いっぱいだった。
 それにしても、暗い光の前で瞳が開くと、一層凄いほどの華やかな美貌である。浪岡北畠氏のご係累ではあるまいとは思うが……。
「左衛門尉じゃ。……西舘の、といえばわかるか?」
(なんだと? 西舘さまは、御所さまの弟君ではないか!)
 浪岡左衛門尉顕範は、先代の次男で、成人後は浪岡北畠氏の別家である通称「兵の正」家を継いでいる。別名のとおり城内西舘を本拠にするが、内舘にあって宗家当主の兄を主に軍事面で補佐する、家中の若き重鎮であった。
 天才丸は反射的に膝をついた。嘘偽りではないと直感した。浪岡城の事実上の軍司令官ともいうべき人の前では、そうあるべきだろう。
 ぶるぶると震える手が、無意識に意味なく土を掴んだ。混乱している。
(兄君が妹君の姫さまに夜這うというのか? そんなたわけたことが……? 何かの思い違いではないかよ、天才丸?)
(しかし、ご自分で言われたぞ、女じゃの男じゃのと。)
(姫さまはご先代のみ台所(正室)さまのお子で、御所さまとご同腹。西舘さまは、たしかご異腹であったか。だが、だが、同じお父上のご兄妹であろう?)
(……姫さまがあんな風に、死ぬなどと言われたのは、つまり、そういうことか?)
 考えが頭をぐるぐるとまわり、口も利けないでしゃがみこんだまま硬直している天才丸を見下ろして、左衛門尉は、だから訊くなと言うてやったのに、と暗い口調でひとりごちたようだ。
(さて、こやつどうする? 先に始末していくか。なににせよ、知ってしまったのじゃから。)
 ふと考えたが、血で手を汚してから会うのは、さ栄に悪い気がした。
(こやつ、恐ろしうて、城を逃げ出しよれば、よしとしてやろう。愚図愚図と居残っておれば、口を塞がねばならぬな。)
 だが、後のことだと思い、少年の膝をついた横を通り過ぎようとする。
 左衛門尉が背中を少年に見せたその刹那、天才丸は激しく立ちあがる勢いで刀を抜き、そのまま斬りかかった。
 左衛門尉は危うく飛び退く。佩刀に手をかけたが、少年がすかさず二の太刀を加えていれば、そのまま身のどこかは斬られたであろう。天才丸の太刀は相手の片裾をきれいに切っていた。
(こいつ……?)
 刀を構えた天才丸は、荒い息をつきながら、距離をとっている。
「お帰りください。姫さまは、厭がっておられまする。」
「それは承知じゃ。帰らねば、斬るというか。」
「はい。」
「無理じゃ。今ので斬れなければ、ぬしの腕では、それまで。」
 左衛門尉は刀を抜いた。月明かりに白刃が光った。天才丸の躰が恐怖に冷えた。
「儂と知って、刀を向けたな。その意味わかるか、小童。」
(わからいでか!)
 天才丸は胸中で叫ぶ。浪岡で命を落とすことになったようだが、刑罰として首を刎ねられるくらいなら、この場で斬られるほうがましだと思った。
「西舘さまこそ、おわかりか? 畜生道に落ちる振る舞いにござりまするぞ。」
 左衛門尉はなぜか、また薄く笑ったようだ。
「畜生道か。望むところであったがな。」
「なに? ……姫さまが、妹君がお可哀想と思われぬか?」
「下郎、黙れ。」
「黙らぬ。黙りませぬぞ。姫さまは、死ぬと仰りましたぞ。入ってこられれば、死ぬと。」
「黙れと言うたは、ぬしの声が大きいのよ。」
「大声を出してさしあげましょう。」
「うつけ者。さ栄が恥をかいてよいか?」
「……。」
 言葉に一瞬詰まったところを、左衛門尉の一撃が突風のように来た。危うく受け止めるが、鋼鉄の叩きあう衝撃に腕が痺れる。相手はそのまま力押しに来るか、このまま斬られるか、と覚悟したが、また離れさせてくれた。
(弄られている。やはり、とても敵わない。)
 天才丸は刀を鞘に納め、横にぽんと放り投げた。
「降参か?」
「違いますな。剣ではとても敵わぬ。」
もろ肌を脱いで、構えた。
「阿呆め。儂に相撲をとれと申すか。」
「相撲とは申しませぬが。……斬り合いでは必ず負ける。お止めできぬ。ならば。」
「儂が、承知した素手で勝負じゃ、といって剣を収めるとでも思うたか?」
「浪岡北畠さまのご一門が、から手の子供を斬られますか。」
「……よかろう、殴り殺すか、絞め殺してやろう。」刀を収めると、「ひと思いに斬られるより、その方が苦しいというに。」
(その通りじゃろうが、簡単には殺されてやらぬ。)
 天才丸は、両手で掴みかかってきた相手から、するりと身をかわした。
「逃げるか?」
「姫さまはっ。」
 天才丸は、左衛門尉の大きな身体の周りを、距離をとってできるだけ機敏に動いた。殴りもせぬが、殴られもせぬ。
「さ栄がどうした。この卑怯者。止まって、組め。」
「姫さまは、死ぬと言われましたぞ。あなたさまは妹君を殺すのか。」
「あれは死にはせぬよ。さようの女よ。」
 天才丸はかっとなって、まっすぐに殴りかかってしまう。たちまち殴り返された。顔を殴られてぐらりとよろめいたところ、そのまま引き倒されそうになった。そこでこちらも闇雲に振った拳が、左衛門尉の腰骨にあたり、危うく逃れた。
(この調子で、夜明けまでもたせてやる。姫さまのところには行かせぬ。)
(人が起きてくる気配がすれば、西舘さまもこんなところにはいられない。そこまでやってやる。)

 
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