処刑された王女の帰還Ⅱ ―戦火に揺れる王国―

遊鷹太

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第7章『夜明けの血煙』

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 夜明けの光が地平線を染める中、セリーヌは砦の城壁から戦場を見下ろしていた。北方三キロの地点で、帝国軍の先遣隊が陣を張っている。彼らの背後には、焼け落ちた村から立ち昇る黒煙が見えた。
「陛下」
 北部軍の副指揮官、ロベルト・フォン・アルスター大佐が近づいてきた。四十代の歴戦の軍人で、顔には無数の傷跡が刻まれている。
「我が軍の配置が完了しました。歩兵二千、騎兵五百、弓兵三百。帝国の先遣隊三千に対し、数的には劣勢ですが」
「質では勝る」
 セリーヌが言う。
「王国軍は地の利を知っている。それに、守るべきものがある。侵略者とは覚悟が違う」
「仰る通りです」
 ロベルトが敬礼する。
「ただ、陛下。帝国の本隊が動き出せば、我々では支えきれません」
「それまでに決着をつける」
 セリーヌが剣の柄を握る。
「先遣隊を殲滅し、本隊が来る前に防衛線を固める。レオン」
「はい」
 レオンが進み出る。
「近衛騎士団五十騎を率いて、右翼を守れ。敵の騎兵が回り込んでくるはずだ」
「了解しました」
「ロベルト大佐、中央の指揮は貴官に任せる。私は左翼で伏兵部隊を率いる」
「陛下自らが最前線に?」
 ロベルトが驚愕の表情を浮かべる。
「それは危険すぎます」
「女王が後方で指示を出すだけなら、兵の士気は上がらない」
 セリーヌがきっぱりと言う。
「私が先頭に立つ。それが、民への誓いだ」
 ロベルトは反論しようとしたが、セリーヌの決意を見て頭を下げた。
「……御意」
 戦闘準備が整う中、セリーヌは鎧を点検し、剣の切れ味を確認した。かつて復讐の旅で使い込んだこの剣が、再び敵の血を求めている。
 だが、今度は復讐のためではない。守るための剣だ。
「全軍、配置につけ」
 セリーヌの命令が伝令によって伝えられる。兵士たちが所定の位置に移動し、弓兵が城壁に並ぶ。
 太陽が完全に昇った時、帝国軍が動き出した。
 三千の兵が隊列を組み、王国軍の陣地へと進軍してくる。重装歩兵が盾を構え、その後ろから槍兵が続く。両翼には騎兵が展開し、中央には攻城兵器が引かれていた。
「来るぞ」
 ロベルトが剣を抜く。
「弓兵、準備!」
 城壁の上で、三百の弓兵が矢を番える。弦を引き絞り、標的を定める。
「放て!」
 一斉に矢が放たれた。空を覆う矢の雨が、帝国軍の先頭部隊に降り注ぐ。盾で防ぐ者、矢を受けて倒れる者。悲鳴と怒号が戦場に響き渡った。
 だが、帝国軍は止まらない。死傷者を出しながらも、着実に前進してくる。
「第二射!」
 再び矢が放たれる。今度は騎兵部隊を狙った。馬が矢を受けて倒れ、騎士たちが地面に叩きつけられる。
 それでも、帝国軍は進む。
「距離五百!」
 見張りが叫ぶ。
「四百!」
 セリーヌは左翼の森の中に隠れていた。彼女の周りには、選抜された百名の兵士が潜んでいる。全員が軽装備で、機動力を重視した編成だ。
「まだだ」
 セリーヌが小声で言う。
「敵が中央に集中したら、側面を突く」
 兵士たちが頷く。彼らの目には、女王への絶対的な信頼が宿っていた。
 戦場では、帝国軍の先頭部隊が王国軍の防衛線に到達していた。剣と剣がぶつかり合い、盾が砕け、血が飛び散る。
「押し込め!」
 帝国軍の指揮官が叫ぶ。
「王国軍など、一気に蹴散らせ!」
 兵士たちが怒号を上げて突進する。だが、王国軍も必死に踏みとどまった。
「一歩も引くな!」
 ロベルトが最前線で剣を振るう。
「我々の背後には、民がいる!家族がいる!守り抜け!」
 その言葉に、兵士たちが奮い立つ。疲労を押して、必死に敵を押し返す。
 だが、帝国軍の数は多かった。次第に王国軍が押され始める。
 その時、帝国軍の右翼騎兵が動いた。迂回して王国軍の側面を突こうとする。
「右翼に敵騎兵!」
 伝令が叫ぶ。
 だが、そこにはレオンが待ち構えていた。
「近衛騎士団、突撃!」
 五十騎の精鋭が一斉に駆け出す。帝国騎兵と正面から激突し、激しい騎馬戦が展開された。
 レオンの剣が閃き、帝国騎士の首を刎ねる。返す刀で次の敵を斬り伏せ、さらに突進する。近衛騎士たちも負けじと奮戦し、帝国騎兵を押し返していく。
「よし、右翼は持ちこたえている」
 セリーヌが呟く。
「では、こちらも動く時だ」
 彼女は剣を抜き、兵士たちに合図を送った。
「全員、続け!」
 森から百名の兵士が飛び出し、帝国軍の左側面に襲いかかった。完全な奇襲だった。
 帝国兵たちが混乱する。側面からの攻撃に対応しようとするが、既に遅い。セリーヌの剣が帝国兵の首を斬り裂き、鮮血が飛び散る。
「怯むな!突き進め!」
 セリーヌが叫ぶ。彼女の周りで兵士たちが奮戦し、次々と敵を倒していく。
 帝国軍の隊形が崩れ始めた。前方からの攻撃に加え、側面からも攻められ、統制が取れなくなる。
「退却だ!」
 帝国軍の指揮官が叫ぶ。
「一旦引け!」
 帝国兵たちが後退を始める。だが、王国軍は追撃の手を緩めなかった。
「追え!」
 ロベルトが命じる。
「敵を一人も逃がすな!」
 戦場は王国軍の勝利に終わろうとしていた。だが、その時だった。
 地平線の向こうから、角笛の音が響いた。
「あれは……」
 セリーヌが顔色を変える。
「本隊だ。帝国の本隊が来る」
 遠くに、無数の旗が見えた。一万五千の大軍が、こちらへ向かって進軍している。
「くそ」
 ロベルトが舌打ちする。
「予想より早い」
「全軍、砦に撤退!」
 セリーヌが命じる。
「防衛線を固め直せ!」
 兵士たちが慌てて砦へと引き上げていく。負傷者を担ぎ、武器を拾い集めながら、必死に走る。
 セリーヌも森から出て、馬に跨った。戦場を見渡すと、地面には数百の死体が転がっている。王国軍も帝国軍も、等しく血を流していた。
 その光景を見て、セリーヌの胸が痛んだ。これが戦争だ。人が人を殺し、命が消えていく。理想も正義も、この血の前では無力に思える。
 だが、立ち止まるわけにはいかない。
「陛下、早く!」
 レオンが叫ぶ。彼の鎧にも、返り血が飛び散っていた。
 セリーヌは馬を走らせ、砦へと急いだ。
 砦の門が閉まる直前、彼女は滑り込んだ。巨大な門扉が轟音を立てて閉じ、かんぬきが下ろされる。
「損害報告を」
 セリーヌが息を切らせながら言う。
「我が軍、戦死五十、負傷百二十」
 ロベルトが報告する。
「帝国軍は、少なくとも三百を失いました」
「よくやった」
 セリーヌが兵士たちを見回す。
「諸君の勇気に感謝する。だが、本当の戦いはこれからだ」
 城壁に上ると、帝国の大軍が迫ってくるのが見えた。地平線まで続く兵士の列。旗が風にはためき、鎧が朝日を反射して輝いている。
「一万五千か」
 セリーヌが呟く。
「我が軍は三千を切った。五倍の敵だ」
「陛下、援軍の要請を」
 ロベルトが進言する。
「王都から援軍が来るまで、我々が持ちこたえれば」
「援軍が来るのは、早くても三日後だ」
 セリーヌが首を横に振る。
「それまで持つか」
「持たせます」
 レオンが力強く言う。
「俺たちは、陛下と共にある。この砦を、命に代えても守ります」
 その言葉に、周囲の兵士たちが声を上げた。
「女王陛下と共に!」
「王国に栄光を!」
 セリーヌは彼らの顔を見つめた。疲労と恐怖を抱えながらも、誰一人として逃げようとしていない。
 この兵士たちのために。焼かれた村の民のために。そして、王都で彼女を信じて待っている全ての民のために。
 彼女は戦い続けなければならない。
「全員、配置につけ」
 セリーヌが命じる。
「攻城戦の準備だ。弓兵は矢を温存しろ。歩兵は城壁の補強を。騎兵は予備として待機」
 兵士たちが動き出す。砦が戦闘態勢に入った。
 その時、一人の少年が駆け寄ってきた。焼かれた村から逃げてきた生存者だ。顔は煤で汚れ、服はボロボロだった。
「女王陛下」
 少年が泣きながら言う。
「村が……村が燃やされて……母さんが……」
 セリーヌは膝をついて、少年と目線を合わせた。
「大丈夫だ。もう安全だ」
「本当ですか」
「ああ、約束する」
 セリーヌが少年の頭を撫でる。
「お前を、そして全ての民を守る。それが私の使命だ」
 少年は彼女の胸に顔を埋めて泣いた。その小さな体が震えている。
 セリーヌは少年を抱きしめながら、帝国軍を睨みつけた。彼らが奪った命。焼いた家。そして、この少年の母親。
 許さない。
 だが、それは復讐ではない。正義のための怒りだ。
「医療班、この子を」
 セリーヌが少年を兵士に託す。
「食事と寝床を与えてやってくれ」
「御意」
 少年が連れて行かれると、セリーヌは再び城壁に上った。
 帝国軍が、砦を包囲し始めていた。四方から取り囲み、逃げ道を塞ぐ。攻城兵器が運ばれ、投石機が組み立てられていく。
「間もなく、攻撃が始まる」
 ロベルトが言う。
「陛下、まだ撤退の道は残っています。陛下だけでも、王都へ」
「断る」
 セリーヌが即答する。
「私はここで戦う。兵士たちと共に」
「ですが――」
「これは命令だ、ロベルト大佐」
 セリーヌの目に、揺るぎない決意が宿っている。
「私は民の前で誓った。正義の女王として立つと。その誓いを、今ここで証明する」
 ロベルトは深く頭を下げた。
「……御意。ならば我々も、死力を尽くします」
 夕暮れが近づく頃、帝国軍の攻撃が始まった。
 投石機が火を噴き、巨大な石が砦に向かって飛んでくる。城壁に激突し、石が砕け散る。兵士たちが悲鳴を上げて飛び退く。
「応戦しろ!」
 セリーヌが叫ぶ。
「弓兵、敵の投石機を狙え!」
 矢が放たれるが、距離が遠すぎて届かない。
「攻城塔が接近しています!」
 見張りが叫ぶ。
 巨大な木製の塔が、砦に向かってゆっくりと進んでくる。中には帝国兵が詰まっており、城壁に取り付いて兵士を送り込もうとしている。
「油を用意しろ!」
 セリーヌが命じる。
「塔を焼き払え!」
 兵士たちが熱した油の入った釜を運んでくる。攻城塔が城壁に接近した瞬間、油が浴びせられた。
「火矢!」
 燃える矢が放たれ、油に引火する。攻城塔が一気に燃え上がり、中にいた兵士たちの悲鳴が響く。
 だが、帝国軍は次々と攻城塔を送り込んできた。一つ焼いても、また次が来る。
「きりがない」
 レオンが剣を構えながら言う。
「このままでは、消耗戦になります」
「わかっている」
 セリーヌが歯噛みする。
 戦いは夜通し続いた。帝国軍は波状攻撃を仕掛け、王国軍は必死に防戦する。城壁の一部が崩れ、そこから帝国兵が侵入してくる。
「突破された!」
「阻止しろ!」
 セリーヌ自らが剣を振るい、城壁に上がってきた帝国兵を斬り捨てる。レオンと近衛騎士たちも加わり、激しい白兵戦が展開された。
 夜が明ける頃、ようやく帝国軍の攻撃が止んだ。彼らも疲弊し、一時撤退していった。
 セリーヌは血と汗にまみれて、城壁に座り込んだ。全身が痛み、息が上がっている。
「陛下、お怪我は」
 レオンが駆け寄る。
「かすり傷だ」
 セリーヌが立ち上がる。
「損害は」
「戦死二百、負傷三百。戦える兵は、二千を切りました」
 厳しい数字だった。
「だが、持ちこたえた」
 セリーヌが城壁から帝国軍を見下ろす。
「あと二日。援軍が来るまで、あと二日だ」
 朝日が昇り、新たな一日が始まろうとしていた。戦場には、無数の死体が横たわっている。セリーヌは拳を握りしめ、空を見上げた。
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