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第六十六話 白の間
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「ここが”白の間”です」
セオドア司祭が白い空間へ足を踏み入れる。
がらんと広く、色彩はほぼない。天井のライトが、俺たちの影を薄く落としている。
壁も床も、ガラスとも大理石ともつかない未知の素材。中央には三メートルを超える台座がそびえ、足を進めるたびに妙な感覚に襲われた。
「本当に”神の御許”が盗まれたとは……」
「……恐ろしいことをしてくれたな、クソッ……」
アインホルン司祭は空になった台座を睨み、ベルトラム司祭は怒りと困惑で拳を震わせる。
セオドア司祭がこちらを向き、「調査をお願いいたします」と頭を下げた。
俺とギルバートは台座を調べた。
中心部には五十センチ四方の穴。ここに”神の御許”が置かれていたのだろう。
台座には装飾がなく、無数のチューブが伸びている。先端は銀色の金属で覆われ、管は半透明。
……台座というより、これは―――
「病院の治療室みたいだな」
ギルバートの呟きに、背筋がぞわりとした。
そうだ。無数に伸びる管は、生命維持装置に似ている。
「アインホルン司祭、ここにロゼッタの”痕跡”はありますか」
ギルバートが声をかけると、アインホルン司祭は顔を上げ、部屋をうろうろと歩く。
「……扉。それと、このあたりでしょうか」
アインホルン司祭は指さして伝えた。
その先、台座の脇、チューブが伸びる先の壁に、ぼこっと浮かび上がっている箇所がある。
”白の間”を開けるときに浮き上がった石版のようだった。
「これは?」
「”神の御許”を台座から取り外すときの鍵ですね。構造は扉と同じです。上級司祭の誰かの魔素と一致すれば開きます」
「ルナはどれくらい消費するのでしょうか」
「大体500ってところです」
アインホルン司祭が応える。
やはり、この部屋に入り、”神の御許”を盗み出すのに、ロゼッタの魔素が使われている。
机上の空論だった推理が、現実のものになりつつある。
ギルバートが拳をぎゅっと握る。俺も逸る心臓を必死で抑えた。
ずっと黙っていたベルトラム司祭が口を開いた。
「きみたち、”神の御許”の特性を、どこまで知っている?」
「魔素を発生させる装置で、爆発の危険があると……」
「なるほど。……だから俺を連れてきたのか」
セオドア司祭は小さく頷く。
ベルトラム司祭は目を閉じ、深く息を吸った。
そして「ここで話すことは限られた者だけに。グラナード騎士団にも上げるな」と告げた。
「まず、”神の御許”の取り扱いについて。”アレ”を落としたり、傷つけたりしてはならない。蓋を開けることも禁止だ」
「……はい」
俺たちは神妙に頷く。
”神の御許”は、生み出される魔素によって爆発する危険がある。中身が零れることを禁止しているのだろう。
「”アレ”を密閉するな。”アレ”は呼吸をしている」
奇妙な言い方に、俺たちは目を見張った。
ギルバートが「……呼吸、ですか」と呟くと、ベルトラム司祭は低い声で続けた。
「そうだ。呼吸だ。”アレ”は魔素を生み出し、循環する。極めて”生物”に近い特性を持っている」
生物と聞いて、血の気が引く感覚がした。
たしかに土や水や無機物は、魔素を有しても循環することはない。
ガラス製の瓶が、生きている。
だとすると、台座から感じた”治療室のようだ”という感覚も、的外れではないように思えた。
「”アレ”がなんなのかは、長年研究してきたが、結局わからなかった。”生物”……特に、心臓のような特性を持っているとしか、わからない。いや……怖くて、調べられなかった」
ベルトラム司祭が震える声で呟いた。
自然と背が丸まり、身体全体が震える。
「研究していたのですか」
「……ああ」
「怖くて調べられなかったというのは」
「調べれば調べるほど、……あの瓶が、人間のように思えるんだ」
ギルバートの問いに、ベルトラム司祭は頭を抱えて、うめくように声を紡いだ。
「部屋の温度を変えると動きが鈍る。声をかけると反応する。布を巻いて放置すると、呻くような音が聞こえる。……”アレ”は生きている。けど、じゃあ、誰だったんだ、と、考えると、怖くなった」
声がだんだんと震えて、消え入るようだった。
「その研究結果を、他に知っている人はいるのですか」
「”神の御許”の特性、例えば、魔素の生成と循環については論文にしたことがある。二十年前だ。それ以降、俺は”神の御許”の情報を重要秘匿事項とした。”神の御許”の正体は、ベルトラム家以外知らない」
「ベルトラム家?」
「……ああ」
ベルトラム司祭は強く拳を握って、深呼吸を一つした。
「ベルトラム家は、ネクロマンサーの血筋なんだ」
俺たちは息を呑んだ。
ネクロマンサーが、ここに。
「”神の御許”が歴史書に記録されたのは五百年前。当時の詳細な記録はないが、我がベルトラム家で生み出された。祀れば国が安定するから、みな疑問を抱かずに”アレ”を祀った。
若い頃、俺は……知りたくて、"アレ"を研究した。
……判明するのは、”アレ”が”人間らしい”こと。それだけだ。その研究結果とベルトラム家が”アレ”を生み出した事実。この二つを合わせれば、バカでもわかる」
は、と自嘲気味に笑った。その声が空虚に響いていた。
「”アレ”は、おそらく………ネクロマンシーの技術を使って蘇えさせられた、誰かの”心臓”だ」
体温が、一気に、下がるような気がした。
遺体を瓶に詰めて祀る。まるで人柱だ。
自分たちが追っているものが、得体の知れない怪物のように思えた。
「俺は”神の御許”を眠らせる方法を考案した。それがこの”白の間”だ。色や音のない空間。刺激を極力与えないで、このチューブで魔素の量を一定に保つ。そうすれば、”神の御許”は眠ったままだ。それ、なのに……」
ーーそれなのに、”神の御許”を起こしてしまった。
続く言葉に、唾を飲み込んだ。
安寧の眠りから目を覚ませられた”神の御許”は、なにを思うのか。
過去の遺恨が、現代の俺たちに、牙を剥いてしまうのではないか。
言葉にできない、ただならぬ恐怖が、胸の奥底から込み上げてきた。
セオドア司祭が白い空間へ足を踏み入れる。
がらんと広く、色彩はほぼない。天井のライトが、俺たちの影を薄く落としている。
壁も床も、ガラスとも大理石ともつかない未知の素材。中央には三メートルを超える台座がそびえ、足を進めるたびに妙な感覚に襲われた。
「本当に”神の御許”が盗まれたとは……」
「……恐ろしいことをしてくれたな、クソッ……」
アインホルン司祭は空になった台座を睨み、ベルトラム司祭は怒りと困惑で拳を震わせる。
セオドア司祭がこちらを向き、「調査をお願いいたします」と頭を下げた。
俺とギルバートは台座を調べた。
中心部には五十センチ四方の穴。ここに”神の御許”が置かれていたのだろう。
台座には装飾がなく、無数のチューブが伸びている。先端は銀色の金属で覆われ、管は半透明。
……台座というより、これは―――
「病院の治療室みたいだな」
ギルバートの呟きに、背筋がぞわりとした。
そうだ。無数に伸びる管は、生命維持装置に似ている。
「アインホルン司祭、ここにロゼッタの”痕跡”はありますか」
ギルバートが声をかけると、アインホルン司祭は顔を上げ、部屋をうろうろと歩く。
「……扉。それと、このあたりでしょうか」
アインホルン司祭は指さして伝えた。
その先、台座の脇、チューブが伸びる先の壁に、ぼこっと浮かび上がっている箇所がある。
”白の間”を開けるときに浮き上がった石版のようだった。
「これは?」
「”神の御許”を台座から取り外すときの鍵ですね。構造は扉と同じです。上級司祭の誰かの魔素と一致すれば開きます」
「ルナはどれくらい消費するのでしょうか」
「大体500ってところです」
アインホルン司祭が応える。
やはり、この部屋に入り、”神の御許”を盗み出すのに、ロゼッタの魔素が使われている。
机上の空論だった推理が、現実のものになりつつある。
ギルバートが拳をぎゅっと握る。俺も逸る心臓を必死で抑えた。
ずっと黙っていたベルトラム司祭が口を開いた。
「きみたち、”神の御許”の特性を、どこまで知っている?」
「魔素を発生させる装置で、爆発の危険があると……」
「なるほど。……だから俺を連れてきたのか」
セオドア司祭は小さく頷く。
ベルトラム司祭は目を閉じ、深く息を吸った。
そして「ここで話すことは限られた者だけに。グラナード騎士団にも上げるな」と告げた。
「まず、”神の御許”の取り扱いについて。”アレ”を落としたり、傷つけたりしてはならない。蓋を開けることも禁止だ」
「……はい」
俺たちは神妙に頷く。
”神の御許”は、生み出される魔素によって爆発する危険がある。中身が零れることを禁止しているのだろう。
「”アレ”を密閉するな。”アレ”は呼吸をしている」
奇妙な言い方に、俺たちは目を見張った。
ギルバートが「……呼吸、ですか」と呟くと、ベルトラム司祭は低い声で続けた。
「そうだ。呼吸だ。”アレ”は魔素を生み出し、循環する。極めて”生物”に近い特性を持っている」
生物と聞いて、血の気が引く感覚がした。
たしかに土や水や無機物は、魔素を有しても循環することはない。
ガラス製の瓶が、生きている。
だとすると、台座から感じた”治療室のようだ”という感覚も、的外れではないように思えた。
「”アレ”がなんなのかは、長年研究してきたが、結局わからなかった。”生物”……特に、心臓のような特性を持っているとしか、わからない。いや……怖くて、調べられなかった」
ベルトラム司祭が震える声で呟いた。
自然と背が丸まり、身体全体が震える。
「研究していたのですか」
「……ああ」
「怖くて調べられなかったというのは」
「調べれば調べるほど、……あの瓶が、人間のように思えるんだ」
ギルバートの問いに、ベルトラム司祭は頭を抱えて、うめくように声を紡いだ。
「部屋の温度を変えると動きが鈍る。声をかけると反応する。布を巻いて放置すると、呻くような音が聞こえる。……”アレ”は生きている。けど、じゃあ、誰だったんだ、と、考えると、怖くなった」
声がだんだんと震えて、消え入るようだった。
「その研究結果を、他に知っている人はいるのですか」
「”神の御許”の特性、例えば、魔素の生成と循環については論文にしたことがある。二十年前だ。それ以降、俺は”神の御許”の情報を重要秘匿事項とした。”神の御許”の正体は、ベルトラム家以外知らない」
「ベルトラム家?」
「……ああ」
ベルトラム司祭は強く拳を握って、深呼吸を一つした。
「ベルトラム家は、ネクロマンサーの血筋なんだ」
俺たちは息を呑んだ。
ネクロマンサーが、ここに。
「”神の御許”が歴史書に記録されたのは五百年前。当時の詳細な記録はないが、我がベルトラム家で生み出された。祀れば国が安定するから、みな疑問を抱かずに”アレ”を祀った。
若い頃、俺は……知りたくて、"アレ"を研究した。
……判明するのは、”アレ”が”人間らしい”こと。それだけだ。その研究結果とベルトラム家が”アレ”を生み出した事実。この二つを合わせれば、バカでもわかる」
は、と自嘲気味に笑った。その声が空虚に響いていた。
「”アレ”は、おそらく………ネクロマンシーの技術を使って蘇えさせられた、誰かの”心臓”だ」
体温が、一気に、下がるような気がした。
遺体を瓶に詰めて祀る。まるで人柱だ。
自分たちが追っているものが、得体の知れない怪物のように思えた。
「俺は”神の御許”を眠らせる方法を考案した。それがこの”白の間”だ。色や音のない空間。刺激を極力与えないで、このチューブで魔素の量を一定に保つ。そうすれば、”神の御許”は眠ったままだ。それ、なのに……」
ーーそれなのに、”神の御許”を起こしてしまった。
続く言葉に、唾を飲み込んだ。
安寧の眠りから目を覚ませられた”神の御許”は、なにを思うのか。
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