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45_覚醒
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劇場の舞台は、荒れた部屋でうずくまるルーシャンを映し出していた。
明日は卒業証書がもらえるとそわそわしていたルーシャンの身体から、突然、すさまじい魔力が噴出した。爆発したのは最初だけで、ぞっとするような量の魔力が渦を巻きながら、ゆっくりとルーシャンの身体におさまっていく。
目を大きく見開いた少年のルーシャンは、頭を抱えたり、自分を殴ってみたりと、自分の身体の変化を受け容れるまで暴れた。やがて、力なくうなだれる。自分が魔王だと思いたくはないのに、聡明なルーシャンには理解できてしまった。
客席から見守っているのが歯がゆくなるほど、ルーシャンは痛々しく、動揺しきっている。ラヴィリアは隣で自分の肩を抱く、大人のルーシャンを見上げた。唇を噛んで、苦く目を細めている。
騒ぎに驚いた家族が部屋に駆け付ける。少年のルーシャンの額からは角が3本生えていた。真紅の瞳が、泣き出す寸前で潤んでいる。両親を見上げて、ルーシャンは震えながら口を開いた。
『父さん、母さん。俺、半魔族になっちゃった。たぶん、ま、魔王だと思う。よりによって、なんで俺なの。ごめんなさい。どうしたらいいかわからないんだ。軍隊が殺しにくるの? みんなが死ぬのはいやだ!』
大量の汗をかいた父親と、真っ青になって震える母親が、同時に膝を着く。びくっと震えるルーシャンの前で、両親が床に額を擦りつけた。『偉大なる王よ』と震える声がする。
『やめてよ、何してるの? 俺のせい?! 俺の魔力でおかしくなったの?! 王じゃない。偉大でもない。俺だよ、ルーシャン。魔王かもしれないけど、中身はなにも変わってないよ。やめて、立ってよ! まだまだガキだってからかうくせに! ねえ、父さん! 男なら簡単に頭を下げるなって言ったじゃないか! 母さん! 床に座ったら服が汚れるって、いつもなら怒るだろ!』
泣き叫ぶルーシャンと一緒に、ラヴィリアの目からも涙があふれた。両親の身体を起こさせようとするルーシャンの前に、兄がやってきた。優しい笑顔が異様な光景に凍り付いた後、怯えた顔に変わった。
『兄さん、違う。俺じゃない。俺がさせてるんじゃない! 父さんと母さんが変なんだ! そんな目で見るなよ! 見るなっ!』
錯乱して腕を振り回すルーシャンの全身から、大量の魔術紋様が噴出した。魔術紋様が家族3人を取り囲み、身体の中へと入っていくのを、呆然とルーシャンが見つめる。
『そうか。なかったことにすればいいんだ。忘れてしまえばいい。みんな忘れてよ。
俺は魔王じゃない。偉そうに誰かを従えたくなんてない。人間と戦争なんて絶対にいやだ。誰にも死んでほしくない。
俺、普通の人間だ。父さんと母さんの子で、兄さんの弟だ。人間、にんげん、ニんゲん、ニンげン……』
魔術紋様に包まれた両親と兄の身体が、ぼうっと宙に浮かんでいる。魔術によって記憶を消されていく家族を見つめ、ルーシャンの頬がいつまでも濡れている。赤い瞳がぼんやりと絶望と諦めに染まっていく。ラヴィリアは舞台の上でひとりで涙を流すルーシャンに、手を差し伸べた。
「ラヴィリア、いいんだ。終わったことだ」
隣にいるルーシャンがラヴィリアの身体を押しとどめた。もう既に過去を受け容れている、大人の男の顔をして。ラヴィリアは聞きいれなかった。手を伸ばす。泣いているあの子のもとに行かなくてはいけない。ラヴィリアが手を伸ばした先から、ぼうっと魔術紋様が浮かんでくる。ルーシャンに座席に座るよう腕を引かれたが、舞台の方に身体が引っ張られていく。ルーシャンがラヴィリアの両腕を掴んだ。
「これはただの記憶だ。過去は変えられないんだよ」
「わかってる。でも行きたいの。ごめんなさい、少しだけ行ってきます。必ず戻るから」
浮き上がる身体をなんとか動かし、ルーシャンの頬にかすめるようなキスを残す。ルーシャンの瞳が、少年の頃と同じく潤んだ。引き止められていたラヴィリアの腕が解放される。記憶の中のルーシャンの家族と同じように、ラヴィリアの身体を魔術紋様が取り囲んで、舞台へと押し上げた。ひとりぼっちで泣いている少年の中に、飛び込んでいく。
*
ラヴィリアは、ルーシャンの目で過去を見ている。ルーシャンの過去の意識の中に入りこんでしまったようだ。
家族の記憶を消した後、ルーシャンはぐずぐずと泣いてはいなかった。心に傷を負ったとしても、魔王の魔力が覚醒したことによって、冷静で理性的な判断ができる精神力が備わってしまった。
――完全に狂ってしまうこともできないんだな。
ルーシャンの思考が、諦めと悲しみが、ラヴィリアにも伝わる。感傷を引きずることもできず、すぐに現実に対処しなければいけない。少年は一夜にして大人にならざるを得なかった。
――まず、この魔力を探知した軍隊が来るのを防がないと。
普通の半魔族は、自分の魔力が漏れて半魔族の姿になったりしないように、魔封じという魔道具を身に着ける。魔封じはマスクや帽子といった形が一般的だ。人間に擬態するには、マスクや帽子は避けたほうがいい。
ルーシャンは自室の机の一番下の引き出しから、ピアスを取り出した。高等学校を飛び級で卒業し、大学に進学することが決まったときに買ったものだ。周囲に年上の同級生がいる状況で、まだガキだとか、勉強しか取り柄のない真面目でつまらない奴とか言われないように、少しでも格好つけたくて用意していた。
ピアスは、たまたまルーシャンの魔力と相性の良い金属でできていた。小さいそれに無理矢理高度な魔術を仕込む。完璧に、魔王の魔力を隠すために。
耳たぶに手芸用の針を突き刺して穴を開け、魔術で血を止め、傷口が膿まないように軽く癒してから、ピアスを両耳に着けた。鏡を見ると、ルーシャンの額からは角が消え、瞳は黒に戻っていた。
――この魔力は、傷だって治せる。やりすぎないように注意しないといけない。普通の人間に見えるように。誰にも正体が露見しないように。
明日は卒業の日だ。ルーシャンは、開いたままの机の引き出しから、ピンク色の包みを取り出した。
――ラヴィリアになんて言えばいいんだ。
ラヴィリアには、既にいつもの場所で待ち合わせの約束をして、渡すものがあると言ってしまっている。
初めて会ったのは図書室で、半魔族の本を読んでいたから声をかけた。自分から女子に話しかけるなんて、滅多にしないことだった。眼鏡をかけた大きな瞳が、コーヒーにクリームを注いだみたいな色をしている、2つ年下の女の子。優しくて、いい匂いがして、本とコーヒーが好きで、笑った顔が可愛い。
――大好きな、俺のラヴィリア。
ルーシャンは入学以来、女子生徒に頻繁に交際を申し込まれたが、恋人をつくらなかった。ルーシャンは臆病で慎重な性格を自覚している。自分は遺伝的に、半魔族に先祖返りする可能性が高い。そのとき恋人がいれば、恐れをなして離れていってしまうかもしれないと思うと、恋などできない。半魔族への先祖返りは、思春期までにおおむね完了するといわれているから、高等学校の在学中までは恋人をつくらないようにしよう、とかたく決めていた。
3年に上がってすぐ、入学してきたばかりのラヴィリアと出会った。すぐに好きだと気づいた。ラヴィリアが半魔族にまったく偏見がないことも確認済みだ。しかし、生来の頑固さが邪魔をした。高校在学中は交際をしないと決めたじゃないか、と。ルーシャンはラヴィリアに交際を申し込むタイミングを逃してしまい、出会って1年近く、ぐずぐずしていた。彼女からの好意も感じているのに、怖気づいている。
飛び級での早期卒業が決まったときに、やっとルーシャンは決意した。ラヴィリアに告白する。気分はプロポーズと一緒だ。ラヴィリアと付き合って、ゆくゆくは結婚したい。アクセサリーショップで指輪を買おうかと思ったが、まだ仕事にも就いていない学生の身には釣り合わなくて、逆に格好悪い。アルバイトで貯めた給金で、学生のラヴィリアでも違和感なく身に着けられるアクセサリーを買った。指輪は大人になってからだ。もちろん、その前に交際の申し出に頷いてもらう必要があるのだが。
心をこめて、好きだと伝えようと思っていた。ルーシャンが最初に恐れていたことは現実になってしまった。自分は半魔族に先祖返りした。種族は魔王。
――俺が魔王でも、彼女なら受け容れてくれるかな。
浮かんだ考えに、ルーシャンはぞっとした。正体が露見すれば、家族はもちろん恋人さえも殺されるかもしれない、魔王。そんな男と誰が結ばれたいと思うのか。いや、ラヴィリアなら案外かまわないというかもしれない。それとも、ピアスを一生外さず、ラヴィリアにも正体を隠して、結婚を前提に付き合ってほしいと言う? そんなの不誠実だ。今すぐ家族とも縁を切って、ひとりで逃げたほうが、周りのためになるかもしれない。
魔王を探しているという軍部の魔道具は、どのくらいの精度なのだろうか。魔王の魔力をしのぐ魔道具なんてないはずだと思うが、そう高を括っていていいのか。ルーシャンは魔王になった日の夜、一睡もできなかった。
朝食の席で、いつも通りに家族が笑顔でおはようという。昨日、重大な記憶を消されたのに、まったく気づいていない。穏やかな日常がそこにあった。
ルーシャンは学校に向かった。職員室で卒業証書を受け取り、クラスメイトと少し会話をして、ラヴィリアとの待ち合わせ場所に向かった。木陰のベンチに座ったラヴィリアは、膝の上に本を広げてはいるが読んではいない。落ち着きなくあちこちを見回している。
『ラヴィリア』
呼びかけに振り返った満面の笑みが、だんだん曇っていく。心優しいラヴィリアは、ルーシャンの表情から読み取った感情に、すぐ共感してしまう。
『卒業おめでとうって言おうと思ってたんですけど、何かありました? なんて悲しそうな顔……』
手を握られそうになって、ルーシャンはさっと手を引っ込めた。待ち合わせ場所で会ったら、いつもすぐに手をつないでいる。互いに拒否したことは、今まで一度もなかった。ラヴィリアははっきりと傷ついた顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕った。ちらりとハシバミ色の瞳がルーシャンの耳に向けられた。
『あ、急にピアスなんて着けて。似合ってますけど、ちょっと悪そうな感じがしますね。ねえ、本当にどうしたの? 話があるって、良くない話?』
ルーシャンは、ラヴィリアに何を話すか、まだ決めかねていた。
家族と縁を切って遠くに逃げる考えは、いったん捨てている。家族からルーシャンに関する16年分の記憶を消すのは、彼らにかかる負担が大きすぎるし、周囲にぼろが出る可能性も高い。家族とは今まで通りの生活をすることにした。もし軍隊がやってきたとしても、傍にいた方が守りやすい。
ラヴィリアにも、彼女の安全を考えるなら、何も言わない方が良い。しかし、すべてを打ち明けてしまいたい気持ちでいっぱいだ。今までだって隠し事をしないできた。何も飾り立てていない、臆病で内気なルーシャンを、彼女はいつも笑顔で慕ってくれるのだ。ラヴィリアは魔力に敏感な体質ではない。魔王の魔力に触れたとしても、膝を着いて服従したりはしないはずだ。ラヴィリアがじっと待っているのに、言葉が出ない。
――多くの人の命が懸かった秘密を、大好きな女の子に明かすのが正しいことか? ラヴィリアはまだ14歳だ。自分ひとりで背負う勇気がなくて、押しつけようとしているだけじゃないか。
自分の履いた、学校指定の革靴を見ていると、ラヴィリアの革靴が視界に入った。止める間もなく、ラヴィリアの手がルーシャンの手を握った。間近にある瞳が、まっすぐルーシャンを射抜く。
『私、何を聞いても先輩のこと嫌ったり幻滅したりしませんよ。先輩のこと、大好きだから』
ルーシャンは、ラヴィリアの手を振りほどいた。一瞬悲しそうな顔になったラヴィリアを、ぎゅっと抱きしめる。ルーシャンは先に言わせてしまって格好悪いな、と顔を赤くした。自分の着けたピアスが、カチカチ音を立てている。感情が乱れて、魔封じで抑えきれなくなった魔力が少し漏れてしまった。柔らかくて、いい匂いがするラヴィリア。大好きなラヴィリア。彼女にすべて打ち明ける決心がついた。
『俺、俺もきみのことが――』
ぶわ、とルーシャンの肌に鳥肌が立った。抱きしめてみて気づいてしまった。ラヴィリアの小さな頭の中に、ある。まだ覚醒していないが、確かにある。
――ラヴィリアの中に、魔力の器がある!
明日は卒業証書がもらえるとそわそわしていたルーシャンの身体から、突然、すさまじい魔力が噴出した。爆発したのは最初だけで、ぞっとするような量の魔力が渦を巻きながら、ゆっくりとルーシャンの身体におさまっていく。
目を大きく見開いた少年のルーシャンは、頭を抱えたり、自分を殴ってみたりと、自分の身体の変化を受け容れるまで暴れた。やがて、力なくうなだれる。自分が魔王だと思いたくはないのに、聡明なルーシャンには理解できてしまった。
客席から見守っているのが歯がゆくなるほど、ルーシャンは痛々しく、動揺しきっている。ラヴィリアは隣で自分の肩を抱く、大人のルーシャンを見上げた。唇を噛んで、苦く目を細めている。
騒ぎに驚いた家族が部屋に駆け付ける。少年のルーシャンの額からは角が3本生えていた。真紅の瞳が、泣き出す寸前で潤んでいる。両親を見上げて、ルーシャンは震えながら口を開いた。
『父さん、母さん。俺、半魔族になっちゃった。たぶん、ま、魔王だと思う。よりによって、なんで俺なの。ごめんなさい。どうしたらいいかわからないんだ。軍隊が殺しにくるの? みんなが死ぬのはいやだ!』
大量の汗をかいた父親と、真っ青になって震える母親が、同時に膝を着く。びくっと震えるルーシャンの前で、両親が床に額を擦りつけた。『偉大なる王よ』と震える声がする。
『やめてよ、何してるの? 俺のせい?! 俺の魔力でおかしくなったの?! 王じゃない。偉大でもない。俺だよ、ルーシャン。魔王かもしれないけど、中身はなにも変わってないよ。やめて、立ってよ! まだまだガキだってからかうくせに! ねえ、父さん! 男なら簡単に頭を下げるなって言ったじゃないか! 母さん! 床に座ったら服が汚れるって、いつもなら怒るだろ!』
泣き叫ぶルーシャンと一緒に、ラヴィリアの目からも涙があふれた。両親の身体を起こさせようとするルーシャンの前に、兄がやってきた。優しい笑顔が異様な光景に凍り付いた後、怯えた顔に変わった。
『兄さん、違う。俺じゃない。俺がさせてるんじゃない! 父さんと母さんが変なんだ! そんな目で見るなよ! 見るなっ!』
錯乱して腕を振り回すルーシャンの全身から、大量の魔術紋様が噴出した。魔術紋様が家族3人を取り囲み、身体の中へと入っていくのを、呆然とルーシャンが見つめる。
『そうか。なかったことにすればいいんだ。忘れてしまえばいい。みんな忘れてよ。
俺は魔王じゃない。偉そうに誰かを従えたくなんてない。人間と戦争なんて絶対にいやだ。誰にも死んでほしくない。
俺、普通の人間だ。父さんと母さんの子で、兄さんの弟だ。人間、にんげん、ニんゲん、ニンげン……』
魔術紋様に包まれた両親と兄の身体が、ぼうっと宙に浮かんでいる。魔術によって記憶を消されていく家族を見つめ、ルーシャンの頬がいつまでも濡れている。赤い瞳がぼんやりと絶望と諦めに染まっていく。ラヴィリアは舞台の上でひとりで涙を流すルーシャンに、手を差し伸べた。
「ラヴィリア、いいんだ。終わったことだ」
隣にいるルーシャンがラヴィリアの身体を押しとどめた。もう既に過去を受け容れている、大人の男の顔をして。ラヴィリアは聞きいれなかった。手を伸ばす。泣いているあの子のもとに行かなくてはいけない。ラヴィリアが手を伸ばした先から、ぼうっと魔術紋様が浮かんでくる。ルーシャンに座席に座るよう腕を引かれたが、舞台の方に身体が引っ張られていく。ルーシャンがラヴィリアの両腕を掴んだ。
「これはただの記憶だ。過去は変えられないんだよ」
「わかってる。でも行きたいの。ごめんなさい、少しだけ行ってきます。必ず戻るから」
浮き上がる身体をなんとか動かし、ルーシャンの頬にかすめるようなキスを残す。ルーシャンの瞳が、少年の頃と同じく潤んだ。引き止められていたラヴィリアの腕が解放される。記憶の中のルーシャンの家族と同じように、ラヴィリアの身体を魔術紋様が取り囲んで、舞台へと押し上げた。ひとりぼっちで泣いている少年の中に、飛び込んでいく。
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ラヴィリアは、ルーシャンの目で過去を見ている。ルーシャンの過去の意識の中に入りこんでしまったようだ。
家族の記憶を消した後、ルーシャンはぐずぐずと泣いてはいなかった。心に傷を負ったとしても、魔王の魔力が覚醒したことによって、冷静で理性的な判断ができる精神力が備わってしまった。
――完全に狂ってしまうこともできないんだな。
ルーシャンの思考が、諦めと悲しみが、ラヴィリアにも伝わる。感傷を引きずることもできず、すぐに現実に対処しなければいけない。少年は一夜にして大人にならざるを得なかった。
――まず、この魔力を探知した軍隊が来るのを防がないと。
普通の半魔族は、自分の魔力が漏れて半魔族の姿になったりしないように、魔封じという魔道具を身に着ける。魔封じはマスクや帽子といった形が一般的だ。人間に擬態するには、マスクや帽子は避けたほうがいい。
ルーシャンは自室の机の一番下の引き出しから、ピアスを取り出した。高等学校を飛び級で卒業し、大学に進学することが決まったときに買ったものだ。周囲に年上の同級生がいる状況で、まだガキだとか、勉強しか取り柄のない真面目でつまらない奴とか言われないように、少しでも格好つけたくて用意していた。
ピアスは、たまたまルーシャンの魔力と相性の良い金属でできていた。小さいそれに無理矢理高度な魔術を仕込む。完璧に、魔王の魔力を隠すために。
耳たぶに手芸用の針を突き刺して穴を開け、魔術で血を止め、傷口が膿まないように軽く癒してから、ピアスを両耳に着けた。鏡を見ると、ルーシャンの額からは角が消え、瞳は黒に戻っていた。
――この魔力は、傷だって治せる。やりすぎないように注意しないといけない。普通の人間に見えるように。誰にも正体が露見しないように。
明日は卒業の日だ。ルーシャンは、開いたままの机の引き出しから、ピンク色の包みを取り出した。
――ラヴィリアになんて言えばいいんだ。
ラヴィリアには、既にいつもの場所で待ち合わせの約束をして、渡すものがあると言ってしまっている。
初めて会ったのは図書室で、半魔族の本を読んでいたから声をかけた。自分から女子に話しかけるなんて、滅多にしないことだった。眼鏡をかけた大きな瞳が、コーヒーにクリームを注いだみたいな色をしている、2つ年下の女の子。優しくて、いい匂いがして、本とコーヒーが好きで、笑った顔が可愛い。
――大好きな、俺のラヴィリア。
ルーシャンは入学以来、女子生徒に頻繁に交際を申し込まれたが、恋人をつくらなかった。ルーシャンは臆病で慎重な性格を自覚している。自分は遺伝的に、半魔族に先祖返りする可能性が高い。そのとき恋人がいれば、恐れをなして離れていってしまうかもしれないと思うと、恋などできない。半魔族への先祖返りは、思春期までにおおむね完了するといわれているから、高等学校の在学中までは恋人をつくらないようにしよう、とかたく決めていた。
3年に上がってすぐ、入学してきたばかりのラヴィリアと出会った。すぐに好きだと気づいた。ラヴィリアが半魔族にまったく偏見がないことも確認済みだ。しかし、生来の頑固さが邪魔をした。高校在学中は交際をしないと決めたじゃないか、と。ルーシャンはラヴィリアに交際を申し込むタイミングを逃してしまい、出会って1年近く、ぐずぐずしていた。彼女からの好意も感じているのに、怖気づいている。
飛び級での早期卒業が決まったときに、やっとルーシャンは決意した。ラヴィリアに告白する。気分はプロポーズと一緒だ。ラヴィリアと付き合って、ゆくゆくは結婚したい。アクセサリーショップで指輪を買おうかと思ったが、まだ仕事にも就いていない学生の身には釣り合わなくて、逆に格好悪い。アルバイトで貯めた給金で、学生のラヴィリアでも違和感なく身に着けられるアクセサリーを買った。指輪は大人になってからだ。もちろん、その前に交際の申し出に頷いてもらう必要があるのだが。
心をこめて、好きだと伝えようと思っていた。ルーシャンが最初に恐れていたことは現実になってしまった。自分は半魔族に先祖返りした。種族は魔王。
――俺が魔王でも、彼女なら受け容れてくれるかな。
浮かんだ考えに、ルーシャンはぞっとした。正体が露見すれば、家族はもちろん恋人さえも殺されるかもしれない、魔王。そんな男と誰が結ばれたいと思うのか。いや、ラヴィリアなら案外かまわないというかもしれない。それとも、ピアスを一生外さず、ラヴィリアにも正体を隠して、結婚を前提に付き合ってほしいと言う? そんなの不誠実だ。今すぐ家族とも縁を切って、ひとりで逃げたほうが、周りのためになるかもしれない。
魔王を探しているという軍部の魔道具は、どのくらいの精度なのだろうか。魔王の魔力をしのぐ魔道具なんてないはずだと思うが、そう高を括っていていいのか。ルーシャンは魔王になった日の夜、一睡もできなかった。
朝食の席で、いつも通りに家族が笑顔でおはようという。昨日、重大な記憶を消されたのに、まったく気づいていない。穏やかな日常がそこにあった。
ルーシャンは学校に向かった。職員室で卒業証書を受け取り、クラスメイトと少し会話をして、ラヴィリアとの待ち合わせ場所に向かった。木陰のベンチに座ったラヴィリアは、膝の上に本を広げてはいるが読んではいない。落ち着きなくあちこちを見回している。
『ラヴィリア』
呼びかけに振り返った満面の笑みが、だんだん曇っていく。心優しいラヴィリアは、ルーシャンの表情から読み取った感情に、すぐ共感してしまう。
『卒業おめでとうって言おうと思ってたんですけど、何かありました? なんて悲しそうな顔……』
手を握られそうになって、ルーシャンはさっと手を引っ込めた。待ち合わせ場所で会ったら、いつもすぐに手をつないでいる。互いに拒否したことは、今まで一度もなかった。ラヴィリアははっきりと傷ついた顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕った。ちらりとハシバミ色の瞳がルーシャンの耳に向けられた。
『あ、急にピアスなんて着けて。似合ってますけど、ちょっと悪そうな感じがしますね。ねえ、本当にどうしたの? 話があるって、良くない話?』
ルーシャンは、ラヴィリアに何を話すか、まだ決めかねていた。
家族と縁を切って遠くに逃げる考えは、いったん捨てている。家族からルーシャンに関する16年分の記憶を消すのは、彼らにかかる負担が大きすぎるし、周囲にぼろが出る可能性も高い。家族とは今まで通りの生活をすることにした。もし軍隊がやってきたとしても、傍にいた方が守りやすい。
ラヴィリアにも、彼女の安全を考えるなら、何も言わない方が良い。しかし、すべてを打ち明けてしまいたい気持ちでいっぱいだ。今までだって隠し事をしないできた。何も飾り立てていない、臆病で内気なルーシャンを、彼女はいつも笑顔で慕ってくれるのだ。ラヴィリアは魔力に敏感な体質ではない。魔王の魔力に触れたとしても、膝を着いて服従したりはしないはずだ。ラヴィリアがじっと待っているのに、言葉が出ない。
――多くの人の命が懸かった秘密を、大好きな女の子に明かすのが正しいことか? ラヴィリアはまだ14歳だ。自分ひとりで背負う勇気がなくて、押しつけようとしているだけじゃないか。
自分の履いた、学校指定の革靴を見ていると、ラヴィリアの革靴が視界に入った。止める間もなく、ラヴィリアの手がルーシャンの手を握った。間近にある瞳が、まっすぐルーシャンを射抜く。
『私、何を聞いても先輩のこと嫌ったり幻滅したりしませんよ。先輩のこと、大好きだから』
ルーシャンは、ラヴィリアの手を振りほどいた。一瞬悲しそうな顔になったラヴィリアを、ぎゅっと抱きしめる。ルーシャンは先に言わせてしまって格好悪いな、と顔を赤くした。自分の着けたピアスが、カチカチ音を立てている。感情が乱れて、魔封じで抑えきれなくなった魔力が少し漏れてしまった。柔らかくて、いい匂いがするラヴィリア。大好きなラヴィリア。彼女にすべて打ち明ける決心がついた。
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