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三話

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「佐々木、どうした? 浮かない顔して」

食堂を出て博子と別れてから、飲み物を買おうと自販機に硬貨を入れていると、聞き覚えのある低音ボイスが耳に入ってきた。身体を反らせて休憩所を覗くと、声の主はやはり遠藤だった。

「遠藤さん……俺、仕事辞めようかと思ってて……」

一人ベンチに腰掛ける後輩の佐々木が深刻そうな話を始めたので、愛美はその場から動けなくなっていた。
確か佐々木は、まだ入社一年目だ。女子社員達が「可愛い系のイケメンが入ってきた」と騒いでいたことを思い出した。

「え? 何でだよ! だってお前結婚したばっかで、もうすぐ子供も生まれるって……」

遠藤は、驚きと少し怒りのこもったような口調で佐々木に返した。

「そうなんですけど……俺、前にでかいミスしてから、何かびびっちゃって。ミスしないように必要以上に確認するようになったら、今度はスピードが追い付かなくて。俺のせいで皆のペース乱してしまうし、何か思うようにいかなくて……」

佐々木の声が震えているように聞こえる。

「そうか……話してくれて良かったよ。ごめんな、全然気付いてやれなくて……。そりゃあミスは無いに越したことはないけど、どんなに気を付けててもミスは起きるもんなんだ。勿論部品一つで不具合を起こすことはあるけど、そうならない為に何重もチェックするんだろ。現にお前のミスも、次の工程で引っ掛かった訳だろ?」 

「はい。でも、皆にすごく迷惑かけてしまって……」

佐々木は思い詰めているようだ。

「お前がそんな風に、ミスしたことを深く反省して、真面目に仕事に取り組む奴だってこと、皆わかってるから」

「でも……」

「大丈夫だ!」

遠藤は佐々木の言葉を遮った。

「お前一人のたった一回のミスで、誰かが命を落とすことはないから大丈夫だ。仮にそんな仕事があったとして、入社一年目のお前にやらせるような会社なら、俺がとっくに辞めてるよ」

遠藤の笑い声が聞こえた。

「ミスしたら謝って挽回すればいいだけだ。俺がしてきてもらったように、お前の尻拭いしてやるから安心しろ。身重な奥さんに余計な心配かけるな」

遠藤が放ったその言葉に愛美は思わず身を乗り出して、パーテーション代わりに並べられたドラセナの隙間から様子を窺った。
遠藤が佐々木の頭をくしゃくしゃと撫でているのが見えた。

「……」

「バ、バカ! 何泣いてんだよ。行くぞ!」

遠藤がそう言うと、佐々木はゆっくりと立ち上がった。遠藤の言葉で思いとどまったのだろう。遠藤は俯く佐々木の横に回ると彼の肩を叩き、その肩をぎゅっと掴むとそのまま肩を組んで歩きだした。
その後ろ姿を目にした愛美は、遠藤の学生時代の様子を垣間見た気がした。
サッカーユニフォームを着た遠藤が後輩の肩を抱く映像が頭に浮かんだのだ。
つい先程までは想像出来なかった姿だ。

遠藤の思いがけない男らしい一面を知った愛美は、去っていく二人の後ろ姿を見つめてしばらく呆然と立ち尽くした。

その日愛美は、仕事が手につかなくなる程に遠藤のことを考えていた。部署の違う遠藤のことは何も知らないが、後輩から深刻な悩みを打ち明けられていたということは、それだけ信頼されているということだろう。
愛美は遠藤のことをもっと知りたいと思った。
昼休みに食堂で顔を合わせた時、もっと積極的に話し掛けてみようか、と考えたが、明日も明後日も会社が休みだということに気付いて、至極がっかりした。


日曜日、愛美は博子をランチに誘った。
先に店に到着して席に着いていた愛美の元に、店員に案内されて博子がやって来た。
『今日のおすすめランチ』を二つ注文すると「しばらくお待ちください」と言って店員が去った。

「遠藤さんのことだよね」

博子が唐突に言った。

「……え、何でわかったの?」

「そんな目をしてたから」

博子はニヤニヤしながら言った。

「ひとつだけ言えるのは、遠藤さんは絶対いい人だってこと。先輩からは可愛がられてるし、後輩からはすごい慕われてるしね。女子社員からの人気は……まあ見た目が微妙だから」

そうはっきりと言ってから、博子はクスッと笑った。

「人は見た目で判断しちゃ駄目だと思うけど、結局人は見た目が九割なんだよね」

渋い表情をして博子はそう言ったが、確かにそうだ、と愛美も思った。

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