雨音ラプソディア

月影砂門

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第二番 〜華やかな物語《ブリランテバラード》〜

第二楽章〜優雅なる嬉遊曲《ディヴェルティメント》

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 黎、暁、光紀は琥珀と砂歌の会話を聞いていた。黎はいつも通り砂歌の隣にちょこんと座り、暁はその二人の後ろに立つ。光紀は全員分の和菓子とお茶を取り分けた。対面する形で座る琥珀と砂歌。動いたのは砂歌だった。真っ白なシルクが敷かれた机の上に重厚な箱を置いた
 ──カチャッ


 「これで良かっただろうか」

 「はい、ありがとうございます」


 箱の中に入っていたのは、長い銃身を備えたライフルだった。砂歌が贔屓にしているクロックハーツ製の銃で、銃身は透き通るようなロイヤルイエロー。機関部は白。グリップはゴールデンイエロー。一見して美しい銃だった


 「拳銃でなくてよかったのか?」

 「両方使います」

 「肩がイカれてしまうぞ」

 「ですから普段は拳銃で。ライフルは、アンチ用に」


 琥珀の言葉に黎と光紀が目を見開く。クインテットに選んだ黎さえも。流石にアンチ戦は恋にさえさせていない。それを初心者である琥珀がしようと言うのだ。黎は無謀過ぎると言わんばかりに砂歌に目線を移す


 「アンチ戦に関する反対は私はしない。ただ、絶対に一人ではするな。必ずサポートをつけること。いいな」

 「ありがとうございます」

 「お姉ちゃん!」

 「黎が選んだクインテットだ。彼は・・・守聖史上でも最高の逸材だ。焔と並んでな」


 ・・・焔くんが?
 ・・・まだ覚醒もしてない焔が逸材?
 いち早く覚醒した恋や、日毎強くなっていく犀、実力は申し分ない光紀、クインテットの中でも群を抜いて強力な琥珀。黎や暁もオンブルと戦う中で四人の実力には感心している。しかし、焔は一ヶ月経った今でも覚醒さえしていない。戦力には成りえているとはいえ、アンチ戦には出せないレベルだ。しかし砂歌は、全員にアンチ戦を経験させるべきだと考えていた。それについては暁も同じ意見だ


 「少なくとも琥珀は対等にやれる」

 「なぁ黎」

 「暁?」

 「コイツの指、見たか?」

 「え?」


 黎はライフルの説明書を読んでいる琥珀の指に視線を向けた。そこで驚愕する。マメやタコ、使っていなければ出来ない筋肉も付いている。彼が欠かすことなく銃の訓練をして来た証拠。武器の訓練はどれも怠れば鈍くなり、精度も下がる。怠っていない何よりの証拠だ。しかし、それは琥珀に限ったことではない。普段元気で明るく、しかし時々適当な犀も槍を掴んだ手のマメが潰れるほど鍛錬している。恋も弓だこが出来ている。覚醒の兆しが見えない焔も毎日素振りは欠かさないでいる


 「そっか・・・」

 「だから言ったのだ。このままでは宝の持ち腐れだぞ、黎」

 「お姉ちゃん・・・」

 「君が選んだのだろう。信じなさい、君だけのクインテットを。セプテット・パルティータは二人だけじゃない。そうだろう?」


 黎は涙目になりながら大きく頷いた。暁と二人で戦って来た頃とは違う。頼もしい仲間がいた。それも、自分が選んだクインテットだ。


 「一人だと思ってんじゃねぇぞ、黎」

 「ごめん、ありがとう」

 「さ、琥珀。射撃場を貸そう。ライフルの射撃はヴェーダに教わるといい」

 「しょ、承知しました」


 ヴェーダに対して何故かライバル心を向けている琥珀としては、ライバルに教わるのは少し気が引ける。しかし止むを得ない


 「僕はバイトがありますので、失礼致します」

 「ああ」

 「あ、これ、渡しておきますね」


 琥珀は、重い箱を持ちバイトに向かった。砂歌は渡された紙に首を傾げ、指でなぞるように触れた


 「数字か?」

 「電話番号かよ!?」

 「連れていく気まんまんだね」


 ちゃっかり電話番号を記したメモを渡していたのだ。暁はお錘を爆発させ、光紀は呆れていた。砂歌は携帯を取り出し登録した
 黎と暁は、何故か疲れ気味の砂歌を心配しながらも光紀に任せ、別荘に帰ることにした。明日は琥珀と出掛ける日だ。黎と暁の心の中は心配で埋まっていた。

 話は三十分くらいで黎と暁は城から出て来た


 「あれ、焔くんたち待っていたのかい?」

 「まぁな。なんだ、兄貴。武器の注文してたのかよ」

 「それについて話なのだけど」


 焔たちはそれぞれ顔を見合わせると、砂歌の別荘──今は黎と暁の家──にお邪魔した
 焔たちは黎から事情を聞くなり目を見開くしかなかった。琥珀がアンチ戦に加わるために銃を注文していたことには戸惑った。さらに砂歌が全員ペアを組んでアンチ戦に加わるべきだと言ったという。それに関しては驚きを通り越した。琥珀は既に大誠を相棒に選んでいる


 「じゃあわたしは犀と組むわ」

 「おう、相性もいいしな」


 風と水、弓と槍の相性はいい。二人はそれを予め聞かされていたため、砂歌の理想通り迷うことなく組んだ


 「お、おれは光紀か?」

 「はぁ?光紀とお前は黎のサポートに決まってんだろ」

 「あ、な、なるほど」


 どっちも接近戦向きの武器だと思った焔は、暁に突っ込まれた。光紀は金属性のため、薙刀の刀身を自由に伸縮させられるということもあり、近距離だけでなく中距離も可能だ。焔は、暁に早く使えるようになれと咎められた


 「まぁ、その前に、一番警戒しなきゃなんねぇのは明日だろ!」

 「そうだよ!琥珀兄さんには悪いけどデートが一番心配さ!」

 「う、うん。そうね」


 黎と暁にとってはアンチ戦ではなく琥珀戦が最優先事項だった。そこで焔の中で一つの疑問が浮上した


 「出掛ける時の服どうすんだよ、あの人」


 暁も焔と同じことを考えていた。男装で出るわけには行かない。男装すれば間違いなくバレる。そしてレディースの服だが、まず持っているのかが不明だった


 「明日は行くわけには行かないから、わたしの千里眼を使うよ」

 「あぁ、頼むぜ黎」


 琥珀が手を出す前に阻止できるように監視をすることにした。みんなで行こうと思っていた暁だが、流石にこの大所帯で行けば何事かと面倒なことになることが目に見えたため我慢することにした


 「でもよ、焔。琥珀兄ちゃんって紳士じゃね?」

 「イケメンは内から出るっていうわね」

 「あの人は・・・優しいだけじゃない気がするよ」

 「気に食わねぇが、なんかわかる気がする」


 剣崎家の長男で、夜遅くにバイトから帰ってくる。塾にも通っているらしく、十時くらいに帰宅する。しかし焔は、兄の将来の夢を知らないのだ。法学部というのだから司法に関係するのだろうと言うことはわかる。大学はこの国の制度により負担はないからこそ行けた。とてもではないが、焔たちの家計で大学に通うことは出来ないのだ。資格を受けるための費用もかなりかかる


 「俺も兄貴のことあんまり分かってねぇんだよなぁ」

 「弟のくせに?」

 「家であんま話しねぇし」


 外でこそ仲の良い兄弟のように見えるが、琥珀が高校に進学してから会話は極端に減った。そもそも会話する機会が減ったのだ。クインテットにならなければ、兄との会話がないまま社会に出ていただろう。


 「焔って・・・母子家庭なの?」

 「そうだ」

 「・・・家賃とかって誰が払ってんだ?」


 犀の問いに焔は固まった。父親とは別れたと聞いていた。養育費も含め、父親が払っているのだろうと思っていた。貯金が趣味の兄。将来のために溜め込んでいるものだと思っていた。


 「家に入れてくれてんのか・・・兄貴」

 「あんたもバイトやんなさいよ」

 「もうやってる」


 既に飲食店でバイトを始めている。琥珀が裏で頑張っていることを知っていたのは家族である焔ではなく、砂歌だったのだ。ケーキ食べに行けるなと言ったのは、琥珀をリフレッシュさせたいと思ったからだったのだ。


 「お姉ちゃんすごいなぁ」

 「心が読めるから、思いも分かるんだろうぜ。今回は免除してやるか」

 「砂歌さんがリフレッシュするため、じゃねぇんだな」


 ふと思った犀が呟く。ほぼ毎日オンブル退治に明け暮れている自分のためではなく、琥珀に対するお礼とリフレッシュを兼ねて出掛けるのだろうと暁は言った


 「それでか、兄貴がめちゃくちゃ興奮してやがったの」


 ヴェーダの思いなど露知らず、砂歌は琥珀と出かけることを選んだのだ。琥珀曰くライバルだというヴェーダとの戦いは勝利した。


 「砂歌さんの取り合いをしてるのね、二人で」

 「わたしのお姉ちゃんだよ!?」

 「砂歌さんも大変だな。知らないうちに取り合いされてちゃ」

 「違いねぇ」


 恋と暁だけでなく珍しく犀までもが溜め息を吐いた


 ──2──

 
 翌日。兄貴は何時になくオシャレな服装で鏡の前にいた。それを俺は呆れたように見ていた。五分袖のネイビーのフェイクレイヤードダブルフードパーカーに、白のランダムテレコポロシャツ、黒のクロップドパンツという出で立ちだ


 「かなり決めたな。てかそんな服持ってたんだな」

 「当たり前だろ。砂歌さまとでー、出掛けるんだぞ?普段の服で行けるか」

 「まぁ、無理だな。俺でもキレイめのやつ着ていく」


 またしてもデートと言いかけたことはもう放っておく。砂歌さんがレディースを着てくるのかという問題がある


 「砂歌さんの服どうすんだよ」

 「選べばいいだろ。僕が」

 「・・・そうか」


 スカートを着せる気しかないだろう。流石に服まで払う気はないだろうとは思う。


 「海さんに頼んでるんじゃね?」

 「あぁ、確かに。着てなかったら僕が選ぶ」


 兄貴は知らないだろう、この時点で黎たちに監視されていることを。砂歌さんのことだ準備はしっかりしているはずなのだ。兄貴が喜びそうな服を見繕ってくれ、とか言ってくれているはずだ。黎に聞くところによれば、海さんは一度でもその人を見れば合う服を見繕ってくれるという。つまり、兄貴が喜ぶものなど分かっているはず


 「期待しとけよ、兄貴」

 「あぁ、そうすることにする」

 「それから兄貴・・・」


 俺が呼びかけると、兄貴は柔らかい笑みを浮かべて振り向いた。かなり機嫌がいい。機嫌が悪い時を見る方が珍しいとはいえ、今日は特別良い。


 「いつもありがとよ」

 「は?・・・どういたしましてと言っておく」


 一瞬きょとんとしたが、兄貴はどこか照れくさそうに言った。


 「徒歩で行くのか?」

 「バカか?あんなところまで徒歩で?」


 車で行っても四十分はかかるようなところだ。王に何時間も歩かせるなんて有り得ない。兄貴が訝しげな顔をして俺を見て来た


 「じゃあ、行くから」

 「おぉ、楽しんで来いよー」


 兄貴は知らないだろう。俺の部屋に既に黎たちがいることを。
 俺は、兄貴を見送ると、すぐに部屋へ駆け込んだ。既に準備万端の黎がいた。


 「今車にエンジンをかけたところだ」


 兄貴の車は昨晩洗車したであろう白いクーペだ。かなり気合を入れたらしい。ほかの女とのデートじゃ絶対しない。かなり砂歌さんを意識してると見た


 「兄貴・・・真剣だな」

 「でしょうね」

 「琥珀兄ちゃん、ガチだな」


 鈍感な黎でさえ本気であると感じたようだ。暁はこの時点でもはやハラハラし始めた。言っておくが、兄貴は紳士だ。興奮しようが邪な気持ちが生まれようと七割の良心がそうさせない。しばらく車を進め、城門の前に車を停めた。一度兄貴が運転する車に乗ったが、上手い。一年目とは思えない
 兄貴は車を降りると辺りを見渡す。城門の端の方にいた。そして固まる。俺たちも固まった


 「琥珀」

 「さ、砂歌さま」


 一瞬見違えたが、間違いなく砂歌さんだった。男性に見せる真言を解いたようで、女性の姿になってくれたようだ。黎が海さんから服の説明が書かれた紙を貰ったようで、読み始めた。チュール生地に花の刺繍を施した透け感のあるレーストップス。その下は白のキャミソール。ボトムはホリゾンブルーとかいう種類の青のフレアスカート。靴はアクアマリンが埋め込まれたビジュールブローチ付きの白色のレースパンプス。毛先は緩く巻かれ
、大粒のアクアマリンが埋め込まれた銀色のバレッタでハーフアップにしていた。装い髪型総じて砂歌さんの上品さや気品をこれでもかというほど見事に引き出していた


 「これは・・・凄いわね」

 「琥珀大丈夫かよ」

 「お姉ちゃんすごく綺麗!」

 「砂歌さま、言葉に出来ないほどお美しいです」


 ウエストや二の腕はキュッと引き絞られ、華奢な印象を受ける。というか華奢だ。肩幅も狭い。しかし、出るところは出ている。どこがとは言わない。女ならば誰もが羨むプロポーションだと恋は言う。


 「普段もいいが、あれもめちゃくちゃいいな」


 ブルーミストのショルダーバッグを両手持ち。それはそうと、装い全てが兄貴の好み。海さんの凄さを思い知った


 「えっと・・・こうすれば良いのだったか?」

 「お、え・・・は、はい。そうですね」


 ・・・そうですねじゃねぇよ
 砂歌さんは、近づくなり兄貴と腕を組み出した。砂歌さんは恐らく服を繕って貰っている間に教わったのだろう。これはデートではないのか


 「余計な事教えてんじゃねぇよ、海!」

 「そろそろ兄貴死ぬんじゃねぇか」

 「あれは間違いなく当たってる」


 もうデートということにしておく。序盤からこの調子では帰る頃には兄貴は死んでいるのではないだろうか。


 「琥珀さん羨ましい」

 「光紀、お前な」


 黎はあれだけ心配していたはずだが、楽しそうに二人の様子を見守っている。
 兄貴は、砂歌さんが杖を持っていないことに気づいたらしい。腕はそのままにゆっくりと歩き、車に近づいた。ドアを開けるなり砂歌さんをエスコートしながら車に乗せた


 「女の憧れよねぇ」

 「そうなのか?」


 少なくともこの中では光紀以外の男には出来ない。暁は含まない。


 「ありがとう」

 「いえ」


 兄貴は砂歌さんのシートベルトを締めた。シートベルトなんかしたことも無いはずだ。普段の移動手段は馬車かテレポートだ。


 「新鮮だ」

 「狭い車内ですみません」

 「閉鎖的な空間もいい。何となく今日の琥珀は爽やかな雰囲気だな」


 爽やかな格好をしているということを直感的に察しているのだろう。普段はどんな雰囲気なんだろうか
 車内は間違いなく良い雰囲気だろう。砂歌さんは新鮮さにワクワクしている様子だ。兄貴は逆にソワソワしていた。あんな兄貴は見たことがない。


 「そうだ。今日はタメ口でいいんだぞ」

 「え・・・善処します」

 「ふふっ、あと真名で呼んでもいいぞ」

 「お言葉に甘えます。砂龍シャロンさま」

 「タメ口にはしないようだ」

 「それは流石に・・・」

 「その狼狽えよう、可愛いな」


 俺だってタメ口では話せない。話せるのは家族同然の黎や暁。幼馴染のヴェーダさんくらいだろう。


 「砂龍さまの方がかわいいですよ」

 「え?」


 小さな兄貴の呟きは俺たちが聞いた。聞いている方が恥ずかしくなるような文言。歯が浮くようなとはこの事を言う。しかし、狼狽える兄貴を可愛いという砂歌さんも砂歌さんだ
 砂歌さんはふと話題を変えた。兄貴の普段の過ごし方についてだ


 「琥珀は、大学に通っているのだったな。法学部で」

 「はい、そうです」

 「どういうことを学ぶんだ?法律か?」

 「概ねはそうですね」


 兄貴曰く、法学部の専門カリキュラムは憲法、刑法、民法、商法、社会法、労働法、国際法だという。これを四年間で叩き込むそうだ。俺はやりたくない。というかそんな大学に入れる気がしない。


 「楽しいか?」

 「大変ですけど、学ぶのは楽しいです」

 「聞きたいことはたくさんあるのだが」

 「何なりと」

 「で、では将来の夢は?」


 兄貴は少しだけ目を見開いた。聞かれるとは思わなかったのだろう。考えるように沈黙すると、口を開いた


 「子どもの頃から変わらない夢があります」


 兄貴には子どもの頃からずっと胸に秘めた夢があるらしい。俺は兄貴から夢の話を聞いたことがない。まずそんな機会が無い。ただ気にはなっていた。遅くまで勉強していることを夜にトイレに行った時に知った。母が時々夜食を持っていくのも見た。つまり、母は兄貴の夢を知っている。


 「弁護士になろうと思っています」

 「それは夢なのか?」

 「夢ですね」

 「君なら実現出来るだろうな」

 「そうでしょうか?」


 責任感や正義感は強いだろうし、決断力もずば抜けている。兄貴に合っていると思う。


 「ぴったりだ」

 「それは嬉しいですね・・・昨日、オンブルが出た時僕は講義を優先しようとした瞬間がありました」

 「間違っていないと思うが」

 「オンブルを放って講義を優先するか、オンブルを優先するか」


 その二択。しかし兄貴にとっては重い二択だ。夢を叶えるために必要な知識を蓄えるために講義は必須。だがオンブルが増える。講義を抜け出してオンブルを倒すことを選択すればその分知識が抜ける。しかし兄貴は後者を選んだ


 「君は後者」

 「その時気が付きました。選択しようとすること自体が間違いだと。オンブルが増殖すればそもそも未来のことを語っている余裕さえなくなります」


 未来を語る前にオンブルというものによってそんな余裕は失われてしまう。そう思った時には身体は動いていたという。頭に浮かんだものは未来のことだけではなかった。誰よりも敏く存在に気付く多忙な砂歌さんがお茶を飲む姿が脳裏に浮かんだそうだ。そんな時になぜ出てきたのか


 「無意識でしょうか、ティーパーティー続けて下さいという心の声が」

 「お陰で優雅にできたな」


 いつだったか、オンブルやアンチたちが昼間から出てくるようになったせいでティータイムの暇もないと言っていた。兄貴はそれを覚えていたのだ。砂歌さんの少しの憩いの時間を確保したかったのだ。やっぱり優しい


 「琥珀兄さん、底なしに優しいのだね」

 「焔はこの血を継いだんだな。そりゃ優しくもなるだろ」


 性格は兄譲りと言われた。兄貴ほどクールだと自分では思わない。恐らくそこのことではないだろう。


 「ありがとう」

 「さて、そろそろ喉が渇いたな」

 「話していたからな」

 「自販機しかないですけど」


 一国の王に自販機の飲料というのは如何なものか。いつも優雅に紅茶を嗜む砂歌さんは缶コーヒーやペットボトルなんてまず触れもしないだろう


 「任せる」

 「う、え・・・はぁ、えぇーと」


 それを聞いた途端に兄貴が自販機と睨めっこをし始めた。オレンジジュースにアップルジュース。ブラックの缶コーヒーに微糖の缶コーヒー、カフェオレ。スポーツドリンク。お茶。名前だけのストレートティに、ミルクティとレモンティー。炭酸飲料に水。ジュースを飲んでいるイメージはないので消去。高級な紅茶ばかりなのでストレートティーやミルクティ、レモンティーはアウト。あとはコーヒーかお茶か水か炭酸飲料。しかし炭酸飲料は飲んでいるイメージがない。この後美味しいコーヒーを飲む予定なのでコーヒーは消去。


 「これでいいや」

 「む?」

 「レモン水です」


 ただの水では気が引ける。しかしそれにレモンの風味がつけばそれらしくなるだろうと踏んだ兄貴渾身の選択。


 「なるほど」


 美味しいとは言わない。普段飲んでるものは水自体がまず高そうだ。何度か飲んだが、普段飲んでいるものと違った気がする


 「その場凌ぎということで、我慢してください」

 「問題ないがな」


 しかし、美味しいとは言わない。俺たちが飲んでもたまに外れがあるため、砂歌さんにそれが合うかというとそうでもないだろう
 しばらく走らせていると


 「ここです」

 「いい香りだ。ん・・・琥珀はよくここに来るのか?」

 「しょっちゅうです」

 「似ている香りがした。なるほど、ここの香りか」


 この店をいい香りだと言った砂歌さんが、兄貴と似た香りだと重ねて言った。つまり、砂歌さんからすると兄貴はいい香りの分類に入るのだ。兄貴が照れていた。


 「落ち着く香りだな」


 さらに落ち着く香りとまで。それ以上兄貴を褒めないでくれ。そろそろ死ぬんじゃないだろうか
 砂歌さんは再び兄貴に近付き腕を組んだ。その度にソワソワする兄貴に俺は苦笑する。黎は微笑ましそうに見ていた


 「あの子めちゃくちゃ綺麗」

 「オーラ凄いわね」


 入った瞬間注目の的。砂歌さんは当然だが、兄貴まで予想の範囲内だったらしく、店員に予約していた名字を名乗り、席に案内してもらっていた。砂歌さんのような美人がいたら誰だって同じリアクションになる。俺たちの第一印象だって「綺麗な人」だったのだから


 「てかどんだけ用意いいんだよ」

 「常連だから席決まってんじゃねぇか?」


 ポイントカードを持っているレベルでここに通っているらしい。


 「琥珀のオススメのケーキは?」

 「ベリーのザッハトルテはどうです?」

 「ベリーか、それは食べたことがないな。じゃあこれにする」


 即決。砂歌さんはベリーのザッハトルテとシンフォニーという名のカフェラテを頼み、兄貴はティラミスと最近よく飲むというほうじ茶のカフェラテを頼んだ。来て数分で決める二人。メニュー選びはキャッキャするイメージだったが、違うのか。
 先にシンフォニーとほうじ茶ラテが運ばれてきた


 「ショコララテだったのか。うん、美味しい」

 「よかったです」

 「ここに何しに来る?勉強か?」

 「そうですね。バイトまで時間があるので夕食も兼ねて」


 引くほど真面目な兄貴は、バイトに行くまで講義ノートをまとめ、さらに予習までしていく。俺は予習なんてした覚えがない


 「兄弟の差はなに?」

 「弁護士になるためなのかな。すごいね」

 「夢のためか」


 弁護士になりたいという夢に対する熱意は尋常ではない。
 和気藹々と談笑していると、ケーキが運ばれた。濃いチョコレートがコーティングされ、ベリーの甘酸っぱさとピッタリとのこと
口に入れた砂歌さんの顔色が変わった。


 「美味しいですか?」

 「とても」

 「可愛すぎるわね」

 「お姉ちゃんすごく可愛い」


 ふわふわとした柔らかい笑顔。ケーキを食べた時のこの表情はなんだ。破壊力しかないと思うのは俺だけだろうか


 「ティラミス、気になりますか?」

 「う、うん」

 「どうぞ」


 一同驚愕。兄貴が砂歌さんにティラミスを食べさせた。砂歌さんは幸せそうな顔で兄貴に微笑みかける。


 「琥珀コノヤロウ、何やってやがる!?」

 「砂歌さまになんという!」


 砂歌さん守り隊の代表暁と執事光紀がキレた。自然にしたことがまず問題だ。慣れているのか


 「ふふっ、久しぶりに出かけるのもいいな」


 オンブルやアンチと壮絶な戦いを見せる砂歌さんとは思えない笑顔。砂歌さんは本来こういう表情をする人なのだと黎は言った。朗らかで優しく、時々意地悪。美しさと可愛さが混ざった笑顔を浮かべる人なのだそうだ。こう見ているとそうなのだろうと思う。戦いがそうさせないのだ。憎いことに。兄貴もそれを察したらしい


 「今度、テイクアウトでお城まで持って行きますよ」

 「うん、楽しみだ」


 二人は一時間弱カフェに居座ると、ようやく立ち上がった。もちろん兄貴が出した。砂歌さんも出そうとしたが丁重に断った。カフェに行ってなぜ二千円もかかるのか


 「さて、逢魔が時が近づいています。お城に向かいましょう」

 「うん。少し・・・名残惜しいな」

 「何時でも誘ってください。飛んでいきますから」

 「あぁ」


 本気で寂しそうな顔で砂歌さんが頷いた。兄貴まさか落としたのか。ただ楽しかっただけだと思いたい


 「久しぶりのお出かけが楽しかったのだと思うよ。お姉ちゃん」

 「気に食わねぇが気兼ねなくいられる琥珀と行くのが楽しかったんだろうぜ。気に食わねぇことに」


 たしかに兄貴は雰囲気作りが上手い。状況を見て雰囲気を変える。戦う時は気を引き締めさせるし、真剣な話の時も変える。これを空気が読めるというのだろう。美人の前では無効になるという欠点はあるが。


 「さ、帰りましょう」

 「うん」


 兄貴は砂歌さんを車に乗せ、エンジンをかけて城に向かった。







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