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第三番 〜光の交響曲《リヒトシンフォニー》〜
序楽章〜風と愛のコンチェルト
しおりを挟む五月十日日曜日。
一国の王が住まう城のすぐ側にある弓道場に、白と紺の袴を纏う少女がいた。茶色の長髪を下で束ねた凛々しい顔立ちが印象的な少女だ。弓柄を握り、弦をギシギシと引き絞る。的の中心を狙い弦を離せば、風に乗った矢が力強く的を穿った
「力んでいるね」
「黎ちゃん」
矢がズレたことに少し舌打ちをすれば、ソプラノ寄りのアルトの声音が弓道場に沁み渡るように響いた。振り向いてみれば、夜色のショートの髪に青色の瞳の少女黎がいた。実際には少女ではなく男子設定のラプソディアだ
「恋ちゃんが力んでいる時は悩みがある時なのさ」
「そうなの?」
文武両道を絵に描いたような少女冴木恋は悩んでいる時に力む癖があることをじかくしていなかった。中学一年生の頃からの付き合いである黎は知っていたのだ。黎自身は運動は少し苦手だ。戦う時は真言使いとしての補正があるためカバー出来るが、普段は「運動音痴な黎ちゃん」になっている。弓はあまり使わないというか使えない黎も、恋の様子を見て気付くくらいなら出来た
「何か悩みでもあるのかい?」
「なんか、つっかえてる感じはあるけど。悩みっていう悩みはないかなぁ」
今のところ心当たりはない。恋は自分のことも周りのことも敏い方だと自認している。しかし、悩みという心の奥深いところまで行くと、恋自身が踏み込めない。何故か悩みに手を出したくないと思ってしまうのだ。
「それで、焔は?」
「お姉ちゃんが相手をしているよ。特訓中だね。さっきも吹っ飛ばされたところを見たよ」
マトモな攻撃や急所への攻めが出来なければとことんこの国の王砂歌からしごかれることになる。焔はすでにそれの餌食になっていた。たったの一日目にも関わらず
「スピードは十分で体術は申し分ない。しかし炎が使えなければ意味が無いって」
「アンチ用に体術使うってことかしら」
「多分ね。琥珀兄さんもアンチ用にライフルを改造してもらっているところだし」
琥珀は、砂歌に散々しごかれている焔の兄で、黎率いるパルティータの参謀的な位置を担う優秀な狙撃手だ。その琥珀は、現在療養中であり、その間にライフルを改造してもらっていたのだ。焔は剣を炎でパワーアップさせてもいいが、剣よりもボクシングをやっているおかげかスピードと拳はパルティータでも秀でていた。ようやく本気で焔を師事する気になった砂歌がそれに気づき、体術をさらに鍛えようということになったのだ。剣は暇さえあれば素振りでもしろと言われたという。オンブルだけでも特訓になるだろうと重ねて告げていたと、黎は恋に伝えた
「オンブルを特訓に利用するのね」
「ちょうどいい相手かもしれないけれどね」
「炎と拳って強そうね。焔じゃなかったら」
「でもね、ちょっとだけ火出たらしいよ」
ただし、火加減でいえば弱火。弱火よりもさらに弱火と言ってもいいような火だ。それでもこれまでよりは出た方だったのだ。やる気を出せば少しは使えるようにはなるのだ
「お姉ちゃんがわたしの一割分のクラフトを込めた氷を溶かせたらアンチのテノーリディアと戦ってもいいってさ」
テノーリディアどころかソプラディアやアルトディアさえ倒していない焔なので、今の体術だけならソプラディア程度なら交えてもいいとは言ってくれたという。
「これまでの守聖でこんなに使えない奴いたのかしら」
「さぁ、わたしはこれまでのラプソディアについてはよく知らないからね」
初である可能性もあれば、焔よりも更に弱い守聖がいた可能性もある。それを焔が砂歌に告げたところ、一瞬凍らされた。下がいたとしても下は見るなということなのだ。常に見上げていろと。
「もう焔は暫定最下位前提なのね」
「そうだと思うよ」
伸びるためには下にいる者を見てこれよりマシだと思うのではなく、上にいる者を見て学べということなのだ。どのようにしてクラフトを込め、真言として出しているのかを見る。進路を考える際に、自分が行きたい学校を前提に、ワンランク上の学校に行けるくらいまで偏差値を上げるために努力するのと同じ。そうすることで自分が思っているよりも志しの幅が広がると説いた。この人を超えたいという意識を持つだけでも格段に違う。砂歌は焔に伝えた
「本当に師匠みたいね」
「多分、琥珀兄さんに言われて吹っ切れた部分もあると思うよ」
「なんでも出来ると思うな。自分を過大評価するな、か」
焔は思っているよりも出来ない。過大評価し過ぎて上も前も見ていない。並んでいると思っているのだ、使えなくても。いつかは使えるはずだと脳はそう考えていたために。それを琥珀が否定したのだ。そうしてようやく目が覚めたのだ。
「あの後夜中に琥珀兄さんにどうやったら伸びるかメールしたらしいよ」
「寝かせてあげなさいよ」
「本当だよね。流石にわたしでも思ったよ」
焔の最近気づいた時々出る自分勝手な行動に黎も呆れていたのだ。琥珀からのメールの内容には、一日一日目標を決めたらいいと若干殴り書きのように送られてきた。しかし殴り書きのわりには的を射たアドバイスだった。
「もう師匠二人いるようなものじゃない」
最強といって全く遜色ない砂歌からの特訓と真言使いとしてのアドバイス。確実に焔よりもワンランクどころか少なくとも五ランクは上の琥珀からは兄として見たうえでの焔に対するアドバイス。どちらも焔には勿体ないほど優秀な師匠だと、焔に対して朝から暁が毒を吐いていた。その光景を思い出し、黎は苦笑を浮かべた。
「犀は?」
「犀くんは凄かったよ。少しヴェーダさん掠めたもん」
「マジ?オラトリアでも最強クラスでしょ?」
「うん」
ヴェーダの雷を軽々と躱し、素早くヴェーダのもとまで迫り懐に向かって槍で突いた。そこまでの流れが非常に滑らかで、水使いならではの性質に見えたと黎は言う
「光紀くんと大誠くんなんて、暁が遊べなくなっているもの」
金属性であらゆるものを硬質化する王室の使用人と、初参戦にしてアンチオラトリアの腕を落とした狙撃手の相棒。纏めて相手してやると大きく出たものの、いざ特訓相手になってみれば、油断していれば確実に殴られると危惧してしまうほどだったのだ。結果、暁とは思えぬ真剣さで師事していた
「ようするに・・・攻撃を当てられないのは焔のみ」
「その現実に焔くんが嘆いていたよ」
勿論、「嘆いている暇はないぞ」と砂歌に叱咤されていた。砂歌は特訓の際は厳しいが優しさもある。厳しく叱咤することもあれば、アドバイスを投げかけヒントを与えることだってある。厳しいのは特訓の時だけなのだ。焔もそれを知っているからこそ、厳しい特訓だろうが耐える。恋は黎と弓道場を出た。
「あら、もう終わったの?」
ふと弓道場を横切る少年に声をかけた。くせっ毛の黒髪とつり目、赤のラインが入ったジャージ姿。彼が剣崎焔だ。ほとんど全員に役立たずと認識されているクインテットだ。
「あぁ、朝の特訓はな」
「お姉ちゃん、お疲れ様」
「お疲れではないがな」
涼し気な透き通る雪のように白い美貌に、青混じりの銀髪をポニーテールに束ねた、アクアマリン色の瞳の女性。彼女がこの国の最高権力者であり、最強の盲目の真言使い砂歌だ。男として生き、王を冠する彼女は紛れもない女性だ。彼女は、汗だくの焔とは対照的に涼し気な顔をしていた
「初日はどうだったのよ、焔」
「拳が辛うじて髪の毛に当たった・・・以上」
「燃えてないでしょうね!?」
「燃えるどころか当たった瞬間払われた」
髪に触れるなと言わんばかりの表情で焔の拳を払ったのだ。体術はかなりできる方の焔が手も足も出なかった。
「次は午後からだぞ」
「はい!」
やる気はあるようで、砂歌に言われるなり敬礼した。昨日からなぜ敬礼なのかと黎と恋は首を傾げる。警察が兵士ではないのだから敬礼などする必要は無いだろう。
「もう昼なんだな。では、わたしは琥珀の方に寄る」
「はーい、行ってらっしゃい」
黎は可愛らしく砂歌に手を振った。砂歌も微笑み手を振り返し、踵を返しモデルのような堂々とした歩みで病院に向かった
「じゃあお昼にしよっか」
「そうね。お邪魔しまーす」
昼食中、城から光紀やヴェーダ、大誠が出てくるのを目撃した焔たちだが、気にも留めず昼食に集中し、団欒した
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