雨音ラプソディア

月影砂門

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第四番 〜守護者たちの行進曲《シュッツエンゲル・マルシュ》〜

第六楽章〜慈悲深きファンファーレ

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 「来い」
 「いざ!」
 師匠のその声に潔く迫るカトール。師匠は嬉しそうに微笑むと、メテオールを虚空へ返し、二メートルほどの十字剣を出した。アストレア・クロイツだ。白銀一色のその剣は美しい光を湛えている。それはまるで星のような輝きだ。アストレアはカトールの長剣を容易く弾く。
 「あんな大きい剣、あの腕で持てんだな」
 「姫さんの筋力どうなってんだか」
 「君たちが言うんだからこっちはもっと謎だよ。宝石?」
 宝石だけであれだけ持てるのかという問題がある。それすらも師匠だからな、という言葉だけで片付けられるということが一番怖い。
 「フィンスターニスとの時を想像するのが怖いな」
 大誠さんの声に俺たちは強く同意する。本気で戦ったという対フィンスターニス戦。俺たちは少なくとも彼女の本気を知らない。ヴェーダさんは忘れてしまったため、見ていないことになってしまっている。
 「はぁっ!」
 師匠は、カトール渾身の攻めにも何ら怯むこともなければ、蹌踉めくことも無く弾く。さらに
 「十字架背負う星乙女クロイツ・テンツェリン
 師匠の背後に青白く大きな十字架が現れた。本当に背負っているからこそ切ない気持ちになる。あれは彼女の覚悟なのだろうと兄貴は言った。ヴェーダさんも兄貴の発言に頷いた
 見ていて、俺たちでも愕然とするほどの戦力差。師匠の強さにカトールは着いていけていない。
 「さーて、浄化するか」
 青白い十字架が、師匠の言葉に呼応するように輝いた。
 
 Ich hoffe esわたしは願う

 師匠が相手を倒すために詠唱する姿は、おそらく初めてだ。それを挑戦したいと言ったカトールへ向けて放つ。師匠なりにカトールを讃えるための真言なのだろう
 師匠は真剣そのものだった。普段敵を倒す時のような静謐さはなく、もはや荘厳といえる。
 迫るカトールを、詠唱しながら迎え撃つ。余裕が伺える。決して相手を舐めている訳では無いのだ。だからこそ俺たちはハラハラすることも無く見ることが出来る。それは師匠が弟子の強さを確かめるための儀式のような。

 Lichter in einem seltsamen Herzen迷える貴方を照らす

 Ich möchte ein heiliges Licht sein聖なる光でありたいと
 
 Blauer Stern scheint青き十字架の輝きを

Erzähl es von meiner Sternmädchen星の乙女より届けよう

 聖母のような美しい微笑に、誰もが見惚れる。挽歌を歌った黎のような美しさとはまた別の何か。シンフォディアの光を持つ者だからこその美しさに思える。しかし、トローネとなった五人はその美しさを心底不安そうに見つめるのだ。いつもなら悶絶しそうなものなのに。トローネだからこそわかるのか、それとも彼女と近いからこそなのか。黎も同じく不安そうで。
 「自分のことを望むのは辞めたのかな?」
 「兄貴?」
 「カトールを照らす光であるために、今彼女は歌っている」
 すっかり忘れていた。ブンデス語で真言を詠唱する兄貴は、師匠の真言の意味が分かるのだ。今、彼女が届けている相手と、その真意も。
 
 「Beleuchten照らせ

 編み上げたクラフトを一気に解放していく。二割にも満たないであろうそのクラフト。この空間が揺らぐほどの強さだ
 六つの十字架が師匠の正面に現れた。十字架の核ともいえる星を結び六芒星が完成した
 師匠は、十字剣を天に掲げるとそれを勢いよく振り下ろした

 「テンツェリン・ファンファーレ!!」

 白い光の本流が六芒星から一気に溢れ、カトールを飲み込んだ。その光は俺たちのもとまで来るほどの量。晴れの日の海が立てる波のような包むような優しさだ。
 カトールの悲鳴はなかった。おそらく浄化するための真言だったため、痛みがなかったのだろう。つまり、カトールのなかから闇が消えていたということになる。本当に師匠に挑戦してみたかったのかもしれない。あとは、完全に闇が消えたのであろうカトールを、アンチから普通の真言使いに戻すだけ。
 「黎、戻してあげてくれ」
 「うん!お疲れ様、カトールくん。闇よ、弾けなさい」

 聖なるララバイ

 こちらも美しい歌声だ。少しずつ声量を上げ、翡翠色の光がカトールから闇を剥がしていく。破くような音を立て、完全に闇は消え去った。
 「よし、これで君は真言使いだよ」
 「ありがとう・・・」
 「本当に挑戦だとは思わなかった。んだけど・・・この空間をずぅーっと保ってる光紀くんがそろそろ死にそうだから」
 光紀は、固有結界を師匠が戦っている間ずっと空間を保っていた。師匠が発揮し空間が揺らごうと、少しでもヒビが入ろうと、とにかく保ち続けていたのだ。光紀は確かにフラフラだ。
 「そろそろ戻ろうぜ。光紀が本当にヤベぇから」
 俺たちが戻ってきたのは、光紀の家。ずっとドンドンと音が聞こえる。俺たちは忘れていた。光紀の親父を押入に閉じこめていたことを。
 取り敢えず目を回している光紀をデカいベッドに寝かせた。本当に金持ちだ。こんなベッドで寝たことがない。あぁ、でも一度黎の聖堂みたいないえで泊まらせてもらったことがあった。それより小さいか同じくらいだ。
 「そういえば、海景が君たちの戦闘力や防御力などのデータを数値化してくれたそうだ」
 「なるほど、弱点を鍛えようと」
 「そういうことだな」
 著しく低そうで怖い。テスト返却日でも緊張したことがないのに。
 「その前に、この男をどうするかですね」
 「光紀がどっちを望むかって話だな」
 虐待に近いことをした男を警察に突き出すかどうか。突き出したところで刑は軽いだろう。これまでも虐待をしてきた男だ。普通なら見過ごせないもので、さらに言えば確実に警察沙汰。その男を警察に突き出すか、それとも新しく居るという妻と子の元に帰すか。もっとも、帰したところで金はないらしいが。
 「警察沙汰にしなくていいです・・・」
 「光紀?」
 光紀は、ベッドから起き上がると少しフラつきながら押し入れを開けた。もう一つ金庫が出てきた。そしてその金庫の鍵を開けたのだ。
 「好きなだけ持って行って」
 「はぁ!?何言ってんだよ光紀!」
 驚愕したのは親父ではなく俺たちだ。その金庫はおそらく光紀の貯金。それを持って行けという。もはや光紀が正気じゃない
 「その代わり、二度とお母さんや僕の前に現れないで。いいか、次会ったら今度こそ通報するよ」
 光紀は強い眼差しで父親を睨みつける。どんなに腐っていても自分の父親であることに変わりはない。だからこそ、こうするしかないと光紀は金を出したのだ。親父はアホみたいにかっさらっていく。それを見ていた俺たち。そんななか
 「情けないな」
 俺たちは声のするほうを振り向いた。冷めたような、どこか怒るような表情でその男の顔を見据えていた。正しくは向いているだ。
 「息子の金をかっさらってでも妻子どもを食わせたいか?自分で働いて食わせようとは考えないのか?」
 ぶっちゃけていえば、師匠は国民の税金で食べている訳では無いのだ。様々な会社を経営している。会長のような存在だ。社員は知らないようだが、会社の社長レベルの人間は師匠の顔を見ているわけだ、と兄貴が言った。国庫は師匠のもの。師匠そのものが国であり、法であり、銀行である。税金で食っているのは首相や官僚だ。もっと言えば、他国にも会社を置いているから、そこから売り上げだのなんだのの金が入ってくる。国名義で。王でさえ働いているというのにこの男は息子の金でまたギャンブルでも行くのだろう。本当に情けない。
 「仕方がない。お前の家族の面倒は見てやろう。この国の家計の平均は20万。そこに子ども手当がつくので25万。月25万。こちらで面倒を見てやる。ただし、お前ではギャンブルやら酒やらで使う可能性があるのでお前の妻に管理を任せる。今度お前の家に行くから契約だ。働いた場合は、給料から月三割返済で金利はなし。働き、月給が25万を超えたらその時点で面倒を見るのは終了」
 借金を背負うわけだ。なるほど、それならある意味信用出来る。国の銀行が金を貸してくれるのだ。金融会社として師匠が営業に行けばいいわけだ。おそらく、貧困層のための生活費なども、彼女が負担してくれているのだろう。だとしたら、一体いくら金があるのか気になる。国庫よりもある気がする。それにしても、何て王だ
 「琥珀たちのことを知っていたら保護したのに・・・気づけなかったな」
 兄貴たちが一番苦しい時期に気づけずにいたことを、師匠は悔やんでいるのだ。税金からの生活保護。師匠は首相から文句を言われる筋合いのない理由があるため、個人でやり取りしても問題は無い。師匠名義の傘下に金融会社が存在する。会社の体制もしっかりしているため、安心出来る。本当にいい王だ。親父ではなく光紀が何度も頭を下げた。
 「光紀、君は手を貸してやらなくていい。君にも母君にも責任はないのだから」
 「ありがとうございます!」
 この男の妻がマトモであれば、生活保護の話も実現するのだろう。国民のことを本当によく考えている。黎の家を建てた存在が師匠である可能性が浮上した。
 「さて、さっさと帰るといい」
 「へへっ、あんた何者だ」
 「わたしは──」
 ──グイッ
 突然光紀の親父が師匠の腕を引いた。師匠は予測できなかったためかバランスを崩してしまった。師匠を引き込んだと思えば
 「っ・・・」
 師匠の首にナイフを突きつけた。さすがに俺も頭に血が上ってきた。俺たちは普通とは違う。ただの一般人を殴るのはかなり危険だ。だからといって、一国の王がこの状態だ。とやかく言ってる場合じゃない。しかし、近づくのは危険だ。さすがに兄貴のベルンシュタインで撃つ訳には行かない。ここで警察を呼んでも来る確率は低い。ただ、師匠に異変が
 「どうした、怖いのか?姉ちゃん」
 薄ら笑いをうかべる男。対し、師匠は瞼を固く閉ざし震えていた。
 「わ、たしに・・・ふれ、る・・・な」
 微かに漏らした言葉はそれだ。「わたしに触れるな」師匠からは嫌悪感が伝わってくる。心を読めない俺でもわかる。師匠が拒もうと腕を掴む。しかし外れる気配はない
 「こいつ、まさか」
 「とっくの昔に侵されてんじゃねぇかっ」
 セプテット・パルティータとヴェーダさんが同時に構えた。
 「近づくな!」
 間近で大声を出され、師匠が肩を強ばらせた。さらにナイフの刃先を近づけてきた。
 「その人から離れろ」
 その声は男の背後から。鈍い音を立てたと思ったら、師匠を捕らえていた腕が緩んだ。そこを光紀が乱暴にだが引き寄せ、男から距離を取った。光紀がこの人に触れることは自制なのか、まずなかった。でも状況が状況だったから仕方ないのか。
 「何者だって言ったな。この人は、俺の大事な人だよ」
 「大事な?」
 「主である以上に、お母さんと同じくらい大切な人だ。俺のことを蹴ろうが殴ろうが見過ごしてやる。でもね・・・この人とお母さんに手を出すのは絶対許さない!」
 師匠を抱きしめる腕が少しだけ強くなる。しかし師匠は先程とは違い拒まない。寧ろ安心しているようだ。
 「この男に情けは必要ありません、砂歌さま」
 「・・・そうか」
 「警察へ。彼女に手を出したのだから、それでも足りないくらいです」
 虐待。離婚したとはいえ、この男と親子なので虐待罪。五年以上の懲役。次、窃盗。ただし、相手は離婚していても親族間として見なされるため、親告しなければ罪には問われない。次、人質。こちらは人質強要罪。一年以上十年以下の懲役。ただし、相手が王族であるため、十年の懲役となるだろう。というそれらのことを、兄貴が言った。
 「主に人質のほうで問われるだろう。警察呼ぼう。証拠はあるし」
 ボイスレコーダーよし、写真よし。人質の際、相手が嫌がっていたかどうかはかなり重要視されるとの事。完全に嫌がっていた。
 しばらくして、本当に警察が来た。兄貴は複雑そうな顔をしている。
 「人質にあったという方は?」
 「こちらの方です」
 兄貴は、師匠を指した。しかし、警察の反応は微妙だ
 「目は?」
 「見えていない」
 「それでは、人質にあっていたとは言えませんね」
 「は?」
 何言ってるのかさっぱり分からない。目が見えないと言ったらすぐこれだ。目が見えていないから人質にあっているということを、されていた本人は分からないのでは、といいたいのだ。感覚で分かるだろう。特に師匠なら。
 「ここにいる全員が証人です」
 「この女性に」
 「・・・なんなら痴漢で訴えようか」
 言ったのは兄貴だ。人に不安を覚えさせるような行為。嫌がっている人に対して身体に触れた。それらから強制わいせつ罪で問えると言った。写真もあると兄貴が出した。そして警察は渋そうな顔をする。兄貴がイライラしているのが伝わる。
 「まぁ、証拠を全て確認してから言ってください。ボイスレコーダー、写真、光紀くんの携帯のメール」
 虐待。窃盗。強要罪。虐待というか傷害に近いと思うが。警察は、署で事情を聴くと言って光紀の家から出た。やっと動く気になったらしい。兄貴がイライラするのもわかる。
 光紀の親は、パトカーに乗って連れていかれた。色々な意味で終わった
 「砂歌さま、大丈夫でしたか!?」
 「光紀・・・わたしはだいじょうぶ。若干不快だったが」
 若干というかだいぶだった気がする。
 俺ならボコボコにしていただろう。兄貴に怒られるとは思うが
 「光紀、ありがとう。助かった」
 師匠の微笑を間近で見てしまった光紀は石化したように固まった。顔を真っ赤にした状態で。破壊力はとてつもないだろう。
 光紀は我に返り、抱きしめたままだった師匠から離れた。「なんと身の程知らずなことを」と思っているのだろう。すこしキョトンとしたあと、師匠はふと肩の力を抜く。そしてカトールへ目を向けた
 「カトール」
 「なんだ」
 「アンチを辞めたのだから、うちの騎士にならないか?」
 「は?」
 師匠曰く、これまで黎によって普通の真言使いとなった元アンチを騎士として雇っているそうだ。騎士のための寮も完備されているという。そのほとんどが元アンチ。騎士の中には普通の真言使いもいる。自衛隊のようなものらしい。俺たちが一番初めに出会った元アンチ、フェルマータも騎士の一人だという。恐ろしいのは、ヴェーダさんは騎士団長であるという点だ。光紀は副団長。名前だけの長だとは言うが、もしもの時は動くのだ。そのための訓練所も設けているとのこと。国を守るための体制は整えてあるのだ。師匠に関しては騎士長とかではなく大将だ。
 「俺にはもう行く宛がない」
 「だからだ。君はなぜ、アンチになった?」
 「強くなりたかった。それだけだ」
 強くなりたい。純粋な気持ちだ。家族を守れるくらい強くなりたいと願った。そんな矢先、レクイム教団の幹部が現れたという。その幹部は、強くなりたいかと問いかけた。強くなりたいのなら、我々と共に来い。我々がお前を強くしてやる。甘い言葉で誘い、謂わば騙される形でアンチとなったのだ。純粋に強くなりたいという思いを忘れ、ただただ人を殺し、人を騙す闇に成り果てた。人を殺したことは許されることではない。もう少しで光紀とあの男が戦う羽目になっていたかもしれない。だとしても、この男だってやり直せる。師匠はそう言った。後悔しているし、どうすれば償えるか模索しているように見える。師匠は選択肢を与えたのだ。光側の騎士団に所属するか、自分で考え独房に行くか。普通なら死刑だ。しかし、よくよく考えれば戦場に出る方がよっぽど怖い気もする。しかし、しっかり訓練させてくれるのだから寛容な方だ。兵役義務のある国ではない。
 「あなたに着いていこう」
 「騎士となったからにはラプソディアである黎の部下ということになるが?」
 「構わない」
 騎士団というよりかは、真言使いの頂点であるラプソディア。真言使いに身分は関係ないのだろう。正確には、師匠はシンフォディアの血が混じっているので黎と師匠の二大巨頭だ。
 「よろしく頼む」
 「うん!こちらこそよろしくね」
 「姫さんとラプソディアの下の俺の部下であることを忘れるなよ」
 何故かヴェーダさんに対して露骨に嫌そうな顔をした。この人の部下なのは嫌なのだろうか。
 「君が改心してくれたお陰で命拾いしたよ」
 様々なところを目撃したカトール。兄貴が指揮したところも見たし、スナイパーの正体もわかった。スナイパーの部分よりも参謀であるという部分が大きいだろう。告げ口された日にはと想像しただけで恐ろしい。兄貴はなかなかな位置にいるのだなと理解した。
 アンチに対しても寛大な心で救いの手を伸ばす。ラプソディアといい、シンフォディアといい、慈悲深さには目を見張るものがある。
 師匠は騎士団のための寮までの地図を渡した。カトールは会釈をすると恐らくその寮へ向かった。
 「カトール、強くなりたくてアンチになったのか」
 「兄貴?」
 「真言使いのことを知らない高校の頃に囁かれたら、着いて行ってたかもしれない」
 もしそうなっていたらと思うとゾッとする。そんなことはないだろうとは思う。アンチ側の参謀になっていたらもっと怖いし、兄弟で敵対していたかもしれないのだ。
 「人という存在は強くない。だからこそ傷つけ合うし、助け合う。しかしな、弱いから悪ではない。強いから善ではない」
 逃げない強さもあれば、逃げる強さもある。逃げることは決して弱い事じゃない。兄貴は逃げ道を作らない。強すぎるからこその危うさがある。ただ、黎も師匠もみんな逃げない。いつかどこかで限界が来る。休む時間があってもいいのだ。とか言っている師匠や黎は休む時間がないはずだ。一番休むべきなのは黎とこの人だ。
 「強さなんて自然についてくるものだ。いきなり強くなることなどできないのだから」
 「はい」
 兄貴はそれをよく知っているようだ。だからこそ、堕ちなかった。自分のことをよく知っているのだ。
 「さて、帰って海景に見てもらおう」
 「楽しみだな、俺のステータス」
 全員のステータスが数値化されてしまっているという恐ろしさ。それに対して誰も突っ込まない。
 それにしても、海景くんは本当に何者なのだろう。俺たちと同い年くらいにして医者で発明家。学校には通っていないという。通っていないのに俺以上に賢い。というか、そん所そこいらの大人よりも頭は良い。
 「師匠、海景くんって何者なんですか?」
 「俺もそれ気になってたんだ。普通の子どもでは無さそうだし」
 「真言使いの時点で普通ではないが」
 確かに、真言使いの時点で常人ではない。確実に異端者だ。それを分かっていて受け入れている者が真言使いなわけで。
 「あの子を真言使いにしたのはわたしだ」
 「え?」
 ただの子どもを真言使いとして覚醒させたのは師匠だったのだ。しかし、覚醒しているということは、あの子はそれを受け入れているわけで。真言使いとしての覚醒は俺たちよりも早いのだ。
 「事情はあの子から聞くといい。わたしから話せることではないからな」
 兄貴でも知らないらしい。なんでも知っていると思うなと言われてしまった。いや、もうなんでも知ってると思ってしまうだろう。ラプソディアの話も知っていたし、この国の闇のことも知っていたし、概念がどうとかいう話も知っていた。知らないことの方が少ないのではないかと思ってしまうレベルだ。
 「黎と暁は知っていたな」
 「うん。すごく悲しいお話しだったよ」
 「現実とは思えなかったな・・・」
 師匠や黎や兄貴の話もすごいが、海景くんは海景くんで別のベクトルで恐ろしいという。師匠はすごいの次元が違うと思うのだが。海景くんの話もとても悲しい話だという。あの子が誰かに対してかなり警戒心を抱くのにも理由があるのだろう。
 「学校に通わないのは人混みが嫌だからなのかな」
 「嫌でも人の醜い部分が見えてしまうからだろうな」
 師匠が言った。空間系真言であるアイは、世界中が見えるだけではないという。人の心まで見えてしまうのだ。人の心の声が聞こえる師匠が城の外にほとんど出ないように、海景くんも昼間は外に出ないという。紫苑さんやその他ロボット以外に友達はいないらしい。というか、作る気がないらしい。師匠に大しては恩人として、黎や暁に関しては友人というか姉か兄のように慕っているとのこと。そして、新たに兄貴のことを本当の兄のように慕うようになったとのこと。あの子が人を心から心配することはほとんどない。そんな海景くんが、無茶した兄貴を本気で叱ったのだ。兄貴は、ここ一ヶ月で一気に弟や妹ができてしまったらしい。本人は「焔が増えなければ弟や妹が何人いても問題ない」らしい。俺二人は勘弁だと言うことだろう。ちなみに、感覚が著しく発達している場合、対策が必要とのこと。
 「わたしは意識して周りの音を遮断しないと耐えられない。あの子はメガネが遮断具となっているのだろう」
 「意識して音を遮断しているのですか?」
 「お姉ちゃんは、普通の人の聴力レベルまでわざわざ下げているのさ。油断すれば世界中の声が聞こえてしまうからね。常に高架下に居るようなものさ」
 それは逆に周りの声に気づけなくなりそうだ。聞こえすぎて集中できなくなってしまう。便利だろうなと思っていたが、意外にも不便だった。
 「あの子が話すのを待つか、教えてくれという雰囲気を漂わせるか、どちらかだ。わたしは前者をオススメする」
 普通は前者だ。兄貴なら聞く前に探し当てそうだ
 「そんなことしないよ。焔は僕をなんだと思ってるんだ」
 「探偵」
 「分からなくもねぇ」
 俺の返答に暁が共感してくれた。ここのところ探偵並みの推理力や情報収集力が上がってきているため、そう思わざるを得ない。
 「ふむ、海からだ」
 「珍しいね」
 師匠はメールを聞く。兄貴のヘアアレンジによりハーフアップであることを忘れていたらしい師匠は、横髪を耳にかけ、イヤホンをつける。その仕草だけで兄貴とヴェーダさんの顔色が変わった。
 黎がメールを読んでくれた。「砂歌さまの戦闘服を繕ってみたのです。是非着てみてください」とのこと。俺たちの戦闘服のようなものだ。海さんはかなりの数の黎と師匠の服を手掛けている。黎も師匠も、海さんの腕に信頼を寄せている。まず、師匠はショッピングに行くということがないため、自分で服を買うという習慣がない。黎はモノクロで統一された法衣なので、まず一般的な店にはない。
 「ちょっと待てよ」
 「兄貴?」
 兄貴が立ち止まる。なにか閃いたのかと思ってしまう。そして出た言葉は
 「僕、黎ちゃんの兄ということは、シャロンさまの夫という事だよね」
 「おいっ!」
 「なんでそうなる!?」
 「義理の兄にしてんじゃねぇよ」
 「琥珀兄さんはお兄ちゃんだよ?」
 ボケ始めた兄貴に対し、黎の純粋無垢極まりない言葉に暴走を止めた。兄貴が止まるから閃いたのかと思ってしまう。紛らわしいことはしないで欲しい。
 「なんで常に作戦とか考えなきゃいけないんだよ。僕の頭だって休みたいんだよ」
 「ご、ごめん」
 すごい目で俺の事を見てくるから「ごめん」と言わざるを得なかった。兄貴の言い分に黎までもが苦笑していた。こればかりは仕方がない。
 「ふむ、もう夜なのか」
 「本当だ。早いなぁ」
 「今日はそれぞれ解散ということにしよう。久しぶりに自分の家に帰りたいだろう?特に琥珀」
 「はい。切実に」
 そういえば、今日まで病院にいたのか、兄貴は。一ヵ月近くだ。それまで授業は受けずとも大誠さんのレポートを見ながら勉強していたのだ。季節外れのインフルエンザということにしているらしい。一ヶ月も続くインフルエンザとは?
 「それでは、解散」
 俺たちはそれぞれの家に帰る。俺は久しぶりに兄貴と犀の三人で帰る。本当に、何年ぶりだろうか。少なくとも兄貴と帰るのは
 「晩御飯何かなぁ」
 途中で犀と分かれ、兄貴はふと呟きながら扉に手をかけた。味噌汁の香りがする。
 「ただいまー」
 何だかんだ、俺たちは平和だ



 



  
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