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第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』

68-3.悪女の切り札

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「自ら前線に立てる程の技術を身に着ける必要はないのさ。相手に一瞬の隙を与える。クリスの場合、これさえできれば十分だ」

 セシルはクリスティーナの手に握られた木刀を見て目を細める。

「切り札というのは何も、一撃必殺の強力な技でなければいけないわけではない。いざと言う時、活路を見出す一手は全て切り札と言っても遜色ないだろう」

 彼の言いたいことを聞き逃すことがないように、きちんと覚えていられるようにとクリスティーナは真面目な顔で耳を傾ける。
 セシルはそれに微笑みを零した。

「貴族令嬢は剣を持たない。そんな常識が染み込んでいる世界だからこそ……君が剣を持った時。君は相手に一矢報いることが出来る」

 大きな手がクリスティーナの頭に乗せられる。
 母を亡くしてから久しく頭を撫でられることがなかったクリスティーナは彼の腕の下で緩みそうになった頬に力を込めた。

「どんな恐怖が迫っても目を瞑らない事。勝機を探し続ける事。それが出来れば君の強みはまた一つ増えるはずだ、クリスティーナ」
「はい、お兄様」

 兄の期待に応えよう。少しでも安心させよう。
 そうすれば兄はまた自分の鍛錬を見に来てくれるかもしれない。
 頭を撫でられながら、クリスティーナはそんなことを考えていた。

 ……クリスティーナの鍛錬へセシルが訪れたのはそれが最初で最後のことだった。


***


 ふと脳裏に過る過去の情景。

(……嗚呼、本当にあの人は)

 今目の前で脅威に晒され、剣を構えている現実。
 もしもの時の為にと勧められた剣術が今まさに役立とうとしている瞬間。
 ただの貴族令嬢ならば万が一にも遭遇しないような光景。
 それら全てが兄の想定の範囲内であるような気がしてならない。

 彼は一体どこまで知っていたというのだろう。どこまでが予測の範疇なのだろう。

 クリスティーナの胸の内にはある種の苛立ちが募った。
 そして秘密主義でいい加減な兄に対する強い感情が、恐怖心を打ち消していく。
 気が付けば手の震えは止まっていた。

 腹が立つ。何もかもが兄の掌で転がされているかのような感覚も、それに甘えようとしている自分も。
 だが、今回ばかりは……。

(――ほんの少しだけ、感謝してあげます。お兄様)

 恐怖を振り払い、クリスティーナは地面を踏みしめる。
 刹那、振り下ろされた大槌が盛大な音を立てて地面を砕いた。

 ぱらぱらと破片を零しながら持ち上がる大槌。
 だが、そこに肉塊は残されていなかった。

「……っ!」
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