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第一章 青き誓い
6、王子と赤薔薇姫(2)
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ため息は重たい。新鮮な空気を平たい胸いっぱいに吸い込むと、苦みある青草やほの甘いウィスティリアと咲きたての百合の凜とした香りが、混じりあいながら鼻を抜けていった。
心地よさに、瞳を閉じる。祭壇から湧き出る清水が中庭の小川に注ぎ込む涼しげな音や、近く遠く日向を喜ぶ小鳥たちの戯れる声が、耳にも心にも優しい。
聖都ピュハルタの最奥、白亜に輝く離宮ベルイエン擁するスィエル教の聖地〈水の祭壇〉は、いつ誰が訪れても緑と花に満ちている常春の庭で、グレイズのお気に入りの場所だった。
「スィエルの神々に祝福されているのよ」
という、叔母――神子姫ミゼリア・ミュデリアの言葉がありありと蘇る。
スィエルの聖地のほとんどが、ヴァニアス島の原住民ワニア民族――水色の頭髪と瞳、そしてその血に魔法の〈ギフト〉を持つ彼らが太古の昔から大切にしてきた場所だ。〈水の祭壇〉もその例に漏れない。歴史的観点から言えば、あとからやってきたソレナ民族――グレイズたちヴァニアス人の祖先が入植の最中に略奪した場所でもある。
しかし皮肉なことに、こんにちのスィエルの教えはワニア民族の信仰に源流を持つ。
こうした歴史的背景と特殊な血のために、ワニア民族のほとんどが淘汰されつつあるのは、今も昔も変わらない国政課題のひとつだ。
グレイズは急な頭痛に顔をしかめた。学びを深めるごとに、課題がどんどんと現れる。
歴史的な課題に限らず、現在、王家が直面している問題にしても、そうだ。
ここしばらくの間、父王ブレンディアン五世は裏切り者ヴィルコ・オルノスに執心している。
国王の愁眉の間に皺が深く刻みこまれた原因は、離叛した私掠船(しりやくせん)船長ヴィルコ・オルノスが立ち上げたルジアダズ海賊団と、彼ら海賊がヴァーナ諸島にほど近い西方のファーラシュ海のペローラ諸島を我が物顔で行き来していることだ。
海賊団の襲来に備え、シュタヒェル騎士団も臨戦態勢で海岸線を固めている。
海運業にも影響が及んでいるのは自明で、セルゲイの生家であるアルバトロス商会も、武装商船団を結成したと噂に聞いた。
どちらかが拮抗を破った瞬間、戦争が始まるのだろう。それが遠くない未来に思える。
国政を知れば知るほど、問題が山積みだ。
自分を含めてこんな調子では、未来になかなか明るい展望を持てない。
***
忘れもしない。成人した二年前のこと、王子は王宮ケルツェルから単身飛び出し、聖都ピュハルタの離宮ベルイエンに逃げ込んだ。叔母は彼をただの甥として受け入れてくれた。
「お前の求める強さとは、何かしら」
あの息苦しい夜、常春の庭の〈水の祭壇〉にて甥を清めながら国教スィエルの宗主ミゼリア・ミュデリアは新緑の瞳を一つまたたかせた。星空にも金髪が光そのもののように輝いている。
「知を有し、武に長け、この世の雄たること。覇王になることです、叔母様」
「それは兄様の言葉でしょう。お前は本当にそれでよろしいの」
神にその身を捧げている聖なる処女(おとめ)のまなざしは、実母のそれよりも温かく感じられるから不思議だ。事実、グラスタンを育ててくれたのは叔母とこのベルイエンの人々に他ならない。
「坤輿(こんよ)を巡るマナや魂(スィエル)でさえ、全知全能でも完全無欠でもないの。なぜだとお思いかしら」
「わかりません」
と、惨めさと申し訳なさに涙を零しつつ答えると、叔母はその手で頬を包み込んでくれた。
「愛を知るためよ」
その優しい言葉は彼女が癒やしの〈ギフト〉を持つ〈ヴァニアスの神子〉である証明のように思えた。そして彼女は言葉通り、グラスタンを本物の愛に導いてくれた。
心地よさに、瞳を閉じる。祭壇から湧き出る清水が中庭の小川に注ぎ込む涼しげな音や、近く遠く日向を喜ぶ小鳥たちの戯れる声が、耳にも心にも優しい。
聖都ピュハルタの最奥、白亜に輝く離宮ベルイエン擁するスィエル教の聖地〈水の祭壇〉は、いつ誰が訪れても緑と花に満ちている常春の庭で、グレイズのお気に入りの場所だった。
「スィエルの神々に祝福されているのよ」
という、叔母――神子姫ミゼリア・ミュデリアの言葉がありありと蘇る。
スィエルの聖地のほとんどが、ヴァニアス島の原住民ワニア民族――水色の頭髪と瞳、そしてその血に魔法の〈ギフト〉を持つ彼らが太古の昔から大切にしてきた場所だ。〈水の祭壇〉もその例に漏れない。歴史的観点から言えば、あとからやってきたソレナ民族――グレイズたちヴァニアス人の祖先が入植の最中に略奪した場所でもある。
しかし皮肉なことに、こんにちのスィエルの教えはワニア民族の信仰に源流を持つ。
こうした歴史的背景と特殊な血のために、ワニア民族のほとんどが淘汰されつつあるのは、今も昔も変わらない国政課題のひとつだ。
グレイズは急な頭痛に顔をしかめた。学びを深めるごとに、課題がどんどんと現れる。
歴史的な課題に限らず、現在、王家が直面している問題にしても、そうだ。
ここしばらくの間、父王ブレンディアン五世は裏切り者ヴィルコ・オルノスに執心している。
国王の愁眉の間に皺が深く刻みこまれた原因は、離叛した私掠船(しりやくせん)船長ヴィルコ・オルノスが立ち上げたルジアダズ海賊団と、彼ら海賊がヴァーナ諸島にほど近い西方のファーラシュ海のペローラ諸島を我が物顔で行き来していることだ。
海賊団の襲来に備え、シュタヒェル騎士団も臨戦態勢で海岸線を固めている。
海運業にも影響が及んでいるのは自明で、セルゲイの生家であるアルバトロス商会も、武装商船団を結成したと噂に聞いた。
どちらかが拮抗を破った瞬間、戦争が始まるのだろう。それが遠くない未来に思える。
国政を知れば知るほど、問題が山積みだ。
自分を含めてこんな調子では、未来になかなか明るい展望を持てない。
***
忘れもしない。成人した二年前のこと、王子は王宮ケルツェルから単身飛び出し、聖都ピュハルタの離宮ベルイエンに逃げ込んだ。叔母は彼をただの甥として受け入れてくれた。
「お前の求める強さとは、何かしら」
あの息苦しい夜、常春の庭の〈水の祭壇〉にて甥を清めながら国教スィエルの宗主ミゼリア・ミュデリアは新緑の瞳を一つまたたかせた。星空にも金髪が光そのもののように輝いている。
「知を有し、武に長け、この世の雄たること。覇王になることです、叔母様」
「それは兄様の言葉でしょう。お前は本当にそれでよろしいの」
神にその身を捧げている聖なる処女(おとめ)のまなざしは、実母のそれよりも温かく感じられるから不思議だ。事実、グラスタンを育ててくれたのは叔母とこのベルイエンの人々に他ならない。
「坤輿(こんよ)を巡るマナや魂(スィエル)でさえ、全知全能でも完全無欠でもないの。なぜだとお思いかしら」
「わかりません」
と、惨めさと申し訳なさに涙を零しつつ答えると、叔母はその手で頬を包み込んでくれた。
「愛を知るためよ」
その優しい言葉は彼女が癒やしの〈ギフト〉を持つ〈ヴァニアスの神子〉である証明のように思えた。そして彼女は言葉通り、グラスタンを本物の愛に導いてくれた。
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