52 / 63
第一章 青き誓い
10、十戒、その身に帯びて(1)
しおりを挟む
ダイヤモンドの形をしたヴァニアス本島を出発して数日。
空と海のまばゆい青さに挟まれて、順風満帆、全てが筋書き通りに進んでいる。
「何が〈栄光なる王子(プリオンサ=グローマ)〉号だ」
王子近衛騎士セルゲイ・アルバトロスは、腹の底からため息をついた。
胸の上下に合わせて鎖帷子がささやかな音を立てた。そのはずだ。
だが、風の音轟く〈栄光なる王子〉(プリオンサ=グローマ)号の甲板では、まったく聞こえない。
代わりに鼓膜を打ち鳴らすのは、青空を滑るあほうどり(アルバトロス)の甲高い雄叫びだ。
小さな身体に大きな翼。若々しく羽を伸ばし、風を乗りこなしては、波の角で遊び、緑の島に休む。波を街に、島を女に変えればまさにかつての自分だ。自由気ままなあほうどりの姿に、王子近衛騎士になる以前の無責任な己が重なる。
しかし苛立ちの原因は別にあった。恋の真似事をしていた自分のことはこの際どうでもよい。
今は深い慈愛(グラスタ)に満ちた王子を支えてやらねば。
ごめんよ、グレイズ。馬鹿のつくほど、まっすぐな王子。
胸の内で呟いた主君への小さな謝罪は、誰でもないセルゲイの胃を引き絞った。
唯一無二の友であるセルゲイを信じてくれた彼への裏切りを働いている気分だ。
考えれば考えるほど、理不尽である。
これは子を愛する親がやることでも、窮地を救われた騎士が恩人に返すことでもない。
当時九歳だったセルゲイが、見栄と家名の維新を掲げた父親に、本人の意思にかかわらず、ドーガス子爵家に突然放り込まれたことも、この件に比べれば小さく感じられるから不思議だ。かといって、父を許すわけではないが。
いっそ青い怒りに燃える矛先を首謀者たちにつきつけてやりたいが、ことごとくここにはいない。
国王ブレンディアン五世は騎士団長アルケーオ・デ・リキア卿と共に、今、国民の盾として王都ファロイスの守りを固めている。やがて来る敵襲に備えているのだ。
憧れが地に落ち侮蔑に転じるのだけは、幼い日の自分に免じて、どうしても避けたかった。
セルゲイ少年は小姓になる以前からシュタヒェル騎士団長――奇しくも同期であるフェネトの父だ――を見上げ、憧れ慕ってきた。君主にかしずきながらも決して丸まることのない立派な背中、風格を損なわぬデ・リキア卿に強く逞しき、そして優雅な理想の騎士像を重ねていたのだ。それを、フェネトと揃って騎士ドーガスの後ろから羨望のまなざしで見つめていた。
彼こそ、王国に咲き誇る薔薇の大輪を守る立派な茨(シュタヒェル)であると。
だが心の中の小さな声は、卑劣な大人を罵り、己の砂金のような正義を尊んでいる。
今はただ、頭をぐしゃぐしゃに撫でまわしてくれる風だけが、心地よい。
少年が頭を掻きむしりたい気分でいっぱいなのを、風は察してくれたのかもしれない。
空と海のまばゆい青さに挟まれて、順風満帆、全てが筋書き通りに進んでいる。
「何が〈栄光なる王子(プリオンサ=グローマ)〉号だ」
王子近衛騎士セルゲイ・アルバトロスは、腹の底からため息をついた。
胸の上下に合わせて鎖帷子がささやかな音を立てた。そのはずだ。
だが、風の音轟く〈栄光なる王子〉(プリオンサ=グローマ)号の甲板では、まったく聞こえない。
代わりに鼓膜を打ち鳴らすのは、青空を滑るあほうどり(アルバトロス)の甲高い雄叫びだ。
小さな身体に大きな翼。若々しく羽を伸ばし、風を乗りこなしては、波の角で遊び、緑の島に休む。波を街に、島を女に変えればまさにかつての自分だ。自由気ままなあほうどりの姿に、王子近衛騎士になる以前の無責任な己が重なる。
しかし苛立ちの原因は別にあった。恋の真似事をしていた自分のことはこの際どうでもよい。
今は深い慈愛(グラスタ)に満ちた王子を支えてやらねば。
ごめんよ、グレイズ。馬鹿のつくほど、まっすぐな王子。
胸の内で呟いた主君への小さな謝罪は、誰でもないセルゲイの胃を引き絞った。
唯一無二の友であるセルゲイを信じてくれた彼への裏切りを働いている気分だ。
考えれば考えるほど、理不尽である。
これは子を愛する親がやることでも、窮地を救われた騎士が恩人に返すことでもない。
当時九歳だったセルゲイが、見栄と家名の維新を掲げた父親に、本人の意思にかかわらず、ドーガス子爵家に突然放り込まれたことも、この件に比べれば小さく感じられるから不思議だ。かといって、父を許すわけではないが。
いっそ青い怒りに燃える矛先を首謀者たちにつきつけてやりたいが、ことごとくここにはいない。
国王ブレンディアン五世は騎士団長アルケーオ・デ・リキア卿と共に、今、国民の盾として王都ファロイスの守りを固めている。やがて来る敵襲に備えているのだ。
憧れが地に落ち侮蔑に転じるのだけは、幼い日の自分に免じて、どうしても避けたかった。
セルゲイ少年は小姓になる以前からシュタヒェル騎士団長――奇しくも同期であるフェネトの父だ――を見上げ、憧れ慕ってきた。君主にかしずきながらも決して丸まることのない立派な背中、風格を損なわぬデ・リキア卿に強く逞しき、そして優雅な理想の騎士像を重ねていたのだ。それを、フェネトと揃って騎士ドーガスの後ろから羨望のまなざしで見つめていた。
彼こそ、王国に咲き誇る薔薇の大輪を守る立派な茨(シュタヒェル)であると。
だが心の中の小さな声は、卑劣な大人を罵り、己の砂金のような正義を尊んでいる。
今はただ、頭をぐしゃぐしゃに撫でまわしてくれる風だけが、心地よい。
少年が頭を掻きむしりたい気分でいっぱいなのを、風は察してくれたのかもしれない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
1 / 2
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる