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①オビツキ村
33話 再会
しおりを挟むアレに近付いてはならない。
祭壇上にいる者たちや、恐らく多嬉ちゃんにも視えていないであろう不可思議な存在は、ただ何をするでもなく時折揺ら揺らと姿を歪ませながら佇んでいる。
見ていると思えばアレはきっと僕をじっと凝視している。祭壇の様子を監視しているのだと思えばアレは間違いなくそれも見ている。
ありとあらゆるものを見る者。その場に居ながら全ての可能性を内包した高次元の存在。
恐らくアレに時や場所など関係ない。どこにでもいるが知覚してはならない者。
およそ人の内において深刻なエラーが無い限りにおいて、アレは自動的に知覚外の存在とされる者だ。
感覚的に解る。解ってしまった。僕が肉体を自覚できなくなった理由も、突然僕が僕でないような不安定な感覚に陥ってしまう理由も。
アレを前にしてから全て、すべてが自明のままに一体となるのだ。
――ガンッ、ガンッ!
祭壇のある石段より更に奥の天井部から何かが激しく金属にぶつかる音が響いたかと思うと、二、三回の内に上部から金属板が落下し、洞窟中に短い地響きを立てた。
轟音を皮切りに、釘付けだった僕の感覚に微かな自我が戻り始めた。
僕という取るに足りない者がここに存在する理由――
「貴様は何者だ! それ以上私に近付くんじゃない!」
多嬉ちゃんの無事を確認した僕が石段を駆け上がった直後、先に到達した耕太さんが上手く暈原医師を追い詰めてくれていた。
「暈原、無駄な抵抗はやめろ。お前の身元は既に外部の組織に知れ渡っている。じきにお前がこれまで行ってきた悪事と共にお前は世間の晒し者になるだろう」
「……何も知らぬ愚か者が。だから何だと言うんだ」
「これ以上悪事を重ねることなく、大人しく死ねと言っているんだ」
暈原はじりじりと後退し、すでに人質に取った麗子さんの首にナイフを当てながら祭壇の背後へと回った。
麗子さんは意識を保ちながらも、手足が縛られ身動きの取れない身体で必死に暈原から逃れようとしている。
「見苦しいぞ暈原。あの猿共を仕向けたのもお前か」
「猿共だと? しかし、そうか。貴様はそこに転がる男の倅か」
祭壇下で倒れている男性は耕太さんの父、引間耕之助さんだった。
外傷は確認できないが、身動ぎ一つなくうつ伏せに倒れる様子からは最悪の事態が想定される。
ドドドドドドドドッ――
洞窟より遥か上部から地響きが伝ってくる。
複数の巨大な何かが動き回っているようで、それらが動く度に天井から無数の小さな石が落下する。
倒れ伏した父を一瞥した耕太さんは再び暈原に対峙し、更に一歩近付いた。
「近付くなと言っているのが分からんのか!? おい、御櫃の! その鉈でこの男を始末しろ!」
懸命に藻掻く麗子さんの背後で怒鳴り散らした暈原は蹲ったまま地に視線を落とす宗孝さんに命令を下した。
男の命を受けた宗孝さんは俯いたままゆっくりと立ち上がり、覚束ない足取りで耕太さんの元へと近付いていく。手には社務所で見た小型の鉈を携えている。
「宗孝さん」
「……久しぶりだね、耕太くん。娘も随分と君に会いたがっていたんだが、元気にしていたかい」
意を決して身構えた耕太さんとは対照的に落ち着いた様子でぎこちない笑みを浮かべる宗孝さん。
暈原の命令を受けてから間髪入れずに手に持った鉈を振り被るかと思われた彼は、意外にも言葉を発し耕太さんとの対話に臨んだのだった。
「何をしている! 早くその男を殺せ!」
遠巻きに喚く男をよそに、二人は再会の余韻に浸りつつ必要な情報の共有をはかった。
「あの男に洗脳されていた訳ではないんですね」
「正確には『されていた』らしい。しかしそれも二年前までの話だ。まだ完全とは言えないが毒を抜くのについ最近まで掛かってしまった。恥ずかしながら、自分だけでは抜け出すことは不可能だったろう。彼、中津くんには大変世話になったよ。君の友人なんだろう?」
「――ええ。彼から何か渡されませんでしたか?」
「カセットテープを一つ預かった。あと、君によろしく伝えてほしいと言っていたよ」
「そうですか」と呟く耕太さんの口角が心なしか上がって見える。
僕らと関わったことで初めて御櫃家の内情を知ったはずの中津が、二年前にすでに宗孝さんと接触していたという矛盾。
だが、僕らと同様に外部からこの時空の歪んだ世界に入り込んでいたという事実があるだけですべて説明がつく。
未来の世界でこの村を憂いていたのは少なくとも耕太さんだけではなかったのだ。
「おっと」
急によろめいた宗孝さんの肩を咄嗟に腕を伸ばした耕太さんが支える。
先のように蹲る様子からは、長年の洗脳によって足腰の弱った宗孝さんの体力は限界に近いようだった。
「いやぁ、長いこと仮病を患っていたものだから、どうにも体が動かなくてね。申し訳ないけど耕太くん。代わりにこれを使ってくれないかな」
「……分かりました」
小さな鉈を引き継いだ耕太さんは再び暈原医師へと対峙した。
「その場から動くな! 次に動けばこの女の耳を切り落とす!」
麗子さんの細い首に片腕を回した暈原はもう一方の手に持ったナイフを宣言通りに耳元にあてがってみせる。
「私に構わないで! 早くこの男を!」
暈原の思い通りになった手足でどうにか抵抗を続けながら、麗子さんは躊躇う耕太さんに何度も訴えかける。
村人たちの無念を晴らすためならば、大切な家族を滅茶苦茶にした悪を倒すためならば。
そして何より、ここで奴を倒さねばまた新たな犠牲者が出てしまう、と。
「耕太さん、ごめんなさい。やっぱり私はあなたと一緒にはなれない人間でした」
「いいや、そんなことは!」
「ええい! 何を勝手に口を開いているんだ! 大人しく付いて――」
ヒュンッ、ザッ!
「ぐぁあああ!!」
「耕太さん、今です!」
祭壇の逆側から忍び寄っていた多嬉ちゃんがここぞとばかりに暈原の背中を短刀で斬り付けた。
背部から血飛沫を上げた暈原は絶叫と共に脱力した。
だがそれも束の間で、夥しい量の血を流しながらも麗子さんの首根に猶もしがみ付いている。
「うぅ……許さん……虫けら共が……」
青白い顔を更に蒼白にさせ、血走った目で辺りを睨みつける様はまさに亡者のそれだった。
「今まで、こんな穢れ切った私のことを気遣ってくれてありがとう。でも、死ぬ前にどうしても伝えなければならないことがあります」
「なぜ死ぬ必要があるんだ! 生きて皆で暮らせばいいじゃないか!」
ドドドドドドド――!
再度、今度は先にも増して激しい地響きが鳴り耕太さんの叫びの大半が搔き消された。
辺りには先よりも多くの岩が落下し始め、この洞窟が崩壊するのも時間の問題となった。
「私の中には……この男の子供が――」
ゴッ――
ほんの瞬く間の出来事だった。
一抱えはある落石が麗子さんの頭を砕いた。
慌てて駆け寄り声掛けする耕太さんの言葉に、微かにあった反応も今では何もなくなった。
「暈原……!」
「ま、待ってくれ! 私は何もこの女に欲情した訳ではないのだ。儀式にはより多くの生贄が必要だが、対象の血筋には代え難い。手段は多いに越したことはないだろう?」
正面から耕太さん、真横には多嬉ちゃんが迫る中、男は苦し紛れに言い訳を続け二人の足を止めに掛かる。
この期に及んでこの男は言い訳の内にも自身の趣味嗜好、つまり多数の犠牲者を出しつつも儀式を成立させることの必要性を説いたのだ。
儀式のためならば、片田舎の女を孕ませることも、その中に宿った子を贄にすることさえ厭わないと。
言い逃れもできないほどのクズだ。最早、こいつに逃げ場などない。
「早まるんじゃない! 頼むから聞いてくれ! 私ならばその女を蘇生させることができる! い、今ここで私を殺せば、その身体はただ腐敗するのを待つことになるだろうな!」
「そうか。なら今すぐ蘇生術とやらのやり方を教えろ」
「……ふ、ふへへ。なら、先ずは場所を移さないか――」
「いいやダメだ。今すぐ、ここで、一人の犠牲者も出さずに、御櫃麗子を元の状態に戻せ」
「――え」
ようやく活路を見出したと勘違いした暈原は最後の賭けにも失敗し、無様な醜態を晒すこととなった。
元来た方の洞窟の先で凄まじい地響きが鳴ると共に、祭壇のあるこの広間まで砂埃が舞い込んできた。
そうこうしている内に広間の一部が崩壊を始め、脱出するには一刻の猶予もなくなった。
「お前はここで死ぬ。交換魔術とやらも失敗に終わった。だが、最後にお前が何を目的として儀式を行ったか話すことを許してやる」
「ここを出ねば貴様も死ぬぞ! 目的を知りたければ早く私を連れて行け!」
口元に唾をためて喚き散らす暈原に向けて、残酷にもその首はゆっくりと左右に振られる。
「ダメだ。今ここで話せ」
「くっ……! どいつもこいつも!」
歯を食いしばり背中の痛みに耐えながら地を這う男は祭壇へと縋り付き、次なる愚かな一手に打って出た。
「私を連れて行かぬと言うのなら、この子供を道連れにして――」
すでに何も乗せられていない祭壇上を醜い男の手が彷徨った。
昏睡状態にある沙智ちゃんは今僕の背にいる。多嬉ちゃんにもバレないよう細心の注意を払いながらその小さな身体を移動させ、祭壇より先に続く石段の影に横たえていたのだ。
「くそっ! くそっ! なぜこうも私の邪魔をするのだ!」
罵詈雑言から次第にブツブツと悪態を吐き、終いには黙り込む暈原。
祭壇の上で頭を抱え込んだまま動かなくなったかと思えば、今度は狂ったように笑い始める。
「ははははは! そうか、そういうことか!」
「何がおかしい。早く目的を話せ」
暈原は不敵な笑みを浮かべたままじっと耕太さんを見据えた。
「殺したいほど憎い相手を殺さずに置く理由。いたぶるためでないならば答えは明白だ。貴様は頻りに『儀式の目的』を知りたがっている。それを聞くために私は生かされている。貴様は本質的に儀式の内容なんぞに興味はない。ならば何故目的を知る必要があるのか」
男は天井から降り注ぐ岩石など意にも介さない調子で天を仰ぎ、尚も話を続ける。
「どういう訳か貴様はすでに『御櫃の目的』である『交換魔術』を知っていた。そしてそれが私の意図する本来の目的でないこともな――そうかそうか! 儀式はすでに成功していたんだな!」
「だからどうした! さっさと言え!」
「ふん……この世の真理を知るためだ。生と死を司るハタタ神とは、つまりこの世の因果を操る神に他ならない。人ならざる者、遥かに高次元の存在が下等な我々に一体何をもたらすのか。知りたいとは思わないか?」
「お前は、そんな実験紛いのことのために人を殺してきたのか!?」
「有象無象のことなど知ったことか。私が知りたいから知るだけのことだ。目的など後でいくらでもでっち上げることができる。人の世とはそういったことの塊だと思うんだが、違うかね」
出血が激しいせいか祭壇に預けていた男の身はついに地に伏した。
次第に呼気は弱まり、先まで爛々と光らせていた目も今となっては虚ろに灰色の地を映すばかり。
愚かしい僕らの動きを逐一観察していた少年の姿は元の通り跡形も消えてなくなっている。恐らく術者の死を確信しこの地での役目を終えたのだろう。
「木滝、長々と付き合わせて済まなかった。もう刀は必要ない。こいつでは全く不十分だろうが、ここで永遠に犠牲者たちの供養をさせるとしよう」
耕太さんの言葉に頷いた多嬉ちゃんは倒れた暈原の背後でずっと構えていた短刀を鞘へと納めた。
「うっ」
麗子さんを死に至らしめた巨大な岩が耕太さんの手によって元凶の身に重ねられた。
間もなく生き埋めになるとはいえ、犠牲者のために誂えた即席の墓標としては上出来だった。
「二人は早くここを出なさい。こんなことを言えた立場ではないが、沙智のことをどうかよろしく」
身動きの取れなくなった宗孝さんは身を起こすのを手伝った耕太さんと、沙智ちゃんを抱えた多嬉ちゃんに向けて言った。
「どうして……宗孝さんは――」
言いかけた彼女を遮った耕太さんはそっと宗孝さんの腹部を一瞥してみせた。
持ち主の手に返った小さな鉈は意外にも切れ味が良いのか、一文字に容易く肉を引き裂き滑りを帯びた血に濡れそぼっていた。
「沙智に何か伝えておくことはありますか」
「……ああ。いや、サチにはもう嫌というほど長話を聞かせてきたからね……はは。じき、今の沙智にもそれとなく伝わるでしょう」
「やはり、沙智は伝承のサチに成り代わっていくのでしょうか?」
もう何度も落石を払い除け、彼は悲痛な表情を浮かべながら宗孝さんの今際の時に寄り添う。
「はは……サチはとても優しい神様だからね、きっと沙智を見守ってくれる。沙智が大きくなれば、自然と折り合いもつくはずだよ」
彼女の抱えた沙智ちゃんの頬にそっと宗孝さんの手が触れる。
「麗奈……これで、ようやく君のもとに……」
力尽きた宗孝さんの身体を祭壇から離れた場所に横たえた麗子さんのそばに寝かせる。
耕太さんは多嬉ちゃんに許可を取り、預かっていた青のトンボ玉を麗子さんの手にそっと握らせた。
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