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第一章★特別な子供

特別な子供

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村から村へ、森から川辺へ、
常に同じ場所にとどまることなく、赤子を抱いたイルドナは移動し続けた。

茶色の短髪に、茶色の瞳。
他の者より、ずば抜けて体格の立派な男。

その似合わない格好で、赤子の布おむつを川辺で洗っていた。


ザァァァァァ…!!!!!!


「ほぎゃあ!…ぎゃあ‥ふぎゃあぁ」

赤子の泣き声が、川の濁流の音にかき消されることなく響く。

「おい…またかよ。
ちょっとは静かにしてくれ」

イルドナは川に手を突っ込んで、汚れた布おむつを洗いながら、赤子の方を見ている。

赤子はイルドナの荷物の上に無造作に寝かされ、手足をじたばたとさせていた。

まだ寝返りもうてない。

バシャ…!

イルドナは川から離れ、今度は火をおこす。
出産先でもらった粉ミルクの粉末を瓶に流し込み、お湯を沸かして、それを溶かした。

「うぅぎゃぁぁ…!」

断末魔の叫びのように、赤子は泣きわめく。
イルドナは慌てながらも、疲れはてた表情でミルクを片手に赤子に近付いた。

「やっと寝たと思ったら…ミルク…ミルク。
一体、いつになったら大人しくしてくれるんだ」

イルドナは慣れない手付きで、小さな赤子を抱き上げ、その場に座り込んでミルクを赤子の口元へやった。

「んぐっ…―――――んぎゃあ!」

まだ少し熱かったのか、赤子はミルクを口に含んだ途端、一気に吐き出して泣きわめいた。

「おいっ…!」

ミルクをぶちまけられ、つい声を荒上げてしまう。
こんなに赤子の世話が大変だとは思ってもいなかった。

いくら戦闘で勝ち続けている強いイルドナでも、もう限界である。

体力があっても、気力がもたない。
ノイローゼになりそうだ。
世にいう育児ノイローゼに。

「ほぎゃあっ!…うぅぎゃぁぁ…!」

「よしよし…ほら、泣き止め」

イルドナは赤子を抱いてあやしながら、粉ミルクの残りを横目で確認した。

もう残りが少ない。
どこかで調達せねば。

だが、なかなか人々の前には出れない理由があった。
死骸国の追っ手があちらこちらに待機していて、そう簡単に買い物などできなかった。

今やイルドナと赤子は指名手配されている。

「うぎゃあぁ…!」

「もう‥私が泣きたい」

イルドナは作ったばかりの役にたたなかったミルクと、まだ洗いかけでびしょ濡れの布おむつの無惨な姿を見て悲しくなった。

赤子は怪物だ。
そう思ってしまう。

宿にこっそり入ったとしても、赤子のこの泣き声でばれてしまう。買い物も同様だ。

この赤子を置いて買い物に出掛けることも考えたが、大人しく寝ていない。
イルドナが戻る前に誰かに見つかってしまうのがオチだろう。



ポツ…ポツ…ポツ…


ザァァァァァ…!!!!!!



急に雨が降りだした。

「最悪だ…」

イルドナは赤子を抱えて、また走り出した。

赤子は亜紀の子供ならではで、とても弱い。
肌も薄ければ、体も弱い。
雨に打たれて風邪でもひいたら大変だ。

腕の中で、ぎゃあぎゃあと泣く赤子を連れてイルドナは、ふと思い出した先に向かった。







「イル‥!イルじゃない?久し振りね…!」

宿に選んだのは、過去に出会った女の家だった。
その女は扉を開けるなり、イルドナと気付き驚いて喜んだ。

「ああ…久しいな。悪いがしばらく泊めてくれ」

巨乳のその女は、松奈まつなといった。
松奈のその様子だと、イルドナを歓迎しているようだ。

「ごめんなさい。
今は無理なの。他をあたってくれる?」

「なっ…」

松奈の返事は予想外だった。
こうもあっさりと、昔の男を追い払う奴だったか。

「先約がいるの。男を入れたらやきもち焼いちゃう」

「男がいるのか」

松奈はいい女だ。
その松奈を放っておく男はいないだろう。

「うふふ…そうよ。まだ、ベイビーだけどね」

松奈は幸せそうに言った。
母親になったのか。

イルドナは雨の中、松奈をずいと押し家の中に押し入る。

「それは好都合だ」

「ちょっと‥イル。子供がいるって言ったでしょ。
今日は無理なの。ってゆーか、しばらくはもう無理なの」

イルドナは強引な男だ。
むさぼるように女を抱く。
松奈はそんなイルドナを知っているからこそ、子供を育てるにはよくない環境だと断ったのだ。

イルドナは玄関先で雨をはらい、松奈の子供を見つける。
木でできた小さなベビーベッドに一人で静かに起きている赤子。

「こちらも同じだ。仲良くしてくれ」

イルドナは荷物のように、亜紀の子を松奈に手渡した。

「えっ?イルの子供‥‥!?そんなの困るわ‥!」

松奈は赤子を手渡され、顔を覗いた。
驚くほど色白な子供だ。

今はぐっすりと眠っている。

「一人や二人、変わらんだろう?
‥‥食い物はあるか?長旅と育児で腹が減ってる」

「イル‥なんて青白い子なの?…まさか病気なの?」

この世界では、肌は丈夫で茶色だ。
亜紀の子供は異様に見えた。

「ん…ああ。
ちょっと貧血気味の子供なんだ。気にするな」

イルドナはベッドに眠る子供の顔を覗いた。
素晴らしく丈夫そうで、手のかからない静かな子供だ。

赤ん坊はこうでなくちゃ…とイルドナは思った。

「ベビーベッドはひとつしかないわよ?」

「そんなのそいつに必要ない。
常に泣きわめいてるから、もうじき起きるだろう」

三時間ごとの授乳。
この世界の赤子とは違って、とても手間がかかった。

「どういうこと?」

「頼む……子供の泣き止ませ方を教えてくれ。
それに、しょっちゅう小便するんだ。あ…大きい方もな。
もう困って大変なんだ。手が離せない」

松奈は呆気に取られて、イルドナを凝視していた。
今のイルドナは完全に育児パパだ。

「あなたが育ててるの?」

「見りゃわかるだろ?…そいつの父親は?」

松奈は躊躇いもなく答える。

「そんなのどこにもいないわ。
男なんて…そんなものでしょう?」

この世界は、育児パパなど存在しないに等しい。
育児は母親の仕事だし、子供を気にする父親などいやしない。

男など勝手なものだった。

「そうか…」

イルドナは少しほっとして、小さなテーブルの椅子に腰かけた。

やっとゆっくりできる…
そんな表情だった。

「お湯に入れようか?」

松奈は濡れた赤子を見て、そう提案した。

「ああ、そうしてくれると助かる」

と、イルドナはやはり返事を変える。
また立ち上がり、松奈の前に立った。

「‥‥やっぱり私も一緒に風呂に入る」

「へっ?」

心配性なのか。
これほどまでに赤子を大事にするイルドナを疑問に思った。

「まだ首もグラグラなんだ。下手すれば大事だ。
お湯も熱すぎると、肌がガサガサになって荒れるんだ。
私が風呂に入れる」

「そ…そうなの」




松奈は風呂をたいた。
事前に準備しておいた薪を次々に指定された場所へと放っていく。

「どう?熱すぎない?」

松奈が声をかけると、風呂場から明るいイルドナの声が届く。

「ああ!とてもいい湯だ。
なぁ…?気持ちいいよな?
あはは…ほら、これでどうだ?うはははは…!」

赤子と戯れるイルドナの声。
松奈は静かに微笑んだ。

「風呂に入れるなんて思ってもみなかったなぁ…なあ?」

風呂につかると、赤子は喜んでいるように思えた。
まだ表情は乏しいが、目を開けて静かにしている。

「気持ちいいなぁ…
ずっとこうやって静かにしてくれると、尚かわいいのにな」

イルドナは風呂に浸かったまま、赤子の体を洗ってやる。

ガラララ…

するとそこにバスタオルを持った松奈が入ってきた。

「イルがそんなに子供好きなんて知らなかった~」

「バカ言え。こいつだけだ。
見てみろ。……この大きなつぶらな瞳。
それに、このかっわいい指。
一生懸命、私の手を握るんだ」

親バカだと松奈は苦笑いしながら、うんうんと頷いてやった。

「ほんっとに子憎たらしい程かわいいだろ?
こんな赤ん坊、どこを探したって他にいない。
こいつの将来が楽しみだろ?
どんな大人になるのか、早く見てみたい」

イルドナから赤子を取り上げた松奈はフフフッと笑いながら、綺麗に体を拭き取ってやった。





その夜、早速イルドナは松奈のベッドに滑り込んだ。

「あんっ…ダメよ…イルッ…!」

育児疲れなんて、イルドナの有り余る性欲は知らない。
松奈の産後で膨らみきった豊富な胸に欲情している。

「いいだろ…」

「もう…ダメって言ったのに…」

まんざらでもない松奈が言葉とは裏腹に、イルドナの素晴らしい肉体美に惚れ惚れとする。

シュッ…パサッ…

服の擦れる音。
布団の乱れる音。

「あ…イルぅ…」

二人がコソコソの布団の中でじゃれあっていると…



「ふっ…ふぎゃあ!!!!!」


赤子のけたたましい叫び泣きが始まった。

「えっ?ちょっと…」

松奈がビックリして、赤子の寝かせている方向を見るが、イルドナは布団の中でモゾモゾと動いて止めない。

「あっもう…!イル!
あなたの子供が泣いてるわよ」

「いいって…後で行くから」

ギュッと松奈を布団に引き戻して、行為を続けようとする。

「ほぎゃあ…!!!!!ふぎゃあ!
おぎゃっ…!!!!!おぎゃああ…!!!!!」

一度、火がつくと赤子の泣きは止まらない。


バサッ…!!!!!

イルドナは無視できず、すぐに布団から飛び出た。

「ああぁ…もう、頼むよ…」

上半身裸のままで、イルドナは手足をばたつかせて暴れている小さな赤子を抱き上げた。

パサッ…

松奈も服を少し整えて、イルドナの隣にたつ。

「ねぇ?どこか悪いの?」

「あ?」

「辛いんじゃない?こんなに泣いて…」

松奈は眉間にしわを寄せて、赤子の顔を覗き込んだ。

「そんなことはない。いつものことだ。
三時間おきにキッチリ泣きやがるし、具合が悪いんではない」

「ええ??
三時間おきって…なにそれ??」

「お前の子は違うのか?」

「当たり前でしょ?泣くわけないじゃないの」

この世界の赤子は丈夫な上に、なかなか泣かない。
ましてや、首が座るのは一日二日である。
全く手がかからない。

もちろん、それでも赤子の世話は大変だと、この世でも言われているが。

「そうなのか…羨ましすぎる…」

この世界の赤子は、またもや違いが大差あり、
ミルクとはいえ、一日に三度で十分なのだ。
ただし一度に飲む量は半端ない。

「三時間おきに…毎回こうやって抱いてるの?すごく大変ね…」

「すぐに腹が減るんだ。ミルクをやらなきゃならん」

イルドナは不器用ではあるが、それなりの手付きでミルクを作り、赤子に飲ませた。

「―――っんく」

赤子はすぐに泣き止み、ごきゅごきゅとミルクを飲み始めた。

「本当に…大変だわ」

「勘違いするなよ」

急にイルドナは表情が変わり、赤子を大事そうに抱きながら、松奈を睨んだ。

「嫌って訳じゃない。
そりゃ勘弁してくれって思う時は多々あるが、こいつのこの顔を見るのは最高に楽しみなんだ。
見ろよ…かわいいだろ?
一生懸命にほうばって、必死飲んでる」

イルドナのその姿に、松奈はぷっと吹き出した。

「イルったら、まんまと子供に振り回されちゃってるじゃないの…ふふっ!可愛い」

「なっ…」

すると、松奈はイルドナからすっと赤子を奪いとり、優しく抱き締めながらミルクを飲ませ始めた。

必死だった様子が落ち着き、赤子はゆっくりゆっくりとミルクを飲む。

「松奈…上手いな」

「当たり前よ、母親なんだから。
こうやって優しく抱いてあげないと、息が詰まっちゃうのよ」

松奈の腕の中で、すんなり落ち着く赤子を、イルドナはまじまじと眺めた。



松奈も初めての赤子なので、慣れない育児にイライラすることはあったが、イルドナと亜紀の子のおかげで、退屈で孤独で、それでいて忙しい育児生活にも楽しみが増えた。


ゆったりした時間が流れる。
赤子が二人いると、毎日がわいわいと華やかな生活。

毎晩、松奈はイルドナに求められて刺激を味わい、決まりきって赤子に邪魔をされて行為を中断する。

そして昼間は、血も繋がらない互いの子と我が子を並べて、まるで夫婦のように寄り添い助け合う。

楽しくて仕方がなかった。


「ふっふぅ~ん♪…ふっふっ~うん♪」

鼻歌なんか歌ってしまう松奈。
こんな日がずっと続けばいい。

イルドナが転がり込んで、三日経ったある日。

いつものように二人分のミルクを作る。
我が子のミルクは、亜紀の子のミルクに比べて5倍くらいある。

「…ねぇ、イル。もうすぐでミルクが無くなるわ」

松奈は昼食の後片付けも同時に行いながら、ミルクの量を確認する。
後方で、赤子を抱いたイルドナに振り返った。

「ーーーーストックも無くなっちゃったみたい。
二人分だから、無くなるのも早いのね。
後片付けが終わったら、街で買ってくるわ」

木で出来たベビーベッドにいる我が子に素早くミルクを与え、松奈は『他にいるものは…』とあちこち見渡し、『あっ…』と小さな声を上げた。

「どうした…?」

「お米もないわ。イル、一緒にきてくれない?
ミルクもお米も私一人じゃ持てないもの」

「ああ、わかった」

イルドナは赤子にゆっくりとミルクを飲ませ終わると、抱っこ紐のようなカバーに赤子を丸めて抱え込んだ。
イルドナと亜紀の子は、どこへ行くにも常にこのスタイルだ。


「……ぶっひゃっ…!!!!!ーーーーゲホゲホッ…!!!」

「うわぁっ!しまった…」

赤子が一気にミルクを吐き出した。
ミルク後のゲップをさせ忘れたからだ。

「ちょっと…何やってるのよ…」

「うわ…お気に入りの服が台無しだ…」

「もうさっさと脱いで。一緒に洗濯するから」

イルドナの一張羅の服が赤子の吐いたミルクで汚れる。
抱っこ紐も同様だ。

イルドナは上着を脱ぐと、それを木のベビーベッドに向かって投げ入れる。『ナイスシュート!』と聞こえてきそうなくらいキレイな円をえがいて入る。

「もう!ベビーベッドに投げないでよ!!」

松奈は余計なことをするイルドナにいちいち注意する。
汚れた床を吹き…
赤子の汚れた服を着替えさせ…
顔も吹いてやり…
イルドナに新しい服を準備する…

あぁ…飲んだミルクの食器も片付けないと…

「………」

横目であからさまに睨む松奈に、イルドナはたじろいた。

「あー松奈…抱っこ紐の代わりになる物も…ないか…?」

「ないわよ!」

「だよな」

こんな会話ですら、松奈の心の中は楽しくてしょうがない。
すぐにクスクス…と笑いだし、イルドナも口角を上げて微笑んだ。

「少し吐いたけど…ほとんど飲めていたと思うわ。
お腹いっぱいになったら、この子も寝るでしょ。
3時間は大丈夫なんだから、イル一人で行ってきてくれない?
私が二人を見ておくわね」

「大丈夫か?」

「うちの子は泣かないし…
もし、イルの子が泣いても…抱いたら落ち着くでしょ?
大丈夫よ、私に任せて」

この三日でだいぶ亜紀の子のペースもわかってきた。
三時間くらいならなんとかなる。

「わかった。じゃあすぐに戻る」

「うふふ…三時間くらい大丈夫よ。
たまにはあなたも息抜きしなきゃね」

松奈はイイ身体をしていて、それでいてイイ女だ。
イルドナがそう思うのと同時に『あ…女遊びは嫌よ』と松奈が付け加える。
イルドナはもちろん『今晩、最後までやらせてくれるなら』とニヤついて返した。




イルドナは松奈の家から一番近い街へ出た。
それでも遠く離れた街だ。
その街へは過去に何度か来たことがある。

『食の街』とも呼ばれる、多くの食材を取り揃えた『ルシェパリの街』。
料理に疎いイルドナでも、目がくらむような食材が並んでいるのには、ついつい時間を忘れて立ち止まってしまう。

「いらっしゃい!…今朝、入った野菜は全部新鮮だよ!」

店員が大声で営業している。
イルドナはゴツい身体を隠すように、なるべく顔は隠して歩いた。

どこに誰がいるかわからない。
あまり目立たないように…

「適当に頼む」

元気の良いおっちゃん店員よりも、中でもやる気の無さそうに見える店員を選んで金を渡した。

「おすすめで宜しいんですか…?」

「ああ、何でもいい」

野菜を買う金額とは思えない大金を渡されて、やる気の無さそうに見えた本当はシャイなだけの少年が、頭をこらして野菜を選んでくれた。
次々に袋に詰めていく様子を横で見ていて、ある程度の荷になるとイルドナは少年を止めた。

「…それでいい。あとは礼だ。もらってくれ」

「えっ…!!!?こんなに…いいんですか…!」

釣りも貰らわず、袋いっぱいになった荷を貰い受ける。
買い物は豪勢にするタイプだ。男に二言はない。

「ああ」

少年から感謝の眼差しをヒシヒシと受けながら、店員を女にすべきだったかと思ったが、それで素敵な出会いをしてしまったら3時間で帰れない。これで良かったのだと自分を納得させる。

松奈への土産を見繕ったところで、ミルクと米を探しにまた店を渡り歩いた。

ガタガタガダ…

道路に荷台が多く通る。
あちこちで商売をしている。

イルドナはミルクと米を大量に買っても、ヒョイと軽々に持ち上げて、まだ何かないかと歩き回った。

すると、子供服が店の外に沢山並んでいるのを見つける。
こんな物、人生で一度も手にとって見たこともなかったが、ついに人生初めての経験をする。

パサッ…サッ…パサッ…

一度見ると、案外止まらない。

「ーーーーーー」

気難しい顔をしながら、子供服を選んだ。

「あのぉ…何か不備でもございましたか…」

恐る恐るひ弱そうな女性店員が出てきた。
片手でひねり潰されそうなくらいデカい男に、女性店員は汗びっしょりで話しかける。
 
「ーーーーんあっ?」

「ひいっ…!」 

「ああ…すまん。聞こえてなかった。なんだ?」

「あっあのぉ…何か…不満そうな…その…あのぉ…」

あまりに難しい顔をしていたので、商品に文句をつけそうに見えたという。
イルドナはそんな女性店員の気も知らず、
女性店員も浮足立つイルドナの気も知らず、互いに顔を見合わせた。

「可愛い男服はどれだ?」

「へっ…!?」

「まだ生まれたばかりなんだ。小さいのがいいが、これから大きくなるし…長く着れるやつがいい。
寒がりだから、出来れば長袖がいいし…何枚も欲しい」

そこでやっと女性店員は、イルドナが真剣に選ぶあまりに怖い顔をしていたのだと気付く。

「じゃっ…じゃあ、中にもあるのでお見せしますね…!」

「二人いるんだ。同じ物を二枚ずつくれ」





子供服を大量に買い込んだイルドナは、店を出る前に呼び止められる。

「ねぇお兄さん…」

十歳にも満たない女の子が、イルドナに小さく声をかけてきた。
両手いっぱい荷物を抱えながら、子供を見下ろす。

「あのね…隣の酒場のカウンターでお兄さんのこと待ってるって」

「私をか?…誰がだ?」 

「うん…赤いお顔…?赤い目?…なんか赤い人の知り合いって言えば、すぐにわかるよって言ってたよ」

「ーーーーーー!」

イルドナはすぐにクラーザのことを示していると勘付く。
しかし、誰だ?

「おててとあんよ、治ったんだねってさ!」

「おててとあんよ…?」

子供に聞き返す前に『バイバーイ』と手を振って、その子は店から走って帰ってしまった。
イルドナは強引に店員に全ての荷物を預かってもらい、酒場に足を運ぶことにした。
子供を伝承鳩のように使う人物だ。
蛇威丸やアダ連中ではない。

それに、いつかの手と足が奪われた時のことを知る者…
こんなところにいるとは考えにくいが、まさか新羅なのか…!?


バタンッ…!!!!


イルドナが隣の酒場に押し入ると、そこは小さな静かな店だった。
酒場といっても酒に酔いつぶれて暴れる者もいなければ、大きな声で騒いでる者もいない。

店内は薄暗く、小洒落た店だ。

「……!」

すぐにカウンターに目をやると、酒場の店員が奥の部屋を指差した。
特別室へのご案内のようだ。
少し身を固くしながら部屋に入ると…

「イルドナ」

そこには新羅の姿はなく、代わりに情報屋のタミンがいた。
クラーザの古い知り合いであり、イルドナがクラーザに腕を引きちぎられる場面に…そういえば居合わせていた人物だ。

その時のイルドナは、命からがらクラーザの元に帰ったので、側にいたタミンの存在など気付きもしなかったのが正直なところだ。

「タミンか…脅かすな。誰かと思ったぞ…」

「わたくしは決して表に出れるような者ではないのでね。声をかけさせて頂くにも…用心させてもらったよ」

タミンはヨボヨボとまではいかないが、老人に近い年配の男性だ。
タミンの言うとおり、彼は表舞台に立つような人ではない。
強くもなければ、体力も勇気もない。
だが、裏の情報量といったら、その道の世界では凄腕の人物である。

「私も隠れていたつもりだったんだが…こうもあっさり見つかるようでは、まだまだ用心が足りないということだな。勉強になった」

イルドナはタミンと同じように、カウンターに座る。
この特別室には、カウンター席と小さなソファがあった。
コソコソ話をするには、うってつけの部屋の狭さに暗さだ。

店員が一人立てるだけの小さなカウンターに、先程の店員がスッと現れる。
注文もしていないのに、酒とちょっとした料理を差し出された。

「いや…酒は結構」

「仕事中か?」

イルドナは任務にあたっている時は、クラーザの許可が出ない限り酒は飲まない。
特に今は酒など一切飲む気もしなかった。

イルドナが何かを言う前に、すぐにタミンが口を開く。

「では…やはり、あの噂は本当だったのか。
ベルカイヌン様がーーベルカイヌン様が死骸国の新国王に捕らえられていると…」

「新国王…?」

「高鷹王の33番目の王子、蛇威丸が新国王に。
そして…蛇の目の騎士団という国王の護衛たちが、今は国を騒がせておる」

美しくも強い…というキャッチフレーズで騎士団たちは、国の人気を一気に集めたのだ。
古臭い国政が、若い新国王と騎士団によって変えられていく。今の死骸国は活気に満ちあふれているのだという。

イルドナは苦い表情をした。
それにタミンはすぐに悟る。

「イルドナ、そなた追われてる身であろう。
なぜこんなところに?」

「事情があって、それは言えんが…
知っていて私を呼び止めたのか?
死骸国に私を突き出して懸賞金でももらうつもりか?」

タミンはイルドナに警戒されて、違うと首を横に振った。
弱々しい皺の深い手が、イルドナの大きくて逞しい腕に触れる。

「このタミンを誤解してもらっては困りますな。
この身が腐っても…ベルカイヌン様と長い付き合いをしてきたのは、この老いぼれタミンですぞ。
情報は売り買いしても…ベルカイヌン様からの信頼は売るつもりは一切ない」

「なら…」

「ベルカイヌン様にもしかして危険が及んでるのでは心配しておりましてな。
そこに…たまたま、そなたが通りがかった。
何か手助けが出来れば…と思いましてね」

イルドナはほっと一息、胸をなでおろす。
クラーザの人脈の広さと、信頼度の高さには頭が上がらない。

「そうか。ありがたい」

情報屋のタミンに戦えるような力はない。
なのに、力になりたいと申し出る。とてもありがたい。

「ありがたいがーーークラーザの救出には行かない。
他にもっとやらねばならないことがあるんだ」

「なっ…なんと…主人を裏切る気か…?」

クラーザを主人とは…
最近、クラーザの犬だとか散々言われるようになってきたが、ついには主人と言われるとは…
これは、対等な取引ではないな。

交渉取引にクレームをつけなければと、イルドナは思った。

「裏切りとか…そういうことではない。
私にはもっと大切なことがある。
その為に、クラーザの救出からは手を引かせてもらう…それだけだ」

「ベルカイヌン様の命よりも…大切なものがあると?」

イルドナは少し考えてから深く頷いた。

「そういうことだ」

「ーーーーーー」

納得のいかない顔をするタミン。
『ありえない!』と顔を書いてあるようだ。

タミンにとっては、クラーザが主人だったということだろうか。
クラーザを救出に迎えるだけの戦闘力はないのに、何かせねばと焦る気持ちが、こちらに伝わってくる。

「……ならば、ひとつ頼まれてくれるか…?」

一か八か、イルドナは大博打に出ることにした。










イルドナとタミンが話し込んでから、しばらくの時間が経過した。
何も食することなく、イルドナは酒場を後にする。

「イルドナ、本当にベルカイヌン様の元には行かぬのだな?」

「くどい」

同じくタミンも酒場から少し出て、イルドナを見送る。
イルドナはタミンの懐を指差して、ほくそ笑む。

「それーーーーー無事に成功したら、思ってもみない情報が手に入ると思うぞ。たぶん…人生一番のネタになる」

「本当か?そなたの言葉…信じてますぞ」

二人が微笑みあっていると…


「お客様…!!!!!!」


先程の子供服の店員が大きな声で呼びかけてきた。
その表情はとても怖い。

「どうした?」

荷物を預けっぱなしで迷惑にでもなったのかと思ったが、店員は震える手でイルドナを掴んだ。

「探しましたよ…!」

「何事ですかな?」

タミンもその重苦しい空気に尋ねずにはいられなかった。

「あなたが店を出て…すぐに死骸国の兵隊さん達がこの街に来たのことは…知らないんですか…!?
子供を…子供を必死になって探していると…!」

「なんですと?」

タミンの知らない情報。
死骸国の兵隊が血眼になって探す子供とは?

「赤子を探していると…!
産まれて間もない赤子は、有無もなく殺されると言ってました…!さっき…近所の子供も…私の目の前で…うっ…」

店員は何かを思い出したのか、口元を手で多い嗚咽を漏らす。

「まさか…!」

「赤子のいる家は、すぐに隠れるか逃げています…!
もし…もし…まだ知らないようだったらと…早く…知らせて差し上げないと…と…」

子供服の店員は親切にも、イルドナのことを心配して探してくれていたのだ。

イルドナは松奈の家に置いてきた亜紀の子を想う。
もうあれから…二時間は経ってしまっている。
子供が危ない!

「イルドナ、一体どうしたというのだ?」

状況が読めないタミン。
イルドナは危険を察知して、すぐ様、走り出した!

「イルドナーーーー!!!!」











そこから一時間程、遡る。


「さぁて、お着替えしましょうね~」

松奈は赤子の服を脱がせ、選択したての良い香りのする服に着せ替えようとしている最中だった。
静かな寝室でのこと。

数分後には壮絶な修羅場になることを…松奈は知る由もない。

窓からは明るい陽射しが差し込み、とても清々しかった。
朝から止まらない鼻歌をかき消すように、突然、荒々しい物音がする。

ドンドンドン…!!!!

今にも蹴破られそうな玄関のドアを叩く音。

「なにかしら…」

松奈は裸の赤子を側にあったタオルで簡単に包んで寝室を後にし、玄関に出た。

「イル…?」

ガチャ…

松奈がドアを開ける前に、外からドアが勝手に開かれた。
松奈は驚いてのけ反る。

「松奈さんっ…!大変よ…!!!!」

部屋に押し入ってきたのは、同じく赤子を抱いた近所の
母親たちだ。
松奈と年齢も近い二人の母親が、赤子を抱いてブルブルと震えている。  

「そんなに慌てて、一体どうしたというの?
何かあったの?」

「死骸国の兵隊たちが赤ん坊を殺しに来たっていうのよ…!街中、パニックよ!!!私達も早く逃げないと…!」

「ーーーーえぇ…!!!!??どういうこと!!?
なんで兵隊なんかが赤ん坊を…!!!??」

松奈は驚きの連続のこの時すらまだ、そこまでの危機感を感じてはいなかった。
どこか他人事のような…

「いいから!!!!…松奈さん!早く急いで!!!」

急かすママ友に、それでもまだ疑いをかけて動き出そうとしない松奈。

「誰か見たの?誰がそんなこと言ってきたの?」

「街中よ!!!」

「どういうこと!?ちゃんと教えてくれなきゃ…」

ザザザッ……!!!!!

会話の途中で、おびただしい足音が聞こえて話が中断する。
その場の三人が振り向くと、そこには物々しい服装をした兵隊が四人、駆け足で近付いてきた。

「死骸国王の命により、赤子は殺処分する!」

四人の兵隊の手には、太い槍。
『きゃあああ!!!!』と悲鳴が上がるのと同時に、松奈は家から出てドアを閉めた。

「死骸国王の命令って…どういうこと!?
ここは『成和せいわの国』よ!死骸国じゃないわ!
なぜそんな勝手なことを…!!!!」

勇敢な松奈に、二人の母親達は赤子を震える手で抱きながら加勢する。

「そうよ…!成和の国の国王が黙ってませんよ!
戦争でもするおつもりですか…!!!?」

兵隊が母親から赤子を無理矢理に奪い取りそうになるのを、松奈が阻止する。

「なぜ、赤子なのよ!」

「邪魔だ!どけ!」

「やめてぇー!!!」

小さな小競り合いが起きる。
すると…


「そこで何をしているのです?
無駄な殺生はおやめなさい。死骸国の品位に関わりますよ」


そこに現れたのは、兵隊達とは比べ物にならない程に着飾った男。
兵隊達はその男の登場に萎縮し、深々と敬礼をする。

「騎士団様…!」

「騎士団…??」

何も知らない無知な松奈に、騎士団様と呼ばれる男が自ら自己紹介をする。

「蛇の目の騎士団、慶馬と申します。どうぞお見知りおきを」

馬鹿丁寧な態度に、三人は立ちすくむ。
だが、これで助かったのか。

「あのぅ…赤子の殺処分って…どういうことですか…」

松奈のママ友が恐る恐る尋ねた。
慶馬はわざとらしい程に困り眉を作り、三人の前にずいと進み出る。

「赤子の殺処分ではないのですよ。
ある特定の赤子を探しているだけです。
怖がらせて申し訳ないですねぇ…」

「そうなんですか…」

「それで、特定の赤子っていうのは…??」

二人のママ友が、少しホッとした表情になる。
話になるお偉いさんが来て良かったと安心する。

「特別な赤子ですよ。
指名手配の大柄な男と一緒にいるはずです。
ご存知ないですか?」

慶馬のその言葉に雷が落ちたように固まる松奈。
まさか…

「いえ、騎士団さま。そんなの知りませんわ」
「近所に子供を連れた男なんて…ねぇ?」

二人のママ友の問いかけに、脂汗が止まらない。
まさか…
まさか…!

「おや?どうしました?…何か知ってる顔ですねぇ?」

慶馬に目をつけられ、松奈は足がすくむ。
優しい口調がなぜか恐ろしい。

「しっ…知らないわ!」

「そうですか。では、念の為にここの赤子ちゃん達の性別の確認だけ協力してもらえますかね?」

すぐに納得して引き下がる慶馬に、二人のママ友はすっかり心を許してしまっている様子。
『いいですよ~』と献血にでも協力するかのようだ。

そして、一人のママ友が慣れた手つきで松奈の家のドアを開けた。

ギィィ…

「ちょっと…!散らかってるから家はダメ…!」

松奈のテンポの遅れが仇となる。

生活感漂う部屋。
テーブルの上には、ミルクが少し残った瓶。
台所はキレイに片付いているが、洗濯物は取り込んだものがそのままになっている。

「……おやぁ~??」

わかり易い程に慶馬の声のトーンが上がった。
ビンッ!と慶馬のふたつの鼻の穴が膨らむ。

「あいつの…臭いがプンプンしますねぇ~」

慶馬の鼻はイルドナの臭いを嗅ぎつけた。
急に腰にぶら下げていた剣を抜き、後方の兵隊達にも合図を送る。

ジャキン…!!!!!

「ひぃぃっ…!!!」

緊張の糸が張り詰めた。


ギシ…ギシ…ギシ…


ゆっくりと重装備の男達が部屋の中に押し入る。
だが、すぐにイルドナがいないことを悟ると、慶馬は女達に振り返った。

「さて、嘘をついているのは誰でしょう…?
子供をかくまうと良いことはありませんよ」





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