スッタモンダ・コクゴ

小池キーサ

文字の大きさ
上 下
16 / 21

16、シャワー・マダマダ

しおりを挟む
「ケンタくんは、ネロとパトラッシュが、家もなく、ひもじく辺りをさまよっていたときに、町の人たちがなにもしてくれなかった、ということを言いたかったんじゃないかしら」
「でも、主語に対応させて述語を変化させるという問題で、『見つけられました』が正解なのに、『殺されました』は、ふざけすぎじゃないですか」
「ケンタくんは、真剣だったと思うわ。ゼン先生に、『そうだよね、町の人たちがもっと優しければ、こんなことにはならなかったよね』って、一緒に憤慨してほしかったのかもしれないわよ」
 ああ、そういうことか。
「間違った答えでも、その子を受け止める材料になるってことですか?」
 わたしが質問すると、
「そういうことよ。あなたたちは『国語』の採点者なの。生徒さんたちにとっては、自分の伝える言葉を受け止めてくれる大切な他者なのよ。ただ、正解か、不正解かを見分けるだけでなく、たえず、その子の今の状態をプリントに書かれている文字や言葉から、読み取っていかなければならないの」
と、マダムが答えてくれた。
「でも、不正解の場合は、正解に導く必要がありますよね。それに耳を貸そうとしない子は、受け止めても、どうしようもないじゃないですか」
 ゼンは納得がいかないようだ。真剣な表情でマダムは語る。
「『どうしようもない』というのは、子どものことではなく、先生と呼ばれる者が、未熟であるということよ。例えば、お医者様は、患者さんのからだに、聴診器やレントゲンを当てて、どこに原因があるかを診察し、それに適した薬や手術を施してくださるわよね。あなたたちも同じよ。一枚一枚のプリントから、その子に関する情報を見落とすことなく読み取って、そのときに一番ふさわしい言葉や方法で、よい方向に導いていく力が必要なの」
「難しいことですね……」
 わたしがため息をつくと、
「そうね。すごく難しいわ。一生懸命観察しても、間違った判断をしてしまうこともあるし。でも、うまくいかなくても、その子をわかろうとする気持ちを持ち続けることが、大切なのだと思うわ」
と、いつものやわらかい雰囲気で、マダムが答えてくれた。
「だけど、そのときにふさわしいかかわり方をしても、正解にたどりつかなかったら、結局、ケンタが困るんじゃないですか?」
 ゼンは、どうしても、ケンタにきっちりとプリントを仕上げてほしいようだ。
「大丈夫。プリントを勉強することで、毎日のように、彼は言葉のシャワーを浴びているのよ。シャワーって、強い勢いで、同じ場所にばかり当たったら、痛いでしょ。体からはずれて、優しく包むように落ちていくものがあってもいいと思うの。触れずに落ちていったものの記憶が、ふとした瞬間に呼び覚まされることだってあるかもしれないし。大切なのは、毎日、『ああ、気持ちいいなあ』って思いながら、シャワーを浴びることなのよ。それを助けるのが、あなたたちの仕事でもあるの」
「……」
 ゼンは何も言わなかったが、彼の背筋がちょっぴり伸びたのをとなりで感じた。
「まあ、もうこんな時間。お疲れさま。今日は、ふたりとお話ができて、よかったわ。気をつけてお帰りなさい」
 マダムが、教室の外まで見送ってくれた。ゼンとふたりきりになり、
「お疲れさま」
と声をかけたら、彼はボソッと、
「おれたち、まだまだだな」
と言って、去って行った。おれたち? なんか、なまいき。でも、まあいいか。
しおりを挟む

処理中です...