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36話

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「貴奈津ーっ!」
 部屋中に響き渡る大声で、レイが呼ぶと負けず劣らず大きな悲鳴が上がった。
「キャーッ!」
 天井近くに浮かんだレイの下で、貴奈津がハンガーにかかったままのワンピースを胸にあてていた。
 着てはいない。
 つまり貴奈津が身に着けているのは下着だけで、貴奈津は姿見の前に立ち、今日これから着る服を、矯めつ眇めつしていたのである。
 レイは高度を下げて、貴奈津の前まで降りた。
「ボクが瞬間移動してくるたびに、一々騒ぐのは、いいかげんにやめろ」
「あんたって礼儀知らずもいいとこね。レディが着替えをしているのよ、さっさと出ていきなさいっ」
 いつもならとっくに手を出すところだが、下着姿を隠しているので動きがとれない。
「わけがわからん」
「バカ猫! わたしはまだ服を着ていないって言ってるのよ」
 怒鳴る貴奈津に、レイが怒鳴り返した。
「それがどうした。ボクは人間の女の子が服を着ていようがいまいが、どっちでも全然興味はなーい!」
 なんだか、貶されているような気もしないではないが、そうではないのかもしれない。
 貴奈津は瞬きして、ふっと横を向いた。
 レイの言い分を検証しているらしい。
 貴奈津は顔をもどした。
「それもそうね」
「やっと、わかったか。ローユンが呼んでいる。行くぞ」
 さっと手を伸ばして貴奈津を掴む。
 貴奈津は最大級の悲鳴を上げてレイの手を振り解いた。
「ダメ、ダメ、ダメーッ! こればっかりはダメよ」
 異常に激しく抵抗する。
 顔が真っ赤になっていた。
 レイはいいとしても、ローユンの前に下着姿で出るわけには、死んでもいかない。
 年頃の少女としては当然の感情であるが、レイにはそんなことはわからない。
「なにをやっているんだ、おまえは。急いでいるんだぞ、ボクは」
「わ、わかった、わかったわよ。すぐ服を着るから」
 服を身に着けなければ、テコでも貴奈津は動きそうにないとみて、レイは首を捻りながらも諦めた。
「よし、着たらすぐこいよ。月葉の部屋で待っている」
 ほっとしたせいで床に座り込んでしまった貴奈津をあとにして、レイは月葉の部屋ヘワープした。
「月葉ーっ!」
「やあ、おはよう、レイ」
 机の前で、月葉が振り返った。
 宙に浮かんでいたレイは、真下のベッドにすとんと落下した。
 拍子抜けしたらしい。
「あいかわらず冷静なヤツ。同じ姉弟で、どうしてここまで違うんだ。顔は似ているのにな」
「そうかな。ところで用は? ちょっと急いでいるんだけど」
 レイはベッドから飛び上がった。
「ボクも急いでいる!」
「と、いうと?」
 月葉はいつもの背負いカバンを持ちあげた。
「ローユンが呼んでいる。いっしょに来てくれ」
「それは……困ったな。受けたい講義があって、これからスクールヘ行くつもりだったんだ」
 言いながらも、カバンを背負い出かける用意を整える。
「ちょっと待て、おまえ。そういうことを言っている場合か? ローユンが危ないんだ。すぐに助けに行かないと」
「なんですって!」
 大きな声にレイと月葉が振り向くと、貴奈津がドアの前に立っていた。
 大急ぎで服を着てきたらしい。
「それを先に言いなさいよ、レイ」
 貴奈津の顔に緊張が浮かんでいる。
 月葉はカバンを背中から下ろした。
 今のところ、ローユンにさして好感は持っていないが、それでもスクールとローユン、どちらが自分にとって大切か、判断を誤るほど月葉は愚かではなかった。
「それにしても、おまえ、なんでそんなにめかし込んでいるんだ」
 二人の手をとってワープをかける寸前に、レイが不思議そうに訊いた。
 貴奈津はミニスカート・スーツを着ていた。
 地色は上下動色系で、上は少し厚手のぴしっとした無地のジャケット、下は薄手のふわふわしたミニスカートだ。
 スカートのほうには、夏向きの鮮やかで大胆な花柄がプリントされている。
 はっきりいって、お出かけスタイルである。
 その上、普段はしないイヤリングやブレスレットまで抜かりなく着けていた。
 昨夜ローユンに会ったときは、普段着だった。
 だから今日はおめかししたところをローユンに見せたい、という乙女心の為せるわざだ。
 貴奈津は一人赤くなって、そっぽを向いた。
 その横顔を眺め、月葉は昨夜から何度目かの、溜め息を吐いたのであった。



 続く……
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