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41話

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 なだらかな砂丘の列なりが、長い影をひいている。
 地平線の彼方から、朝日が昇りはじめていた。
 見渡すかぎり、砂の他にはなにもない。
 ただ白い石造りの神殿が建っている以外は。
 広大な砂漠のただなかに建つ神殿は、上空から俯瞰すれば、大海に漂う孤独な船のように見える。
 しかし、側に立ってみれば、意外な大きさを持つ建築物であることに驚く。
「どうだ、すごいだろう。身長の二十五倍の高さだぞ」
 レイがそう言って、巨大な門を自慢したことがある。
 とはいえ二十五倍というのは、あくまでレイの身長を基準にしてのことで、ローユンの身長に換算すれば十倍ちょっと、というところだ。
 それにしても五階建てのビルくらいの大きさはある。
 その門を入ると庭園があり、広く長い階段の奥に一見ローマ建築風の、格天井を持つ神殿がある。
 宇宙艇も格納可能なスペースを持つ神殿だったが、ほとんど使われてはいない。
 すぐそばに、やはり石造りの建物があって、そちらが主な生活空間だった。
 全体の規模はかなりのものだし、天井にも石柱にも凝った装飾が施されていたが、為政者が権力にまかせて建造したものではなく、レイが一晩でパッパッとこしらえたものだ。
 したがって石造りに見えるが、じつはそうではないのかもしれない。
「一応ここを拠点にしよう」
 とレイは言ったのだが、ナーディ、スゥーディ、ローユン、それにもう一人の戦士ラッガートと、留守番役のシェンレオ、さらにレイを含めてもたった六人のための拠点に、なぜこんな巨大な建築物が必要なのか誰にもわからなかった。
 レイにもとくに理由があったわけではない。
 大きい方がかっこいいんじゃないか、と漠然と思ったにすぎない。


 射しこむ朝日を正面から浴びながら、一人の異世界猫と五人の人間が神殿の門前の石段に立ち、あるいは腰を下ろして、各々装備の最終点検をしていた。
 これから敵の本拠地、異世界宮殿に乗りこもうという日の朝であった。
 三姉妹に最終決戦を挑もうというのだが、戦士たちには特別の感慨も気負いも感じられない。
 彼らには今日の出撃も、延々と繰り返され続いてきた、対異世界宮殿戦の延長にすぎなかった。
 それくらいの強かさがなければ、日々戦いに明け暮れるなどという生活には耐えられない。
 しかし、心配性の人間が一人いた。
 留守番役のシェンレオである。
 口ひげを蓄えた五十がらみの、もと商人で、頭に布を巻き、裾のふくらんだ.ズボンに長衣を羽織っている。
「あああ……ううむ……」
 などと意味不明の呟きをもらしながら、シェンレオは他の四人の周りを歩き回っていた。
「ねえ、シェンレオ」
 ナーディに呼ばれ、シェンレオがダッと駆け寄る。
 移動速度はマッハ三くらいだ。
「どうかしたかね、ナーディ。おなかでも痛いとか? そうだ、胃薬を持っていくかね」
 答えも待たず、懐から丸薬を取り出そうとするシェンレオを、ナーディが笑って止め る。
「そんなんじゃないわよ。このイヤリングなんだけど、やっぱり紫水晶のほうがよかったかなあ。どう思う?」
 片手でトルコ石のイヤリングを揺らしてみせる。
 ナーディはシナモン色の長い髪をアイス・グリーンの布で結っていた。
 イヤリングの石を、髪と布、どちらの色に合わせたら良いかと聞いているのだ。
 衣装のほうは、びっしり刺繍の入った短いベストの他は、ゆったりしたミニのワンピースのように見えるシャツも腰のサッシュも、やはり青緑系でまとめている。
 シェンレオはがっくりと石段に膝をついた。
「アクセサリーなど、どうでもよろしい。それより、くれぐれも体に気をつけて。異世界宮殿の中で、絶対に生水など飲んじゃいかんよ」
「あー、はい、はい」
 おざなりな返事をして、ナーディは青紫色の瞳がそらしてしまう。
 隣に腰かけていたスゥーディがシェンレオを慰める。
「あまり心配しないで、シェンレオ。いつものように出かけて、またいつものように帰ってくるだけですから」
 スゥーディはナーディの双子の妹なので、顔貌は同じだが、なぜか性格は違った。
 役割分担をしているうちに、だんだんとそうなったのだろう。
 突っ走るナーディに対し、制止するスゥーディという図式だ。
 言葉使いまで違う。
「ほんとうだね、必ず無事に帰ってきてくれるのだね」
 スゥーディの手を取って念を押す。
 シェンレオは涙ぐんでいた。
 その二人の上に、明るく優しい声がふってきた。
「わたしたちは死にに行くわけではない。シェンレオ、あまり悲壮な顔をしないでくれ」
 ローユンが傍らに立っていた。
 腰に結んだサッシュが、緩やかな風にひるがえる。
「かといって、鐘や太鼓で見送るわけにもいかんでしょう。それにこの顔は生まれつき」
 すかさず、
「ふーん、生まれつき口ひげがあったんだ」
 とナーディが茶々を入れたが、誰も相手にしなかった。
 突っ込みを外されたナーディは俯いて、思い出したように靴のホコリを払いだす。
 それを見やって、ローユンが声に出さない笑いをもらした。
 またシェンレオに目を戻すと、その肩に手を置いた。
「行くしかない。それが結論だっただろう」
「そのとおりですがね……」
「なに、危ないと思えば、すぐに引き返してくるさ。わたしたちは、逃げ足だけは速いんだ」
「つまずいて転んだりするということも……」
 ローユンの言葉を額面通りに受け取るほど、シェンレオは三姉妹について無知ではなかった。
 逃げたいときに、すんなり逃がしてくれるほど、与しやすい相手では決してないのだ。
「おまえなー、出発間際になって愚痴をこぼすな。士気にかかわるじゃないか」
 腕組みしたレイが飛んでくる。
「愚痴ではない。きみたちの心配をしておるのだ」
「おまえはみんなの夕飯の心配をしていればいいんだ」
 ビシッとレイが決めつける。
 うっ、とシェンレオは呻いたが、彼は基本的に善意の人である。
「な、なるほど」
 夕食までには全員無事で帰ってくるから、よけいな心配をするな、というレイの心づかいであろう。
 そう、シェンレオは解釈して引き下がった。
 それで、あとは大人しくしているかというと、そうではない。
 彼は元来、落ち着きのある性格ではなかった。
 対して、この場にいる六人のなかで、もっとも落ち着きのあるといえるのがラッガートである。
 かといって、彼が寡黙だとか冷静すぎるとかいうわけではなく、概ねほかのメンバーがにぎやかなので、相対的に落ちついて見えるだけだ。
 シェンレオは石段をいくつか登り、ラッガートに貼りついた。
「いや、レイもナーディも、今一つ真剣味に欠ける。危なっかしくて、見ちゃおられん。
ここはやはり、あなただけが頼りだ。どうかみんなを守ってやってもらいたい」
 確かに悠然と構えているように見えるラッガートに、シェンレオは訴えた。
「もちろん、できるだけのことはするが、三姉妹が相手では正直いって自信はないぞ」
 長身の男は、肩まで届く金色の髪と青灰色の瞳を持っていた。
「ああっ、最強の戦士ともあろう者が情けないことを!」
「情けないか?」
「おおいに! あなたがそんなことでは、はたしてナーディやスゥーディは生きて帰れるのであろうか」
 悲嘆にくれるシェンレオを見おろし、まずかったかなとラッガートは思った。
 シェンレオは双子の姉妹を我が子のように可愛がっている。
「大丈夫だ、あの二人は異常に強いからな」
「並の人間と比較してどうするのかね。相手は三姉妹ですぞ。あの双子が強いとはいっても、あなたにはとてもおよばない」
「剣だけをとればな。だが、彼女たちにはおれより強力な異能力がある。総合力では遜色ない」
 ラッガートが目をやった方向を、シェンレオもつられて振り返った。
 ナーディとスゥーディが、お互いの装備を点検している。
 頭を振って、シェンレオは顔を戻した。
「わたしにはどう見ても、そうは思えんがね」
 シェンレオがラッガートを頼もしく思うのは、おそらく見かけのせいである。
 三十歳前後のラッガートは、ローユンより頭半分背が高く、戦士というのにふさわしい体格をしていた。
 体重でいえばナーディたちの倍近くもあるだろうか、大柄な男と少女とを比べたら、だいたいそんなものだ。
 肩と胸、それに手足の一部に、銀暗色のアーマーを鎧っている。
 ほとんど肌の見えない衣装は紫がかった寒色系で、色鮮やかなアクセントがけっこう派手な印象だ。
 紫紺のマントをまとった姿には、指揮官の風格があった。
「おまえはナーディとスゥーディの華奢な見かけに欺されているのだ。こと実戦となれば、あれほど頼もしい味方もまたといないぞ」
 そうラッガートは言うのだが、神業としか思えない剣技を見せる彼が、陣営最強の戦士であることは間違いなかった。
 そのうえ年長者である。
 ナーディやスゥーディ、それにローユンやレイにとっても、ラッガートは大切な心の支えなのだった。
「では、そろそろ行くぞ。あとを頼む」
 納得しかねているシェンレオの肩を叩くと、ラッガートは石段を下りていった。
 並んで腰を下ろしているナーディとスゥーディの後ろで膝を折り、両腕に二人の肩を抱く。
「準備は整ったか」
「はい」
 振り返り、二人同時に返事をする。
「よし、出かけよう」
 スゥーディを見て肯き、ついでラッガートはナーディに目を向けた。
 ナーディがラッガートの青灰色の瞳をとらえたとき、意識が夢のなかの貴奈津にフラッシュ・バックした。
 ナーディとしてではなく、貴奈津は自分の意識でラッガートを見上げていた。
「あ、この人。……忘れていた。わたし、今まで、この人のことを忘れてたわ。どうしてかしら……でも、ちょっとハンサムじゃない……ラッガートって……」
 思ったが、そこまでだった。一万八千年前の世界に、貴奈津の意識のまま、とどまることはできない。
 ナーディは剣を掴んで立ちあがった。



 続く……
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