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47話

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 一瞬、暗闇かと思った。
 ワープした直後のレイにはそう見えたほど、暗い場所だった。
「だけどなんだ、このやかましさはっ」
 さほど広くない空間なのだろう。
 ゴジラがプールで水浴びすれば、これに近い音がするのではないか、という激しい水音。 壁を打つ衝撃音と震動。
 そこに得体の知れない動物の咆哮と、ナーディのものと思われる叫び声が、入り混じり反響して凄まじい。
「静かにしろーっ!」
 よけいうるさい。
 怒鳴ったレイは、ようやく騒ぎの張本人を目にすることができた。
 水濡れた体表を持つ超巨大イモ虫が、今まさに頭上に倒れこんでくるところだった。
 体節ごとに吸盤状の足を生やした巨体がなだれを打つのを見あげて、レイは冷静な判断力を失った。
「ウキャーッ!」
 シールドを張るのも忘れ、絶叫を上げて体を反転させる。
 しかしイモ虫の体が水面を叩くほうが速かった。
 逃げるレイを体節の下へ巻きこみ、派手な水飛沫を上げながらイモ虫が倒れこむ。
 地下水道のようなところである。
 水深はたいしてなかったが、レイが水没するには充分だった。
「助け……!」
 そこまでしか言えず、レイは水中に沈めこまれた。
「ゴボゴボ、死ぬ、死んじゃうーっ……助けてくれ、ナーディ……ディ……」
 遠ざかる意識の中で、レイは必死に呼び続けた。
「なんだか今、ぶさいくな猫が騒いでいたような気がする」
 イモ虫を倒して大きく息を吐き、ナーディが悠長なことを言った。
 膝上まで水に浸かっている。
「それ、レイじゃないですか。声はどっちから?」
「えっ、そうかしら。あっち」
 指差された方向へ、スゥーディは水を切った。
 体半分、倒れたイモ虫の下敷きになり水中に沈んでいるレイを発見する。
「たいへん!」
 水路の脇に乾いた地面を見つけ、水から引き上げたレイを寝かせる。
 レイは生きていた。
 気を失っていたので溺れてもいなかったし、水中のことで、幸い打撲も大したことはなかった。
「しっかりしなさいよ、レイ」
 ナーディとスゥーディの必死の介護、叩いたり、ヒゲを引っぱったり、逆さにぶら下げて振ったり、ということだが、そのおかげで、レイはすぐに息を吹きかえした。
「ああっ、ナーディ!」
 正気を取り戻して飛び付こうとしたレイを、ナーディが冷たく押し返す。
「よらないで、服が濡れちゃう」
「ウガッ! 起死回生を果たした仲間に、なんたる言いぐさ」
「そんなことより、レイ。ラッガートとローユンは無事なんでしょうか」
 スゥーディが割って入る。
「そうだった」
 風呂上がりの猫のように、プルルンと首を振る。
 湿っている毛皮から細かい水滴が飛び散り、ナーディとスゥーディは思わず腕をかかげて顔を覆った。


 ローユンの剣とジェオツシの三日月長斧が激突して、刃嗚りを響かせる。
 長柄を引いてジェオツシは飛び退った。
 間髪入れず追ってローユンが跳羅する。
 振り下ろした一撃は、だが両手で支えた三日月長斧にはね返された。
 鋭い金属音が、空中庭園に長く尾をひく。
「……素早い」
 剣を戻してローユンは、口の中で呟いた。
 黒地に金糸の刺紐が施されたサッシュが、微風に靡く。
 ジェオツシの三日月長斧は長大な武器で、破壊力はあっても普通の剣のように小回りはきかない。
 その間隙を縫って、懐へ飛び込もうとするのだが、悉く阻まれる。
 ラッガートになら、あるいは可能なのでは。
 とローユンは思うが、一対一ならともかく三対二という戦力差が、ラッガートにもそれをさせなかった。
 一人を追うと、背後からもう一人が襲ってくるのでは、三姉妹を追い詰めるどころか、防御で手一杯である。
 それでもローユンとラッガートが、三姉妹を相手に持ち堪えることができたのは、挟撃されることが、ほとんどなかったからだ。
 ジェオツシの飛び道具に脅かされはしたが、ジェオツシの三日月長斧と、ジェーロの尖長刀が、同時に襲ってくることはなかった。
 長大な武器だけに、同士討ちの危険を避けたためだろう。
 ラッガートはジェーロに対していた。
 風の速さでジェーロが宙を滑ってくる。
 後ろ手にした尖長刀が大きく弧を描いて、ラッガートの側面を薙いだ。
 凄まじい勢いで叩き付けられる尖長刀を、一刀で受けたものの押されて、ラッガートの足が床を滑る。
 しかしじつは、この間隙をラッガートは狙っていた。
 一刀で受けとめながら、もう一刀を下手に翻す。
 ジェーロを斬り上げようとした一刀は、しかし、半ばで引き戻された。
 眼前で、ジェナリマの放った戦輪を跳ね返す、連続して二回、短い金属音が弾け、あとのほうの戦輪がラッガートの肩甲をかすめた。
「こうなるだろうな」
 いったん剣を引いて距離を取り、ラッガートは肩の鎧に目をやった。
 銀暗色の肩甲が、鋭利な切断面を見せている。
 三姉妹の武器は、金属の甲冑を紙のように易々と切り裂く。
 今朝ナーディに言われたことを思いだし、ラッガートは唇だけ笑った。
「三姉妹を相手にするのに、甲胃なんてつけるだけ無駄じゃない? それにマントも、どうかと思うわよ。邪魔になるだけのような気がするわ、わたし」
 遠慮のないナーディの評論に、ラッガートはしばし沈黙したのだ。
 そうかもしれない、と、まったく思わなかったといえば嘘になる。
「……ずっと、これでやってきたのでな」
 ラッガートが甲冑やマントを装備する理由は、確かにそれだけだった。
 慣れ親しんだスタイルが、一番ぴったりくるということだろう。
 ふーん、とナーディはあごに指をあてた。
 腕組みして立つラッガートを、上から下まで観察し、数歩下がって全体を眺めた。
 視線の置きどころをなくし目を逸らしたるラッガートに、 ナーディは判決を下した。
「でも、似合っているからいいか。うん、ラッガートってやっぱりカッコイイ」
 言うだけいって背中を向ける。
「褒めてくれたのだろうが、今一つ釈然とせんな」
 口には出さなかったが、ラッガートはそう思ったのであった。
 滞空していたジェナリマが、手にしていた戦輪を手品のようにしまい込んだ。
 彼女の戦輪は、どこへ隠し持っているのか謎である。
 左右どちらの手でも、投げてくるし、手首を返したあとには、次の一枚が手中に現れていた。
「おまえたち、なかなか楽しませておくれだこと」
 皮肉ではない、ジェナリマは本心で言っていた。
 しかし、好敵手への称賛というわけでもなかった。
 インターバルでもとるつもりなのか、ジェーロとジェオツシが、ジェナリマの近くまで退く。
「久々に歯応えのある相手に出会った」
 ジェナリマは笑いを浮かべていた。
 だがそれは、殺戮者の微笑みだった。
 三姉妹にとって、戦いは命のやり取りではなく、狩りなのである。
 狩りである以上、獲物を倒すことを純粋に楽しむ。
 ただ三姉妹が人間と違うのは、狩りの中で、自分たちが傷つきあるいは死に至る可能性を、およそ顧みないということだ。
「価値観というか、感性というかが、我々とはまったく異なる種族なのだろうな」
 この間にローユンがラッガートと合流をはたす。
「はた迷惑なだけさ、あいつらは」
 ラッガートは、にべもない。
 ローユンが微笑を閃かせ、ラッガートヘ囁く。
「レイの姿が見えない」
「二人を見つけたのだな」
「おそらく」
 一度合わせた手を、ジェナリマが広げた。
 するとその手に、指の太さと大差ない、ごく細身の刺突剣が握られていた。
「とはいえ、そろそろ終わりにしてもよい頃合。さあ、どちらが先か? 希望があれば言うがよい」
 ジェナリマの冷笑の意味を悟り、ラッガートとローユンは束の間、視線を交錯させた。
 だがすぐに顔を戻し身構える。
 三姉妹が散開し始めていた。
 ジェーロとジェオツシが左右にわかれる。
 刺突剣をかざしたジェナリマが急速に接近しながら、重ねて言う。
「先に死にたいのはどちらか?」
「その科白、そっくりそのまま返してやるぞ」
 突き込まれる刺突剣を一刀で受け流しつつ、ラッガートが一歩踏み込んでもう一刀を叩き込む。
 ジェナリマは紙一重で身をかわし、大きく飛び逃れた。
 それを追わず、ラッガートは振り返る。
 ジェオツシが背後へ回り込んでいた。
 大きく弧を描いて薙いでくる三日月長斧を、激烈な刃音とともに受けとめる。
 ローユンはジェーロと刃を撃ちかわしていた。
 立て続けに斬りつけ突き出される尖長刀を、払い、かわしながら機を窺う。
 大上段から振り下ろされた一撃を、横殴りにはね除け、剣をからめてそのまま床へ叩き付ける。
 ジェーロが宙にあってよろめいた。
 すかさずローユンが胸もとに飛びこむ。
 鋭い一閃はしかし、横合いから現れたジェオツシに跳ね返された。
 下手から斬り上げてくるジェナリマの刺突剣に一刀を撃ちあわせた瞬問、ラッガートは戦慄した。
 手応えがなかった。
 防いだはずの刃の上を、刺突剣が驚くべき柔軟さでしなり、滑ったのである。
 ラッガートの一刀をすり抜け、胸もとにはね込む刺突剣の切っ先を閃光の速度で引き寄せたもう一刀で辛うじて防ぐ。
 続けざまの攻撃を避け、ラッガートは飛び退った。
「硬度を変えるのか、あの刺突剣は?」
 ジェナリマもいったん、宙へ退いている。
 刺突剣自体が変化するのではなかった。
 あくまでもジェナリマの手首の返しと当たる角度によるのだが、そこまでは読み切れない。
 三日月長斧に足下の床を穿たれ、ラッガートはさらに飛び退いた。
 それへローユンが交錯して左右位置を入れ替える。
 ジェオツシがローユンの前方へ躍り出た。
 薙ぎ払ってきた三日月長斧の一撃は鋭さを欠いており、ローユンの剣に大きく弾かれた。
 その勢いに押されてか、ジェオツシが宙を数歩後退る。
 躊躇亡くローユンは踏みだし、ジェオツシに斬撃を浴びせかけようとした。
 だがジェオツシは素早く横へ流れ去る。
 剣が空を切ったとき、ローユンの眼前にはジェナリマが刺突剣をかざしていた。
 刺突剣の銀光が水平に走る。
 ローユンは剣を打ち合わせる寸前、その刀身が風を切ってたわむのを見てとった。
「刃を打ち合わせてはまずい」
 一瞬のうちに感じたが、動きを止められるものではなかった。
 剣を振り下ろすと同時に、ローユンは床へ身を投げた。
 やはりローユンの剣は刺突剣を阻むことができず、刺突剣が間一髪で頭上を薙ぐ。
 すぐさま顔を上げ、ローユンは愕然とした。
 刺突剣を振りきったジェナリマが、もう一方の手で戦輪を放とうとしている。
 防ぎきれないと瞬時に確信はしたが、それでも体を起こそうとする。
 しかし、意識の閃く速さに、実際の動作は遠く及ばない。
 ジェナリマの手首がしなやかに翻る。
 複数の戦輪が同時に指先を放れようとしていた。
 その動きが、まるでスローモーション画像のようにローユンの視界に灼きつく。
 なすすべもなく、歯がみするほど緩慢に感ずる一瞬。
 ローユンの視界を雷電の速さで紫紺が流れ、その長い一瞬を断ち切った。
 ローユンがはね起きるのと、ラッガートの一刀が閃くのが同時だった。
 一撃でジェナリマの肩から腰まで斬り下げる。
 瞬きほどの間を置いて、吹き出した血がジェナリマの長衣を染め上げた。
「おまえ……」
 憎悪に燃えた目をラッガートに据えてジェナリマは呟いたが、そのあとはもう声にならない。
 喉を逆流した血液が、唇をつたった。
 深く食いこんだ一刀が引き抜かれると、ジェナリマの体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「お姉さま!」
 夢から覚めたように、ジェオツシがとって返す。
 迎えて剣を構え、一歩を踏み出したローユンはしかし、尋常ならざる事態に気付いて振り返った。
 血濡れた一刀を握りしめラッガートが動かない。
「……!」
 息を飲んでローユンが凍り付く。
 ジェナリマの戦輪は放たれていたのだ。
 背後からは見えなかった。
 戦輪はローユンの代わりにラッガートを襲ったのである。
 立ちすくむローユンに、ジェオツシは斬りかかっては来なかった。
 敵を攻撃するよりも、仲間の身を受け止める方を優先したのだ。
 床へ倒れ込んでいくジェナリマへ、ジェオツシが手を差し伸べる。
 それへ一瞬だけ目をやり、ローユンもジェオツシに向けた剣を引いた。
「ラッガート!」
 膝を崩したラッガートに、駆け寄り肩を支える。
 鱗形の戦輪が何枚もラッガートの胸甲を貫き深々と突き刺さっていた。


 続く……
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