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67話
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レイが原因不明の頭痛で倒れた以外、世界と異世界の揺らぎは、なんのやっかいごとも引き起こさなかった。
レイの頭痛も異常現象の翌朝には全快している。
そんなわけで、また相手の出かた待ちの日々に戻っている。
もっともローユンだけは何度か宇宙艇に出かけたり、眞鳥邸の自室でこれは宇宙艇のメイン・コンピュータに直結したシステムを、ときおりフル稼動させたりしているが、だからといって誰も手伝いはしなかった。
レイは、
「ボクは情報および技術関係顧問みたいなもんだから、ローユンがなにか考えついてから相談に乗ればいいんだ」
と、偉そうなことを言うだけ言って遊んでいる。
月葉はコンピュータ・システムに興味がないことはないが、ローユンとの協力関係ができていない。
どのみちスゥーディの記憶が戻っていない現状では役に立たない。
貴奈津は記憶こそ戻っているのだが、もともとナーディという少女が貴奈津とよく似た人格なのである。
分析とか対策などというデスクワーク系統のものには、おおよそ無縁のタイプであった。
だがこの日、たいへん珍しいことながら、貴奈津は朝からずっと机にかじりついていた。
今も夕食をそうそうに切り上げて部屋に戻り、教科書を睨んでいる。
切羽詰まっているのだった。
単位を一つ、落とすかどうかの瀬戸際なのである。
明日の試験の成績いかんでは。
貴奈津の斜め後ろで、監督役兼、教師役の月葉が椅子から立ち上がった。
「そこは飛ばさないほうがいいな」
貴奈津がまとめてめくったページを、数枚戻して指摘する。
「このへん、試験に出やすいんだ。読むだけでも読んでおきなよ」
「むだよ。どうせ読んでも、憶えられないもの」
一日中勉強などという、普段、やりもしないことをやっていたおかげで、貴奈津の脳神経回路はショート寸前に陥っていた。
そのせいで、投げやりな態度になってしまう。
「一日でやろうというのが、そもそも間違っている。一週間前から、いや、せめて三日前から手をつけていれば、こんなことにはならないはずだ」
という当然の講釈を、今さら月葉はしなかった。
かなり以前、それを口にしたために貴奈津とケンカになったことがあるからだ。
月葉が引き下がる。
「じゃあここは飛ばして次へいこう」
ページをもとの位置まで進めてやり、椅子にかけなおす。
その月葉を貴奈津が振り返った。
「ちょっと、ひと休みしようかな」
三十分前に夕食から戻ったばかりだ、という言葉を月葉は飲みこむ。
「……そうだね。疲れているみたいだし」
「このまま、だらだら続けても、効率が悪いものね。そうだ、わたしシャワーでも浴びてこようかな。そうしたら、頭がすっきりするかも」
「……いいと思うよ」
どこまでも月葉が譲歩する。
興味の向かないことを無理強いしてもしかたがないと、貴奈津に関しては達観してしまっていたのと、なんといっても単位制スクールである、一つや二つ単位を落としたからといって、進級に直接響くわけではないという気楽さもあった。
あとでどんなことになるかは知らないが。
貴奈津はうきうきと席を立った。
ことさらシャワーを浴びるのが好きなわけではない、机から離れられるのが嬉しいだけだ。
「じゃ、ほんの一五分ほど失礼して」
多少の後ろめたさはあるとみえる、愛想笑いと言いわけを残し、貴奈津はバスルームに続くドアの向こうへ消えた。
すぐに、シャワーの水音がもれてくる。
「やれやれ」
前をかきあげながら、月葉は立ち上がった。
教科書とノートをパラパラとめくって、溜め息をつく。
「どうして、この程度のもので苦労するのかねえ」
本人に自覚はないが、かなり嫌味な一人言を呟く。
「苦労は勝手にしろ、と昔から言うからなっ」
突然、背後からふってきた声に、振り向きながら月葉が訂正を加える。
「苦労は買ってでもしろ、というのが正解だよ、レイ」
「そうか? でも、意味は似たようなものだ。それより貴奈津は? 貴奈津はどこだ」
「なにか用でも?.」
ふわりとレイが舞い降りてきた。
持っていたパンフレットを、月葉の目の前に広げてみせる。
どこから手に入れたのか、観光パイナップル園の案内書だった。
写真は、なだらかな山肌一面のパイナップル畑である。
「どうだ、あまりの感動に、めまいのするような光景だろう。ニャハハハハ」
「そうでもないけど」
「つまらないヤツだな、おまえって。とにかく、これを貴奈津に見せてやるんだ。貴奈津はどこへいった?」
月葉の手が、レイの後方を指さす。
「いま、ちょっとパスルームに……」
「そうか」
クルリと後ろを向いて、ついとバスルームのドアヘ飛んでいく。
「あっ、レイ、ちょっと」
月葉が慌てて追いかけ、レイのオーバーオールヘ手を伸ばす。
その先でフッとレイの姿がかき消え、薬月の手が虚しく空を掴む。
「まずい!」
レイを掴みそこねた姿勢のまま、月葉が緊張する。
悲鳴が聞こえた。
「キャアーッ!」
ドアを通して月葉のところまで、しっかり響いてくる。
盛大な貴奈津の悲鳴に、プラスチックがぶつかりあう音やレイの叫び声が重なった。
たまらずレイがワープで、逃げ出してくる。
「月葉ぃ……」
「こうなると思ったよ」
月葉の目の前に、レイが全身から水をしたたらせて浮かんでいた。
「なんて凶暴な女なんだ」
月葉にタオルで体を拭いてもらいながら、レイがののしる。
床にバスタオルを重ねて敷き、その上に座り込んでいる。
貴奈津が椅子をまわしてレイを睨んだ。
「なに言ってるのよ、あんたは。命があっただけでもありがたいと思うことね。レディの入浴を覗くなんて、失礼よ」
突然バスルームに現れたレイに驚き、貴奈津はシャンプーやら洗面器やらブラシやら、とりあえず手元にあったあらゆるものを投げつけた。
同時にシャワーも浴びせられていたので、レイは避けることが出来なかった。
だから、だいたい命中している。
レイは体のあちこちに、打撲傷を負っているはずだった。
「う、そこ痛い」
レイが呻く。
毛皮をこすっていた月葉は手を止めた。
「ごめん、ごめん。もうほとんど水気は取れたから、後はドライヤーにしようか」
月葉は甲斐甲斐しくレイの世話を焼いていた。
口には出さないが、貴奈津の勉強をじっと監視しているより、遥かに退屈しないからだ。
温風を当てられ、毛皮をブラッシングしてもらい、レイがうっとりする。
レイはスキンシップが好きである。
特にブラッシングは気に入っていた。
不思議な物でも見るように、貴奈津がじっとその様子を眺める。
「あんた、そうやっていると、お風呂上がりの猫そのものね」
「誰が風呂上がりにしたと思っているんだ」
「自業自得よ」
「なんだとっ」
立ち上がりかけた例を、月葉が抑える。
「レイ、じっとしていてくれる。乾かないから。それから貴奈津も、こっちのことは気にしないで、試験勉強をしたほうがいいんじゃないかな」
「う……」
正論は耳に痛い。
貴奈津はしおしおと椅子をまわした。
しかし、勉強に戻ろうとするのを、レイが邪魔する。
「学校の勉強は忘れても、沖縄の約束は忘れるなよ」
「憶えているわよ。あとで必ず、連れて行ってあげるわよ」
「あとって、いつだ?」
「そのうち」
「そのうちっていうのは、正しくは何日後のことか」
からまれて、貴奈津が椅子ごと振り向く。
「もーうるさいわね、あんたは。あのね、わたしが勝手にいつとは決められないの。
そりゃあ、わたしとしても、早く約束を守ってあげたいわよ。でもね、レイを連れて行くとなると、やっぱり人目につくとまずいわけだし、だから、わたしは考えたわけ。パイナップル畑を、丸ごと一つ、買い取ったらいいんじゃないかしら、なんてね」
この場限りの、無責任な言い逃れをする。
「ほんとか、パイナップル畑を買ってくれるのか?」
興奮してレイが浮き上がる。
月葉が抑えていなければ、貴奈津のところまで飛んでいったかもしれない。
「え、えーと、そういう方法もあるかなーって、ね。でも、どのみちお父さんが良いと言わないことには、どうにもならないわけなんだけど」
「そうか、言われてみればそのとおりだ。なんといっても眞鳥が経済を一手に握っているんだからな。よし、わかった!」
月葉の手を勢い良くはねのけ、レイは立ち上がった。
ベッドに飛び乗り、生乾きの体に、慌ただしく着替えのオーバーオールを身につける。
「レイ?」
「眞鳥の説得はボクに任せろ」
片手を腰にあて、もう片手でビシッと天を指さす。
すなわち、ボクに任しとけポーズ。
「レイ、ちょっと……」
「ワープ!」
「あっ」
腰を浮かした貴奈津の前から、レイの姿はかき消えていた。
「どひゃっ!」
おかしな悲鳴をあげ、眞鳥はあやうく椅子ごとひっくり返りそうになった。
書斎で渋茶をすすりながら書き物をしており、目は文字を追いながら、茶菓子の皿に手を伸ばした。
その手を、湿気を帯びた生温かいものが、はっしと上から押さえたのである。
「おまえ、顔のわりに気が小さいな」
「予告もなしに登場しないでくれたまえ、レイくん」
「どうやって、瞬間移動の予告をしろというんだ」
「いま勝手にわたしの大福を食べようとしなかったかね」
「ワープしたら、目の前に大福があったんだ。どうぞといわんばかりにな」
菓子器には二つの大福が並んでいた。
和菓子に目がない眞鳥のおやつである。
「……用件を聞かせてもらいたい」
バフッとレイが手を叩く。
「それだ! おまえ、沖縄にパイナップル畑を一つ買ったらどうだ。そうしたら、一年中パイナップルが山ほど採れる。絶対安全確実有利な投資だと思うぞ、ボクは」
「当社はパイナップル生産についてのノウハウを持たない。したがって、とくに有利な投資とはいえまい。ちなみに誰のアイデアかね、沖縄とかいうのは」
「貴奈津だ」
やはり、と眞鳥は溜め息をもらした。
後先考えず、適当なことをレイに吹き込んだに違いない。
そして後始末をこちらへ押しつけたのだ。
「レイくん、どうだろう。その件に関しては、限りなく前向きに誠心誠意わたしとしても善処するであろうことを真剣に検討するとして」
「そんな政治家の答弁みたいな言い逃れがボクに通用するか、バカめ」
「……ここは一つ、これで手を打たんかね」
眞鳥が菓子器に入った大福を指差す。
半開きになった口からよだれがこぼれそうになり、レイは手の甲で慌てて口を拭った。
明日のパイナップルを取るべきか、今日の大福を取るべきか。
レイにとっては究極の選択である。
ゴクリと音をたてて生唾を飲み込む。
「二つともくれるのか?」
この時点で、この勝負もらった、と眞鳥は思った。
そこで少し強気に出る。
「どちらか一つにしたまえ」
「やだ、両方くれ」
「むむっ」
多国籍企業眞鳥グループの会長と三頭身の異世界猫が、大福の皿を挟んで睨み合う。
バチバチバチッ! てな音を立て、ぶつかり合う二人の視線は激しく火花を散らしたのであった。
続く……
レイの頭痛も異常現象の翌朝には全快している。
そんなわけで、また相手の出かた待ちの日々に戻っている。
もっともローユンだけは何度か宇宙艇に出かけたり、眞鳥邸の自室でこれは宇宙艇のメイン・コンピュータに直結したシステムを、ときおりフル稼動させたりしているが、だからといって誰も手伝いはしなかった。
レイは、
「ボクは情報および技術関係顧問みたいなもんだから、ローユンがなにか考えついてから相談に乗ればいいんだ」
と、偉そうなことを言うだけ言って遊んでいる。
月葉はコンピュータ・システムに興味がないことはないが、ローユンとの協力関係ができていない。
どのみちスゥーディの記憶が戻っていない現状では役に立たない。
貴奈津は記憶こそ戻っているのだが、もともとナーディという少女が貴奈津とよく似た人格なのである。
分析とか対策などというデスクワーク系統のものには、おおよそ無縁のタイプであった。
だがこの日、たいへん珍しいことながら、貴奈津は朝からずっと机にかじりついていた。
今も夕食をそうそうに切り上げて部屋に戻り、教科書を睨んでいる。
切羽詰まっているのだった。
単位を一つ、落とすかどうかの瀬戸際なのである。
明日の試験の成績いかんでは。
貴奈津の斜め後ろで、監督役兼、教師役の月葉が椅子から立ち上がった。
「そこは飛ばさないほうがいいな」
貴奈津がまとめてめくったページを、数枚戻して指摘する。
「このへん、試験に出やすいんだ。読むだけでも読んでおきなよ」
「むだよ。どうせ読んでも、憶えられないもの」
一日中勉強などという、普段、やりもしないことをやっていたおかげで、貴奈津の脳神経回路はショート寸前に陥っていた。
そのせいで、投げやりな態度になってしまう。
「一日でやろうというのが、そもそも間違っている。一週間前から、いや、せめて三日前から手をつけていれば、こんなことにはならないはずだ」
という当然の講釈を、今さら月葉はしなかった。
かなり以前、それを口にしたために貴奈津とケンカになったことがあるからだ。
月葉が引き下がる。
「じゃあここは飛ばして次へいこう」
ページをもとの位置まで進めてやり、椅子にかけなおす。
その月葉を貴奈津が振り返った。
「ちょっと、ひと休みしようかな」
三十分前に夕食から戻ったばかりだ、という言葉を月葉は飲みこむ。
「……そうだね。疲れているみたいだし」
「このまま、だらだら続けても、効率が悪いものね。そうだ、わたしシャワーでも浴びてこようかな。そうしたら、頭がすっきりするかも」
「……いいと思うよ」
どこまでも月葉が譲歩する。
興味の向かないことを無理強いしてもしかたがないと、貴奈津に関しては達観してしまっていたのと、なんといっても単位制スクールである、一つや二つ単位を落としたからといって、進級に直接響くわけではないという気楽さもあった。
あとでどんなことになるかは知らないが。
貴奈津はうきうきと席を立った。
ことさらシャワーを浴びるのが好きなわけではない、机から離れられるのが嬉しいだけだ。
「じゃ、ほんの一五分ほど失礼して」
多少の後ろめたさはあるとみえる、愛想笑いと言いわけを残し、貴奈津はバスルームに続くドアの向こうへ消えた。
すぐに、シャワーの水音がもれてくる。
「やれやれ」
前をかきあげながら、月葉は立ち上がった。
教科書とノートをパラパラとめくって、溜め息をつく。
「どうして、この程度のもので苦労するのかねえ」
本人に自覚はないが、かなり嫌味な一人言を呟く。
「苦労は勝手にしろ、と昔から言うからなっ」
突然、背後からふってきた声に、振り向きながら月葉が訂正を加える。
「苦労は買ってでもしろ、というのが正解だよ、レイ」
「そうか? でも、意味は似たようなものだ。それより貴奈津は? 貴奈津はどこだ」
「なにか用でも?.」
ふわりとレイが舞い降りてきた。
持っていたパンフレットを、月葉の目の前に広げてみせる。
どこから手に入れたのか、観光パイナップル園の案内書だった。
写真は、なだらかな山肌一面のパイナップル畑である。
「どうだ、あまりの感動に、めまいのするような光景だろう。ニャハハハハ」
「そうでもないけど」
「つまらないヤツだな、おまえって。とにかく、これを貴奈津に見せてやるんだ。貴奈津はどこへいった?」
月葉の手が、レイの後方を指さす。
「いま、ちょっとパスルームに……」
「そうか」
クルリと後ろを向いて、ついとバスルームのドアヘ飛んでいく。
「あっ、レイ、ちょっと」
月葉が慌てて追いかけ、レイのオーバーオールヘ手を伸ばす。
その先でフッとレイの姿がかき消え、薬月の手が虚しく空を掴む。
「まずい!」
レイを掴みそこねた姿勢のまま、月葉が緊張する。
悲鳴が聞こえた。
「キャアーッ!」
ドアを通して月葉のところまで、しっかり響いてくる。
盛大な貴奈津の悲鳴に、プラスチックがぶつかりあう音やレイの叫び声が重なった。
たまらずレイがワープで、逃げ出してくる。
「月葉ぃ……」
「こうなると思ったよ」
月葉の目の前に、レイが全身から水をしたたらせて浮かんでいた。
「なんて凶暴な女なんだ」
月葉にタオルで体を拭いてもらいながら、レイがののしる。
床にバスタオルを重ねて敷き、その上に座り込んでいる。
貴奈津が椅子をまわしてレイを睨んだ。
「なに言ってるのよ、あんたは。命があっただけでもありがたいと思うことね。レディの入浴を覗くなんて、失礼よ」
突然バスルームに現れたレイに驚き、貴奈津はシャンプーやら洗面器やらブラシやら、とりあえず手元にあったあらゆるものを投げつけた。
同時にシャワーも浴びせられていたので、レイは避けることが出来なかった。
だから、だいたい命中している。
レイは体のあちこちに、打撲傷を負っているはずだった。
「う、そこ痛い」
レイが呻く。
毛皮をこすっていた月葉は手を止めた。
「ごめん、ごめん。もうほとんど水気は取れたから、後はドライヤーにしようか」
月葉は甲斐甲斐しくレイの世話を焼いていた。
口には出さないが、貴奈津の勉強をじっと監視しているより、遥かに退屈しないからだ。
温風を当てられ、毛皮をブラッシングしてもらい、レイがうっとりする。
レイはスキンシップが好きである。
特にブラッシングは気に入っていた。
不思議な物でも見るように、貴奈津がじっとその様子を眺める。
「あんた、そうやっていると、お風呂上がりの猫そのものね」
「誰が風呂上がりにしたと思っているんだ」
「自業自得よ」
「なんだとっ」
立ち上がりかけた例を、月葉が抑える。
「レイ、じっとしていてくれる。乾かないから。それから貴奈津も、こっちのことは気にしないで、試験勉強をしたほうがいいんじゃないかな」
「う……」
正論は耳に痛い。
貴奈津はしおしおと椅子をまわした。
しかし、勉強に戻ろうとするのを、レイが邪魔する。
「学校の勉強は忘れても、沖縄の約束は忘れるなよ」
「憶えているわよ。あとで必ず、連れて行ってあげるわよ」
「あとって、いつだ?」
「そのうち」
「そのうちっていうのは、正しくは何日後のことか」
からまれて、貴奈津が椅子ごと振り向く。
「もーうるさいわね、あんたは。あのね、わたしが勝手にいつとは決められないの。
そりゃあ、わたしとしても、早く約束を守ってあげたいわよ。でもね、レイを連れて行くとなると、やっぱり人目につくとまずいわけだし、だから、わたしは考えたわけ。パイナップル畑を、丸ごと一つ、買い取ったらいいんじゃないかしら、なんてね」
この場限りの、無責任な言い逃れをする。
「ほんとか、パイナップル畑を買ってくれるのか?」
興奮してレイが浮き上がる。
月葉が抑えていなければ、貴奈津のところまで飛んでいったかもしれない。
「え、えーと、そういう方法もあるかなーって、ね。でも、どのみちお父さんが良いと言わないことには、どうにもならないわけなんだけど」
「そうか、言われてみればそのとおりだ。なんといっても眞鳥が経済を一手に握っているんだからな。よし、わかった!」
月葉の手を勢い良くはねのけ、レイは立ち上がった。
ベッドに飛び乗り、生乾きの体に、慌ただしく着替えのオーバーオールを身につける。
「レイ?」
「眞鳥の説得はボクに任せろ」
片手を腰にあて、もう片手でビシッと天を指さす。
すなわち、ボクに任しとけポーズ。
「レイ、ちょっと……」
「ワープ!」
「あっ」
腰を浮かした貴奈津の前から、レイの姿はかき消えていた。
「どひゃっ!」
おかしな悲鳴をあげ、眞鳥はあやうく椅子ごとひっくり返りそうになった。
書斎で渋茶をすすりながら書き物をしており、目は文字を追いながら、茶菓子の皿に手を伸ばした。
その手を、湿気を帯びた生温かいものが、はっしと上から押さえたのである。
「おまえ、顔のわりに気が小さいな」
「予告もなしに登場しないでくれたまえ、レイくん」
「どうやって、瞬間移動の予告をしろというんだ」
「いま勝手にわたしの大福を食べようとしなかったかね」
「ワープしたら、目の前に大福があったんだ。どうぞといわんばかりにな」
菓子器には二つの大福が並んでいた。
和菓子に目がない眞鳥のおやつである。
「……用件を聞かせてもらいたい」
バフッとレイが手を叩く。
「それだ! おまえ、沖縄にパイナップル畑を一つ買ったらどうだ。そうしたら、一年中パイナップルが山ほど採れる。絶対安全確実有利な投資だと思うぞ、ボクは」
「当社はパイナップル生産についてのノウハウを持たない。したがって、とくに有利な投資とはいえまい。ちなみに誰のアイデアかね、沖縄とかいうのは」
「貴奈津だ」
やはり、と眞鳥は溜め息をもらした。
後先考えず、適当なことをレイに吹き込んだに違いない。
そして後始末をこちらへ押しつけたのだ。
「レイくん、どうだろう。その件に関しては、限りなく前向きに誠心誠意わたしとしても善処するであろうことを真剣に検討するとして」
「そんな政治家の答弁みたいな言い逃れがボクに通用するか、バカめ」
「……ここは一つ、これで手を打たんかね」
眞鳥が菓子器に入った大福を指差す。
半開きになった口からよだれがこぼれそうになり、レイは手の甲で慌てて口を拭った。
明日のパイナップルを取るべきか、今日の大福を取るべきか。
レイにとっては究極の選択である。
ゴクリと音をたてて生唾を飲み込む。
「二つともくれるのか?」
この時点で、この勝負もらった、と眞鳥は思った。
そこで少し強気に出る。
「どちらか一つにしたまえ」
「やだ、両方くれ」
「むむっ」
多国籍企業眞鳥グループの会長と三頭身の異世界猫が、大福の皿を挟んで睨み合う。
バチバチバチッ! てな音を立て、ぶつかり合う二人の視線は激しく火花を散らしたのであった。
続く……
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