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89話

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 あてもなく、月葉はバイクを走らせていた。
 後先考えずに、家を飛び出してきたのだ。
 青少年にありがちな行動である。
 貴奈津に手を上げてしまった反省も深いが、ローユンに叩かれたショックのほうが大きい。
 そしてショックが大きいということがまた、月葉を落ちこませる
 心の底ではローユンを信じていたと、月葉は悟ってしまったのだ。
 全てに見放された気分だった。
「頭にくる」
 自分にだ。
 腹立ちは激しかったが、また一方、変に冷静な意識もある
「いくらローユンだって、忍耐の限界というものがあるよな」
 などと考えてしまう。
 自分がとってきた態度をかえりみれば、今までローユンが耐えられたのが不思議なくらいだ。
「少し頭を冷やして帰ろう」
 道路は異常に空いていた。
 深夜だからではなく、東京方面から来る車も、逆に向かう車もいないのだ。
 昼夜営業の店も、今夜は営業していない。
 東京を襲った空前絶後の異変を考えれば、それが常識的な対応だろう。
 時折自衛隊の軍用車輌が通るほかは、片側三車線の幹線道路に車はほとんど走っていない。
 なにしろ非常事態時である。
 警察も速度取り締まりなど、やっている余裕はないはずだ。
 それを良いことに、月葉は制限速度の倍近くで飛ばしていた。
 危険この上ないのだが、気が立っているときは平気なものだ。
「まるでサーキットだな」
 そう思ったが、一般道を勝手にサーキットにしていたのは、なにも月葉だけではなかったのである。
 さすがに赤信号では、月葉も停止する。
 信号待ちをしていると、後方からけたたましい、そして、ある種の集団に特徴的なクラクションが聞こえた。
 車とバイクの集団を、月葉は振り返って確認する。
 間違いなくチーマーだ。
 走りかたでわかる。
「バカじゃないのか、あいつら。東京は非常事態だっていうのに」
 人のことは言えないはずの月葉である。
「どこのグループだ。このあたりで、あの人数となるとフラッシュかな」
 バックミラーを覗いて、悠然と呟く。
 まっとうな人間であれば、ただちに回避行動を取るところだが、月葉はしない。
 した例しがないのだ。
「フラッシュだといいねえ」
 フルヘルの中で、月葉が性質の悪い笑みを浮かべる。
 虫の居所が悪かったのも手伝い、性格上の問題が顕わになってしまう。
「憂さ晴らしに、いいかもしれない」
 月葉が考えたのは、そういうことであった。
 フラッシュというチーマーは、以前、月葉が壊滅に追いこんだ、ゼータの対立グループである。
 凶悪なこと、ゼータに一歩も引けを取らない。
 つまり、月葉としては心おきなく叩ける相手、ということだ。
 信号が青にかわる。いやにゆっくりと、月葉は発進した。
「早く追いつけ、遊んでやるから」
 バックミラーの中を、車線いっぱいに広がったヘッドライトが迫ってくる。
 バイクが十数台、車が五、六台というところか。
「少ないな、フラッシュじゃないのかな」
 ミラーに呟いたとき、先頭を走る数台のバイクが加速した。
 瞬く間に、月葉のすぐ後ろまで迫る。
 ヘッドライトがミラーに反射して、月葉は目を細めた。
 フッと、ミラーの中からライトがかき消え、その一瞬後、月葉の右に二台、左に一台のバイクが並び出る。
 同時に喧しいクラクションが響いて、罵声が投げかけられる。
 声の内容に意味はない。
 車線の中央を塞いで、のんびり走っている月葉をあおっているだけだ。
「嬉しいね、フラッシュだ」
 大口を開けたサメの頭部。
 車体のトレードマークを、月葉は認めた。
「さて、どうでるかな」
 アクセルを開いて、振り切る素振りを見せてやる。
 すると予想どおり、三台のバイクはさらに加速して、月葉の前後を取り囲んだ。
 ただ逃げられてはつまらないと思うのだろう。
 チーマーの行動には、たいした目的や意味などないのである。
 暴力行為に、その場しのぎの楽しみを見いだしているだけだ。
「バカなやつら」
 心から、思いっきり、容赦なく月葉が決めつける。
 走行中なので、声が届かないのが残念なくらいだ。
 しかし、いくら月葉が過激でも、取り囲まれて煽られたくらいで、自分から手を出したりはしない。
 それでは正当防衛が成立しなくなってしまう。
 右手を走るバイクの男が、クラッチレバーから手を放す。
 一度ガソリンタンクの下を滑らせ、振り上げた手に、鉄パイブが握られていた。
 車体に備えつけてあったらしい。
「待ってました、そうこなくちゃ」
 男の動きをしっかり目に入れながら、月葉が喜ぶ。
 困った性格というのは、こういうタイプを指すと思われる。
 ヘッドライトを狙って、鉄パイプが振り下ろされる。
 しかし、ライトが割られるより、見澄ました月葉が、男のバイクに蹴りを入れるほうが早かった。
 月葉が容赦なしに放った蹴りである。
 支えられるわけもなく、バイクが横倒しになった。
 男が放り出されて道路に転がる。
 側にいた二台のバイクにはもちろんのこと、後方の本隊からも、倒されたバイクが、火花を散らして路面を滑っていくのが見えた。
 並走するフラッシュの二台へ振り向いてみせ、月葉はアクセルを大きくまわした。


 閉店後のガソリンスタンド前に、三台の車が止まり、七、八人がたむろしている。
 こちらも非常事態などどこ吹く風の、女性だけのチーマー・ルビイである。
 メンバーは十代後半から、せいぜい二十歳というところだが、全員ばっちり化粧をしているために、年齢より大人びて見える。
 赤いスポーツカーによりかかり、ルーフに片ひじをついているのがリーダーのヒロミだ。
 真紅のタンクトップに短い緋色のジャケットを羽織り、光沢のある黒のスパッツを履いている。
 親指を除く右手の四指に、それぞれ指輪をしているが、身を飾るためだけではなく、実用性も備えたものだ。
 素手でのけんかで、凶器として威力を発揮する。
 スポーツカーの車中から、額にバンダナを巻いた女が顔を出す。
「ヒロミ、やっぱり現状七号線は、のきなみ閉鎖されてるよ」
 道路情報を仕入れていたらしい。
「だろうねえ。それじゃ環八を抜けて、第二京浜に入るか」
 暴走行為前のルート確認である。
「そうしようよ。ま、今夜は道が空いてていいやね」
 バンダナの女が、のんきに感想する。
 そこヘゴールドメタリックのクーペが走りこんできた。
 仲間の車だ。
 急ブレーキの音を響かせ、ヒロミの前で停止する。
 中からメンバーの一人が飛び出してきた。
「ヒロミ、フラッシュのやつらが!」
「どうした」
「貴奈津姐さんにケンカ売ってる」
「なんだって! 場所は?」
「道路でもめててさ、あとをつけていったんだけど、新幹線高架下の資材置き場。あそこへ入っていった」
「そこなら五分とかからない」
 車のドアに手をかけ、ヒロミがメンバーに号令をかける。
「みんな、聞いてのとおりだ、加勢に行くよ!」
「わかった!」
 口々に答えて、ただちにメンバーたちが車に乗り込む。
 ヒロミが運転席に乗り込むより早く、 助手席にいたバンダナの女がエンジンをかける。
 このあたりのチームワークは抜群だ。
 ギアを叩き込むとほとんど同時にアクセルを踏みこみ、タイヤを鳴らして発車する。
 ハンドルを握るヒロミの隣で、バンダナの女がインカムをつけ、通報してきたメンバーと話し合う。
 通話スイッチを切り替え、女がヒロミに報告する。
「フラッシュは、二、三十人じゃないかってさ」
「少ないじゃないか」
「ヒロミ、いちおう聞くけど、どっちの加勢をする気なのさ」
「貴奈津姐さんに決まってるだろう! 頼まれたって、フラッシュの加勢なんかするもんか」
 フラッシュはルビイにとっても敵なのだ。
 チーマーにも色々と事情はある。
「そうだろうと思ったけどさ。でも貴奈津姐さんの場合、加勢は必要ないんじゃないかねえ」
 言われてみれば、そうかもしれない。
 勢いで飛び出してきたので、その点をヒロミは忘れていた。
「しかしまあ、万が一ってこともあるからね。それに、じつはあたし、あの子が結構気に入ってるんだよ」
「あたしも好きだけどさ。気っ風が良いよな」
「妙に面白いし」
「そう、そう」
 これは特に、褒めているのではないらしい。
「ところでケンカの原因はなんだって? なにか言ってたかい?」
「ああ、なんでも走行中に、貴奈津姐さんがいきなり、フラッシュのバイクを蹴り倒したとか」
 ヒロミが怪訝な顔で助手席を振り向く。
「からまれたんだとしても、いきなりそういうことするかね、貴奈津姐さんが」
「虫の居所でも悪かったかな」
「それ、ほんとに貴奈津姐さんか? 人間違いじゃないのかい」
 バンダナの女は肩を竦めた。
 自分で見たわけではないので、聞かれても困る。
 一見、似たプロポーションと、これはかなり似ているフルヘルの中の顔。
 ルビイのメンバーは、月葉と貴奈津を見間違ったのだ。
 貴奈津の顔は知っていても、月葉の顔を見たことがなかった。
 しかも夜目である。
 少し前なら、バイクの型が違うことで、貴奈津ではないと気づいたかもしれない。
 だが貴奈津のバイクは、ルビイの目の前で全壊してしまっている。
 排気量の近い月葉のバイクを、貴奈津の新車だと思っても無理はなかった。



 続く……
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