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Chapter 5

02 窒息

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 そこに現れたのは、お店には並んでいない新しいデザインのアントルメだった。
 新作のお披露目らしい。でもなんで僕なんかに、という疑問は一瞬で吹き飛んだ。中心に据えられているのは、霧谷英志の絵本に登場するキャラクター「どろんど」だ。

「ほれ、感想を言いたまえよ」

 圧倒されていた僕は、促されてようやく声を出した。

「えー! すごいです、かわいい! めちゃくちゃおいしそう! えっ、うそこれマジパンと飴細工で!?」
「あっはっは、そうかそうか、もっと褒めていいんだぞ」

 感想を求められたのに全然まともな言葉にできなかったけど、矢幡さんは満足げに高笑いをしていた。
 でも本当にお世辞じゃなくて、細かい部分にまで神経の行き届いた、素晴らしい仕上がりだと思った。
 ビスキュイで作った宝箱にグラス・ロワイヤルで花の模様が描かれ、赤く色づけた飴細工のリボンが巻かれている。宝箱の中に入っているのは、マジパンでできた「どろんど」と、メレンゲで作られた仲間たち。どれもそのまま絵本から飛び出してきたように忠実に作られている。カラフルで細々としているが、散漫な印象は全くない。

「本当にすごいです、絵本の世界をこんなに丁寧に再現できるなんて……!」
「わはは! そんな空前絶後の天才だなんて本当のことを言われてもな~わはははは!」

 そうとは言わなかったけれど確かに天才的だと思う。

「これって、もしかして霧谷さんからご注文をいただいたんですか?」
「いや、うちの店から霧谷先生の作品とのコラボ商品を出させてもらえないかなと思って試しに作ってみただけ。今日これから提案してみようと思って」
「えっ、そんな強引に話を持っていって大丈夫ですか……?」
「そりゃ押して駄目なら引くけど、まずは押してみないと」

 す、すごい理屈だ。技巧を凝らしたアントルメもさることながら、自信と度胸も一級品だ。

「それにアポはちゃんと取ったし。霧谷さんと出版社の方はもういらしてるか?」
「あっ、はい、ついさっき」

 なるほど、霧谷さんが「別件」と言っていたのはこのことだったのか。ようやく合点がいく。

「ようし、真崎くんのお墨付きもいただいたことだし、はりきっていってみようか」

 矢幡さんは試作品をいそいそと箱にしまい、リボンまでかけ始めた。あのアントルメが箱から出てきたらびっくりするだろうな。
 パティシエとしての腕前はもちろんのこと、矢幡さんの演出上手もラパンが愛される理由なんだろうと思う。ただ味がよいだけでは店は立ち行かない。商品そのものの見た目、持ち帰りのパッケージ、店内のインテリアに、広告戦略。話題作りも重要だ。

 霧谷さんの元へ向かった矢幡さんを見送ってラボに戻る。高沢さんに指示をもらい、今度はキャラメルを作っていく。火にかける時は加減に気を使わなければならないから集中を切らせない。

 頭の片隅で、話がよい方向に進むことを祈る。見た目は霧谷英志ファンとして文句のつけようのない再現性だったし、矢幡さんが作ったんだから味に問題があるはずがない。霧谷さんもきっと気に入るはずだ。もしラパンで霧谷英志作品とのコラボ商品を作ることになったら、僕もなんらかの役割を担わせてもらえるはずだ。そう思うと気が奮うのだけれど、なんとなく後ろ暗い気持ちが拭えない。

 霧谷さんが最初にラパンに来た日、矢幡さんと名刺を交換していた。その後も何度かSNSでやり取りをしているのを僕も見ていたし、そこから仕事の話に繋がっていくのは変なことじゃないのに。

 矢幡さんには才能があって、自信たっぷりで、それでいて努力を怠らない。たまに「海苔巻きロールケーキ」とか「佃煮ショコラ」とか、先進的過ぎてお客様を置き去りにしてしまう時もあるけれど、けして意欲を失うことなく新しい挑戦をし続ける。その結果に「天才」という評価が下される。

 自分を信じて、臆することなく未知の大海に漕ぎ出してく。嵐に遭おうと、怯まず、敢然と。その姿勢に心打たれ共感した人々が集まり、力を合わせて更なる高みを目指していく。
 比較することすらおこがましいけれど、僕には足りないものだらけだ。

「真崎くん」

 高沢さんに声をかけられて、はっと我に帰ると同時にぷんと嫌な臭いが鼻につく。手元のキャラメルは煮詰めすぎて、すっかり焦げ臭くなっていた。

「――――あっ! ああああすみません!」
「もう結構ですよ。私が代わります」
「いえっ、でも……!」
「集中できないなら奥で少し休んできなさい」

 けして睨まれているわけでもすごまれているわけでもない。ただ静かに「君にはこの仕事を任せられない」という審判が下されたのだ。

「……すいません、頭冷やしてきます」

 洗面所に行って、冷たい水で顔を洗う。できれば言葉通り、頭を丸ごと水に浸して冷やしたい。
 あんな初歩中の初歩のミスをするなんて。なにが悪かったって、集中できない自分が悪い。自己嫌悪の海にざぶざぶと頭の先まで浸かって、窒息してしまいそうだった。
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