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第1章 とあるメイドの旅立ち

第2話 そのメイド、貪る。

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「やっと見つけたわよ、アカーシャさん!?」
「ひっ!?」

 本来静かであるべきの図書室に、甲高い声がビリビリと響く。

 その拍子に私の身体はビクッと跳ね上がり、読み途中だった本を思わず閉じてしまった。


「ちょっと、急に大声なんか出さないでくださ――げっ、メイド長!?」

 文句のひとつでも言ってやろうと、声のした方を見てみれば。

 箒を片手に持ったメイド長が、鬼のような形相をこちらへ向けていた。


「人に向かって『ゲッ』とはなんですか。それに姿が見えないと思ったら、旦那様の図書室でコソコソと読書だなんて……貴女、の分際で、何を考えているの!!」

 再度響き渡る、耳がキーンとするような怒鳴り声。

 思わず私は耳を両手で塞いだ。

 メイド長のクアレさんは、この屋敷で働くメイドの頂点だ。とても仕事ができる人なんだけど……職業病なのか、神経質で怒りっぽいのよね。

 今も元々鋭い目を更に吊り上げ、私を射殺さんとばかりに睨みつけている。


「そんな言い方しないでくださいよぉ。非正規とはいえ、ステップガールだってちゃんとしたメイドなんですから。それに図書室ではお静かに。……まぁ、今は私しか居ないので良いですけれど」

 今しがたまで読んでいた恋愛小説を指差しながら、メイド長にこの部屋でのルールを教えてあげた。

 ここは私の雇い主であるアトモス男爵の図書室。いくらメイド長と言えども、粗相は許されないでしょう?


「お黙りなさいっ!! 十六歳にもなって、子供みたいな言い訳をするんじゃありません!! それよりも、わたくしが午前中に頼んでおいた仕事はどうしたのっ!?」
「午前中?……あっ、もうお昼過ぎてる!」

 壁に掛けてある、時を知らせる魔道具を見てみれば、とっくにお昼の時間は過ぎていた。


 どうやら夢中になり過ぎたみたい。

 今から食堂に行っても、おそらく賄いは食べられない。


 そう思うと急にお腹が空いてきて、図書室にグゥという音が響いた。

 ……と同時に、メイド長の身体から殺気がぶわっと溢れ出す。


 まずい。これ以上怒らせるのはさすがにまずい。


「だ、大丈夫ですよ!! 心配しなくとも、メイド長から頼まれていた部屋の掃除、野菜の皮むきはすでに終わらせましたから! ついでにメイド長が大事にしているお花にも、たっぷりとお水をあげておきましたよ!」
「――それらを全部っ!? そ、そうですか。相変わらず仕事が早い上に、気が利くわね……ってそうじゃないわよ! 私が頼んだ仕事が終わったからって、アカーシャがサボって良い理由にはならないでしょうが!! それに買い出しリストの作成はどうしたの!?」

 あれ? 買い出しリストなんてあったっけ。記憶から抜けちゃったのかしら?

 でも他のメイドよりも仕事をこなしたんだから、あとは私の自由時間でしょ?


「そもそも、ステップガールはただのお出迎え係なのに……」
「あまり認めたくはありませんが。貴女はどういうわけか、この屋敷のどのメイドよりも仕事の覚えが良いし、こなすスピードも速い」
「え、そうでしょうか? えへへ、ありがとうございます!」

 唐突に褒められると照れる。

 いや~、さすがメイド長。良く分かっていらっしゃる。


「ですが、時々とんでもないウッカリをやらかします。なのでミスをした分、人より何倍も仕事をやってもらう必要が発生するのです」
「いったいどんな理屈なんですか、それ……」
「黙りなさいっ! いつまで半人前でいるつもり!? 孤児だった貴女を拾い、あまつさえ仕事と食事を与えてくれている旦那様に、貴女は申し訳ないとは思わないのですか?」

 うっ……それを言われてしまっては、私の立場は弱くなってしまう。

 たしかに行き場もなく死に掛けていた私を救ってくれた旦那様たちは、間違いなく命の恩人だ。


 でも何でも仕事を任されていたんじゃ、いつまで経っても私の仕事が終わらないじゃない。

 不満タラタラの顔をするも、メイド長は私の言葉に悪魔のような笑顔で返した。どうやら私を見逃すつもりはないみたい。


「それにこの本は奥様の愛読書。雇い主たちの蔵書を勝手に読むとは何事ですかっ!! ……まったく。罰として、私の代わりに池の鯉たちに餌をあげてきてください」
「えぇ~?」
「ほら、もうすぐ旦那様たちの帰りを出迎える時間ですよ。それとも本のことをバラされたいですか? 仕事を失いたくなければ、今すぐいきなさい」
「クビっ!? それは困りますぅ!! 行きますっ、行きますから!!」


 クビという言葉に過剰な反応をした私は、一瞬で図書館を飛び出し外へと向かった。


「はぁ。まったくあの子は……優秀なんだか、お馬鹿なのか。本当につかめない子ですね」

 机に置かれたままの本を見詰めながら、メイド長は深い溜め息を吐いていた。

 ◇

 あぁ、何にも縛られない自由な魚になりたい。

 目の前に広がっている噴水付きの大きな池には、七色に輝く鯉が気持ち良さそうに泳いでいる。

 メイド服姿の私は池の前にしゃがみこみ、悠々と泳ぐ彼らを羨望の眼差しで見つめていた。


「さてと、それじゃ任務を始めますか……えいっ!!」

 私の左手にあるのは、鯉餌の入った袋。

 その中に手を突っ込んでひと掴みすると、池の中の彼らに向かって投げた。

 まぁ見ての通り、私の任務って鯉の餌やりなんだけどね。


「うわ、集まって来た!」


 バシャバシャと近寄ってきては、我先にと仲間同士で獲物を奪い合っている。必死の形相でご飯を貪る彼らの姿は何て言うか……うん、ちょっとマヌケだ。


「いいなぁ鯉は。私もこの池の鯉になりたいよ……」

 当然、というか残念ながら、私はれっきとした人間だ。アカーシャという素敵な名前もある。ガリガリに痩せたメイドだけど、これでも紛れもなく淑女レディーなのよ……。


「うぅ、お腹が空いた……ねぇ、どうしてこの子たちは泳いでいるだけなのに、美味しいご飯を貰えるの? 私は働いても働いても粗末なご飯しか食べられないなのに……」


 孤児院育ちだった私にとって、ただ生きているだけでご飯を貰えるこの鯉たちが羨ましくて仕方がない。

 今はこうしてアトモス男爵家に拾ってもらえているけれど、それでも満足した食事を摂れているわけではないし。

 旦那様たちみたいな豪勢な食事ができれば、私だって奥様みたいなボンキュッボンな身体になれるはずなのに……!!


「あぁ~あ。早く本職のメイドになりたいわ。じゃないと、あの偽聖女にも復讐できないし」

 こんな孤児院出身な私だけど、立派な夢が二つもある。

 一つは私がこんな極貧生活を送る原因になった、とある女に復讐をすること。

 もう一つは、手に職をつけて、毎日お腹いっぱいのご飯を食べられるようになること。

 更に欲を言えば、素敵な旦那様を見つけて、たくさんの子供に囲まれて過ごせたら最高ね。


「ただまぁ……どっちの夢も、まだまだ叶いそうにはないけれどね」


 ちら、と手に持っている袋を見る。

 この鯉用のご飯、さっきからとっても良い匂いがするのよね。そりゃあもう、さっき言った淑女なんてプライドを捨てたくなるぐらいに。

 将来のことは置いておこう。取り敢えず、今お腹いっぱいになりたい。お昼ご飯、食べ損ねちゃったし。


「……ちょっとだけ食べてみようかしら」

 それから僅か十分後。

 まさかこの屋敷を出ていくことになるとは、この時の私はちっとも予想していなかった。

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